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2019年10月28日月曜日

速報 バグダディ殺害:イスラム国は本当に崩壊するのか

最高指導者の死亡で組織は崩壊と、能天気なことを言う向きがありますが、世界は警戒を解くべきではない、ということでしょうか。今回は速報としてお伝えしますが、まもなく作戦実施の情報が出てくると思いますので別途お伝えすることにいたしましょう。


Abu Bakr al-Baghdadi Is Dead (But His Legacy Lives on) アブ・バカ・アル-バグダディは死んだがその遺産は生き続ける

October 27, 2019  Topic: Security  Blog Brand: Middle East Watch  Tags: Abu Bakr Al-BaghdadiBaghdadiIraqSyriaISIS

ナルド・トランプ大統領は米軍がイスラム国指導者アブ・バカ・アル-バグダディを土曜日早朝に強襲したところ本人が自爆し、配偶者数名と死亡したと発表した。自身の子どもたちは生存しているという。
バグダディの排除は一つの勝利であることは確かだが、それをもってシリア北東部からの米軍撤退とシリア民主軍(SDF)との協力関係を放棄する大統領判断の裏付けにはならない。事実、SDFを指揮するマズロウム・アブディはバグダディ死亡の報をうけて発信したメールで今回の作戦は五ヶ月に及ぶ米軍とSDFの「共同情報収集」で実現したと述べている。
ましてやバグダディの死でイスラム国の脅威が終焉したわけでもない。
2006年に当時ニューズウィーク特派員のマシュー・フィリップスはブッシュ大統領が最高権威者カリフの用語を歴史的な背景を理解せずに口にしていると報じた。
カリフを自称したバグダディだがその死後にイスラム国はどうなるのか。イスラム国は最盛期にイラク、シリアの三分の一の地域を支配し、世界各地のイスラム過激派を刺激した。ヤジディ族や非イスラム教徒を奴隷にし、イスラム世界でも数世紀前に消滅した奴隷制を復活させた。従来の夢想を現実化した本人の実績は今後数世代にわたり共感を与えそうだ。
だが今回の殺害で本質的な変化は生まれるのか。アルカイダ指導者だったオサマ・ビン・ラディンの発言が有名だ。「強い馬と弱い馬を目にすれば、強い馬を気にいるのは当然だろう」 たぶん、このためトランプ大統領が「本人は犬のように死んだ、臆病者のように死んだ」と述べたのだろう。
問題はバグダディの死亡は最初から想定ずみのイデオロギーとしてイスラム国が広げたことだ。イスラム神学者ツルキ・アル-ビナリ(イスラム国の教理を支えた)は世界の終焉までにカリフは12名登場し、バグダディは8番目とした。
ということはバグダディを権力の座につけたのと同じ力と情熱を後継者が現実に移す可能性があり、第九番目のカリフとして正当性を主張することになる。これに失敗すれば、信心が足りなかったと解釈される。いずれにせよ、バグダディの抱いた夢は今後も続く。
筆者は先週の大部分をアフガニスタンとパキスタンで政界、軍部の関係者と話をしてきた。アフガニスタンが見出しに出ることは最近は殆どない。その少ない例はタリバンのテロ攻撃であったり米特使ザルメイ・ハリザドがめざすタリバンとの合意形成の報道だ。いずれの場合でもアフガニスタン、パキスタン両国の関係者に危惧の対象となるが、実は最大の懸念はイスラム国が両国にまたがった存在意義を構築していることだ。例として10月18日、自爆攻撃でアフガニスタンのナンガハール村の金曜日礼拝で数十名が死亡した。アフガニスタン当局はタリバンよりイスラム国の犯行らしいとする。その理由として同村のモスクにイスラム国から事前に脅迫が届いていたからという。
トランプ及び米軍部隊には血にまみれたカリフを自称する人物の排除成功したことで称賛を与えて良い。だが本人を最高地位に登らせた力学が本人の死亡で終焉したと考えるとすればあまりにも単純すぎる。トランプは序章を終えただけにすぎず、バグダディの描いたイスラム帝国構想の第二章がこれから始まり、数年間、数十年間あるいは数世紀にわたり展開すると見るべきだろう。■

Michael Rubin is a resident scholar at the American Enterprise Institute (AEI). You can follow him on Twitter: @mrubin1971.

2019年5月19日日曜日

いざというときに頼りになるデルタフォースはこうして生まれた

The U.S. Army's Delta Force: How This Secret Group of Deadly Soldiers Came to Be 米陸軍デルタフォースはこうして生まれた

陸軍デルタフォースは創設以来30年以上がたち、その間にハリウッド映画数本が製作されたが、今でも一般大衆の眼が届かない最上級の特殊部隊である。ペンタゴンは同部隊の詳細はごくわずかしかあかしておらず、組織の全体像はともかく隊員総数も不明のままだ。
正式には第一特殊部隊作戦分遣隊Dとして陸軍の一部となっており役所仕事のしがらみから脱せず過去の活動記録の一部は公開されている。
米陸軍は当初デルタフォースを「世界各地に展開可能な部隊で国際テロ活動含む重要局面で適切に対応が取れる部隊」として想定していたのが陸軍戦史センター所蔵の1977年の提案説明でわかる。
同センターには陸軍各部隊の出自記録も保存されており、戦史とともに戦功もわかる。これまでの地上戦全てで動員され活躍した部隊を把握している。
だがデルタフォースと海軍のSEALチームシックスの出自を探ると1970年代の政治的波乱状況にたどり着く。当時のワシントンはテロ活動が欧州や中東で激しくなる状況を目の当たりにしていた。
1972年にパレスチナ戦闘員が世界を驚かせた。イスラエルのオリンピック選手をミュンヘンで襲撃したのだ。急進派小集団やバスク民族分離主義派が爆弾テロや暗殺をヨーロッパ各地で繰り広げていた。
そんな中一人の陸軍士官が上部を動かしデルタを創設した。その人の名前はチャーリー・ベックウィズ大佐である。
1960年代にベックウィズは英国の22特殊空挺任務(SAS)連隊に加わりマレーシアにいた。ベックウィズはデルタのヒントをSASから得た。
「今回提案の組織は高度に専門化された部隊として相当の職位の組織として小規模チーム構成で高度訓練を受け、心理的に対応準備ができた隊員で現場判断を下せるものとする」と創設前の資料にある。
こうした目標設定は多分にベックウィズがSAS隊員を参考にまとめたものだ。特に隊員選定方法に好印象を受けた。
「(SAS)連隊とは結局個々人の隊員で構成し、単独になることを楽しめる隊員で自らで考え行動できるものとして強い精神と決意を有するもので構成している」とベックウィズは自叙伝デルタフォースに記したが本人は1994年に死去している。
分析には組織構成案もつき、組織装備表(TOE)とある。陸軍ではこの資料を出発点に配備人員数を決定したり装備品を選定するのが常だ。
デルタフォースも例外ではない。1978年7月時点で正式なTOEがついており将校21名下士官151名とある。
提案の組織は2つにわかれ、事務手続きを担当する部門と実際に作戦投入される部隊だった。状況により医官、情報官、無線通信担当を事務部門から派遣しミッションを実施する。
作戦部門はE分遣隊と呼ばれ20名単位のチーム四個で構成するF分遣隊も指揮下においた。
この呼称は特殊部隊をABCの各分遣隊とする基本構造にならったものだった。12名体制の作戦分遣隊は通常は「Aチーム」と呼び、陸軍のエリート部隊の単位だ。
チームの規模拡大でデルタへ配属される将校が増え、通常の特殊作戦部隊より高位の者が配属された。現在の陸軍歩兵中隊は隊員130名以上が配属で将校は5名に過ぎない。
「作戦の性質上秘匿性が高度で必要とされる特殊技能訓練も高度になるためこの構造が許される」と検討案にある。「必要な能力水準は新兵や任官まもない中尉レベルでは得られにくい」
デルタの将校に大尉未満はいない。下士官では最低でも2等軍曹だ。
F分遣隊の下士官が中心の「実行者」となると検討案は記述。F分遣隊は20名規模のチームであらゆる任務をこなす。
英陸軍のエリート部隊と同様にこうした「組織内戦闘員」は「単独工作員」の行動を求められると検討案は見ていた。
ベックウィズと違い陸軍は特殊部隊隊員は訓練に長時間を使い外国では友軍と共同作戦すべきと考え、強襲作戦の単独実施は想定しなかった。現在でも陸軍特殊部隊は米同盟国と共同作戦体制維持に相当の時間を費やしている。
デルタが当初の組織でいつまで維持されていたかは不明だ。公式戦史は1979年以降の更新がない。
その翌年に同部隊はテヘランでイラン革命以後人質になっていたアメリカ市民の救出作戦に失敗した。強襲作戦は中止され特殊部隊隊員8名が死亡している。
現在の同部隊は高度に訓練を受けた隊員千名程度の構成だろうとNot a Good Day to Die: The Untold Story of Operation Anacondaの著者ショーン・ネイラーが記している。
最近の事例では2014年7月にシリアのイスラム国戦闘員に拉致された米ジャーナリストのジェイムズ・フォーレイ他人質を同部隊が奪還している。ただし翌月にスンニ派過激主義集団がフォーレイを殺害した。

デルタの構成がどうであれ、ベックウィズの遺産が今も影響を与えているのは明らかだ。■