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2016年12月3日土曜日

歴史のIF ② フォークランド戦争でアルゼンチン潜水艦の魚雷が機能していたら


ASWが困難であることに改めて驚かされます。もっとも英海軍はフォークランドでは対潜哨戒機を運用できず能力で限定があったのでしょうが、ディーゼル潜水艦とは言え大きな脅威になることを示していますね。

The National Interest


How the Falklands War (Thanks to a Stealthy Submarine) Could Have Gone Very Differently

November 27, 2016

1982年に発生した短期間ながら熾烈なフォークランド諸島(アルゼンチン名マルヴィナス)をめぐる戦闘は英国海軍力による勝利と受け止められている。英海軍任務部隊は激しい航空攻撃をものともせず南大西洋でアルゼンチンから領土を奪還した。

  1. 戦いの殆どでアルゼンチン海軍のディーゼル動力潜水艦サンルイが英海軍に立向かっていた。同艦へほぼ200発の対潜兵器が向けられたが無傷で帰港している。同艦は対潜フリゲート艦に2回も攻撃するチャンスがあり、兵装が正常に作動していれば英国の勝利は大きな代償を求められていただろう。
  2. アルゼンチン軍事政権はフォークランド諸島を占拠し、国内政治で点数稼ぎを狙った。実際に開戦になるとは考えなかった軍事政権は判断を誤り、英国首相マーガレット・サッチャーが事態をエスカレートし軍部隊を迅速に動員するとは予期していなかった。
  3. 作戦立案の不備を如実に語るのはアルゼンチン海軍の潜水艦部隊だ。機関不調で潜行できず、修理に入っている艦もあった。旧式のサンタフェがフロッグマン部隊を送り、4月2日の侵攻当日を支援したが、その時点で最新鋭のサンルイはその翌日に出港しマルヴィナス周辺で戦闘哨戒を実施する命令を受けた。
  4. サンルイはドイツの209型ディーゼル潜水艦で小型かつ費用対効果の高い潜水艦で大量に建造された途上国向けの艦だ。排水量は1,200トンで36名が乗り組む同艦はマーク37対潜魚雷14発とドイツ製SST-4有線誘導式対水上艦魚雷10初を搭載。潜行時に42キロ、浮上時に21キロの速度を誇り、500メートルまで潜行可能だ。
  5. 同艦乗員の技量が逸話になってているが、フォークランド戦争の時点でアルゼンチン海軍の最良の乗員はドイツにいた。かわりにサンルイには経験の浅い乗員が乗っていた。艦長フェルナンド・アズグエタ中佐は潜水艦のベテランだったが209型の経験は浅かった。
  6. さらにサンルイの艦の状態はひどいもので中途半端な修理を拙速で受けていた。シュノーケルは漏れ、排水ポンプは作動不良で4基あるディーゼルエンジンの一つは故障していた。潜水夫がほぼ一週間かけて艦体とプロペラからフジツボを除去しないと速度と静粛性が確保できなかった。
  7. 同艦は4月11日に出港し、政治状況が悪化する中、指定地点で待機に入った。最初から不具合にあう。火器管制装置は魚雷3本を同時に発射してしまう。出港後8日目で故障して、乗員は修理方法もわからない。手動有線誘導で一本の魚雷を発射するのがやっとだったが、サンルイはそのまま任務を続けた。
  8. 一方、サンタフェは第二次大戦中の旧米海軍潜水艦バラオ級で4月17日に海兵隊員及び技術要員をサウスジョージア島へ移送すべく派遣された。同島はアルゼンチンが占拠しており、同艦は4月25日に隊員を下船させていたが出港が遅れ、午前9時に英ウェセックスヘリコプターのレーダーで探知され、ただちにワスプ、リンクスのヘリコプター部隊が飛来した。サンタフェには二発の爆弾が命中し損傷したが、AS-12対艦ミサイルも命中した他、機関銃掃射を浴びてしまう。同艦は座礁したあと、英軍が捕獲した。サンタフェへの攻撃が英軍攻撃の幕開けとなった。
  9. 翌日サンルイは哨戒を命じられ、4月29日に英艦攻撃許可が出た。
  10. ただし英海軍はサンルイの通信内容を傍受しており、同艦を狩るヘリコプターとフリゲート部隊を準備した。英艦隊には対潜任務用のフリゲート、駆逐艦とヘリコプター空母一隻があり、潜水艦6隻も待機していた。
  11. 5月1日にサンルイのパッシブソナーが対潜フリゲートのHMSブリリアンとヤーマス二隻を探知した。アズクエタ艦長はSST-4魚雷一発を9キロ地点から発射したが直後に誘導線が切れた。艦長は急速潜航し海底で隠れようとした。ブリリアントが攻撃に気づき、フリゲート艦二隻はヘリコプターとソナー探知の正体を突き止めようとした。爆雷30発、魚雷数発を発射した英艦はクジラ数頭を殺しただけだった。
  12. その翌日、英潜水艦コンカラーがアルゼンチン巡洋艦へネラル・ベルグラーノを撃沈し乗員323名が犠牲になった。アルゼンチン水上艦はすべて本国近海に逃げ、英侵攻部隊に立ち向かうのはサンルイのみとなった。英部隊は各所でソナー探知と潜望鏡を目視したとし、サンルイがいない海域で魚雷発射していた。
  13. 一方でサンルイの乗員は5月8日に英潜水艦からの魚雷攻撃を受けたと思い込、回避行動をとり、マーク37魚雷を海中の探知目標に発射し、魚雷は爆発して目標は消えた。これもクジラと思われる。
  14. その二日後にサンルイはタイプ21対潜フリゲート艦HMSアローおよびアラクリティをフォークランド海峡の北方で探知した。高速走行するフリゲート艦が立てるノイズに隠れてサンルイはアラクリティから5キロ地点まで接近し、SST-4魚雷一発を発射し、次発の準備に入った。
  15. だが再びSST-4の誘導線が発射直後に切断してしまう。ただし、一部の説明ではこの魚雷はHMSアローの曳航していたおとりに命中したものの爆発しなかったとある。アズクエタ艦長は二発目発射を諦め、反撃を受けないうちに離脱を命じた。
  16. 英艦はそのまま航行を続け、攻撃に気づいていない。アラクリティ艦長に至っては終戦後になって初めて知ったということである。
  17. 落胆したアズクエタ艦長は本国に向けて魚雷が役立たずだと打電すると帰港許可の通信が入ったため5月19日に基地に戻った。アルゼンチン占領部隊が降伏したのは6月14日でサンルイは結局再度戦場に出動できなかった。15年後にサンルイは退役した。
  18. サンルイの魚雷で何が問題だったのだろうか。説明は多々あり、乗員のミスや技術上の不良がいわれる。メーカーのAEGからは魚雷発射が遠すぎたとの説明があったし、アルゼンチン乗員が誤ってジャイロの極性を反対にしてしまったとの説もある。このため魚雷が制御できなくなったという。ただし、魚雷の爆発部が活性化されず深度を維持できなかった証拠がある。そのせいか、AEGはフォークランド紛争後に同社魚雷の改良を数次に渡り実施している。
  19. サンルイは高性能潜水艦ではなく、乗員も卓越した技能はなかった。それでも有能な艦長の指揮下で通常戦術を駆使しながら対潜フリゲート艦から逃げ回ることができた。しかもフリゲート艦は世界有数の海軍国の所属だった。魚雷が予定通り作動していれば逆に数隻を撃沈していたかもしれない。
  20. 英海軍は高価な対潜兵器とヘリコプターを2,253ソーティ送り出して実際に存在しない探知目標を狩ろうとし、サンルイは結局探知できていない。
  21. 第二次大戦後の潜水艦戦は幸いにもきわめて事例が少ない。フォークランド戦争の教訓から安価なディーゼル潜水艦でも乗員が有能で装備がよく整備されていれば侮れない敵になることがわかったのである。■
Sébastien Roblin holds a Master’s Degree in Conflict Resolution from Georgetown University and served as a university instructor for the Peace Corps in China. He has also worked in education, editing, and refugee resettlement in France and the United States. He currently writes on security and military history for War Is Boring.
Image: South African Type 209 naval submarine SAS Charlotte Maxeke. Wikimedia Commons/LA(Phot) Caroline Davies/MOD


2016年5月6日金曜日

GW特集(終) フォークランド戦争でのヴァルカン爆撃機SEAD任務の裏側


ゴールデンウィーク特集の最後は1982年のフォークランド戦争での英空軍ヴァルカン爆撃機による長距離爆撃ミッションの顛末です。確かアセンションからフォークランドへの往復では給油機を16機配置し(給油機の給油機も必要だった)、これを教訓に英軍は空中給油機材の整備に乗り出したのでしたっけ。肩がこらない読み物はこれでおしまいです。

The story of the SEAD Black Buck missions flown by Royal Air Force Vulcan bombers during the Falklands War

By Dario Leone May 03 2016 - 0 Comments


英空軍のアヴロ・ヴァルカンは当初1982年早々に全機退役の予定だったがフォークランド戦争が同年4月に勃発し、退役は先送りされた。RAFは同機とともにヴィッカース・ヴァリアント、ハンドレページ・ヴィクターと合わせ核抑止力爆撃機V部隊を編成していた。

  1. フォークランド戦争はヴァルカンを実戦投入した唯一の機会となった。計七機による「ブラックバック」任務でポートスタンレーを標的にし、うち三ソーティーはSEAD(敵防空網制圧)としてAGM-45シュライクミサイルを間に合わせの翼下パイロンから発射している。
  2. 英軍の航空作戦には対空レーダー二基が脅威だった。アルゼンチン空軍はウェスティングハウスAN/TPS-43F一基を4月6日にスタンレー空港近くに配置しており(その後市街地内に移動し温存を図った)、アルゼンチン陸軍もカーディオンTPS-44レーダーをスタンレー近くの道路わきに配置していた。
  3. アルゼンチンのレーダーを破壊するためRAFはマーテルミサイルの使用を想定していたが、米空軍がAGM-45を供与した。
  4. R.バーデン他共著の「フォークランド航空戦」 Falklands The Air Warで説明があるように、レーダー攻撃任務のヴァルカン一号機は5月28日にアセンション島のワイドアウェイク飛行場を離陸し、機材はXM597だった。
  5. 残念ながら同機は空中給油用のヴィクターで給油ホースドラムユニットで故障が発生したためミッションを中止している。「ブラックバック5」は5月30日深夜に離陸し、同じ機材乗員を使い、今度はシュライクミサイルの発射に成功したが、AN/TPS-43Fの損害は軽微で攻撃24時間後に運用を再開した。
  6. 同じ機体乗員は「ブラックバック6」として6月2日にワイドアウェイクを離陸し、今度はシュライク4発を搭載し、同じレーダーを狙った。
  7. AN/ATPS-43Fの電源が切入りを繰り返している間にヴァルカンは接近した。6月3日になったばかりだった。
  8. 同機は上空で40分ほど待機しレーダーの電源が入るのを待っていたところ、機内のレーダー警告受信機(RWR)がアルゼンチン陸軍のスカイガードレーダーを探知した。第六〇一対空砲兵隊の火器管制用で、同隊はポートスタンレー近くに展開していた。ヴァルカンは直ちにシュライクミサイル二発を発射し、レーダーは破壊された。
  9. さらに数分間滞空しAN/TPS-43Fレーダーの電源が入るのを待ち、ヴィクター給油機から空中給油(AAR)を受けた。ワイドアウェイクへの帰路半ばの地点だった。
  10. だが給油用先端が破損しAARは中断され、機体はブラジルのリオデジャネイロ空港へ航路を変更せざるを得なくなった。
  11. 燃料が乏しくなったため高度を40,000ft に上げ、燃料消費を少しでも抑えようとした。また残るシュライクミサイル二発を放棄しようとしたが一発は不発に終わりパイロンについたままだった。投下用の別系統がなかったためだ。
  12. 乗員はコックピットの与圧を解除したあとで機密書類を機外に放棄した。その後外交チャンネルでリオデジャネイロの英大使館経由でブラジル側ATCに連絡が入りヴァルカンはリオ・ノガレアオ空港に緊急着陸した。
  13. 着陸しエンジンを停止した時点で燃料残量は2,000 lbsだけだった。ブラジル側は機体を不発ミサイルを付けたまま抑留し乗員は空港内でよい待遇を受けた。乗員は帰国の申し出を断り、機体とともに空港に残ることとした。結局6月10日に機体も併せて帰還が認められアセンション島へ戻っている。■
Wild Weasel Vulcan
Image credit: Crown Copyright