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2021年7月31日土曜日

歴史に残らなかった機体24 ノースアメリカンF-108はマッハ3でソ連爆撃機迎撃を想定したのだが....

 

歴史に残らなかった機体24 ノースアメリカンF-108レイピアは長距離ミサイル三発を回転式弾倉から発射しソ連爆撃機を狩る想定だった


F-108 NAA Mockup 1

U.S. AIR FORCE

 

 

1950年代に陽の目を見ることがなく終わった航空機事業は数多くあるが、中でも最も異彩を放ったのがノースアメリカンXF-108レイピアであったことに異論はないだろう。全天候迎撃機としてマッハ3をジェネラルエレクトリックJ93アフターバーナー付きターボジェット二基で実現するはずだった。同エンジンはXB-70ヴァルキリー戦略爆撃機も搭載し、これもマッハ3飛行を想定する同社の製品だった。XF-108は外観以外に主要部品でもXB-70と共通性があったが、同機だけの特徴としては機内搭載の回転式ミサイルランチャーが一番の機構だった。

 

今日でこそ回転式兵装発射機構は戦略爆撃機で通常の装備となっているが、それまでこれを実用化した戦闘機は皆無だった。機内に兵器を搭載する工夫は確かにあったし、今日でも技術はさらに開発が進んでいるが、主眼は対地攻撃への応用であり、空対空戦は想定されていない。

 

U.S. AIR FORCE

XF-108の決定設計仕様に基づく想像図

 

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航空防衛軍団が一般運用要求(GOR)114として公示した1955年末からXF-108の作業は始まり、実寸大モックアップが空軍へ納入されたのは1959年1月だった。XF-108の回転式ランチャー取り付けを示す写真は明らかに個のモックアップのもので、ツイッターユーザー@clemente3000がこの洗練された解決策を示している。レイピアは同年末に開発中止となった。

NATIONAL ARCHIVES

XF-108モックアップにGAR-9を搭載した回転式ミサイル兵装庫が見られた

 

 

同機は長距離GAR-9ミサイル三本をT字形に搭載する想定で大型エンジンと空気取り入れ口の中間に装備するとしていた。兵装庫扉を開くとミサイルを回転させ順次発射させる。抗力を発生させるような扉の突出はない想定だった。

 

類似した発想ではマクダネルF-101Bヴードゥーがファルコン空対空ミサイル三本ずつを機体内外に搭載したがミサイルは露出したままだった。これに対し、XF-108では機外に露出するのは一本のみだ。

U.S. AIR FORCE

 

 

ソ連の原爆搭載爆撃機を米本土に飛来する前に撃墜するのを任務としたレイピアはマッハ3で高度70千フィートを巡航し、急上昇可能な設計とされた。燃焼時により多くのエナジーを生む「ジップ」燃料を使い、各エンジンで30千ポンド推力を発生させるとし、今日のF-15EXのF100-PW-229をわずかながら上回る性能だった。これだけの性能から兵装類を機内搭載するのが前提条件となり、抗力低減もあったが加熱現象のため機外搭載では意味がなくなるためだった。

 

搭載を想定したGAR-9ミサイルとはヒューズ社のファルコンにつながる装備ながら外形は大きく全長12フィート超となった。GAR-1D、GAR-3Aのファルコンミサイルが当時供用中で全長は各6フィート、7フィートだった。

 

長距離迎撃機試作(LRI-X)でXF-108が最終的に選定され、GAR-9が専用に開発された。この時に選外になったのがリバプリックXF-103だった。

U.S. AIR FORCE

1958年発表の空軍文書で同機のレイアウトおよび兵装庫の想定がわかる。

 

GAR-9は通常弾頭以外に核弾頭も運用する想定で、射程は100マイル超でセミアクティブレーダーホーミングで敵に向かう想定で、レイピア機内のAN/ASG-18火器管制システムから制御するはずだった。設計変更でGAR-9は重量が増え直径も大きくなったためXF-108の兵装庫も設計変更を余儀なくされた。ただし、回転式機構も変更となったかは不明だ。

 

U.S. AIR FORCE

ノースアメリカン作成のF-108が空軍で供用中の想像図

 

最終的にXF-108開発は1959年に中止となったが開発は順調に進んでいた。空軍は事業継続予算を確保できなかった。さらにソ連爆撃機が大きな脅威でなくなり、かわりに大陸間弾道ミサイル(ICBM)が脅威になった。北米の空を守る機材はコンベアF-106デルタダートに任され、同機は1980年代まで供用された。

 

XB-70にも同様の結果はふりかかり、1961年に同機は開発中止となった。その後、試作機が飛行している。ソ連が地対空ミサイル開発に成功したため同機の想定作戦が危険になったこと、より安価に導入できる核ICBMの登場も理由となった。

 

XF-108は消えたが、GAR-9開発は継続され、その後1963年にAIM-47と名称が変わった。当時はロッキードYF-12A(A-12スパイ機の迎撃機型)に搭載するとして、実際にAIM-47試射まで行ったが同機も開発中止となった。

 

U.S. AIR FORCE

ロッキードYF-12Aの機内兵装庫に搭載前のAIM-47 ミサイル

 

その後AIM-47トASG-18からAIM-54フェーニックス、AN/AWG-9レーダーが生まれ、F-14に搭載され、米海軍の空母打撃群の防空任務に冷戦を通じ役だった。XF-108開発のDNAはさらに続くはずだったが、空軍はマッハ3級戦闘機の供用をその後試みることはなく、回転式ミサイルランチャー搭載戦闘機もその後実現していない。■

 

 

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The Mach-3 XF-108 Rapier Would Have Packed Its Big Missiles On A Revolver-Like Launcher

The Rapier carried its trio of long-range missiles in a rotary pack that would be used for downing marauding Soviet bombers.レイピアは長距離ミサイル三発を回転式弾倉に搭載しソ連爆撃機を狩る想定だった

BY THOMAS NEWDICK JULY 14, 2021

 


2017年6月23日金曜日

歴史に残らなかった機体(11)ノースアメリカンF-108レイピア


北米の防空戦闘機構想がここで大きな曲がり角に来たことが分かります。以後米国は防空よりも攻撃力整備に注力していくのですね。一方で、この機体の当初の想定を見ると第二次大戦中の爆撃機掩護任務の思想が見えてきます。やはり前の戦争のイメージが後世を支配するのですね。いかにもアメリカ的なパワーで勝負するコンセプトとともに費用対効果を決定の根拠とするこれもアメリカ的な意思決定の在り方が見えてくる機体です。

 

The F-108 Could Have Been America's Mach 3 Cold War Super-Interceptor
F-108はマッハ3飛行可能の冷戦時スーパー迎撃機になるはずだった

June 18, 2017



  1. ソ連爆撃機の来襲を恐れた1950年代の米空軍は超音速迎撃機を開発しようとした。
  2. 実現していれば、マッハ3で高高度飛行する迎撃機は今日の戦闘機のスピード水準を大きく超えていただろう。
  3. 1949年に空軍が出した要求水準に対しリパブリックエイビエーションは1951年にXF-103ラムジェット戦闘機構想を提示した。翼を付けたロケットのような同機の最高速度はマッハ3で高度80千フィートまで上昇可能だった。この時点で亜音速のF-86セイバーとMiG-15が朝鮮上空で空戦を始めるところで現在の戦闘機でもマッハ2超の速度は出していない。
  4. だがXF-103は当時の技術水準のはるか先を狙いモックアップだけで開発中止になった。米空軍はあきらめなかった。
  5. 1955年に長距離迎撃戦闘機実験事業が始まった。1957年にノースアメリカンエイビエーションがXF-108開発契約を受注し、二名搭乗でマッハ3、千マイルの戦闘半径と最高高度70千フィートの性能を想定した。
  6. 偶然ではなく、マッハ3と上昇限度70千フィートは同社のXB-70ヴァルキリー戦略爆撃機構想と同じだった。XF-108はレイピアの名称がつきXB-70掩護の役割が想定された。いわれてみると両機種の外観には類似点があり、ジェネラルエレクトリックYJ93エンジンと乗員脱出用カプセルは共通だった。
  7. XF-108では長距離性能とヒューズ製AN/ASG-18レーダーの組合わせが注目され、後者は米国初のパルスドップラーレーダーで広域走査しながら個別目標をロックできるはずだった。
  8. F-108では「遠距離早期警戒(DEW)レーダーの穴を埋める」役目が期待されていたとデニス・ジェンキンスとトニー・ランディスが著作で述べている。「少数機を極地航空基地に展開し、十分な機数を滞空させればレーダー網の穴を埋められたはずだ。F-108は278千平方マイルとテキサス州より広い地域を走査できた」
  9. F-108はファルコン空対空ミサイル三発を搭載する空中レーダー基地になるはずだった。
  10. XF-103は技術の壁の前に破たんしたが、XF-108の場合は予算の壁が立ちふさがったといえる。アイゼンハワー大統領は空軍のF-108調達案(480機)の試算は40億ドル(現在の330億ドルに相当)高すぎると批判した。
  11. だがもっと重要なのは高速高高度飛行可能な迎撃戦闘機の構想そのものが問題になったことだ。1950年代末にICBMが有人爆撃機にかわり米国の脅威になりつつあった。国防予算を巡る論争の中で防空体制整備論は根拠を失った。
  12. XF-108は1959年9月に取り消しとなったが、XF-108の特徴は驚くほど外観が似ているA-5ヴィジランティに継承されたのですべてが消えたわけではない。ヴィジランティは米空母で運用可能な爆撃機として最大の外寸となりヴィエトナム戦で広く使われた。
  13. F-108が就役していれば米国は敏捷性に欠ける超高速大型機多数を運用し、ソ連爆撃機の阻止には(想像だが)有効だったろうがヴィエトナムの戦術用途には全く使いものにならず、操縦性と爆弾搭載量が重視された中で不満足な機体になっていたはずだ。現在の戦闘機各種は速力こそ劣るが、操縦性、センサー、ステルスが優れている。
  14. それでも1950年代にマッハ3戦闘機が出現していたら注目すべき成果(限定はあったはずだが)があらわれていただろう。■
Michael Peck is a contributing writer for the National Interest. He can be found on Twitter and Facebook.
Image: XF-108. Wikimedia Commons/Creative Commons