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2025年8月11日月曜日

A-12 アベンジャーII『空飛ぶドリトス』がは『撃墜された』(National Security Journal) — 失敗から過ちを繰り返さないことが重要ですがほとんどの国防プロジェクトの遅延、予算超を見ればA-12の失敗は学ばれていないようです

 


The US Navy's pursuit of carrier-launched drones dates back to the 1980s with the A-12 Avenger II, a planned stealthy bomber drone.

.米海軍の空母発進型ドローンの開発は、1980年代のステルス爆撃機「A-12 アベンジャーII」に遡る。画像提供:クリエイティブ・コモンズ。

– 主要ポイントと要約 – A-12 アベンジャーII(愛称「空飛ぶドリトス」)は、米海軍が1980年代にA-6イントルーダーの後継機として開発した空母搭載ステルス攻撃機プログラムだった。

-しかし、プロジェクトは巨額のコスト超過、重大な重量問題、未解決の技術的課題に悩まされ、大失敗に終わった。

-モックアップに50億ドルが費やされた後、1991年国防長官ディック・チェイニーは、国防総省史上で最大の契約解除として同プログラムを中止させた。

-請負業者と海軍間の過剰な秘密主義とコミュニケーション不足が、失敗の主要因だった。

A-12 アベンジャーIIはなぜ失敗したのか?

1983年、空軍は最初のステルス機である F-117ナイトホークステルス戦闘機を導入した。海軍はA-6イントルーダー後継機として攻撃用ステルス機を要望した。

その結果生まれたのが、全翼形状から「空飛ぶドリトス」と呼ばれるA-12アベンジャーIIだ。

ボーイングとジェネラル・ダイナミクスが共同開発したA-12は、1991年にコスト超過、重量問題、技術的課題(特に空母着艦の困難さ)によりキャンセルされた。

「空飛ぶドリトス」A-12 アベンジャー II とは

1980 年代初頭、F-117 が先進戦術航空機プログラムの一環として開発されていた頃、A-6 イントルーダーの後継機として、ステルス性能を備えた A-12 が構想された。

1988年、マクドネル・ダグラスとジェネラル・ダイナミクスのチームが選定された。

初飛行は1990年12月に予定されていた。A-12 は、第二次世界大戦時代のグラマン TBF/TBM 魚雷爆撃機に敬意を表し「アベンジャー II」と命名された。

海軍は当初620 機の A-12 を希望していた。海兵隊は 238 機を、空軍は退役する F-111 アードバーク の代替機として 400 機の A-12 バリエーションを検討していた。

空飛ぶドリトス」は大きなペイロードを搭載できなかった。搭載可能な弾薬は5,150ポンドのみで、イントルーダーの18,000ポンドに比べ大幅に減った。目的は、レーダーに探知されずに敵空域に侵入し、精密誘導弾を投下できる航空機を開発することだった。

アレックス・ホリングス(Sandboxx News and Airpower)は次のように書いた。「現代のステルス機と同様、A-12アベンジャーは歯をむき出しにして戦闘に突入する意図はなかった。多くの防衛当局者の考えでは、高度に争われる空域で警告なしに目標を攻撃する能力は、大規模な搭載量より有用でした… 代わりに、ステルス技術と高精度弾薬を組み合わせることで、A-12アベンジャーIIは敵の最も脆弱な部分に外科的な攻撃を仕掛けることを狙った」。

アベンジャーIIは2発の空対空ミサイルを搭載する予定だった。また、早期警戒レーダー配列や地対空ミサイルプラットフォームから発せられる電磁波を追尾するAGM-88高速対レーダーミサイルも2発装備する予定だった。

A-12アベンジャーIIは、現在のF-35ジョイント・ストライク・ファイターと同様の役割を果たす予定だった。A-6のような爆弾運搬機ではなく、目標を迅速に撃破する戦闘機として設計されていた。

A-12がキャンセルされた理由

Simple Flyingが報じたように、A-12プログラムは「遅延、重量超過、予算超過」に陥った。そのキャンセルは、米国国防総省史上最大のプロジェクト中止となった。研究開発に50億ドルを費やしたにもかかわらず、製造されたA-12アベンジャーIIはモックアップのみだった。

キャンセルは長期にわたる訴訟を引き起こし、政府は請負業者に支払った資金の一部を回収しようとした。この訴訟は2014年に、請負業者がより低い金額を返済することで和解が成立した。

航空史家ジェームズ・スティーブンソンは、このテーマに関する書籍で、リーダーシップ、目標、資金調達の変更が「プログラムを破壊する運命にあった」と指摘している。しかし、問題の一部はペンタゴン自体にあり、その極めて複雑な調達システムが要因だった。

最終的にプログラムを破綻させた要因

1991年1月、当時の国防長官ディック・チェイニーがプログラムを中止した際、防衛産業と国防総省に衝撃が走った。米国はパナマでの戦争を終了させ、砂漠の嵐作戦での空爆への準備を進めていた。

Air & Space Forcesは、プログラムを破綻させた要因を4つ指摘している。

海軍の過度にまで保護的な幹部は、機体を危険にさらすことを避けるため問題点を指摘しなかった。海軍のプログラムマネージャーは、1990年の国防総省審査後も、A-12が予定通り進んでいると説明し続けていた。

-国防総省の官僚組織の一部は「波風を立てない」姿勢をとり、問題点を認識しながらも上層部の意向に逆らうことをためらった。ある事件では、A-12の問題点を指摘した報告書が隠され、忘れ去られてしまいました。

- 過度にまで楽観的な A-12 の請負業者たち。各社は同機の製造における技術的な困難の程度を誤って計算し、その問題を政府から隠蔽した。海軍副法務顧問チェスター・ポール・ビーチによる調査では、ジェネラル・ダイナミクスとマクドネル・ダグラスが「コストとスケジュールの乖離の拡大」を発見していたにもかかわらず、海軍にタイムリーに報告していなかったことが明らかになった。

- プロジェクトを覆い隠し、問題を明らかにする調査を妨げた過度な秘密主義。国防長官に配属された職員はプロジェクトから遠ざけられ、通常の報告手続きは放棄され、情報は書面でなく口頭で伝達されていた。

請負業者間の疑惑と野望

48億ドルの国防総省との契約に基づき、ジェネラル・ダイナミクスとマクドネル・ダグラスは A-12 を開発し、試作機を8 機製造することになった。

どちらの企業も、機体と翼のステルス部分を覆う複合材料の使用経験はなかった。さらに悪いことに、2社は、空軍の先進戦術戦闘機(ATF)のプログラムでライバル関係にあったため、このプロジェクトに関する機密技術を共有することを望んでいなかった。

国防総省のあるアナリストは、「A-12プロジェクト全体に役立つ技術があったにもかかわらず、彼らはそれを共有しようとはしなかった」と述べている。

「技術的優位性がある場合、それが他のプログラムで役立つ可能性があるなら、どれほど共有する意思があるだろうか?」

遅延と予算超過はチェイニー国防長官に隠蔽

請負業者はスケジュール大幅に遅延し予算を大幅に超過していたが、その事実をチェイニーに隠蔽した。チェイニーは受け取った楽観的な報告を忠実に議会に伝えた。

チェイニーが隠されていたすべての問題を知った時点で、A-12の命は尽きた

国防長官は「理由説明」会議を招集し、多くの人々は、この会議の結果、航空機の開発を継続するため政府による救済措置が取られるだろうと予想した。このプログラムは、予定より 18 ヶ月遅れ、予算を大幅に超過し、航空機の重量は 8,000 ポンド以上も超過していた。

チェイニーは、統合参謀本部議長コリン・パウエル将軍、国防副長官のドナルド・J・アトウッド、その他数名からなる小規模なグループと約 1 時間半にわたり会談した。

選択肢は 3 つに絞られた。問題はあるものの契約を履行する、契約を変更し製造業者を救済する、プログラムを中止する、の 3 つだった。

出席者の多数は、この契約はうまくいかないだろうという意見で一致した。選択は、救済か中止かのどちらかで、問題は金銭に集中した。チェイニーは救済を拒否した。2日後、海軍は契約不履行を理由に契約を解除した。

ジェネラル・ダイナミクスとマクドネル・ダグラス両社は、契約不履行に同意できないとし、チェイニーの決定と、このプログラムに関する彼の意見に対して異議を申し立てる意向を表明した。

その後、長い訴訟が続いた

その後数年間、両社は政府に対して 5 件の裁判と 2 件の控訴を行い、最終的に最高裁判所にまで争われた。

2014年1月、マクドネル・ダグラスを買収したボーイングとジェネラル・ダイナミクスは、当初の契約要件を満たせなかったとして、それぞれ2億ドルの返済を政府に約束した。■


Military Hardware: Tanks, Bombers, Submarines and More

We Know How the A-12 Avenger II ‘Flying Dorito’ Was ‘Shot Down’

By

Steve Balestrieri

https://nationalsecurityjournal.org/we-know-how-the-a-12-avenger-ii-flying-dorito-was-shot-down/

著者について:

スティーブ・バレストリエリは、国家安全保障コラムニストです。彼は、米陸軍特殊部隊の准尉および准尉を務めました。防衛に関する執筆活動に加え、PatsFans.com で NFL を取材しており、プロフットボールライター協会(PFWA)のメンバーでもあります。彼の作品は、多くの軍事関連出版物に定期的に掲載されています。

2025年4月22日火曜日

悲運のA-12アベンジャーII:アメリカの「空飛ぶドリトス」は初のステルス戦闘機になるはずの機体だった

 A-12 Avenger

A-12アベンジャー。画像提供:クリエイティブ・コモンズ。



A-12アベンジャーIIは、アメリカ海軍のステルス攻撃機プログラムで、A-6イントルーダーの後継機として開発された。

-マクドネル・ダグラスジェネラル・ダイナミクスが共同開発した全翼機型「ステルス爆撃機」は、三角形の形状で「フライング・ドリトス」の愛称で呼ばれた

-ステルス能力、高度な目標捕捉システム、精密誘導弾薬を装備し、空母航空戦力を革命化する目的で開発された

-しかし、深刻な予算超過、遅延、技術的課題、機密保持の問題により、国防長官ディック・チェイニーは1991年にプログラムを終了させた

-これにより長期にわたる訴訟が発生し、A-12は冷戦時代における海軍の最も野心的な——そして最終的に失敗に終わった——航空プロジェクトの一つとして注目された


A-12 アベンジャーIIの挫折

1983年10月、物理的・比喩的な暗闇に包まれ世界初の運用可能なステルス機が空を舞った。この新型ジェット機「F-117ナイトホーク」は、冷戦期に支配的だった「より高く、より速く」という理念から離れ、ステルス戦術への転換を象徴する存在となった。軍事航空において「隠密性」が「威力」よりも重要視されるようになった。この技術的フロンティアは最初にアメリカ空軍が探求したが、ナイトホークが空を徘徊する頃には、アメリカ海軍も独自のステルスプラットフォームを欲するようになっていた。

 ロッキードはナイトホークを基に大幅に性能向上したF-117Nシーホークを提案した。しかし、シーホークは海軍の最初のステルス攻撃機ではなかった。シーホーク提案が海軍に届く10年前、海軍は既に「アドバンスト・タクティカル・エアクラフト(ATA)」プログラムを開始していた。ATAは当初、1990年代半ばまでにグラマンA-6イントルーダーの後継機として開発される予定だった。イントルーダーは1963年から米海軍の攻撃機として運用されており、海軍は後継機開発をステルス技術導入の絶好の機会と捉えていた。

 1988年1月13日、マクドネル・ダグラスとジェネラル・ダイナミクスの合同チームが、後にA-12アベンジャーIIとなる開発契約を交付された。これは、1960年代にロッキードが提案したA-12(SR-71の派生型に空対空兵器システムを搭載する計画)とは異なる。完成すれば、海軍のA-12はノースロップ・グラマンのB-2スピリットや今後のB-21レイダーを彷彿とさせる飛行翼設計を採用する予定だったが、はるかに小型の機体だった。


新たな航空戦術に向けた新機体

空母搭載を想定したA-12アベンジャーIIは、全長約37フィート、翼幅約70フィートを超えた。これらの寸法により、A-12は全長55フィート(約16.8メートル)のイントルーダーより大幅に短く、翼幅はさらに広く、空母飛行甲板の隣接するカタパルトに2機のA-12を並べて配置できるほどだった。

 A-12アベンジャーIIは全翼設計を採用したが、全体形状は空軍で開発中の三角形のB-2スピリットと異なっていた。A-12の鋭い三角形の形状は、やがて「フライングドリトス」との愛称で呼ばれるようになった。

 しかし、A-12アベンジャーIIの機体自体は比較的小さな5,150ポンドの内部武装を搭載する設計で、ナイトホークのわずか2発の2,000ポンドGBU-27レーザー誘導爆弾の搭載量を上回ったとはいえ、イントルーダーの18,000ポンドには及ばなかった。

 しかし、現代のステルス機としてA-12アベンジャーは歯をむき出して戦闘に突入する目的で設計されていなかった。防衛当局者の考えでは、高度に争われる空域で警告なしに目標を攻撃する能力が、巨大な搭載量より有用とされた。冷戦期に軍事航空が急速に変化した例として、敵を制圧するため地域を弾薬で覆うことは、もはや最も効果的な手段とは考えられていなかった。代わりに、ステルス技術と高精度弾薬を組み合わせることで、A-12アベンジャーIIは敵の最も脆弱な部分に外科的な攻撃を仕掛ける想定だった。


初のステルス戦闘機になるはずだった

攻撃任務に明確についていたにもかかわらず、ロッキードのF-117ナイトホークは意図的に「F」の記号(および「ステルス戦闘機」という非公式の愛称)が与えられた。F-117は「戦闘機」の定義上不可欠な対空戦闘能力を一切持たなかったが、空軍当局は「ステルス戦闘機」という概念が、高度な技能を持つ戦闘機パイロットを引き付ける効果を生むと期待していた。

 一方、海軍は自軍のステルスジェットにおいてそのようなごまかしは一切行わず、新プラットフォームに「A」接頭辞を付与し、地上目標への使用を強調する計画だった。実際には、機内収納のAIM-120 AMRAAM空対空ミサイル2発で空中目標を攻撃する能力を有していた。つまり、A-12アベンジャーIIは実際にはアメリカ初のステルス戦闘機となるはずだった。

 しかし、A-12は、ソ連や崩壊後のロシアのような国家敵対勢力が配備していた強力な第4世代戦闘機と戦うには適していなかった。最高速度580マイル/時、運用高度限度40,000フィートの亜音速機であるため、敵のジェット機を撃墜するミサイルを装備しても、敵戦闘機が付近に存在する場合、論理的にはステルス性に依存するべきだった。


A-12アベンジャーIIは敵防空網に突破口を開けるはずだった

A-12アベンジャーIIは、2発の空対空ミサイルのほか、1985年に配備されたAGM-88 HARM空対地ミサイルを2発搭載する予定だった。AGM-88は対放射ミサイルであり、早期警戒レーダー陣地や地対空ミサイルプラットフォームから発せられる電磁波を捕捉し誘導する能力を持っていた。つまり、A-12 アベンジャー II は、現在の F-35 ジョイント・ストライク・ファイターと同様の役割を果たすことができたはずだ。A-12 は敵の防空システムを捜索・破壊し、よりステルス性能が低く、より多くの武器を搭載した後続機が攻撃できる道を開く役割を担っていた。

 敵レーダーの追跡任務以外の際には、AGM-88 HARMミサイルを非誘導爆弾や精密誘導爆弾と交換し、地上目標に対する継続的な攻撃を行うことが可能だった。

 海軍は620機のA-12アベンジャーIIの購入計画を立て、海兵隊はさらに238機を注文し、空軍も退役するF-111アードバーク後継機として400機の改修型A-12の注文を検討していた。重要な点は、F-117Aナイトホークで運用可能な機体は59機しか製造されなかったことだ。そのため、A-12アベンジャーIIはアメリカ軍のステルス機として長年主力となるはずで、総計1,258機が計画されていた。これらの注文がすべて履行されていれば、A-12アベンジャーIIはアメリカで最も多くの機数を誇る航空機の一つとなり、アメリカ陸軍のUH-60ブラックホークに次ぐ規模になっていただろう。

 一時期、A-12アベンジャーIIプログラムは順調に進んでいるように見えたが、1991年1月、国防長官(のちのアメリカ合衆国副大統領)ディック・チェイニーによって突然中止された。


無残としか言いようがない終結

A-12アベンジャーIIプログラムは、議会からプログラムの進捗について追及された際、繰り返し順調だとチェイニーが報告していたように、一時的には順調に進んでいるように見えた。しかし、チェイニーが知っていた限り(一部の報告によると)、海軍、国防総省、マクドネル・ダグラス、ジェネラル・ダイナミクスなどの関係者は、プログラムの課題を隠蔽する意図があったようだ。

 多くの人が知らなかったことだが、1991年初頭時点でまだ飛行試験を行っていなかった同機は、大幅に重量超過、18ヶ月遅延、予算を大幅に超過していた。

 A-12アベンジャーIIプログラムが中止された後、1991年4月の『エアフォース・マガジン』記事は、国防総省調査官は4つの別個の重大な要因に責任を帰属させたと伝えた:

-「ペンタゴンの分析官は2年前にコスト超過の可能性を最初に指摘していたものの、問題点を指摘することで機体を危険にさらしたくないと考え、過度に保護的な海軍のプログラム責任者は前年行われた大規模なペンタゴン審査後も、A-12が予定通り進んでいると説明し続けた。

-「波風を立てない」ペンタゴン官僚の一部は、問題を知りつつも、上層部に逆らい主張を押し通すことをためらった。A-12の問題を指摘した報告書が隠蔽され、忘れ去られた事例があった。

-A-12の請負業者は、このような航空機を製造する技術的困難の程度を過大評価し、問題を政府から隠蔽した。海軍副法務顧問チェスター・ポール・ビーチの調査では、ジェネラル・ダイナミクスとマクドネル・ダグラスが「コストとスケジュールの乖離が拡大している」と発見したにもかかわらず、海軍にタイムリーに報告しなかったと判明した。

-プロジェクトを覆う過剰な機密保持が、調査を妨げた。チェイニーとガーレットの秘書官に割り当てられた職員は排除され、通常の報告手続きが放棄され、情報は書面ではなく口頭で伝達された。


 その後、米国政府マクドネル・ダグラスとジェネラル・ダイナミクス両社は、契約違反を巡る訴訟を繰り返し、最終的に最高裁まで争った。2014年1月、マクドネル・ダグラスを吸収したボーイングとジェネラル・ダイナミクスは、初期契約の要件を満たせなかったとして、それぞれ政府に2億ドルを返済することで合意した。■



Inside the Doomed A-12 Avenger II: America’s ‘Flying Dorito’ Stealth Jet

By

Alex Hollings

https://www.19fortyfive.com/2025/04/inside-the-doomed-a-12-avenger-ii-americas-flying-dorito-stealth-jet/?_gl=1*c0hm8e*_ga*MTkwNjkwOTY2OS4xNzQ1MTg2Mzc0*_up*MQ..


著者について:アレックス・ホリングス  

アレックス・ホリングスは、外交政策と防衛技術分析を専門とするライター、父親、元海兵隊員です。サザン・ニューハンプシャー大学でコミュニケーション学の修士号、フレミングハム州立大学で企業・組織コミュニケーション学の学士号を取得しています。この記事は最初にSandboxxで公開されました。


2019年7月21日日曜日

エリア51はこうして生まれた


The Crazy True Origin Story of Area 51 (And Why People Think UFOs Are There) エリア51誕生の真説 

July 20, 2019  Topic: Security  Blog Brand: The Buzz  Tags: Area 51AliensUFOsSR-71 BlackbirdSecret Aircraft


リア51は米空軍の極秘テスト施設でネヴァダ州南部の砂漠地帯にあり、インターネット上の情報のせいで一般の関心を集めている。
「ドリームランド」とか「グームレイク」とも呼ばれ60年に渡り同基地がペンタゴンもその存在を公表していない「ブラックプロジェクト」全機を受入れてきたことは間違いない。
CIAが2013年にエリア51の存在を認めたが、発足の経緯を説明したい。
民間施設がアイゼンハワー時代にトップ・シークレットスパイ機テストに供された
1950年代初頭に米国はソ連の各弾道ミサイル開発に極度の関心を指名していた。スパイ衛星はまだ実用化されておらず、確実に現場をスパイする方法は上空飛行で大型カメラを撮影することだけであった。だがソ連の防空体制にはジェット迎撃機も加わり通常の偵察機による飛行ではリスクが高まった。
このためロッキードの技術者ケリー・ジョンソンからグライダー状のスパイ機を70千フィート以上の高空をさせる構想が出た。これもソ連領空を非合法に侵犯することになるが撃墜されないはずだった。実際ソ連はスパイ機の飛行を実証できなかった。
1954年11月にアイゼンハワー大統領はU-2開発を「プロジェクトアクアトーン」の名称で承認しCIAによる運用を想定した。機体はロッキードのスカンクワークスで組み立てたがスパイ機であり目立たない場所でテストの必要があった。
ジョンソンはロッキード社のテストパイロット、トニー・ルヴィエに秘密を守れる飛行場を検索させた。ルヴィエはスカンクワークスのあるカリフォーニア州パームデールからビーチクラフト・ボナンザ軽飛行機を操縦して場所探しに出かけた。アリゾナ、カリフォーニア、ネヴァダ各州で二週間以上探したものの十分なまでに遠隔地と呼べる地点が見つからない。
だが空軍連絡将校オズモンド・リトランド大佐が大戦中に砲兵隊陣地に使われていた放棄されたX字型着陸帯を思い出した。
CIAのリチャード・ビッセル、ルヴィエ、ジョンソンは現地ヘ飛び、着陸帯を検分した。現地はネヴァダ州の乾燥塩湖グルームレイクに隣接していた。ビッセルは同地を「天然の着陸帯として最適....ビリヤード台のように真っ平らで追加工事が不要」と述べていた。ジョンソンは「ここに決めよう。ここへハンガーを作る」と述べた。
CLJという偽の民間企業がロッキードにより発足し施設建設の請負企業を募集したのは1955年のことで総費用は800千ドルだった。
荒涼たる同地は欺瞞対策で「パラダイス牧場」の名称がつき、1マイル近くの滑走路、ハンガー二箇所、管制塔、燃料水貯蔵タンク、アクセス道路、現地人員用トレイラー住宅が建設された。ルヴィエ自身がデブリや使用済み薬莢を取り除き離着陸の安全を確保した。
1955年7月24日、試作型U-2は分解されC-124グローブマスター輸送機により「牧場」へ運ばれた。着陸に際してはタイヤの空気圧を下げてタイヤ破損を防いだ。
ルヴィエは早速同機をタキシーテストし、時速80マイルで長い主翼が20フィートまで機体を浮かした。機体は四分の一マイル飛び、湖底に着地させたがタイヤがバーストし発火した。
U-2はその後テスト飛行を順調にこなし、CIAパイロットがソ連上空のスパイ飛行に使った。
民間機パイロットや航空管制官が不可能なはずの高度を飛ぶU-2に気づいた。空軍は真実を語れず、気象現象でごまかした。だが陰謀説を生むことになった。

ブラックバードの系譜、A-12、D-21、SR-71
ソ連のS-75地対空ミサイルがゲイリー・パウワーズ操縦のU-2を1960年に撃墜し、パイロットが諜報活動を自白すると、高度だけでは防御しきれないことが判明した。ケリー・ジョンソンはすでに1958年時点でこの脆弱性を認識しており、新型スパイ機構想づくりを始めていた。行動度にマッハ3超の高速を持続し、レーダー探知を逃れれば迎撃されることはないはずだ。
CIAとロッキードの「ブラックプロジェクト」には「プロジェクト・オックスカート」のコードネームが付き、未来的な形状のA-12単座スパイ機が生まれた。これをもとに知名度が高い(かつ機密解除された)複座SR-71ブラックバードが生まれ、同機は米空軍が運用した。
同時にグルームレイク施設には「エリア51」の呼称が付き、さらに施設を拡充し超音速機のテスト用に使われた。ハンガーの追加、滑走路を10千フィートに延長し、着陸帯を十分確保し、人員向けに130戸住宅をつくり、高温に耐えるJP-7貯蔵施設はA-12用に建設された。
A-12の第一陣は1962年に飛来し、一時的除隊手続きの軍パイロットもCIAによる雇用の形で加わった。ホワイトハウスはA-12をソ連上空飛行に投入しなかったがヴィエトナムと北朝鮮上空には合計32回のミッションをプロジェクトブラックシールドとしてSR-71に交代するまで行った。空軍のSR-71には速報監視カメラがつき敵地上空飛行の必要がなかった。 
ロッキードはスパイ無人機D-21も開発し、ブラックバードを小型化した単発機となり、ブラックバードを改装した母機M-21から運用した。そのD-21の一機がM-21と空中衝突し乗員は機外脱出したものの溺死し、ジョンソンはM-21開発を中止した。
だがCIAはD-21をB-52爆撃機から発進させ中国の核実験場をスパイした。同無人機のミッション5回ではいずれも写真画像の回収に失敗している。

ステルス機の生誕地
A-12及びブラックバードのステルス特性は限定的だったが、1970年代に入り空軍はレーダー探知特性が低い機体を戦闘任務に投入することに関心を示した。
1977年にスカンクワークスが新型コンピュータモデリング技術を導入し、2機のダイヤモンド形状の角ばった表面にレーダー吸収用の鉄ボール塗装を施した機体を作成した。これが「ハブブルー」で分解されエリア51にC-5で搬送され再組み立てされた。
ハブブルー各機のレーダー断面積は大幅に減ったものの機体は空力学上で非常に不安定で両機は1979年に墜落してしまう。
ロッキードはハブブルーからF-117ナイトホーク攻撃機を開発し、コンピュータ制御のフライバイワイヤで機体の不安定さを補正した。YF-117試作機もやはり初飛行はグルームレイクで1981年6月17日に実施した。製造型のF-117はまずエリア51に集結し、近隣のトノパ試験場に派遣された。
ペンタゴンはステルス機の存在を1983年に認めたもののF-117をとりまく機密はそのままとし一般大衆がナイトホークの実際の姿を見ることはなく、制式呼称も秘密のままだった。(当時はF-19と言われていた)最終的に公開されたのは1988年のことである。
ノースロップもタシットブルー実証機(「クジラ」あるいは『エイリアンのスクールバス」と得意な外観から呼ばれた)でステルス技術を発展させた。同機の初飛行はやはりグルームレイクで1982年2月のことである。同機は135回のテスト飛行を実施し1985年に用途廃止となった。
ステルス偵察機として構想のタシットブルーはコンピュータ技術を応用した曲面処理技術に道を開き、同社のB-2ステルス爆撃機が生まれたのである。■

Sébastien Roblin holds a master’s degree in conflict resolution from Georgetown University and served as a university instructor for the Peace Corps in China. He has also worked in education, editing, and refugee resettlement in France and the United States. He currently writes on security and military history for War Is Boring.

2019年3月22日金曜日

米海軍はステルス攻撃機事業を復活し、長距離打撃能力を中国を睨み実現すべきだ

このタイトルだけで勘の良い方はすぐA-12のことだとわかるでしょう。もし、あの機体が実現していれば....という妄想ではなく、現実世界でせっかくの企画をどう実現するかを考えるほうが遥かに前向きですね。技術がともなわずに流産したのがA-12なら、必要な技術がそろい要求性能を実現できる今からA-XXを作れば良いということですかね。

The Navy Tried to Build a Stealth Bomber for Its Aircraft Carriers. It Ended Badly. 米海軍の艦載ステルス爆撃機構想は残念な結果に終わった

During the closing stages of the Cold War, the United States Navy was developing a new long-range stealth bomber that could strike at even the most heavily defended targets from the deck of an aircraft carrier.
冷戦末期の米海軍が空母運用型の新型長距離ステルス攻撃機を開発し、最も強固な目標の攻撃も可能にしようとしていた
March 21, 2019  Topic: Security  Blog Brand: The Buzz  Tags: A-12 AvengerNavyMilitaryTechnologyWorld

戦末期の米海軍に長距離ステルス攻撃機を空母運用し最も強固な目標の攻撃も可能にする新型機開発案件があった。だが同事業は中止され、今も続く能力ギャップが海軍航空部隊に生まれている。
高性能戦術航空機(ATA)事業にマクダネル・ダグラス/ジェネラル・ダイナミクスA-12アヴェンジャーIIの呼称がついた同機はグラマンA-6Eイントルーダーの後継機のはずだった。だがソ連の脅威が消えると当時の国防長官ディック・チェイニーがA-12を1991年1月7日に取り消しとした。理由は大幅な価格上昇、日程遅延ならびに技術上の問題だった。ステルス爆撃機A-12で問題があったにせよ、同機の消滅により海軍は今日まで問題を引きずっている。空母航空隊に接近阻止領域拒否(A2AD)を突破できる長距離機がないことだ。
ロッキード・マーティンF-35C共用打撃戦闘機によりXバンドステルス技術が空母で利用可能となり、今後登場するMQ-スティングレイ無人給油機で既存機材の運用半径が広がるが、両機種とも敵中心地を攻撃する長距離大規模攻撃性能はない。F-35、MQ-25がそろっても海軍航空部隊が西太平洋地区で中国を攻撃すれば相当のリスクを覚悟せねばならない。中国は米空母への睨みに対艦弾道ミサイルのDF-21DやDF-26を整備し、後者は有効射程2000カイリといわれ、水上艦部隊はさらに遠い地点での活動を強いられる。
1980年代にソ連軍事力を念頭に米海軍は空母艦載機での遠隔地攻撃能力が必要と考えた。自身も海軍航空士官だったジェリー・ヘンドリックスによればA-12の当初の要求性能は戦闘半径1,700カイリ、機内兵装搭載量6千ポンドでレーダー断面積はノースロップB-2スピリット戦略爆撃機と同程度とするというものだった。
A-12事業が存続していれば、米海軍は長距離侵攻打撃艦載機を実現していたはずだ。だが技術問題と要求性能変更から、攻撃能力が下がり、戦闘半径は1000カイリに785カイリへと下がり、技術問題も解決の糸口が見えず、チェイニー長官は事業中止を選択せざるを得なくなったのだ。
当時はすぐ認識できなかったが、A-12中止とA-6E退役で米海軍の長距離攻撃能力を喪失した。冷戦終結直後には問題視されなかったが、その後ロシアが戦力復興し中国が大国に台頭すると空母部隊戦力の実効性が問われるようになった。A-12が実現していれば空母航空部隊の大きな戦力となっていたのではないか。
アナリスト陣は長距離ステルス無人攻撃機で敵地侵攻型長距離攻撃力の欠如を埋める構想を出してきた。ただしペンタゴンでは自律兵器が人間にかわり決断することは許しておらず、無人機が敵地奥深くに侵攻する際も操作員による制御が必要だ。ロシアや中国はデータリンクの脆弱さを狙い、無人機の制御を断ち切るべく電子攻撃、サイバー戦、あるいは各種手段を組み合わせてくるだろう。無人機が乗っ取られたことも実際に発生しており、制御の確実な保証はないのが現実だ。
生身のパイロットならハッキングされずその場で判斷し攻撃するか、目標を変更できる。そうなると海軍で長距離侵攻型攻撃能力を実現するには有人艦載機の復活が一策だろう。より進歩した今日の技術として素材、センサー、高性能の適応サイクルエンジンを搭載すれば当時のA-12で問題となった課題を解決できる。
このうち開発中の適応サイクルエンジンが実現すれば、燃料消費は35%減り、空母搭載爆撃機として目標の1100カイリ性能が実現できる。そのため海軍は次世代長距離侵攻攻撃機を企画すべきだ。当初のATAではボーイングF-15Eに交代する構想もあったが、再復活する新型機がストライクイーグル後継機になり、ボーイングF/A-18E/FスーパーホーネットやF-35Cとも交代し空母艦上に姿を現すかもしれない。決して安価にはならないがドナルド・トランプ大統領に国防に予算を重点的に回す決意があれば、海軍としても検討に値する選択肢になるはずだ。■

A-12の想像図。Wikipediaより