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2021年4月6日火曜日

この兵器はなぜ期待外れに終わったのか➂ コンヴェアB-58は時代の変化に対応できなかっただけでなく、開発のシステム思考に問題があった。F-35に教訓は全く生かされず残念な結果が繰り返された。

 


 

 

ンヴェアのデルタ翼爆撃機ハスラーは一歩先を行く機体だった。

 

1956年11月11日、B-58ハスラー一号機が初飛行した。同機は実戦に投入されることはなかった。独特の形状で優雅な同機は高速飛行し核攻撃を行う想定で作られたが、ソ連の防空戦術の変更に対応して開発方針が変わったため経費が高騰し、自ら首をしめることになったが、もともとはB-47ストラトジェットの後継機の想定だった。

 

コンヴェアが開発したデルタ翼のハスラーは超音速爆撃機としてマッハ2.0飛行を実現しB-52ストラトフォートレス、ストラトジェットと一線を画す機体になった。

 

ハスラーは全長95.10フィート、翼幅56.9フィートと爆撃機としては小型機で、これに対しB-52は全長で64フィート、翼幅で128フィートも大きい。

 

ハスラーはスピードが命で、空軍はB53核爆弾(9メガトン)一発あるいはB43あるいはB61核爆弾4発をパイロンに搭載し、迎撃機が対応できない速力と高度でソ連や中国にダッシュ侵入する想定だった。

 

CIAは1964年に同機を迎撃可能な中国機はMiG-21フィッシュベッドのみで、かつ迎撃に成功する可能性は「わずか」と分析した。

 

これはすべてJ79-GE-5Aターボジェットエンジン4基各10,400 ポンド推力で実現したことだ。デルタ翼形状も高速飛行に寄与したが、抗力の発生により機体形状を再設計し、カーブのついた「コークボトル」となった。大型の燃料兵装ポッドを胴体下部に装着した。

 

発熱を抑えるべくコンヴェアはB-58の表面をハニカム構造のファイバーグラスのサンドイッチ構造でアルミ、スチールを一体化し、鋲の代わりに接着剤を使った。この技法がそののちの民生機にも応用されるはずだった。

 

ただし、ハスラーの小型形状がソ連領空進入の面で最大の欠点となった。空中給油なしだと航続距離はわずか1,740マイルとなった。このためハスラーはヨーロッパに配備し、同時に相当数の空中給油機も準備した。

 

航続距離の短さを空軍が懸念したと空軍大佐(退役)エリオット・V・コンヴァースIIIが著した冷戦時の回想録Rearming for the Cold War, 1945-1960にある。

 

戦略空軍のカーティス・ルメイ中将は同機が気に入らず、はやく戦略空軍から除去したかった。

 

同機の機構が複雑なことが状況を悪化させ、多額の費用が発生した。運航経費はB-52の三倍になり、対応が困難だった。機体再設計で「コークボトル」にしたことで開発が遅れ、経費も上昇した。

 

調達数も変更となった。空軍は116機で打ち切り、当初構想の三分の一規模になった。同機の高速飛行に呼応し航法、爆撃用にスペリーがAN/ASQ-42を開発したが、費用も高騰し、厄介な開発となった。

 

J79エンジンも難航した。ブレーキ、射出座席も開発がスムーズにいかなかった。「B-58は数々の速度記録を樹立したが、巨額の開発費用に見合わなかった」とコンヴァースは記している。

 

ハスラーの前途に立ちふさがった二つの事象が決定的となった。まず、ソ連の地対空ミサイル開発が進展し、1960年5月に高高度を飛行中のU-2スパイ機を撃墜するまでになった。この際に使われたS-75ドヴィナ(NATO名称SA-2ガイドライン)はB-58の実用最高高度の数千フィート上空までを有効射程に収めた。

 

対応策として低空飛行があったが、大気密度のため飛行速度が犠牲になる。ハスラーの設計目標に反することとなり、さらに低速度での機体制御が難しくなった。このため相当の機体を喪失した。

 

二番目の問題は米空軍が開発の各要素を同時進行で求めたことで、その後のF-35共用打撃戦闘機と類似している。

 

「システムとして最初から統合した形で構想し、原案をもとにすべての面でシステム形成をめざし、サブシステムや支援施設装備の投入、訓練内容も計画し、すべて同時並行で進めることをめざした」と上述のコンヴァースが述べている。

 

困ったことに一つに問題が発生すると全体の進捗に波及的な影響が生まれた。「B-58で些細な問題が見つかると、システム規模で再設計するか、問題が解決されるまで待つことを与儀なくされた。そのため開発が遅れ、せっかく準備した生産体制を破棄することになり、コストが上昇し、開発全体が遅れた」

 

これは遅延が何度も発生したF-35のようだ。空軍は同時進行開発によりステルス戦闘機は効率よく開発できるとしていたが、そうならず、現実はその反対となった。

 

B-58ハスラーは実戦を見ることなく、非核ミッション仕様にも改装されなかった。1970年1月に同機は用途廃止となった。空軍の核攻撃ミッションは低空飛行をするB-52、B-1、FB-111、ステルスB-2、弾道ミサイルにまかされた。

 

B-58の失敗体験が生かされず、革新的技術を応用する機体を同時進行で開発する危険性が画されてしまったといえる。■

 

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How the Beautiful B-58 Hustler Lost Its Chance at Life

April 4, 2021  Topic: B-58 Bomber  Blog Brand: The Reboot  Tags: B-58MilitaryTechnologyWorldBomber

by Joseph Trevithick

Image: Wikipedia.


2016年6月13日月曜日

★★歴史に残る機体シリーズ① B-58ハスラーは冷戦時代の偉大な失敗作



冷戦時代の各機には独特のカラーがありますが、中でもB-58は異彩を放つ存在で就役時間が短かったのは結局同機の存在価値が消滅したためでしょうね。莫大な費用は無駄になったのでしょうか。無駄と言えば無駄ですが、世界が大戦の惨禍に合わなかったのはウェポンシステムとしての抑止力が機能していたからこそで、それだけの予算を投じて今日の世界があるわけで、同機も一翼を担っていたのですね。今日の世界は核戦力への適正な予算配分が減っているためシステムの有効性が減っており、より危険になっているともいえるでしょう。

The B-58 Hustler: America's Cold War Nuclear Bomber Blunder

She was a work of art—but was nearly obsolete from the start.
June 10, 2016

  1. 奇想天外な機体が数々登場した当時でもB-58ハスラーほど視覚面で目立つ機体はなかった。デルタ主翼、巨大なエンジン、さらに驚くべきその性能により同機は神話の域に達し、パイロットは限界を超えた速度で文字通りその主翼を引き裂いたこともあった。
  2. というのはうそだがB-58は操縦が難しい機体だった。驚異の技術を有しながらハスラーの事故率は恐ろしく高く、保守コストも同様で、ミッション性能はすぐに陳腐化してしまった。わずか十年しか就役せず戦略爆撃機開発の手詰まりを象徴する機体になった。
  3. ハスラーはB-47ストラトジェットの直系の後継機となった中型爆撃機だ。中型爆撃機の任務は海外基地を発進してソ連を攻撃することだったが、ハスラーが就役するまでに中型と大型爆撃機の違いは縮まっており。空中給油が登場し前線航空基地の安全性に米空軍が懸念をいだき、さらに同盟各国が戦略核兵器の国内配備に懸念したことでB-58は米国内からの運用しかできなくなった。
  4. メーカーのコンヴェアーはB-36ピースメーカーで爆撃機事業に参入していた。巨大かつ低速のB-36は1950年代の長距離戦略爆撃機として水爆を搭載し米核抑止力の中心となっていた。だがMiG-15はじめソ連の迎撃戦闘機の出現で一気に時代遅れになり、同じ課題が新型ジェット爆撃機たるB-47やB-52にも残った。
  5. ハスラーはピースメーカーと類似性がまったくない。大型エンジン四基をデルタ翼に取り付けたB-58はマッハ2で飛行し核兵器と燃料タンクを胴体下に運んだ。米国内基地から離陸し、KC-135タンカーの支援を受けてソ連領空に高速高高度で侵入しつつ、ソ連迎撃機をかわし、核兵器を投下する作戦構想だった。初飛行は1956年で作戦運用開始は1960年だった。合計116機が調達されたが機体単価はB-52ストラトフォートレスとほぼ同額だった。
  6. 初期のデルタ翼機としてハスラーも空飛ぶ怪物だった。着陸、離陸時に失速傾向があり、スピンも多々あったためパイロットは制御方法を必死に体得した。ハスラーの飛行特性には独特の特徴がありパイロットの経験能力との調和が欠けていた。保守管理には専用工具が必要で非常に高価な作業になった。
  7. このため事故率は驚くほど高く116機中26機が事故喪失となり、10年間で26パーセントを喪失した。黎明期のジェット機事故率は総じて高かったが、ハスラーの事故率は突出しており、機体単価が高いことが痛かった。もしB-58退役に踏み切っていなかったら、全機が数年のうちに消耗してたはずと述べた専門家もいたほどだ。
  8. B-36やB-47同様にB-58も実戦で一発も爆弾投下をしていない。ハスラーはヴィエトナム戦に投入されず核任務に専念したが、B-52は北ヴィエトナムを爆撃している。B-58も理屈の上では通常爆弾を運用できたが、高速かつ低空では機体制御が難しく正確な爆弾投下は困難だったはずだ。
  9. 米空軍は高性能の侵攻爆撃機が必要としながらB-58に高い評価を与えなかった。カーティス・ルメイ将軍はB-58の欠点を列挙することでB-70ヴァルキリーの正当性を訴えている。ただしB-52の後継機を狙ったB-70もB-58同様の運命をたどった。当時の国防長官は高高度SAMとミサイル搭載迎撃機の出現で爆撃機は時代遅れと主張したのだ。
  10. ロバート・マクナマラ長官は1965年にB-58全機退役の命令を発出し、退役が完了したのは1970年だった。供用期間は10年たらずになった。B-58を民間ジェット機に転用する案もあったが予想どおり立ち消えになっている。任務はB-52が引き継ぎ、低空侵攻はハスラーより効果的にこなせた。中型爆撃機による通常爆弾投下任務は戦闘爆撃機が引き継ぎ、FB-111アードヴァーク(同機も長い苦闘の歴史あり)から多用途戦闘機としてF-15、F-16さらにゆくゆくはF-35が引き継ぐ。精密誘導兵器の出現で爆弾搭載量が爆撃機の性能を支配する時代は終わった。
  11. B-58の存在はむしろポピュラーカルチャーの世界で鮮明だ。未来的な形態と危険な印象がアーティストや映画製作者を刺激してきた。中でもB-58編隊(作品中では『ヴィンディケーター』)がモスクワ爆撃に投入される1964年の映画Fail-Safe(「未知への飛行」)が最も有名だ。モスクワ攻撃を誤って命令された編隊はソ連領空へ侵入しモスクワを核攻撃する。米大統領はニューヨーク攻撃を命令する。
  12. B-58は第二次大戦後の戦略爆撃手段として空軍が構築した業績の一部だ。第二次大戦ではB-17、B-24、B-29が大きな攻撃手段となった。この経験から空軍上層部は戦争に勝つためには戦略爆撃を長期間継続する必要があると思いつく。SAMが出現し、ヴィエトナムの大失敗が重なり、さらに当時の指導層が引退したことでB-58のような爆撃機への支持にひびが入った。
  13. だがICBMなら爆撃機よりさらに高速かつ高高度を飛翔し、ソ連防空網は無効となる。さらに潜水艦発射方式の弾道ミサイルは核抑止力を安全に維持し、弱体な爆撃機を連続パトロール飛行させる必要がない。これに対して各種ミッションを柔軟にこなしながら残存性がある機体はB-52ぐらいしかない。

Robert Farley, a frequent contributor to the National Interest, is author ofThe Battleship Book. He serves as a senior lecturer at the Patterson School of Diplomacy and International Commerce at the University of Kentucky. His work includes military doctrine, national security and maritime affairs. He blogs at Lawyers, Guns and Money, Information Dissemination and theDiplomat.