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2022年11月23日水曜日

F-3(FX)でノースロップ・グラマン提案が採択されていたら....YF-23が日本で実現していたのか....止まらない航空ファンの妄想(同機への熱い思い)

 

YF-23 Stealth Fighter. Image Credit: Creative Commons.

 

 

ースロップ・グラマンが日本向けにYF-23のような新型ステルス戦闘機を製造する一歩手前まで進んでいた。 あと1週間もすれば、ノースロップ・グラマンは、アメリカ空軍の次世代長距離戦略爆撃機B-21レイダーを発表する。同社は、米軍の他の航空プログラムでも重要な役割を担ってきたが、最後の戦闘機はF-14トムキャットでした。現在、同社は、F-35の主翼スキンなど、他の軍用機にもさまざまな部品を提供している。

 

 

2018年、ノースロップ・グラマンは日本の航空自衛隊(JASDF)向けに先進的なマルチロール戦闘機の開発を検討していると報じられ、再び戦闘機メーカーになるところだった。ノースロップが東京のためにYF-23の新型を作る可能性もあったとさえ考えられていた--しかし、それは実現しなかった。

 

日本のF-X計画

日本のF-Xは、米国が1997年のオベイ修正案で、ステルス性能を含む先進技術を保護するために、ロッキード・マーチンF-22ラプターの輸出を禁止したことに始まる。その結果、日本はF-22を購入できず、結果的に国産戦闘機の製造を検討することになった。同時に、日本政府は米国と英国に提案書を送り、プロジェクト参加を求めた。

 ロイターが2018年に報じたように、「海外パートナーを迎え入れることで、日本は約400億ドルと推定される開発コストを分散し、そうでなければゼロから開発しなければならない技術にアクセスできる」と期待した。

 BAE Systemsボーイング、ロッキード・マーチン、ノースロップ・グラマン含む多くの企業がこれに応じた。ボーイングは、航空自衛隊のF-15のアップグレードを提案した。これは現在アメリカ空軍で運用されているF-15EXと同様のものになったかもしれない。BAEシステムズも同様にユーロファイター・タイフーンのアップグレードを提案し、ロッキード・マーチンはF-22とF-35のハイブリッド戦闘機を提案してきた。

 ノースロップ・グラマンもF-3プログラムに興味を示し、日本の情報提供依頼(RFI)に応じ、日本の防衛産業と予備的な協議を行ったと伝えられている。

 また、グラマンはYF-23のスペックも提示していたとも言われている。同機は、1991年にアメリカ空軍の先進戦術戦闘機(ATF)競争で、ロッキード・マーチンF-22ラプターに敗れた。2018年から現在に至るまで、YF-23がかなり強力なステルス技術を備えていたため、日本がこの方向に進んだかもしれないと論じる記事が相当数ある。今日に至るまで、YF-23をF-22ラプターよりも優れた機体だと考えている専門家もいる。

 YF-23は、「技術メニュー」を東京に提供した。

 

YF-23と別の方向へ

しかし、日本が海外パートナーにコストを分担してもらうことを望んでいたとしても、F-3のエイビオニクスと飛行ハードウェア(通信・ナビゲーションシステム、レーダー、エンジンなど)は国内企業による提供を確保しようとしていたように見えた。すでに日本のIHIが開発していたからだ。

 2020年10月、三菱重工業が同戦闘機プログラムの開発主体に選ばれ、2030年代半ばまでに三菱F-2の後継機となると明らかになった。2000年就役したF-2は、三菱とロッキード・マーチンが共同製造した。F-3が現在どの程度進んでいるかは明らかではないが、日本は英国主導のFCAS(Future Combat Air System)プログラム(別名テンペスト)にも参加している。

 

YF-23

YF-23 Stealth Fighter. Image Credit: Creative Commons.

 

 ノースロップ・グラマンにF-3開発の機会が与えられていたら、「こうなっていたかもしれない」という推測がまだ残っている。おそらくそれは、機会を逸した不幸な機体と多くの航空ファンが今も考えるYF-23に似た機体になっていただろう。■

 

Did Japan Almost Build a 'New' YF-23 Stealth Fighter? - 19FortyFive

ByPeter Suciu

 

A Senior Editor for 19FortyFive, Peter Suciu is a Michigan-based writer. He has contributed to more than four dozen magazines, newspapers, and websites with over 3,000 published pieces over a twenty-year career in journalism. He regularly writes about military hardware, firearms history, cybersecurity, and international affairs. Peter is also a Contributing Writer for Forbes and Clearance Jobs. You can follow him on Twitter: @PeterSuciu.


2019年5月28日火曜日

YF-23へのカルト人気とは別に米空軍は同機開発事例から次期機材開発の教訓を得るべき


The Stealth Fighter the Air Force Said 'No' To: Why the YF-23 Still Matters

米空軍が不採用としたステルス戦闘機YF-23が今も注目をあびる理由
The development and flight-testing of the YF-23 offer important lessons for the Air Force as it begins studying a replacement for the F-22.
YF-23の開発、フライトテストは空軍は重要な教訓となる ときあたかもF-22後継機の検討が始まっている
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May 24, 2019  Topic: Security  Blog Brand: The Buzz  Tags: YF-23MilitaryTechnologyWorldF-22StealthAir Force

1991年に米空軍の高性能戦術戦闘機採用でロッキード・マーティンYF-22に敗れた試作ステルス戦闘機がここに来てカルト的な人気を集めている。.
ノースロップ・グラマンYF-23を取り巻く謎めいた雰囲気には不健全な趣もある。米国人に技術信奉の傾向がありこの反映といえる。
F-22ではなくF-23を採用していても米国史の流れが変わっていたとは思えない。ロシアの台頭や中国の大国化は止められずイスラム過激主義の広がりを止めれたわけではない。
だがYF-23の開発の実態やフライトテストから重要な教訓が米空軍に得られるのはF-22後継機の検討が始まるためだ。空軍は2016年に「航空優勢2030構想」の検討内容を発表し、「侵攻制空」装備をおよそ180機あるF-22に代わり2030年代初頭から整備すべきと主張した
2017年には侵攻制空航空装備の代替策検討がさらに進み、各種装備の同時投入で航空優勢を確保する「反集合型」アプローチへ関心が高まった。
これは72年も堅持されてきたアプローチとの決別を意味する。空軍は航空優勢の実現を戦闘機で実現してきたのだ。
新型侵攻制空航空装備に戦闘機が採用される可能性は高いとはいえ今までにまして戦闘機と無人機が空、宇宙、地上の各ネットワークやセンサー、他の兵器体系と一体で運用されることになりそうだ。
だがYF-23が一つの証明なら新型航空優勢装備を白紙開発すれば15年では足りない可能性もある。空軍はF-15後継機の要求性能諸元の検討を1971年に始めていたが、その時点でF-15自体が開発段階にあった。これはノースロップ元主任テストパイロットでYF-23を飛ばしたポール・メッツのことばだ。
検討は10年余りも続き空軍はその後に業界に接触してきた。1981年に9社が新型戦闘機の原案を求められ7社が応じた。1986年にロッキード、ノースロップ両社がそれぞれ試作型2機の制作を許された。1991年が締め切りだった。
空軍の要求内容はあいまいかつ野心的だった。新型戦闘機に求められたのは高速で長距離飛行、操縦性高く、そしてステルスのみだった。「今までにない機体を求められたんだ」とメッツは語る。
空軍の名誉のため記せば「高速で長距離飛行、操縦性高く、ステルス」とそのまま求めたわけではない。メッツは「空軍は優れたリーダーとなった」といい、「われわれに実行させ実験させてくれた」のだという。
同様に空軍はYF-22とYF-23の試作機を直接対決させるのではなく両社それぞれにフライトテストを別個に行わせた。「飛行性能を同じ場所で比較したわけではない」とメッツはいう。
これが功を奏した。YF-22とYF-23はまったくちがく種類の航空機で各設計では高速長距離ステルス性能のため犠牲にした要素があった。YF-23は速力で優れていた。YF-22は敏捷さで一歩先にあり、YF-23はエイビオニクス技術の限界を引上得た。YF-22は生産が容易だった。「両機は単純比較できなかった」とメッツも言う。
YF-22とYF-23の教訓を空軍は次期戦闘機構想に活かすべきだ。計画の実施段階に先だって問題を根本的に検討し、大まかな形でまとめて業界に渡し実現を求める。そして解決手段の違いに気を取られるのではなくそれぞれのメリットに着目すべきだ。
また空軍は過ちを回避すべきだ。YF-22、YF-23の時点でロッキード、ノースロップ両社は敵のスパイ衛星に探知されないよう試作機を隠し機体公開は避けるよう指示していた。
当惑したノースロップ技術陣の「解決策」はYF-23に防水シートをかぶせることだったがカリフォーニアのエドワーズ空軍基地で強風が吹くとシートが吹き飛ばされた。
「こんなばかげた処置はやはり長く続かなかったがね」とメッツは述べている。■

David Axe serves as Defense Editor of the National Interest. He is the author of the graphic novels  War Fix, War Is Boring and Machete Squad.

2019年3月30日土曜日

★時代の先を行き過ぎたYF-23がF-3として復活する可能性はあるのか

コメントは下にあります。

Study This Plane: It Could Be Japan's New Stealth Fighter

この機体に注目 日本の新型ステルス戦闘機の原型になるかも
March 29, 2019  Topic: Security  Blog Brand: The Buzz  Tags: MilitaryTechnologyWeaponsWarJetsYF-23

空任務に主眼を置く航空自衛隊向けステルス戦闘機F-3の開発で日本が海外提携先を模索している。ロッキード・マーティン提案のF-22ラプターとF-35ライトニングIIのハイブリッド版に注目が寄せられたが、一部にF-22のライバルで採用に敗れたノースロップYF-23ブラック・ウィドウIIが復活すると見る向きがある。同機は性能面でラプターを凌駕していたといわれる。
1981年、ペンタゴンは高性能戦術戦闘機(ATF)競作を開始しソ連Su-27フランカーやMiG-29フルクラムにドッグファイトで勝利できる次世代ステルス戦闘機の実現を目指した。当時ステルス機といえばF-117ナイトホークもまだ開発中であり、同機に空対空戦の想定や超音速飛行高性能はなかったので新型機の想定は大きく飛躍した内容だった。米空軍はATFにスーパークルーズ機能も盛り込み、技術的な課題にもなった。
1986年、ATF競作はロッキード・マーティンとノースロップに絞り込まれYF-22およびYF-23試作機を4年以内に完成させることとした。その時点で両社はステルス機の知見をある程度蓄積しており、ロッキードはF-117、ノースロップにはB-2爆撃機があった。ノースロップはマクダネル-ダグラスを請負企業に巻き込んだ。.
ロッキードYF-22も印象深い外観となったがYF-23はブラック・ウィドウIIの名称がつき別世界の機体の漢があり、主翼はダイヤモンド形状でステルス性能を確保し、細長くした機体側面はSR-71ブラックバードを想起させた。大型尾部フィンはフライバイワイヤで回転させ、ヨー、ロール、ピッチを調整した。
ノースロップは試作機を2機制作し、まず暗灰色のPAV-1「スパイダー」が1990年6月に、明灰色のPAV-2「グレイゴースト」が同年10月に進空した。前者はラプターと同じプラット&ホイットニーF119ターボファンを採用し、後者はジェネラル・エレクトリックYF120可変サイクルエンジンでターボジェット、ターボファンのモード切替で低速、高速域それぞれ最適性能をめざした。空気取り入れ口はS字状でレーダー断面積の縮小を図った。熱発生を減らすため排気は熱吸収タイル経由で温度を下げて放出された。
YF-23試作機のテスト飛行は65時間で、空中給油装備、兵装庫をそなえAIM-120長距離空対空ミサイル4本を搭載できた。生産型では20ミリヴァルカン砲と短距離用サイドワインダー2本を追加搭載の予定だった。一点ラプターにあってYF-23にない点があった。ラプターの推力偏向エンジン2基は水平方向に回転し、低速域で機敏な操縦性能を実現した。このためラプターが操縦性で優れると考えられたが、実際はYF-23が敏捷性で劣っていたわけでなない。迎え角60度70度を推力偏向なしで実現できたが空軍の評価時では25度制御しか見せなかった。
評価項目の大部分でYF-23はラプターより高得点で、超音速スーパークルーズ性能や航続距離性能を見せつけた。さらにレーダー断面積も小さく、とくに側面と後方の差は大きく被探知距離を短くした。
選考過程に詳しい筋によればロッキード・マーティンはYF-22の敏捷性をドッグファイトに詳しいパイロット中心の評価チームに見せつけた。またYF-23の機体価格が高額かつリスクが大きいと信じられていたが、ラプターでも137百万ドルから150百万ドルと非常に高額の値札がついていた。YF-22が洗練された印象を与えたのに対しペンタゴンはノースロップの事業管理能力に疑いの目を向けていた。B-2で遅延と価格上昇が著しかったためだ。契約をロッキードに交付して同社存続を図ったと見る向きもある。
空軍がこの時点で選考するとしたら、操縦性、航続距離、ステルス性能の違いからYF-23に傾くはずというのはなんとも皮肉だ。将来は視界外交戦が主流となり、機敏な操縦性より探知能力が最重要となる。さらに長距離性能がない機体は前方基地から運用となり敵ミサイル攻撃に脆弱だし、今日の空軍は広大な太平洋地区での作戦運用に必要に迫られているのだ。
空軍が構想中の第六世代戦闘機は侵攻制空航空機と呼称され長距離性能を操縦性より優先させる中、ロッキード案は不気味なほどYF-23と似ている。
選定に破れたもののノースロップがYF-23で盛り込んだ技術は消えたわけではない。10年以上たちノースロップはYF-23をもとに中距離ステルス爆撃機の売り込みをはかったものの空軍は同じノースロップのB-21に絞り込んだ。PAV-1はデイトンにある米空軍博物館で、PAV-2はカリフォーニアの航空博物館Western Museum of Flightに展示されている。
2018年、日本はF-3ステルス戦闘機の共同開発先を求め、ノースロップ・グラマンが熱意ある回答を出してきたと伝えられる。同社はYF-23復活をめざしたのか、いやもっと可能性のあるのは同機の機体構造とエンジン設計の一部を日本の技術と統合することだったのではないか。
その理由としてノースロップの原設計は1980年代で近代化が必要で、とくに当時のレーダー波吸収材塗布はF-22でも後から登場したF-35に比べ非常に高価だし、エイビオニクスも成熟化ないまま終わっていた。ただし自衛隊は完全新型機より既存機種や実証済み機体を原型とし改良を加える開発を好むはずだ。つまり三十年近く経過してブラック・ウィドウとラプターが二回目の対決に臨むかもしれない。■
Sébastien Roblin holds a master’s degree in conflict resolution from Georgetown University and served as a university instructor for the Peace Corps in China. He has also worked in education, editing and refugee resettlement in France and the United States. He currently writes on security and military history for War Is Boring .

うーん 火の気のないところに煙は立たない、というものの、流石に今回はどうでしょう。マニアック、偏執狂的ともいえる内容なのですが、YF-23は時代を先取りしていたとはいえ、試作機のままで終わった未完の機体ですし、日本が製造元の戦闘機ビジネス継続に手を貸す必要もないでしょう。むしろ中国が同機をパクった(?)といわれる超音速中型爆撃機の存在に気をとられますけど、みなさんはいかが?

2018年11月24日土曜日

★YF-23はなぜ神格化されるのか

The YF-23 Stealth Fighter Won’t Save Us 

YF-23では救われなかったはず

Stop mythologizing Northrop Grumman's old airplane

ノースロップ・グラマン製同機の神格化やめよう

The YF-23 Stealth Fighter Won’t Save Us

1994年、NASAドライデン施設に到着したYF-23 NASA photo


WIB AIR November 16, 2018 David Axe


1994年以降飛んでいないステルス戦闘機実証型がここにきて存在感を強めている。
だがYF-23が再び脚光を浴びるのは米国の国防力を弱めかねない有害な神秘思考が裏にあるからだろう。
YF-23はノースロップ・グラマンが空軍の高性能戦術戦闘機競作で提案したF-15後継機を狙う機材だった。
ノースロップは尾翼二枚、双発の実証機を二機製造し、ロッキード・マーティンのYF-22実証機と競合し、1990年から1991年にかけ評価に臨んだ。1991年8月に空軍はYF-22を採択。ロッキード・マーティンはYF-22からF-22を開発し、2005年に実戦配備が始まった。
ノースロップはYF-23両機をNASAに寄贈し、その後機材は博物館入りした。両機がドライデン飛行研究センター(カリフォーニア州)まで飛行移動した1994年が最後のフライトだった。
それから二十年余たち、YF-23は「あのときもしも」の分野で人気を集める存在になっている。「専門家の中にはノースロップのYF-23の方が優れていたと主張する向きが多い」とカイル・ミゾカミがPopular Mechanics記事に書いている。「F-23になっていればどんな姿だっただろうか」とデイヴ・マジュンダーがNational Interestで問いかけている。
YF-23の仮想記事で究極の存在がThe War Zoneのタイラー・ロゴウェイがデジタルアーティストのアダム・バーチとともに実戦仕様の「F-23A」想像図を見事なアートとして紹介した記事だ。
マジュンダー、ミゾカミ、ロゴウェイともにプロだ。筆者の同僚であり友人でもある。非難するつもりはない。ただYF-23を求める声づくりに寄与しているだけだ。
YF-23 and YF-22. U.S. Air Force photo


YF-23の神格化は上記三名の責任ではない。むしろ米国文化に広く根付き、とくに軍事関係者で見られる危険思想の象徴だ。
この技術なら国が助かる。あの技術では役立たない。間違った技術を開発してしまったからだ、というのだ。「技術から思考が生まれる。技術が思考になる」と空軍を大佐で退役したウィリアム・アスターが書いている。
F-22はあきれるほど高価であるが高い効果を発揮している。同機は数千回といかずとも数百回の実戦フライトをこなし、シリアのイスラム国戦闘員を攻撃した。ロバート・ゲイツ元国防長官が2009年に下した187機でのF-22生産終了の決定に今でも疑問を抱く向きがある。空軍はもっと多くの機数を希望していた。
だがF-22でテロ活動に終止符を打てない。周辺地区に進出したロシアが過去の戦争の記憶を呼び起こすのも止められない。中国の経済拡大や軍事拡張主義も止められない。米軍のイラク侵攻の破滅的結果を逆行させることもできないし、20年にわたるアフガニスタンでの米軍作戦行動を終わらせることもできない。
これだけのハイテク、これだけの時間、熱意と予算をかけて米国が開発したF-22でも解決策になっていない。
そうなるとF-22が正しい選択肢だったのか疑問が出るのは当然だろう。おそらく、F-23でもF-22と同じだったはずだ。では空軍が別のステルス戦闘機を採用していたらどうなっていただろうか。米国の軍事力がもっと強大だったらどうなっていたか。もっと安全な環境だったらどうなっていたか。世界全体が今とちがう姿になっていらどうなっていたか。
アスターはさらにこう述べている。「米国人は技術を万能薬と見る傾向がある」 自然と歴史が証明するように技術は万能の解決策ではない。地球は温暖化にむかい、他者を隔てる壁を作っており、人間の世の中で意思決定を動かすのは恐怖だ。米国人はある技術を批判し、別の選択肢を求めようとする。
長く地上にとどまったままの試作機に過去の歴史を見つめ同機が採用され現在よりマシな世界になっていたはずと想像したところで、あるいは世界がもっとマシな姿になっていたはずと想像してなんになるのか。
YF-23も解決策になっていなかったはずだ。■


下は記事で言及しているCGの無断借用です。F-22よりもF-23に魅力を感じる向きが多いのでしょうか....




2016年10月24日月曜日

★歴史に残らなかった機体 その3 YF-23



後世から見ればF-22およびF-35の採択が伝統的な単座小型戦闘機の時代の最後を招いたといえるのかもしれません。確かにYF-23の方が未来的な機体だったようですが、採択されていれば戦闘機主義が温存されるだけの結果になっていたかも。筆者は戦闘機が頂点の空軍戦力構造や組織構造には疑問を感じています。皆さんはどう思われますか。


A Look at the Plane that Lost Out to the F-22

ROBERT FARLEY
Yesterday at 3:27 AM


  1. 高性能戦術戦闘機(ATF)競合選定は冷戦末期に実施され、驚異的な戦闘機設計が二案生まれた。結局、選定に残ったのはロッキード・マーティンF-22ラプターで21世紀初頭では最高性能の制空戦闘機であるといわれる。敗れたノースロップ・グラマンマクダネル・ダグラスYF-23は現在はトーランス(カリフォーニア)とデイトン(オハイオ)の両博物館を飾っている。
  2. ではペンタゴンはどのようにF-22を採択したのか。その影響はどうあらわれているのか。内情を知ることは不可能だが、供用中のF-22ラプターがペンタゴンの苦境を数回に渡り救ったのは確かだろう。
  3. ATF競作の背景には1980年台初頭にソ連がMiG-29とSu-27の新型機を投入し米空軍の「ハイローミックス」F-15/F-16に対抗する動きを示したことがある。ATFは米空軍の優位性を改めて確立し、特にステルスでソ連を一気に引き離す狙いがあった。
  4. そのためATF候補のいずれにせよ成功をおさめることが支配観念となった。選考途中でソ連は崩壊し、ヨーロッパ大手は同じ土俵(ステルス、スーパークルーズ、センサー融合)で競合せず、F-22またはF-23が21世紀最高の戦闘機になるのは確実だった。問題はどちらが投資対象として残るかだった。それぞれ有利な側面があった。YF-23はスーパークルーズ性能が抜きん出ており、ステルス性能もF-22を凌駕していた。F-22はより簡易な構造で設計は手堅いものがあったが、機動性が優れ、高性能ドッグファイターになっていた。
  5. F-22選定の背後に政治と行政の要素がからみあっていたのはデイヴ・マジュンダーの指摘通りだ。B-2とA-12の両案件でノースロップ、マクダネル・ダグラス両社に振り回されたペンタゴンはロッキードを優遇した。米海軍はF-23を忌避し大幅改修したF-22の海軍仕様に期待していた。つきつめればF-22(およびある程度までロシアの対抗策PAK-FA)はジェット時代の制空戦闘機の究極の姿といってよい。想定される空戦場面でいかなる敵も撃破しながらステルス特性を活かして危険な状況でも交戦(あるいは退避)が可能だ。
  6. ATF選定がソ連崩壊と機を一つにしていなければ、YF-23に採択の可能性が十分にあったはずだ。同機の特徴は高度な内容で十分な性能と投資価値があった。さらにF-23をF-22と並行して生産していれば米国防産業基盤の温存には効果が高かっただろう。ロッキード採択でボーイングとマクダネル・ダグラスの統合に繋がったのは明らかだ。
  7. YF-23ではF-22ラプターを悩ませた問題とは無縁だった。コスト超過もなく、技術問題もなく、ソフトウェア不具合やパイロットを死に追いやった吸気配給装備の問題もなかった。対テロ戦が拡大する中でロバート・ゲイツ国防長官(当時)はF-22生産を187機で打ち切ったが、問題が山積する中の決断だった。理解できる決定とは言え、米空軍は戦闘機の機数不足をF-35だけで補う必要に迫られた。
  8. YF-23の開発が順調だったなら(大きな仮定の話だが)、同機の供用開始時にさほど困難な状況は生まれていなかったろう。だがYF-23の方が革新的設計(つまり高リスク)で、期待単価がやや高かったため、、問題なく供用開始になっていたか疑わしい。その結果、生産が滞れば米空軍にはさらに少ない機数しか使えない状況になっていたかもしれない。
  9. YF-23には第六世代戦闘機と言って良い特徴があり、空軍が想定する「長距離戦闘機」としてB-21レイダー爆撃機の護衛に同行できる性能があった。V字尾翼は初期のコンピュータ解析で次世代戦闘機として採択されたと言われる。ボーイングが新型戦闘機を設計する際にF-23の経験則をひっぱりだしてくるのはまちがいないだろう。
  10. YF-23試作機のうち一機はオハイオ州デイトンにある米空軍博物館内の不採択機格納庫(旧研究開発ハンガー)に鎮座していた。同機の隣にはXB-70ヴァルキリーが展示されており、同博物館の目玉となっており、両機とも最近新たにオープンした四号棟へ移動し、今後も違う未来の一部となっていたかもしれない機体として来場者の注目をあつめるだろう。同時に米航空兵力の産業面、組織面での現実を表す象徴でもある。■

Robert Farley a frequent contributor to TNI, is author of The Battleship Book .He serves as a Senior Lecturer at the Patterson School of Diplomacy and International Commerce at the University of Kentucky. His work includes military doctrine, national security, and maritime affairs. He blogs at Lawyers, Guns and Money and Information Dissemination and The Diplomat