ラベル アルゼンチン海軍 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル アルゼンチン海軍 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年11月21日火曜日

アルゼンチン潜水艦サンファン消息を絶つ 艦内で何があったのか


消息を絶ったのは現地時間先週水曜日のことで乗員の生存は絶望的でしょう。記事どおりなら推進機関はAIPだけだったのでしょうか。にわかに信じられませんが、乗員の資質とともに艦内での事故が発生した可能性はありますね。ドイツ製潜水艦はここにきて色々トラブルが発生しているようです。国の経済が国防にしわ寄せを与え、人命が失われたのならジレンマそのものです。

What Happened to Argentina’s Missing Submarine?

アルゼンチンの消息不明潜水艦内で何があったのか

The ARA 'San Juan' is the pride of the Argentine fleet

ARAサンファンはアルゼンチン海軍の誇り
What Happened to Argentina’s Missing Submarine?
WIB SEA November 20, 2017 Robert Beckhusen

追記 11/20/17: 消息を絶った当日にサンファン艦長が蓄電池不良と「電気故障」の報告があったとアルゼンチン海軍が発表した。同艦捜索中の艦船二隻が「艦体に工具をぶつけるような音」を聴取したとCNNが11月20日に報じている。
遭難の事実関係
  1. アルゼンチン潜水艦ARAサンフアンが乗員44名を乗せ消息を絶ち同国軍史上最も深刻な事故になった。かすかな望みの衛星通話発信も虚報と判明。
  2. 捜索救難活動に7カ国13隻が投入され英国も南ジョージア諸島からHMSプロテクターはじめ数隻を派遣し、米海軍は潜水救難装備を提供している。
  3. アルゼンチン海軍広報官は同艦で何が起こったか把握できていないと述べた。
  4. 考えられる状況に通信途絶、エンジン故障、あるいは壊滅的な火災や爆発がある。
  5. サンファンの位置が最後に確認できたサンホルヘ湾はアルゼンチン東部にあり、通常の作戦海域より浅い。
ARA ‘San Juan.’ Argentine navy photo

サンファンのあらまし
  1. サンフアンは全長216フィート、ドイツNordseewerkeが1970年代末に建造したTR-1700級通常型攻撃潜水艦の二号艦で潜航時最高速25ノット、浮上時15ノット、魚雷22本を搭載する。
  2. スノーケル使用で70日間潜航でき、艦内貯蔵物約一か月分がある。ただし海底に鎮座すれば艦内酸素は数日分しかない。
  3. サンファンは2008年から2013年にかけて改修を受けディーゼル電気推進機関、蓄電池、航法用レーダーを撤去している。

ARA ‘San Juan.” Mexican navy photo

  1. サンファンは1985年11月に就役し、米海軍クリントン・クラッグ少佐Lt. Cmdr. Clinton Craggは米海軍大学校でTR-1700を「素晴らしい」と述べ、12千カイリの航続距離、最高深度890フィートの性能を「手ごわい海中脅威」と評した。1980年代中頃時点で米海軍文献はTR-1700を世界最高性能の通常型潜水艦とみなしていた。

アルゼンチン海軍の惨状
  1. フォークランド戦争では第二次大戦時の潜水艦ARAサンルイス、ARAサンタ・フェで不慣れな乗員が参戦した。英海軍がサンタ・フェを沈め、サンルイスは英艦攻撃に失敗した。乗員の技能と有線誘導魚雷の技術問題のためで、「同艦は戦闘投入できない状態だった」とクラッグ少佐は1991年に分析している。
  2. ARAヘネラルベルグラーノがフォークランド戦で英潜水艦HMSコンカラーにより沈められアルゼンチン海軍に衝撃を与えたが、戦後の大幅なインフレと反軍感情のため国防予算は縮小を続けた。
  3. 「1970年代はぜいたく品扱いの潜水艦が今やアルゼンチン安全保障上の必須装備だ」とクラッグは指摘。「潜水艦は費用対効果が優れている」
  4. 潜水艦部隊はアルゼンチンで厚遇されたが、あと4隻建造予定のTR-1700は取り消された。一方で水上艦部隊は勢力減退の中で深刻な事件事故を経験している。
  5. 2007年に砕氷艦ARAアルミランテ・イリザールで火災が発生し、2017年4月まで復帰できなかった。未払い債務を巡り訓練帆船ARAリベルタードがガーナがに差し押さられた。同年にコルベットARAエスポーラが故障し南アフリカでドック入りしたが代金未払いを理由に修理作業を拒否された。2014年にサンファンの姉妹艦サンタクルーズが座礁し、錆びだらけの艦体を見せた。駆逐艦ARAサンティシマは港内で転覆沈没したが長年にわたり保守点検されていなかった。
  6. アルゼンチン軍は隊員引き留めのため人件費支出を重視している。反面で訓練は切り詰められ、潜水艦部隊も例外ではない。■

2016年12月3日土曜日

歴史のIF ② フォークランド戦争でアルゼンチン潜水艦の魚雷が機能していたら


ASWが困難であることに改めて驚かされます。もっとも英海軍はフォークランドでは対潜哨戒機を運用できず能力で限定があったのでしょうが、ディーゼル潜水艦とは言え大きな脅威になることを示していますね。

The National Interest


How the Falklands War (Thanks to a Stealthy Submarine) Could Have Gone Very Differently

November 27, 2016

1982年に発生した短期間ながら熾烈なフォークランド諸島(アルゼンチン名マルヴィナス)をめぐる戦闘は英国海軍力による勝利と受け止められている。英海軍任務部隊は激しい航空攻撃をものともせず南大西洋でアルゼンチンから領土を奪還した。

  1. 戦いの殆どでアルゼンチン海軍のディーゼル動力潜水艦サンルイが英海軍に立向かっていた。同艦へほぼ200発の対潜兵器が向けられたが無傷で帰港している。同艦は対潜フリゲート艦に2回も攻撃するチャンスがあり、兵装が正常に作動していれば英国の勝利は大きな代償を求められていただろう。
  2. アルゼンチン軍事政権はフォークランド諸島を占拠し、国内政治で点数稼ぎを狙った。実際に開戦になるとは考えなかった軍事政権は判断を誤り、英国首相マーガレット・サッチャーが事態をエスカレートし軍部隊を迅速に動員するとは予期していなかった。
  3. 作戦立案の不備を如実に語るのはアルゼンチン海軍の潜水艦部隊だ。機関不調で潜行できず、修理に入っている艦もあった。旧式のサンタフェがフロッグマン部隊を送り、4月2日の侵攻当日を支援したが、その時点で最新鋭のサンルイはその翌日に出港しマルヴィナス周辺で戦闘哨戒を実施する命令を受けた。
  4. サンルイはドイツの209型ディーゼル潜水艦で小型かつ費用対効果の高い潜水艦で大量に建造された途上国向けの艦だ。排水量は1,200トンで36名が乗り組む同艦はマーク37対潜魚雷14発とドイツ製SST-4有線誘導式対水上艦魚雷10初を搭載。潜行時に42キロ、浮上時に21キロの速度を誇り、500メートルまで潜行可能だ。
  5. 同艦乗員の技量が逸話になってているが、フォークランド戦争の時点でアルゼンチン海軍の最良の乗員はドイツにいた。かわりにサンルイには経験の浅い乗員が乗っていた。艦長フェルナンド・アズグエタ中佐は潜水艦のベテランだったが209型の経験は浅かった。
  6. さらにサンルイの艦の状態はひどいもので中途半端な修理を拙速で受けていた。シュノーケルは漏れ、排水ポンプは作動不良で4基あるディーゼルエンジンの一つは故障していた。潜水夫がほぼ一週間かけて艦体とプロペラからフジツボを除去しないと速度と静粛性が確保できなかった。
  7. 同艦は4月11日に出港し、政治状況が悪化する中、指定地点で待機に入った。最初から不具合にあう。火器管制装置は魚雷3本を同時に発射してしまう。出港後8日目で故障して、乗員は修理方法もわからない。手動有線誘導で一本の魚雷を発射するのがやっとだったが、サンルイはそのまま任務を続けた。
  8. 一方、サンタフェは第二次大戦中の旧米海軍潜水艦バラオ級で4月17日に海兵隊員及び技術要員をサウスジョージア島へ移送すべく派遣された。同島はアルゼンチンが占拠しており、同艦は4月25日に隊員を下船させていたが出港が遅れ、午前9時に英ウェセックスヘリコプターのレーダーで探知され、ただちにワスプ、リンクスのヘリコプター部隊が飛来した。サンタフェには二発の爆弾が命中し損傷したが、AS-12対艦ミサイルも命中した他、機関銃掃射を浴びてしまう。同艦は座礁したあと、英軍が捕獲した。サンタフェへの攻撃が英軍攻撃の幕開けとなった。
  9. 翌日サンルイは哨戒を命じられ、4月29日に英艦攻撃許可が出た。
  10. ただし英海軍はサンルイの通信内容を傍受しており、同艦を狩るヘリコプターとフリゲート部隊を準備した。英艦隊には対潜任務用のフリゲート、駆逐艦とヘリコプター空母一隻があり、潜水艦6隻も待機していた。
  11. 5月1日にサンルイのパッシブソナーが対潜フリゲートのHMSブリリアンとヤーマス二隻を探知した。アズクエタ艦長はSST-4魚雷一発を9キロ地点から発射したが直後に誘導線が切れた。艦長は急速潜航し海底で隠れようとした。ブリリアントが攻撃に気づき、フリゲート艦二隻はヘリコプターとソナー探知の正体を突き止めようとした。爆雷30発、魚雷数発を発射した英艦はクジラ数頭を殺しただけだった。
  12. その翌日、英潜水艦コンカラーがアルゼンチン巡洋艦へネラル・ベルグラーノを撃沈し乗員323名が犠牲になった。アルゼンチン水上艦はすべて本国近海に逃げ、英侵攻部隊に立ち向かうのはサンルイのみとなった。英部隊は各所でソナー探知と潜望鏡を目視したとし、サンルイがいない海域で魚雷発射していた。
  13. 一方でサンルイの乗員は5月8日に英潜水艦からの魚雷攻撃を受けたと思い込、回避行動をとり、マーク37魚雷を海中の探知目標に発射し、魚雷は爆発して目標は消えた。これもクジラと思われる。
  14. その二日後にサンルイはタイプ21対潜フリゲート艦HMSアローおよびアラクリティをフォークランド海峡の北方で探知した。高速走行するフリゲート艦が立てるノイズに隠れてサンルイはアラクリティから5キロ地点まで接近し、SST-4魚雷一発を発射し、次発の準備に入った。
  15. だが再びSST-4の誘導線が発射直後に切断してしまう。ただし、一部の説明ではこの魚雷はHMSアローの曳航していたおとりに命中したものの爆発しなかったとある。アズクエタ艦長は二発目発射を諦め、反撃を受けないうちに離脱を命じた。
  16. 英艦はそのまま航行を続け、攻撃に気づいていない。アラクリティ艦長に至っては終戦後になって初めて知ったということである。
  17. 落胆したアズクエタ艦長は本国に向けて魚雷が役立たずだと打電すると帰港許可の通信が入ったため5月19日に基地に戻った。アルゼンチン占領部隊が降伏したのは6月14日でサンルイは結局再度戦場に出動できなかった。15年後にサンルイは退役した。
  18. サンルイの魚雷で何が問題だったのだろうか。説明は多々あり、乗員のミスや技術上の不良がいわれる。メーカーのAEGからは魚雷発射が遠すぎたとの説明があったし、アルゼンチン乗員が誤ってジャイロの極性を反対にしてしまったとの説もある。このため魚雷が制御できなくなったという。ただし、魚雷の爆発部が活性化されず深度を維持できなかった証拠がある。そのせいか、AEGはフォークランド紛争後に同社魚雷の改良を数次に渡り実施している。
  19. サンルイは高性能潜水艦ではなく、乗員も卓越した技能はなかった。それでも有能な艦長の指揮下で通常戦術を駆使しながら対潜フリゲート艦から逃げ回ることができた。しかもフリゲート艦は世界有数の海軍国の所属だった。魚雷が予定通り作動していれば逆に数隻を撃沈していたかもしれない。
  20. 英海軍は高価な対潜兵器とヘリコプターを2,253ソーティ送り出して実際に存在しない探知目標を狩ろうとし、サンルイは結局探知できていない。
  21. 第二次大戦後の潜水艦戦は幸いにもきわめて事例が少ない。フォークランド戦争の教訓から安価なディーゼル潜水艦でも乗員が有能で装備がよく整備されていれば侮れない敵になることがわかったのである。■
Sébastien Roblin holds a Master’s Degree in Conflict Resolution from Georgetown University and served as a university instructor for the Peace Corps in China. He has also worked in education, editing, and refugee resettlement in France and the United States. He currently writes on security and military history for War Is Boring.
Image: South African Type 209 naval submarine SAS Charlotte Maxeke. Wikimedia Commons/LA(Phot) Caroline Davies/MOD