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2024年5月7日火曜日

歴史に残る艦 カサブランカ級は50隻量産された第二次大戦中の護衛空母

 





海軍史上最も量産された空母クラスがカサブランカ級だ


USS Lunga Point

USS Lunga Point


メリカは現在、11隻の原子力空母で世界的な力を誇示している。だが第二次世界大戦中に空母151隻を保有していたとは考えにくいだろう。

アメリカがそれだけの数の近代的な空母を持っていたら、全世界を相手にすることができただろう。しかし、当時の海戦は大きく異なっていた。第二次世界大戦を戦う米海軍は日本を打ち負かすのに十分な艦船を建造しなければならなかっただけでなく、損失艦を補う必要もあった。

史上最も建造された空母が、カサブランカ級護衛空母(CVE)だった。輸送船団護衛や揚陸攻撃の支援などを目的に、記録的な速さで50隻が建造された。この級は政府のバイヤーやプランナーに人気があった一方で、設計上の妥協が乗組員にとって危険なものとなっていた。

護衛空母の必要性

第二次世界大戦は、航空機が目視範囲を越えて戦うという、近代的な海戦の時代をもたらした。各国海軍は、異なる方法で新しい現実に適応した。アメリカでは、真珠湾攻撃後、戦争間はゆっくりだった移行が一気に加速した。

 空母のおかげで、海軍は戦艦よりも長い距離で戦い、より効果的に偵察し、陸上目標にはるかに深く攻撃することが可能になった。大西洋では、空母搭載機がほぼ無傷で潜水艦を狩ることができた。しかし、空母は建造と運用にコストがかかる一方で、あらゆる場所で必要とされていた。

 幸運なことに、解決策はすでにあった。海軍は、パイロットの訓練や航空機の輸送に使われる比較的小型の「航空機護衛艦」が、非常に特殊な任務に最適であることを発見した。

 フルサイズの艦隊空母より小さく、速度も遅く、回復力も低かった。しかし、それでもほとんどの輸送船団や水陸両用強襲揚陸艦より速く移動し、20~30機の航空機を搭載できた。完全な空母戦闘には不十分だったが、1隻から2隻で大規模な輸送船団を守ったり、海岸攻撃に航空支援を提供したりするには十分だった。

海軍は、航空機護衛艦を補助空母、さらに護衛空母と再指定した。そして、護衛空母カサブランカ級を50隻発注した。

escort carrier being built

Casablanca-class escort carriers fitting out, circa April 1944.


カサブランカ級空母

連合国は戦争中、130隻を護衛空母に改造・建造した。そしてそのうちの50隻が、戦争におけるアメリカ造船の英雄、ヘンリー・J・カイザーが突貫工事で建造したカサブランカ級護衛空母だった。

カイザーは、アメリカのリバティ・シップ輸送艦を急速に建造したことで有名である。しかし1943年1月、彼は政府に1944年までにカサブランカ級を16隻建造すると約束した。そして、「44年までに18隻以上」というスローガンを掲げてそれを上回るよう労働者たちに促し、実際にその大胆な目標を達成した。いったん軌道に乗ると、造船所は1週間に平均ほぼ1隻の護衛空母を海軍に引き渡した。

新型護衛空母は全長512フィート、19ノット航行が可能で、110人の士官と750人の乗組員を擁していた。12機のTBMアベンジャー魚雷爆撃機と16機のFM-2ワイルドキャット戦闘機を標準装備し、最大30機を搭載した。

これは軍事計画と戦争努力にとって大きな恩恵であった。カサブランカ級護衛空母は太平洋全域の水陸両用攻撃で活躍し、ギルバート諸島やマーシャル諸島などの戦いで海軍パイロットを勝利に導いた。

しかし、急ピッチで進められた建造には犠牲も伴った。


護衛空母のリスク


escort carrier

USS Guadalcanal, 1944.


カイザー造船所では、艦船を迅速に建造し就役させるため、プレハブ部品を使用し、通常なら強力なリベットで固定される船体の一部を溶接した。経験豊富な乗組員たちは、しばしば "ベイビー・フラットトップ "を不審に思い、"カイザー・コフィン "などとあだ名した。

CVEという新しい呼称をもじり、"可燃性、脆弱性、消耗品"と呼ぶ乗組員もいた。そして、残念ながらそのとおりだった。

司令官たちは、すべての空母が魅力的な標的であり、護衛空母は特に脆弱であることを承知していた。士官たちは、護衛空母を最も激しい戦闘から遠ざけようとしたが、戦闘の実相は常に想定を超える。

レイテ沖海戦の一部としてのサマール沖海戦では、日本艦隊が16隻のCVEと護衛駆逐艦を擁する小さな機動部隊に先手を打った。駆逐艦と空母パイロットの驚くべき勇気のおかげで、アメリカ艦隊は勝利を収めたが、短時間の交戦で2隻の護衛空母があっという間に沈没した。

カサブランカ級が武器庫に魚雷を受け、1隻の艦で最悪の犠牲者が出た。日本の潜水艦伊-175は、USSリスカム・ベイに魚雷を発射し、艦の薄皮を吹き破って、7万ポンドの爆弾が収納されていた場所で誘爆を引き起こした。別の艦の艦長がそれを目撃した。

「被弾の最初の兆候は明るい閃光で、2、3秒のうちに大爆発が起こり、艦を飲み込むような火の塊がそびえ立ち、周囲を鮮やかに照らした。火柱は数百フィートの高さまで上がり、燃えさかる残骸や破片を乗せて四方から数分間海中に降り注いだ。最初の爆発から約20秒後、2度目の激しい爆発が目撃され、その音も聞こえた......。火の雲が船から上がると、船は燃え盛る残骸となり、船体全体に火が燃え盛っているのが見えた」。(USSミシシッピ艦長の回想) 同艦はわずか23分で沈没し、644人の乗組員を奪った。

そして1945年の硫黄島の戦いでUSSビスマルク・シーが日本軍の神風パイロットに撃沈され、318人の乗組員を道連れに、壊滅的な損失を被った。

第二次世界大戦中、12隻の空母が敵に撃沈された--5隻の艦隊空母、1隻の水上機母艦、6隻の護衛空母である。USSビスマルク・シーの喪失は、敵の攻撃によって米空母が沈んだ最後の出来事だった。

ビスマルク・シーという艦名は、パプアニューギニアで日本軍の増援を阻止し、同島の占領を完全に阻止した1943年のビスマルク海戦にちなむ。

1944年4月の進水当初はアリクラ・ベイと呼ばれていた。艦名に関する規則はその後すぐに変わった。護衛空母はアラスカの湾にちなんで命名されていたが、新方針により、軍事的交戦にちなんで命名されることになった。進水から1カ月後、艦名は「ビスマルク・シー」に変更された。

船乗りの迷信で、船の名前を変えてはいけないという警告が本当なら、それはビスマルク・シーには当てはまらなかった--少なくとも、すぐには当てはまらなかった。同艦は、ミンダナオ島、レイテ島、ルソン島沖でのフィリピン作戦を支援し、3つの戦いの星を獲得した。また、硫黄島に上陸した侵略者の第一陣の移動にも貢献した。

1944年頃、はしけからダグラスSBDドーントレス偵察爆撃機を積み込むビスマルク海。(米海軍歴史遺産司令部)。

同艦は硫黄島で、信じられないほど幸運な2度の神風攻撃によって運命をたどった。1機目は夕方、艦砲が当たらないほど低空を飛んできた。神風は艦の弾薬倉に激突し、弾丸から魚雷に至るまで、武器や弾薬がそこらじゅうにこぼれ落ちた。

飛行機が空母に衝突したとき、エレベーターは上昇中だった。エレベーターは落下し、爆発を起こして操舵不能に陥った。また、夜通し燃え盛る火災も発生した。

最初の飛行機が衝突してから20分後、艦長は艦を放棄する命令を下した。

日が落ちると、燃え盛る空母は魅力的な標的になった。2機目の飛行機が直撃し、乗組員の消火活動は不可能になった。燃料を満載した戦闘機4機を収容していたエリアを直撃し、艦の半分が火の玉と化した。

しかし、惨事はそれだけで終わらなかった。弾薬倉の火災は、兵器を吹き飛ばし、艦は傾き始めた。最初の神風が命中してから2時間後、艦は318人を道連れに沈没していった。推定605人が海中で救助された。

第二次世界大戦中に空母が撃沈されたのはこれが最後であり、アメリカの就役空母が敵の攻撃によって撃沈されたのもこれが最後である。■

この投稿は以下のWe are the Mighty/Military.com の記事から構成しました。

This was the most popular carrier class in Naval history

ByLogan Nye

Jun 15, 2023 7:04 AM PDT

https://www.wearethemighty.com/tactical/most-popular-naval-aircraft-escort-carrier/


The USS Bismarck Sea Was the Last Commissioned US Aircraft Carrier Sunk by an Enemy

Military.com | By Blake Stilwell

Published February 18, 2021

https://www.military.com/history/uss-bismarck-sea-was-last-commissioned-us-aircraft-carrier-sunk-enemy.html



2022年6月17日金曜日

「はつゆき」級汎用駆逐艦11隻が並走する光景に圧巻された....冷戦時に量産された同級も今は全艦退役......

歴史に残る艦 はつゆき級汎用駆逐艦

Hatsuyuki class

Japan MoD

上自衛隊が公式Twitterアカウントで公開したスナップショットに、これまでに建造された「はつゆき」級駆逐艦12隻のうち11隻が堂々と並走する光景が収められている。よく見ると船体番号順に並んでいる。

最古参のDD-122が写っていることから、退役した2010年以前の撮影と思われる。つまり、この画像が10年以上前に撮影されたことを示し、正確な日付はわからないものの、写真は称賛された同級駆逐艦が海で過ごした時間を視覚的に思い出させてくれる。

「はつゆき」級が海上自衛隊の第一世代「汎用護衛艦」であることを考えると、技術面で記念すべき艦であるのは間違いない。

日立造船や三菱重工業など複数メーカーが建造した「はつゆき」級は、日本で初めて対空・対潜能力を兼ね備えた汎用護衛艦(DD)の指定を受けた。はつゆき級の登場前の海上自衛隊駆逐艦は、対空型がDDA、対潜型がDDKと指定されていた。

はつゆき級は、最盛期には12隻で構成され、船体番号はDD-122からDD-133まであった。はつゆきは1979年に起工、翌年進水し、1982年に就役した。その後、建造は急拡大し、残り11隻もすべて1980年代末に就役した。

JSはつゆき (DD-122). Wikimedia Commons

全長約426フィート、平均排水量約3,000トンで、DD-129からDD-133までは、最初の7隻で使われたアルミニウム合金ではなく、鋼鉄で建造されたため、重量が増えた。また、はつゆきは海上自衛隊の駆逐艦として初めて、巡航用の川崎ロールス・ロイス製タインRM1Cガスタービン2基と、最大速度30ノットを達成するためのより強力な川崎ロールス・ロイス製オリンパスTM3Bガスタービン2基からなる複合ガス推進システムを採用した艦種だ。

冷戦時に日本は海上自衛隊の駆逐艦の見直しを行い、1970年代の敵対国の技術進歩に対応するため追加整備が必要という結論を出した。例えば、ソ連が潜水艦や対艦ミサイルを強化したことで、日本は海軍のプレゼンスを最適化する必要に迫られた。これは、各隊をヘリコプター搭載駆逐艦(DDH)1隻、誘導弾搭載駆逐艦(DDG)2隻、そして新たに構想された汎用駆逐艦5隻で構成し、充実した海上防衛を行うというものであった。

 

JS はるゆき (DD-128). Wikimedia Commons

はつゆき級は、日本製の火器管制システムFCS-2を使用したシースパローミサイルシステムを海上自衛隊で初めて搭載し、船尾のボックスランチャーに設置した。はつゆき級はシースパローのほか、OTOメララ製の76mm艦砲、ゼネラルダイナミクス製の20mmポイントディフェンス兵器ファランクス2基、ボーイング製の対艦ミサイルハープーンを搭載した。さらに、RUR-5対潜ロケット8基と発射台、Mk-46魚雷用のHOS-301三連装魚雷発射管2基を搭載した。

しかし、2010年に予算の関係で、「はつゆき」は最初に退役することになった。その後、2016年までに6隻も退役し、2020年から2021年に5隻も退役した。日本は過去20年間で水上戦闘艦部隊を劇的に改良し、「はつゆき」級は能力的にはるかに劣る存在となってしまった。

JSさわゆき(DD-125). ミサイル発射管が舷側に見える. Wikimedia Commons

だがそれではつゆき級が全て消えたわけではない。1999年から2016年まで4隻が練習艦として再利用されたからだ。

はつゆき級すべてが戦闘任務に就いていたわけではなく、ごく一部の艦艇が訓練任務に就いたことを考えると、この写真は後にDD-133を除く艦隊の最後の集会の記録となるのかもしれない。いずれにせよ、見ごたえのある写真であることは間違いない。■


This Shot Of 11 Japanese Hatsuyuki-Class Destroyers Is Damn Impressive


BYEMMA HELFRICH JUN 16, 2022 8:26 PM

THE WAR ZONE

Contact the author: Emma@thewarzone.com


2021年4月27日火曜日

歴史に残る艦(4) USSレキシントン、珊瑚海海戦で戦没したが、現在の超大型空母の出発点となる艦だった。

 

歴史に残る艦(4)USSレキシントンは今日のスーパー空母の祖先だ

 

 

2018年3月4日、慈善家ポール・アレンの資金援助で空母USSレキシントンの痛々しい姿が珊瑚海の深度2マイルで発見された。初の艦隊型航空母艦として米海軍に就航したレイディ・レックスは史上初の空母対空母対決で撃破され、海底の墓地に76年もの長きにわたり眠っていた。

 

独立戦争諸端のレキシントン会戦にちなむ米海軍軍艦として5番目の艦がUSSレキシントンだった。姉妹艦サラトガとともに巡洋戦艦として企画された。しかしながら、建造は第一次大戦で遅れ、さらに1922年のワシントン海軍条約の制限対象となった。

 

当時建造は四分の一程度進展していたが、米海軍は廃艦せず、二隻を空母に改装することとした。費用は各艦28百万ドルについた。当時生まれたばかりの空母は第一次大戦中にめぼしい活躍がなく、条約では各国は排水量33千トン以下の空母を二隻まで保有できた。

 

米海軍は初の空母USSラングレイ(排水量14千トン、給油艦を改装)で空母運用を経験済みで、レキシントン、サラトガはこれに対し全長270メートル、36千トン(条約違反である)と相当大きな艦容で、「アイランド」上部構造を導入し、艦橋と航空機管制塔機能を一つにまとめ、今日に続く形状の先駆けとなった。海軍二番目の空母としてCV-2の艦番号がつき、偵察、爆撃、雷撃、戦闘の各飛行隊VS、VB、VT、VFを搭載した。

 

レキシントンの鉱区格納庫は3平方キロの広さがあり、当時最大の広さを誇り、80機から110機の航空機をエレベーター2基で移動させた。飛行甲板には拘束ワイヤーを巡らせ、機体着艦時に利用した。同艦は「耐雷撃装備」を特徴とし、膨大な量の航空燃料が爆発しないように区画を隔離していた。

 

「グレイレイディ」と呼ばれた同艦には巡洋戦艦の名残も残り、装甲帯には7インチの厚さがあり、対艦攻撃には8インチ砲連装が4門あったが、射撃で飛行甲板に影響が出る恐れがあった。さらに5インチ対空砲で補強し、機関銃多数を備えた。

 

レキシントン、サラトガ両艦は1927年就役し、太平洋で演習に動員された。その時点で空母が実戦に投入された事例はなく、海軍は三隻そろった空母の使い道を模索していた。ここから偵察機を順次発艦させ、連続で行う戦闘航空哨戒(CAP)の概念が生まれ、敵偵察機を排除し、敵空母の位置をつかみ、これを撃破する作戦につながった。レキシントンの艦載機は少なくとも三回にわたり真珠湾を「奇襲」した。演習の教訓が生かされなかったのは明白だ。

 

演習の合間にレキシントンはターボ電気発電機能でワシントン州タコマに一カ月にわたり給電した。同市は干ばつで水力発電が使えなくなっていた。また、1931年に地震被害を受けたニカラグアへ物資輸送した。さらに、洋上燃料補給実験にも使われ、これが第二次大戦中で広く用いられた。

 

サイエンスフィクションの巨匠ロバート・ハインライン(スターシップトルーパーズ、異星の客等)はレイディレックスに通信士官として勤務し、艦内コンテストで短編小説を書いたが選外となった。若い少尉として艦長アーネスト・キングの娘とデートした。キングは大戦中に海軍作戦部長をつとめた。

 

大戦初期の運用実態

 

日本が真珠湾奇襲を実行した際にはその他米空母と同じく被害を免れた。フレデリック・シャーマン艦長の指揮下でウェイク島守備隊援護を試みたが同島はその前に陥落し、同艦は日本潜水艦との遭遇を警戒していたのが1942年1月の状況だった。

 

大戦勃発時のレキシントン艦載航空部隊はとても最強と言えない陣容で、時代遅れの機体のF2Aバッファロー戦闘機(海兵隊パイロットは「空飛ぶ棺桶」と呼称)、不運の三人乗りTBDディヴァステイター雷撃器は時速206マイルの低速で敵機や火砲の絶好の標的となり、装甲も薄く、勝ち目のない機材だった。

 

とはいえ、二人乗りSBDドーントレス急降下爆撃機隊は良好な戦績を残した。装甲貫徹1000ポンド爆弾を急降下中に比較的正確に投下できた。同機も250マイルと低速だったが、敏捷性を生かし、緊急時には防空任務にも投入された。

 

レキシントンは間もなくバッファローをグラマンF4Fワイルドキャットに交代させた。同機は330マイルの最高速度を誇った。ずんぐり形状で青色塗装の同機は敵のA6Mゼロ戦闘機より機敏性、速力で劣ったものの装甲と降下速度を生かし奮戦できた。

 

さらに真珠湾攻撃五カ月前に第一世代レーダー装備CXAM-1が搭載され、ワイルドキャット隊を助けた。50から100マイルを走査し、海上目標の探知は12マイル有効だった。同レーダーにより米空母部隊は敵襲を直前で警戒できた。

 

1942年2月にレキシントンはニューブリテン島ラバウルの日本軍基地攻略に出撃した。日本飛行艇に発見されたため奇襲攻撃は失敗した。戦闘機隊が飛行艇2機を撃墜したものの、海上位置を通報された。シャーマン艦長は攻撃を断念し、そのまま洋上にとどまり、日本機をひきつけ、これを撃破する作戦に変更した。これは危険な賭けで、敵機がレキシントンCAPを潜り抜ければ、初の喪失空母になるおそれもあった。

 

実際にレキシントンのレーダーはG4Mベティ双発爆撃機(一式陸攻)の9機(第四航空隊所属)が西から接近するのを4:25p.m.に探知した。慌ててワイルドキャット隊19機さらにSBDまで動員し発艦させ迎撃させた。

 

迎撃隊が空戦を展開する中、15分後にさらにベティ8機がレーダーでわずか12マイル東方に探知された。発艦可能なワイルドキャットはわずか2機、しかもうち一機の機関銃はすぐに詰まってしまった。

 

残るワイルドキャットはエドワード・「ブッチ」・オヘア大尉が操縦し、劇的な成果を上げた。オヘアは三機を撃墜し、三機を損傷させた。これだけの戦果をオヘアは.50口径450発で達成した。

 

それでも残るG4M隊は必死にジグザク航行するレキシントンに爆弾投下したが一発も命中しない。一機は体当たり攻撃まで試みたがこれも成功しなかった。帰投できたG4Mは3機のみで、ワイルドキャットに2機喪失が発生した。オヘアに名誉勲章が授与され、ワイルドキャットのメーカー、グラマンからはタバコ数千箱が贈られた。自身は1943年にG4Mとの夜間空戦で友軍の誤射を受け撃墜されたが、1949年にその名がシカゴ空港につけられた。オヘア国際空港である。レキシントンは日本軍偵察機を振り切り、3月10日に攻撃隊を発艦させ、パプアニューギニア沖で日本軍輸送艦3隻を撃破した。

 

16日後、同艦は真珠湾に戻り、8インチ砲を撤去し、代りに高速射撃可能な対空砲を搭載した。ついに海軍も大型砲よりも遠隔地を攻撃可能な航空隊を運用し、航空機で艦を防御する方が重要と理解するに至った。

 

直後の5月にレキシントンは初の空母対空母の対決となった珊瑚海海戦で没することになったのである。■

 

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Meet the USS Lexington: America's Original Supercarrier

by Sebastien Roblin

 

April 26, 2021  Topic: Aircraft Carriers  Region: Americas  Blog Brand: The Reboot  Tags: LexingtonCarrierAircraft CarrierU.S. NavyWorld War IIFighterJapanMilitaryTechnology

 

Sébastien Roblin holds a Master’s Degree in Conflict Resolution from Georgetown University and served as a university instructor for the Peace Corps in China. He has also worked in education, editing, and refugee resettlement in France and the United States. He currently writes on security and military history for War Is Boring.


2021年3月25日木曜日

歴史に残る艦(3)ロサンジェルス級攻撃型原子力潜水艦は冷戦の兵士として大量建造され、今も現役の高コスパの大型潜水艦となった。

歴史に残る艦(3)

 

 

サンジェルス級攻撃型原子力潜水艦は冷戦期で最も成功した米潜水艦だ。62隻建造され、第二次大戦時のガトー級を除き最多となった。高速で重武装のロサンジェルス級はヴァージニア級攻撃型潜水艦に徐々に交代しつつある。

 

ロサンジェルス級は688級としても知られ、1970年代初期の設計だ。一号艦がロサンジェルス(SSN-688)で1976年起工された。冷戦時ということで年間3隻から5隻のペースで建造され、現在のヴァージニア級の年間2隻を上回った。建造は1992年まで続いた。建造期間が20年に及び、各種システムで変更が生まれた。推進系、艦首・曳航式のソナー、艦体素材で当時の最新技術を導入した。

 

 

全長360フィート、潜航時排水量6,927トンのロサンジェルス級は前のスタージョン級に比べ2割長く、排水量は5割増えた。速力も増したといわれる。スタージョン級が潜航時26ノットだったが、ロサンジェルス級は37ノットといわれる。

 

ロサンジェルス級の艦体にはHY-80鋼を使い、艦首はガラス補強のプラスチックがソナーアレイを覆った。公式には650フィートまで潜航可能とあるが、実用最大深度は950フィートとする資料がある。緊急時の最大深度は1,475フィートといわれる。

 

ロサンジェルス級潜水艦はスキップジャック級以来の涙滴型艦形で、セイルに潜舵につけた。後期の23隻では潜舵を艦首に移し、セイル構造を強化し北極海の氷を破る浮上が可能となったのは、ソ連のタイフーン級弾道ミサイル潜水艦が北極海運用を前提にしていたための対抗策だろう。

 

Combat Fleets of the Worldによればジェネラルエレクトリック製S6G加圧水型原子炉が搭載され、蒸気タービン二基を駆動する。原子炉は35千軸馬力を発生し、7枚羽プロペラー1基を回転する。最後期の建造艦ではポンプジェットに切り替えた。ディーゼル発電機とバッテリーを非常用推進に使う。

 

センサー装備はBQQ-5ソナーが中心で、建造時期によりBQQ-5A(V)1、BQQ-5C、BQQ-5Dに変更された。後者はシーウルフ級にも採用されている。艦側面はパッシブソナー探知が可能だ。曳航式ソナーも搭載し、なかでもTB-29細線曳航アレイが最新装備だ。艦尾から曳航ソナーを展開するほか、7セル方式の対抗装置MK 2音響装備を放出する。

 

攻撃手段は533ミリ魚雷発射管4門で、これは全艦共通だ。発射管は艦中央部に配置され、艦首はソナーアレイにあてている。各艦で26発の発射管運用兵装を搭載し、冷戦真っただ中にはMk.48ホーミング魚雷のほか、トマホーク巡航ミサイル、ハープーン対艦ミサイル、CAPTOR機雷を搭載した。最終建造分の23隻には垂直発射管12本が搭載され、トマホークミサイルを運用する。このコンセプトはヴァージニア級に引き継がれ、発射管は20本に増強されている。

 

これまでの水中、水上目標の攻撃に加え、ロサンジェルス級では特殊作戦での運用も想定された。一部艦にドライドックシェルター装備が追加され、潜水移動機を格納し、SEAL隊員20名までと戦闘用ゴム舟艇4基を搭載した。この任務はオハイオ級巡航ミサイル潜水艦とシーウルフ級のUSSジミー・カーターが引き継いでいる。

 

潜水艦に情報収集任務が長く期待されてきたが、1990年代以降の米潜水艦部隊は陸軍用語の「戦場情報準備」を使うようになり、地上戦支援で情報収集にあたった。水中に対抗する敵がいない場合は米潜水艦は敵国の沿岸にとどまり、電子データを集め、偵察行動を行った。ロサンジェルス級はこの任務で先頭に立ち、なかでもUSSアナポリスには写真撮影用マストが追加され、カメラ数台を収めた。

 

ロサンジェルス級62隻のうち、初期建造艦から退役が1995年に始まり、供用期間が17年と短期に終わった艦が出たのは、費用がかかる核燃料再充填を避けるためだったが、その時点でも同級の建造は終了していなかった。現在も38隻が現役で残る。シーウルフ級が北極海の深度潜航作戦に投入される意図で建造されたが、1990年代の「平和の配当」の中で費用超過のため3隻の建造で終わってしまった。そこで688級の真の後継艦はヴァージニア級になり、現在も建造が継続中だ。■

 

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Los Angeles Class Attack Submarine: The U.S. Navy's Best Ever?

March 16, 2021  Topic: Submarines  Blog Brand: The Reboot  Tags: SubmarinesMilitaryTechnologyWorldRussiaUSSR

Could it be the best of all time?

by Kyle Mizokami

 

Kyle Mizokami is a defense and national security writer based in San Francisco who has appeared in the Diplomat, Foreign Policy, War is Boring and the Daily Beast. In 2009 he cofounded the defense and security blog Japan Security Watch. You can follow him on Twitter: @KyleMizokami