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2021年12月18日土曜日

1956年のSAC核攻撃作戦案はソ連の完全破壊を狙い、2000か所に原水爆を投下し、民間人死傷者も発生もいとわない構想だった。

 

 

タンリー・クーブリック監督の冷戦時作品「博士の異常な愛情」で、大規模核攻撃が進行中と知りマーキン・マフリー大統領が逆上し、あわててこれを止めようとするシーンがあった。ピーター・セラーズ演じるマフリー大統領は米空軍将官が独断で爆撃機編隊をソ連に送り核攻撃すると知り、どう対処すべきか決断を迫られた。

 

「貴殿が口にしているのは大量虐殺であり、戦争ではない」と大統領はタージドソン将軍(演ジョージ・C・スコット)に話す。同将軍がこれから始まる攻撃が効果を上げると述べたためだ。タージドソンは「大統領、こちらはぐちゃぐちゃにならナイトや申しておりません」と答えた。

 

核の全面戦争の危機が高まっていた1964年に封切られた同作でクーブリックは現実と虚構が実際にどこまで似通っていたかを知る由もなかった。その8年前に米空軍はソ連、中国その他同盟国を完全に破壊する作戦構想をまとめていた。

 

ジョージ・ワシントン大の国家安全保障アーカイブはその文書を機密解除文書公開制度を使い入手し、2015年12月12日にオンライン公開した。

 

空軍文書には1956年原子兵器要求研究との退屈な題名がついており、第三次世界大戦で標的となる対象を網羅し、原爆等の必要数量を列挙している。全800ページにわたり、情報解析からソ連等の2,000か所超が投下地点に指定され、軍事基地にあわせ都市が含まれていた。

 

「SACによる検討は背筋が寒くなるほど詳細にわたっていた」と安全保障アーカイブの核研究者ウィリアム・バーが解説している。「文書作成者は優先攻撃対象や核爆撃戦術で付近の一般市民のみならず『友軍部隊や国民』も高レベル放射能降下物にさらされるとある」

 

1956年には米国による核の独占状態はもはや存在しないものの、米国は核軍拡レースで優位に立っていた。ソ連はその7年前に初の原爆実験に成功していたが、ペンタゴンはさらに強力な熱核兵器(水爆)の配備を開始していた。

 

当時は長距離弾道ミサイルは開発段階で、空軍は大型爆撃機と戦闘機を実戦に投入する構想だった。重力落下型爆弾あるいは初期の巡航ミサイルとして欠陥の多かったスナークを発射するとしていた。

 

1945年に登場した初の実用原子爆弾にはリトルボーイのニックネームがつき、広島市上空で爆発し、TNT換算15千トンの出力だった。マーク36水爆はその250倍の威力となり、巨大なB-52に各17千ポンドの同爆弾二発を搭載した。

 

検討内容では小型のB-47爆撃機編隊とF-101戦闘機編隊に小型原爆水爆を搭載して攻撃するとあった。空軍は合計2千機と同数の巡航ミサイルを動員する構想だった。また、欧州とトルコに配備の中距離弾道ミサイル180発も投入するとしていた。

 

ソ連はTu-16爆撃機等の航空戦力で反撃する,あるいは後続の米軍機を撃破する動きに出れば、米空軍はソ連圏内の航空基地全部を排除することに中心を切り替えることになっていた。その後、米軍機は二次標的を狙うことにしていた。

 

「ソ連圏空軍力と関係ない標的はシステマティックな破壊対象になる」と文書では説明している。

 

水爆は重要軍事標的用に温存する。その他標的には原爆を投下する。

 

一部標的には複数の爆弾を投下し、完全破壊を図るはずだった。「各軍司令官間で重要地点には重複攻撃を認める合意ができている」と同文書にある。

 

文書は分類別に5ページの要点を掲載し、ワルシャワ条約加盟の8か国の各種施設を示すカントリーコードをつけ、中国、北朝鮮、北ベトナムさらに帝政復帰前のイランには三桁コードが見られる。

 

個別標的には8桁コードがつき、爆撃百科事典の様相があった。まず最初の4桁が大まかな場所を示し、残る四桁で個別施設を表示した。

 

この方式だと最高9,999箇所の標的に対応できる。

 

作成者はあきらかに戦闘行為に関係する全施設の攻撃を念頭にしており、切削工具工場、タイヤ工場から抗生物質ストレプトマイシンまで標的にしていた。中でも目を引くのはコード275で「一般住民」を意味していた。

 

「作成者はソ連ブロックの都市部産業基盤のシステマティックな破壊を立案し、とくに全都市の「住民」も攻撃対象にした」とバーは解説し、「意図的に民間市民を標的とするのは国際規範で当時も禁止されていた」

 

しかし、同時代の他の資料では、国防総省が戦争行為に関係するあらゆる人物を軍事目標とみなしていたことがよくわかる。現在は機密解除されている1952年の米海軍の化学・生物兵器に関するフィルムには、「敵軍とそれを直接支援する人々の一部を無力化すること」が目標として明記されている。同様の考えで、米陸軍は放射線戦争を研究し、強力なダーティーボムを製造した。

 

ペンタゴンと空軍がこの結論に自然にったわけではない。ワシントンは、広島や長崎の破壊よりもはるかに致命的な焼夷弾を何千発も使って、想像を絶する破壊を日本にもたらした。表向きは、日本軍を支える家内工業等の活動を止める作戦だった。

 

第二次世界大戦中、連合国はダム、農場、発電所、地雷など、軍民両用施設を爆破していた。ベトナム戦争では、空軍機が同様の目標を爆撃した他、除草剤多数を散布し、ゲリラの食料となる作物を故意に破壊した。とはいえ、空軍研究が想定した核戦争は、もっと悲惨なものになっていただろう。当時、モスクワだけでも400万人以上の住民がいた。

 

現実になっていれば、『博士の異常な愛情』での見積もりを数桁上回る犠牲者が容易にうまれていたはずだ。さらに、放射性降下物による永続的な影響も考慮に入れていない。放射性降下物は、さらに多くの人々を殺し、農作地や地下水を汚染し、居住不可能な地域を生んでいただろう。

 

空軍は必要な爆弾数を最小限にするため全力を尽くしたしたと述べているが、その数字は今も機密扱いである。報告書は、爆弾を地表近くで爆発させれば、放射性降下物が減ると示唆している。

 

「匿名の編者は科学者でなかったかもしれない」とバーは言う。「しかし、放射性物質を世界中にまき散らした1954年のキャッスルブラボー実験があったので、もっとよく理解すべきだった」

 

しかし、空軍はこのような心配への余裕はないと説明していた。「放射性降下物が友軍や国民に影響を与える可能性は考慮するが、航空戦の勝利が他のすべての考慮事項に優先する」と文書は堂々と書いている。「航空戦に勝てないと友好国への影響はもっと悲惨なものになる」。

 

この仮説を検証する必要がなかったのが救いだ。■

 

Inside America's 1956 Nuclear War Plan against the USSR | The National Interest

December 13, 2021  Topic: Cold War  Region: Global  Blog Brand: The Reboot  Tags: RussiaChinaMilitaryTechnologyCold WarB-1Nuclear Weapons

by Robert Beckhusen

 

Robert Beckhusen is Managing Editor of WarIsBoring.

This first appeared earlier and is being reposted due to reader interest.

Image: Reuters.

2019年9月30日月曜日

冷戦時のソ連核攻撃計画の概要が情報公開されました。実施されていれば我々は存在していないかも。



This Was America's Secret Cold War Strategy to Nuke Russia Back to the Stone Ageこれがロシアを核攻撃で石器時代に戻す冷戦時の米秘密戦略構想だった

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戦が熱核戦争になっていたら、米国とソ連は相互に破壊され尽くされていただろう。
今回初めてロシアのどの都市が標的になっていたのか、その理由が明らかになった。米政府が1950年代の戦略空軍(SAC)資料を機密解除し、米爆撃部隊とミサイルが共産圏を広く攻撃対象にしていたことが判明した。
「SACは東ドイツから中国まで都市1200箇所をリストアップし優先順位も決めていた」と今回情報開示を求めたNGO団体ナショナルセキュリテイアーカイブは解説。「モスクワ、レニングラードがそれぞれ第一位、第2位で、モスクワには179地点を爆心地に指定、レニングラードは145地点で人口高密度地点も含まれていた」
だが狙いは単なる破壊にあったわけではない。SACではソ連空軍力を一掃し爆撃機の発進阻止を優先していた。ICBMが実用化となる前の話で、米本土や西欧の爆撃を恐れていた。標的に指定された航空基地は1,100箇所で、Tu-16バジャーの基地がリスト上位にあった。ソ連の航空戦力が破壊されれば次はソ連工業力が次の標的となるはずだった。
だがその過程で多くの無関係な生命が犠牲になっていただろう。SACの標的リストは1956年の作成で1959年版の核攻撃案では一般都市も当然ながら含まれていた。
SACの戦争計画はソ連圏の都市工業の「系統的破壊」であからさまに都市部の「住民」を標的とし、北京、モスクワ、レニングラード、東ベルリン、ワルシャワがリストにあがっていたことが判明した。「意図的に民間人人口稠密部を標的とすることは今日では国際規範に反し、軍事施設への攻撃と都市部への攻撃は明確に区別されている」と研究者は述べている。
800ページにおよぶ文書には標的一覧と関連情報が載っている。SAC立案部門は1959年にB-52、B-47爆撃機の他RB-47偵察機、F-101援護戦闘機合計2,130機の動員を想定していた。また核搭載巡航ミサイル、爆撃機搭載ミサイルが376発あり、初期段階の中距離弾道ミサイルも使えた。1959年の研究ではミサイルは標的に命中する確率が低く(ICBMの実用化は1960年代以降のこと)、有人爆撃機が攻撃手段の中心だった。
SACにはソ連空軍力を早期に破壊するねらいがあり、水爆は地上爆発の設定だった。空中爆破だと熱、放射線ともに出力が増大するが、爆風でソ連の空軍機材や基地を破壊する狙いだった。ただし想定外の副作用もあっただろう。「地上爆風とともに放射性降下物が友軍や陣営内都市にも影響を与えることも考慮されたものの、空軍力除去がなんといっても最大の目標だった」とSAC検討内容にある。
ただしSACではソ連空軍力のインフラを広く解釈し、指揮命令所、産業集積地もその一部としていた。そのためモスクワは多数の軍事司令部、航空機ミサイル工場、核兵器研究機関、石油精製所があることから上位に来た。
核時代に入っていたのにSACの戦略には第二次大戦のドイツ、日本爆撃を思わさせる要素が多かった。ソ連空軍力とインフラを標的にするのは大戦中のB-17やB-29爆撃隊と同じ狙いで、1950年代のSACは当時の人員が中心となっていたせいだ。その中心はカーティス・リメイであった。ソ連は核の一次攻撃を受けても爆撃機や核兵器の大量生産を行う力を温存し、戦況は長期化する前提だったようである。ミサイルが信頼性に欠け、有人爆撃機しか信頼に足る手段がなかったというのは今日の無人機対有人機の論争を思わせるものがある。
SACの標的リストは機能しただろうか。それを試す機会が生まれなかったのは人類にとって幸運なことだった。■



2017年6月3日土曜日

歴史のIF(3)冷戦初期の米空軍はソ連をこのように核攻撃するつもりだった


歴史のIF(3)です。まだICBMが戦力になっていなかった1950年代-1960年代初頭は有人爆撃機が飛び回るという構想だったのでしょう。米空軍も被害は覚悟でソ連空軍力をまず除去するつもりだったようですね。ただし放射性降下物の被害などは考慮外だったらしく壮大な破壊絵図を想定していたはずです。

This Was America's Secret Cold War Strategy to Nuke Russia Back to the Stone Age 冷戦時の核戦争計画はロシアを石器時代に戻す構想だった


May 30, 2017

  1. 冷戦が核戦争になっていたら米国とソ連両国は完全に廃墟になっていたはずだ。
  2. ロシアのどの都市が破壊対象だったのか、その理由がわかってきた。米政府が1950年代の戦略空軍(SAC)による目標リストを開示しており、それによると米国には爆撃機、ミサイルで共産圏全般を核攻撃する意図があったのがわかる。
  3. 「SACはソ連圏で東ドイツから中国まで都市1,200か所を目標とし、優先順位も決めていた」とNGO団体国家安全保障アーカイブが解説している。同団体は機密解除文書の開示を請求した。「モスクワ、レニングラードが優先目標第一位第二位だった。モスクワには179か所の指定爆撃地点(DGZ)があり、レニングラードは145か所で、「人口密集地」の標的も含まれていた」
  4. ただし攻撃案は過剰爆撃や恐怖をあおる爆撃ではなかった。少なくとも理論上は。核の狂気の裏には一定の方法論があった。SACの設定した優先順位はソ連空軍力の破壊が第一で、ソ連爆撃機(ICBMがまだ未整備の1960年代のこと)が米本土、欧州の攻撃に出撃できなくする狙いがあった。空軍基地1,100か所が優先攻撃目標となり、Tu-16爆撃機基地が最上位だった。ソ連空軍力を破壊した後はソ連産業基盤が次の攻撃目標だった。
  5. また一般国民も標的だった。SAC標的リストでは1956年版でまた1959年度核兵器攻撃案で意図的に人口密集地を入れている。
  6. SAC戦争案では「系統だった破壊をソ連圏の大都市工業地帯に想定し、北京、モスクワ、レニングラード、東ベルリン、ワルシャワを筆頭に都市圏を狙うとしていた」と同団体研究員が解説している。「意図的に大都市圏を標的にすることは今日の国際規範に合わない」
  7. 文書は800ページにわたり標的リストをABC順に乗せている。SAC立案部門は1959年にB-52、B-47合計2,130機を動員するほか、RB-47偵察機、F-101戦闘機を援護に充てる想定だった。さらに核弾頭付きの巡航ミサイル、爆撃機発射ミサイルが376発あり、一部だが初期の大陸間弾道ミサイルもあった。1959年ではミサイルの命中率は有人爆撃機より劣るとし(ICBMが開発中のため)、あくまでも爆撃機が攻撃の中心だった。
  8. SACはソ連空軍力を早期に排除する方針で水爆投下は空中ではなく地上で爆発させていただろう。空中爆発の方が熱、放射線の被害は大きくなるが、最大限の爆発効果でソ連空軍の壊滅が重要とされた。その場合、予想外の副次効果は避けられなかったはずだ。「地上爆発で生じる放射線効果や降下物で友軍や同盟国にも影響が及ぶため反対する意見も考慮されたものの、空軍力による勝利を求める動きがすべてに優先していた」とSAC自身が研究内容で認めている。
  9. ただしSACはソ連空軍力を極めて広範囲にとらえており、指揮命令所の他産業中心地もソ連空軍作戦を支えるとして含めていた。そのため軍事司令部、航空機ミサイル工場、核兵器研究所や石油精製所がすべて網羅されていた。
  10. 核時代の空軍力とはいえSAC戦略は第二次大戦中のドイツ、日本爆撃作戦に通じるものがあった。ソ連空軍や関連産業施設の攻撃構想はB-17やB-29の作戦同様で、当時のSAC上層部は戦中の関係者が多く、司令官カーティス・リメイもその一人だった)長期戦を覚悟する傾向が見られ、まるでソ連は初期攻撃を受けても爆撃機、核兵器の生産を大量に続けけられると見ているようだった。ミサイルがあまりにも信頼性が低く、頼れるのは有人爆撃機機だけとの考え方はあたかも今日の無人機対有人機論争を思い起こさせる。
  11. SAC攻撃構想は道理にかなっていたのだろうか。答えを知る必要が生まれなかったのは人類全体にとって幸運なことと言わざるを得ない。■
Michael Peck, a frequent contributor to the National Interest, is a defense and historical writer based in Oregon. His work has appeared in Foreign Policy, WarIsBoring and many other fine publications. He can be found on Twitter and Facebook.
This first appeared in December 2015.

2016年7月27日水曜日

★発掘、ソ連のフランス攻略作戦案、核兵器多用で7日間で完了見込む




The National Interest


Russia's Cold War Plan to Crush France (In 7 Days)

Think nukes. Lots of nukes.

July 19, 2016

六週間でフランスを制圧したナチ・ドイツは軍事史上もっとも華々しい勝利のひとつとされた。
  1. ソ連が西側に1960年代初頭に開戦していたら、ソ連は電撃戦で一週間でフランスを制圧する計画だった。旧チェコスロヴァキアの軍事文書保管庫で発見されたワルシャワ条約軍1964年作戦案で判明した。
  2. 軍事力の裏付けがあったのかそれとも誇大妄想狂だったのか。神の存在を信じない制度の上に成り立つソ連の作戦案は奇跡を想定したものにほかならない。ソ連と東欧軍部隊はチェコスロヴァキアから攻勢を始めドイツ南部を通過し、ライン川を横断し、南部フランスへ進行する案だった。所要7日で完了する想定だった。
  3. ソ連案は野心的だ。チェコ第一軍第四軍で独仏国境を攻撃し、ソ連第八軍がその北方へ前進し、ハンガリー軍が南方を固める構想だった。落下傘部隊でネッカー川ライン川の主要通行地点を占拠し、ワルシャワ条約軍の戦車部隊・機械化歩兵部隊がチェコスロヴァキアからリヨン北東のブサンソンまで開戦後8日で700マイルを一気に突破する。さらにソ連軍はパリ北方へ前進し、英仏海峡の港湾を制圧するか、マルセイユなど地中海の港湾を占領する。
  4. チェコスロヴァキアからブサンソンまで赤軍は一日60マイル移動する必要がある。それまでの史上最速の移動はロンメルのアフリカ軍団の1942年6月事例で当時のドイツ機械化部隊は350マイルを10日で移動、つまり、一日35マイルだった。1940年の電撃戦でも同じロンメルの第七戦車師団は85マイルを移動するのに5日を要している。
  5. 障害は多かったはずだ。西側にはソ連軍は圧倒的な軍事力のイメージがあるが、モスクワはNATO軍への数的優位性は部分的にしか期待していなかった。ソ連軍、チェコ軍は数々の河川、丘陵、市街地が戦場として横断する必要があった。ワルシャワ条約軍は航空優勢を確立できず、1940年のドイツのような航空支援は実現しなかっただろう。
  6. ただしソ連にはロンメルの時代には存在しなかった兵器をあてにできた。赤軍の電撃作戦は核兵器を開戦初頭から投入することで突破口を創る構想だった。作戦案によれば「131発のミサイル、核爆弾が必要で、ミサイル96発、爆弾35個の内訳だ。まずミサイル29発、爆弾1個を投入する」とあった。
  7. この案は実行可能だったのだろうか。すべて予定通り機能すれば可能だっただろう。つまり米第七軍、ドイツ第二軍団、フランス第一軍がソ連の前進を食い止められければ、あるいは双方の核爆弾による地形変化や放射能でも前進が止まらなかった場合だ。.
  8. フランスが原子爆弾を初めて爆発させたのが1960年で、1964年にはフランス空軍は核爆弾を装備していた。ソ連報復を恐れてモスクワの原爆攻撃は思いとどまっただろう。だが、またもや国土を占領されるのかとの思いから「赤化より死ぬほうがまし」との短絡的反応になっていたかもしれない。
  9. どちらにせよ西欧は核攻撃で崩壊していたはずだ。

Michael Peck is a contributing writer for the National Interest. He can be found on Twitter and Facebook.


2016年6月8日水曜日

★NATOの冷戦時の第三次世界大戦シナリオが明らかになった



今から見れば狂気の世界ですが、当時は本当にソ連侵攻のシナリオが現実的に見られていたのですね。ロシアが再びこのような姿勢をとることがないよう祈るばかりです。なぜならNATOも拡大したとはいえこれだけの体制の復活はおそらく不可能でしょうから。

 Revealed: How NATO Planned to Win World War Three in Europe

June 6, 2016

北大西洋条約機構NATOはソ連の西欧侵攻を実現させないため1949年に結成された。第二次大戦が終結し、ソ連はポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ルーマニア、ブルガリア、東ドイツの東欧各地に駐留軍を送った。NATOはチャーチルが述べた「鉄のカーテン」への対抗策だった。
  1. 米および西欧はスターリンのソ連と開戦となれば欧州が主舞台になるのは当然と見ていた。ただし核兵器の配備により東西は直接対決を避け、変わりに代理戦争が各地で発生した。ソ連による西欧侵攻は最大級のリスクがありながら最大級の成果も生むと見られていた。
  2. そこでNATOの戦略ミッションは同盟の瓦解を軍事力で防止することにあった。このため目標が四つ想定された。航空優勢の確保、北米への航路確保、西ドイツの領土保全および核兵器投入の予防だった。
  3. 1988年になるとNATOの西欧防衛方針は前方配備になり、ソ連ワルシャワ機構軍を極力ドイツ国境の内側で食い止めることが主眼とされた。領土奥深い部分での防衛は第二次大戦での東部戦線の経験から有効とされたが実施されていれば西ドイツの住民全員と戦後40年の復興繁栄の結果が犠牲になっていただろう。
  4. NATOには統合戦の構想はなく、ただ「戦線を維持する」ことでソ連、ワルシャワ条約軍を消耗させる構想だけだったようだ。西ドイツ陸軍は戦術レベルで柔軟行動を許された。米国はエアランド戦闘 AirLand Battle 構想として地上兵力と航空部隊を一体運用して敵を同時に攻撃し最前線から後方まで攻撃するつもりだった。
  5. 海上ではNATO海軍部隊の主任務は北米との海上交通路を維持することにあり、米国カナダから増援部隊を無事輸送することだった。NATOの哨戒機、艦船、潜水艦はソ連潜水艦の探知に全力を挙げ、グリーンランド、アイスランド、英国を結ぶ線よりの南下は阻止する体制だった。
  6. 米海軍はノルウェー海に空母戦闘群を二個ないし三個送り別個に戦艦中心の水上戦闘集団一個を派遣しソ連北方艦隊の海軍基地、航空基地を攻撃する想定だった。ソ連本土の攻撃で西側護送船団への攻撃を分散させつつ、海軍、空軍基地を攻撃し補給路も遮断する構想だった。同時にソ連の弾道ミサイル潜水艦を母港から切り離し標的にする考えだった。
  7. NATO海軍部隊はソ連、ポーランド、東ドイツの海軍部隊をバルト海内部に閉じ込め、デンマークや西ドイツへの侵攻を食い止める構想で、西ドイツ海軍はハンブルグ北方でポーランド揚陸部隊の侵攻に警戒する想定だった。
  8. 空ではNATO空軍部隊に複数の役割が期待されていた。米空軍のF-15、F-16、英空軍のトーネードADV、ドイツのF-4ファントムで航空優勢を確保する一方、英軍と独軍のトーネードIDS低空攻撃爆撃機が東ドイツとポーランドのの航空基地を爆撃しポーランドでも同じことを実施する構想だった。米空軍F-111戦闘爆撃機をはじめとする攻撃機材は阻止攻撃、橋梁、司令部、補給処等を破壊し少しでもワルシャワ条約軍の進撃を遅らせ、その後米A-10ウォートホグ、ドイツのアルファジェット、英空軍ハリヤーの各機が前線航空支援でNATO地上軍の窮地を救うはずだった。
  9. それでも決着をつけるの地上戦のはずだった。NATOの航空優勢へソ連が考えた対抗策は航空基地の制圧だった。
  10. 技術面ではNATO地上軍が優位だったが、当時導入された戦闘システムの一部は今日でも稼働中だ。1988年時点で在欧米陸軍の第七軍は「ビッグファイブ」装備を展開していた。M1エイブラムズ主力戦車、M2ブラッドレー歩兵戦闘車両、AH-64アパッチ攻撃ヘリコプター、UH-60ブラックホーク輸送ヘリ、ペイトリオット防空ミサイルでそれぞれ陸軍のエアランド戦闘構想の一部だった。西ドイツは二代目の主力戦車レオパルトIIの配備を始めており、オランダも採用し、マーダー歩兵戦闘車両も登場していた。同時に英陸軍はチャレンジャー戦車、ウォリアー歩兵戦闘車両によりライン河の防衛体制を強化していた。
  11. 北方陸軍集団NORTHAGは西ドイツの北半分を担当して北ドイツ平野の防衛が任務だった。地形の性格上、攻撃側に有利だった。NAOTHAGにはルール地方への近道ルートの防衛も重い任務で重要な工業地帯や当時の首都ボンさらにアントワープやロッテルダムという増援部隊の受入れに必須の港湾につながるルートだった。
  12. そこでNATO部隊はドイツ、英国、オランダ、ベルギーの二個ないし四個戦闘師団が別個に展開し指揮統制は全体レベルでのみ可能だった。有事には英国、オランダ、ベルギーが増派部隊を迅速に送り込む想定とはいえ、同陸軍集団の部隊の大半は防御地点から遠く離れた配置で相当前からの警報がないと展開は無理だった。
  13. 中央陸軍集団CENTAGは西ドイツ南半分の防衛を任務とし、米軍とドイツ軍を中心にカナダ機械化旅団が補強した。ドイツの二個軍団はそれぞれ戦車師団、戦闘車両師団、山岳師団で構成し、防衛線の死守が任務とされ米陸軍の軍団二個は機械化歩兵師団二個あるいは三個で構成した。CENTAGには国境とライン河までの120マイルと一番狭い地帯の防衛を担当した。
  14. 数の上では劣勢だったがCENTAGには切り札があった。米独軍の戦闘態勢は装甲機械化歩兵部隊が中心で戦車を大量に投入するソ連ワルシャワ機構軍との対決に特化していた。西ドイツ陸軍は高度に訓練され、指揮統制、装備の面でも、申し分がなかった。欧州駐留米陸軍には追加大隊があり、火力を約1割追加できた。また各軍団には装甲騎兵連隊で国境線を突破することができた。
  15. CENTAGには地形の利点もあった。ドイツ北方地方と違い、ドイツ南部には丘陵地、山岳地帯に繋がる渓谷もあり防衛側には有利だった。有名なフルダ渓谷も一部でホフ峡谷やシェブ進入路といった知名度は低いが重要地点もあった。
  16. はるか北にはノルウェーがソ連と国境を接し、防衛には不利と見られてきた。だがノルウェーの地形は攻撃側には持続が困難でソ連地上部隊には陸戦隊ならびに空中機動部隊の支援が必要だった。NATOは国際混成ACE機動部隊をノルウェー防衛に派遣する構想で、米海兵隊もノルウェー国内に旅団装備一式を事前配備していた。
  17. NATOはヨーロッパ各地で敵の降下、ヘリコプターによる強襲や特殊部隊の攻撃を想定し小規模ながら機動力ある攻撃で背後のNATO施設や重要拠点が占拠されるのを恐れた。ライン河等の橋梁、司令部、補給処、装備事前集積所などだ。
  18. そこで背後の防衛用に12個旅団規模の西ドイツ予備兵力をあてた。ボンの防衛には落下傘部隊三個が急行する体制だった。NATOの各空軍基地の保安体制は極めて高く米空軍は独自に大規模守備隊を配置し、英空軍も基地を防衛していた。
  19. 通常兵力でワルシャワ条約軍を阻止できない場合はNATOには戦術核兵器各種があり、核機雷から自由落下爆弾、地上発射巡航ミサイル、パーシングIIミサイルまで選択可能だった。核装備は豊富だったがいったん使用すれば核報復を招くのは必至で報復の輪を止めるのは至難の業だっただろう。戦術核が戦略核の使用に繋がっていれば、人類文明は終焉を迎えていたかもしれない。■

Kyle Mizokami is a defense and national security writer based in San Francisco who has appeared in the Diplomat, Foreign Policy, War is Boringand the Daily Beast. In 2009 he cofounded the defense and security blogJapan Security Watch. You can follow him on Twitter: @KyleMizokami.