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2023年7月1日土曜日

ロッキードが極秘開発中のSR-72が姿を表す日が近づいてきた----ステルス極超音速大型機が航空機の概念を変える

 

SR-72. Image Credit: Lockheed Martin.


ロッキード・マーチンのSR-72「ブラックバードの息子」計画が実現すると判明する日が来るのだろうか



SR-72は、極超音速兵器含む投射物を運用する大型プラットフォームで極超音速に到達し維持する能力で極超音速飛行技術の新時代を切り開く野心的で驚異のコンセプトだ。有人または無人の大型完全極超音速偵察機は、極超音速飛行に関しては多くの課題があることから、おそらく驚異的な開発となる。 「境界層現象」のような複雑な気流と、前例のない高温で極超音速飛行を維持する熱管理はともに空軍の兵器開発者に大規模な焦点となっている。


SR-72の噂

史上最速の空気取り入れ型有人機として、SR-71偵察機は、国防総省で重要な役割を果たした、洗練された外観の高高度ステルス機として、航空史のあらゆる記録に永遠にその名を刻んでいる。

 1998年を最後に何度か退役したこの機体は、1960年代まで遡る。同機開発は、低視認性プラットフォームの構築を考えていたエンジニアたちが、早くから洗練されていたことを示唆している。

 ロッキード・マーチンの有名なスカンク・ワークス部門によって考案され、製造された同機は、時代を間違いなく先取りしていた。

 SR-71の機体は、鋭角のない丸みを帯びた胴体とわずかに湾曲した主翼のフォルムで、確かにステルスに見える。1964年に初飛行したこの航空機は、ロッキード・マーチンのエッセイ「ブラックバードの創造」によると、印象的なテクノロジー数点を備えている。同機のスペックには、マッハ3で飛行し、高度85,000フィートに達することができると記載がある。2006年に放送されたPBSドキュメンタリー番組では、歴史的なブラックバードはその比類なきスピードは地上のレーダーや防空網を凌駕したと説明されている。

 ブラックバードの乗員は2名で、高高度監視任務のためパイロットと偵察担当官が搭乗した。軍用機として活躍した後、ブラックバードは90年代後半まで長年NASAを支えた。『ビジネス・タイムズ』の興味深いエッセイでは、ブラックバードの任務は最終的に無人機や人工衛星に受け継がれたと説明している。


SR-72がまもなく登場?

しかし、ブラックバードのコンセプトは生き続けており、この有名なスパイ機の最も永続的な遺産は、その後継機である極超音速のSR-72の設計に現在急ピッチで進められている取り組みにインスピレーションを与えたことかもしれない。

 ロッキード論文によれば、「ブラックバードの息子」と呼ばれる新型機は2025年までに空を飛ぶ予定だという。極超音速飛行の可能性を可能にし、1960年代のブラックバードの登場以来数十年にわたる技術的ブレイクスルーを活用することを考えれば、ブラックバード後続機が無人であることは理にかなっている。

 1960年代のブラックバードのマッハ3という驚異的な速度が、その後続機のための舞台を整えたことは理にかなっている。極超音速のブラックバードの後継機であるSR-72が極超音速と認定されるには、単にマッハ5かそれ以上の速度まで伸ばす必要があるからだ。興味深いことに、オリジナルのブラックバードが純粋なスピードで防空を回避したのと同じように、極超音速弾は追尾が特に難しい。兵器やドローンのような物体は、あるレーダーの開口部や「視野」から別の開口部へと高速で移動するため、防衛側は「連続的な」軌道を確立できず、照準を合わられなくなる。

 極超音速ドローンの夜明けは、まさにパラダイムを変える画期的な出来事で、何年も前から空軍の科学者たちが予期していたことだった。元空軍主任科学者のグレゴリー・ザカリアスは数年前、極超音速の開発を階段状に進めることを想定しているとウォリアーに語っていた。約10年前だが、彼は2020年代に極超音速兵器が登場し、2030年代には極超音速ドローンが、2040年代には回収可能な極超音速ドローンが登場すると語っていた。

 ロッキードが2025年までに極超音速ドローンの製造に成功すれば、ザカリアスの予測を先取りすることになる。極超音速ドローンが、空戦と高高度偵察の戦術的方程式を根本的に変える可能性があることは想像に難くない。純粋なスピードで防空能力を凌駕し、前例のないスピードとスタンドオフ距離で前方偵察により敏感で危険性の高い地域を一網打尽にする能力は、確かにまだ存在しない優位性を提供する。ドローンが衛星、有人航空機、さらに地上管制ステーションとネットワーク化されている場合は特にそうだ。


未来はほぼ今...

SR-72の進歩は、熱管理の進歩により、ドローンのような大型プラットフォームが極超音速を長時間維持することを可能にする画期的技術と関係があるのかもしれない。極超音速飛行を実現する主な課題として、極超音速で発生する「熱」に耐え、発射体を取り囲む「境界層」すなわち気流を効果的に管理する能力がある。

 層流または「滑らかな」気流は、極超音速弾丸が目標までの軌道を確実に維持できるのに対し、分子が素早く移動する「乱流」境界層は、極超音速兵器をコースから外す可能性がある。プラットフォームが大きくなり、搭載ペイロードが増えれば増えるほど、空力的な課題と熱の課題を管理するのは難しくなる。

 熱管理、複合材料、冷却技術の分野でブレイクスルーがあり、ドローンなど大型プラットフォームが極超音速飛行を持続する日がくるかもしれない。■



Massive Breakthrough: Manned & Unmanned SR-72 "Hypersonic" Spy Plane by 2025 - Warrior Maven: Center for Military Modernization


by Kris Osborn, President, Center for Military Modernization


Kris Osborn is the Military Affairs Editor of 19FortyFive and President of Warrior Maven – Center for Military Modernization. Osborn previously served at the Pentagon as a Highly Qualified Expert with the Office of the Assistant Secretary of the Army—Acquisition, Logistics & Technology. Osborn has also worked as an anchor and on-air military specialist at national TV networks. He has appeared as a guest military expert on Fox News, MSNBC, The Military Channel, and The History Channel. He also has a Masters Degree in Comparative Literature from Columbia University.


2020年3月23日月曜日

SR-72登場の前に極超音速機の概念、歴史をおさらいしておく

SR-72ですが、いつ姿を表すのでしょうか。また極超音速機を爆撃機に転用する構想が実現するのでしょうか。いずれ明らかになるでしょう。その前に、極超音速機の系譜をたどってみましょう。

実ではないが、SR-72は成功作SR-71、さらにその先達の流れを汲んでいる可能性があり、完成すれば世界最速の機材になる。
青天の霹靂という表現がぴったりだったのは、ロッキード・マーティンのスカンクワークスがSR-71の後継機を発表したときのことだ。名機と呼ばれるマッハ3飛行のSR-71偵察機は計算尺で設計された機体ですでに退役している。
発表されたSR-72はマッハ6とSR-71の2倍で飛行し、空気取入口を通過する空流の速度がSR-71の速度と等しくなるほどの高速機だ。
そのSR-72の実証機材は2017年7月に完成していたと言われる。
Aviation Weekによればスカンクワークスは高温高出力域でターボジェットを運転する方法を開発し、まずマッハ2.5に加速する。ラムジェット-スクラムジェットがこの後を担当し、作動にはマッハ3以上が必要だ。ロッキード・マーティンは解決方法を得たというが、内容は述べていない。
ターボジェットはブレイド多数を回転して入ってくる空気を圧縮加熱してから点火しガスを排出する機構だ。ラムジェットはもともと高速なので空気自体が高温高圧になっており燃料と点火できる。スクラムジェットとは「超音速燃焼ラムジェット」の略で入ってくる気流が超音速で移動している。
極超音速中はソニックブームは発生しないが、機体前縁を通過する気流が高速となり溶鉱炉と同じ温度まで加熱される。
SR-71でも飛行中の空気との摩擦のため地上で機体パネルの接着が緩んでいても飛行中に膨張していた。
マッハ5超の極超音速飛行の可能性がこれまで70年に渡る研究の原動力であった。ナチが新兵器として実用化を狙っていた他、想像力を刺激してきた。

ジルバーフォーゲル構想 
オイゲン・ゼンガーは時速数千マイルの航空機構想に博士論文で初めて取り組んだ。1933年のことである。ロケットエンジンの冷却用に低温燃料を再循環させる画期的な発想に注目したのがヒトラー政権だった。ヴェルナー・フォン・ブラウンと並びゼンガーも第三帝国の軍事力整備を求められた。
フォン・ブラウンのV-2弾道ミサイルは超音速兵器となり、ロンドンやアントワープの市民に事前警告の余裕はなかった。ゼンガーのジルバーフォーゲル(銀鳥)が実現していればニューヨークやシカゴなども破壊されていたかもしれない。
この銀鳥は対蹠点爆撃機とも呼ばれ、奇抜な発想をひとつにまとめ、その後も長く記憶に残った。ドイツ航空省が試作機製作に踏み切れなかった理由もそこにあった。ナチのスペースプレーン最終形は全長91フィートのリフティングボディで推力100トンのロケットモーターに液体酸素と燃料を併用するというものだった。
全長2.5マイルの巨大モノレール軌道上のそりにロケットを載せ、パイロット1名のみ搭乗する爆撃機はマッハ2で離昇してから銀鳥自体のロケットを点火し高度70マイルでマッハ19に加速する。
どこかで聞いた話と思った方がいるのではないか。実はこの構想は1950年代のSF映画『地球最後の日』で採用された。
機体は高高度で加速してから大気圏に戻り、その後再び大気圏外に戻る。ゼンガーたちは銀鳥の飛翔距離を14千マイルと試算し、滑空しながら遠距離地点を爆撃できるとした。
ただその後出た計算結果を見ると、銀鳥が飛行すればスペースシャトル・コロンビアの事故と同じ運命に見舞われたはずだ。
銀鳥の任務は戦略爆撃とテロ活動の組み合わせだった。4トン爆弾一発で相当の威力があるが、米本土が突然爆撃を受けるとなれば心理的な影響も大きい。当時は標的にアルミ精錬所や航空機工場を想定していた。
だがゲーリングの航空省はゼンガー構想を相手にせず米本土攻撃には別の構想を優先した。ヨシフ・スターリンが同構想を戦後に検討し、NKVDにゼンガーたちの拉致を命じたが、失敗した。
極超音速飛行技術の出発点はヒトラー時代にあったのだ。

ライトスタッフ
米国でもマッハ5超の飛行実現にむけチャック・イェーガー少佐がまず音速の壁に挑んだ。
1950年代にX-15で極超音速飛行にむけ設計、素材、手順に取り組んだ。1960年代のX-15パイロットはマッハ6で宇宙空間に向け飛行していた。だがトム・ウルフがライトスタッフで叙情たっぷりに記述したようにX-15の有人飛行型式はマーキュリー、ジェミニ、アポロのカプセルに道を譲った。
ただ米空軍も半世紀前にX-20ダイナソアで極超音速飛行を実現する手前まで行った。銀鳥に加え、その後のスペースシャトルやSR-72につながる系譜である。タイタンミサイルで宇宙に打ち上げ、宇宙カプセルに似た軌道を飛行し、戦闘機の様に着陸するX-20は銀鳥の夢を実現するはずだったが、ロバート・マクナマラ国防長官により打ち切りとなった。
スペースシャトル開発はX-20の研究成果を利用した。今日ではそのスペースシャトルも引退しているが、極超音速飛行機で世界で最も知られている存在だ。シャトルはマッハ23で宇宙空間に飛び、帰還時には「翼のついたレンガ」のように降下飛行した。
シャトルの大気圏再突入時には超高温の処理が必要となり、SR-72も同様だろう。表面にわずかな亀裂があれば機体や乗員を喪失しかねない。
米国での最新の極超音速研究では迅速長距離打撃兵器体系として空中、海上、海中からペイロードを発射してからロケット推進で巡航速度まで加速する方法に焦点を当てている。
スペースXのファルコン1ロケットも極超音速ペイロード打ち上げ手段として予算を投入して実現したものだ。
そこで、SR-72の登場だ。ロッキード・マーティンが製造に成功すれば、全く違う飛行形態になる。通常の滑走路を離陸着陸し、弾丸より早く、しかも経済負担可能な範囲で飛行する技術は急速に世界に普及するだろう。V-22オスプレイの投入でイラクはロードアイラインド州ほどの移動範囲に縮小された。SR-72ならインド太平洋はカリフォーニア州の大きさに縮むのではないか。■

この記事は以下を再構成したものです。

The Air Force Might Be Getting a Mach 3 SR-72 Bomber

That would be amazing.
March 20, 2020  Topic: Technology  Region: Americas  Blog Brand: The Buzz  Tags: SR-72MilitaryTechnologyWorldU.S.SR-71 BlackbirdAir Force

2019年7月21日日曜日

エリア51はこうして生まれた


The Crazy True Origin Story of Area 51 (And Why People Think UFOs Are There) エリア51誕生の真説 

July 20, 2019  Topic: Security  Blog Brand: The Buzz  Tags: Area 51AliensUFOsSR-71 BlackbirdSecret Aircraft


リア51は米空軍の極秘テスト施設でネヴァダ州南部の砂漠地帯にあり、インターネット上の情報のせいで一般の関心を集めている。
「ドリームランド」とか「グームレイク」とも呼ばれ60年に渡り同基地がペンタゴンもその存在を公表していない「ブラックプロジェクト」全機を受入れてきたことは間違いない。
CIAが2013年にエリア51の存在を認めたが、発足の経緯を説明したい。
民間施設がアイゼンハワー時代にトップ・シークレットスパイ機テストに供された
1950年代初頭に米国はソ連の各弾道ミサイル開発に極度の関心を指名していた。スパイ衛星はまだ実用化されておらず、確実に現場をスパイする方法は上空飛行で大型カメラを撮影することだけであった。だがソ連の防空体制にはジェット迎撃機も加わり通常の偵察機による飛行ではリスクが高まった。
このためロッキードの技術者ケリー・ジョンソンからグライダー状のスパイ機を70千フィート以上の高空をさせる構想が出た。これもソ連領空を非合法に侵犯することになるが撃墜されないはずだった。実際ソ連はスパイ機の飛行を実証できなかった。
1954年11月にアイゼンハワー大統領はU-2開発を「プロジェクトアクアトーン」の名称で承認しCIAによる運用を想定した。機体はロッキードのスカンクワークスで組み立てたがスパイ機であり目立たない場所でテストの必要があった。
ジョンソンはロッキード社のテストパイロット、トニー・ルヴィエに秘密を守れる飛行場を検索させた。ルヴィエはスカンクワークスのあるカリフォーニア州パームデールからビーチクラフト・ボナンザ軽飛行機を操縦して場所探しに出かけた。アリゾナ、カリフォーニア、ネヴァダ各州で二週間以上探したものの十分なまでに遠隔地と呼べる地点が見つからない。
だが空軍連絡将校オズモンド・リトランド大佐が大戦中に砲兵隊陣地に使われていた放棄されたX字型着陸帯を思い出した。
CIAのリチャード・ビッセル、ルヴィエ、ジョンソンは現地ヘ飛び、着陸帯を検分した。現地はネヴァダ州の乾燥塩湖グルームレイクに隣接していた。ビッセルは同地を「天然の着陸帯として最適....ビリヤード台のように真っ平らで追加工事が不要」と述べていた。ジョンソンは「ここに決めよう。ここへハンガーを作る」と述べた。
CLJという偽の民間企業がロッキードにより発足し施設建設の請負企業を募集したのは1955年のことで総費用は800千ドルだった。
荒涼たる同地は欺瞞対策で「パラダイス牧場」の名称がつき、1マイル近くの滑走路、ハンガー二箇所、管制塔、燃料水貯蔵タンク、アクセス道路、現地人員用トレイラー住宅が建設された。ルヴィエ自身がデブリや使用済み薬莢を取り除き離着陸の安全を確保した。
1955年7月24日、試作型U-2は分解されC-124グローブマスター輸送機により「牧場」へ運ばれた。着陸に際してはタイヤの空気圧を下げてタイヤ破損を防いだ。
ルヴィエは早速同機をタキシーテストし、時速80マイルで長い主翼が20フィートまで機体を浮かした。機体は四分の一マイル飛び、湖底に着地させたがタイヤがバーストし発火した。
U-2はその後テスト飛行を順調にこなし、CIAパイロットがソ連上空のスパイ飛行に使った。
民間機パイロットや航空管制官が不可能なはずの高度を飛ぶU-2に気づいた。空軍は真実を語れず、気象現象でごまかした。だが陰謀説を生むことになった。

ブラックバードの系譜、A-12、D-21、SR-71
ソ連のS-75地対空ミサイルがゲイリー・パウワーズ操縦のU-2を1960年に撃墜し、パイロットが諜報活動を自白すると、高度だけでは防御しきれないことが判明した。ケリー・ジョンソンはすでに1958年時点でこの脆弱性を認識しており、新型スパイ機構想づくりを始めていた。行動度にマッハ3超の高速を持続し、レーダー探知を逃れれば迎撃されることはないはずだ。
CIAとロッキードの「ブラックプロジェクト」には「プロジェクト・オックスカート」のコードネームが付き、未来的な形状のA-12単座スパイ機が生まれた。これをもとに知名度が高い(かつ機密解除された)複座SR-71ブラックバードが生まれ、同機は米空軍が運用した。
同時にグルームレイク施設には「エリア51」の呼称が付き、さらに施設を拡充し超音速機のテスト用に使われた。ハンガーの追加、滑走路を10千フィートに延長し、着陸帯を十分確保し、人員向けに130戸住宅をつくり、高温に耐えるJP-7貯蔵施設はA-12用に建設された。
A-12の第一陣は1962年に飛来し、一時的除隊手続きの軍パイロットもCIAによる雇用の形で加わった。ホワイトハウスはA-12をソ連上空飛行に投入しなかったがヴィエトナムと北朝鮮上空には合計32回のミッションをプロジェクトブラックシールドとしてSR-71に交代するまで行った。空軍のSR-71には速報監視カメラがつき敵地上空飛行の必要がなかった。 
ロッキードはスパイ無人機D-21も開発し、ブラックバードを小型化した単発機となり、ブラックバードを改装した母機M-21から運用した。そのD-21の一機がM-21と空中衝突し乗員は機外脱出したものの溺死し、ジョンソンはM-21開発を中止した。
だがCIAはD-21をB-52爆撃機から発進させ中国の核実験場をスパイした。同無人機のミッション5回ではいずれも写真画像の回収に失敗している。

ステルス機の生誕地
A-12及びブラックバードのステルス特性は限定的だったが、1970年代に入り空軍はレーダー探知特性が低い機体を戦闘任務に投入することに関心を示した。
1977年にスカンクワークスが新型コンピュータモデリング技術を導入し、2機のダイヤモンド形状の角ばった表面にレーダー吸収用の鉄ボール塗装を施した機体を作成した。これが「ハブブルー」で分解されエリア51にC-5で搬送され再組み立てされた。
ハブブルー各機のレーダー断面積は大幅に減ったものの機体は空力学上で非常に不安定で両機は1979年に墜落してしまう。
ロッキードはハブブルーからF-117ナイトホーク攻撃機を開発し、コンピュータ制御のフライバイワイヤで機体の不安定さを補正した。YF-117試作機もやはり初飛行はグルームレイクで1981年6月17日に実施した。製造型のF-117はまずエリア51に集結し、近隣のトノパ試験場に派遣された。
ペンタゴンはステルス機の存在を1983年に認めたもののF-117をとりまく機密はそのままとし一般大衆がナイトホークの実際の姿を見ることはなく、制式呼称も秘密のままだった。(当時はF-19と言われていた)最終的に公開されたのは1988年のことである。
ノースロップもタシットブルー実証機(「クジラ」あるいは『エイリアンのスクールバス」と得意な外観から呼ばれた)でステルス技術を発展させた。同機の初飛行はやはりグルームレイクで1982年2月のことである。同機は135回のテスト飛行を実施し1985年に用途廃止となった。
ステルス偵察機として構想のタシットブルーはコンピュータ技術を応用した曲面処理技術に道を開き、同社のB-2ステルス爆撃機が生まれたのである。■

Sébastien Roblin holds a master’s degree in conflict resolution from Georgetown University and served as a university instructor for the Peace Corps in China. He has also worked in education, editing, and refugee resettlement in France and the United States. He currently writes on security and military history for War Is Boring.

2018年8月22日水曜日

SR-72の配備は2030年代か、有人無人切替式のマッハ6極超音速機に


A Mach 6 SR-71? This Is How Amazing (And Deadly) the SR-72 Could Be. マッハ6版のSR-71をめざすSR-72はどこまで驚異的(かつ強力な)機体になるのか

It could have a strike mission. 攻撃機にも転用か


ロッキードSR-71ブラックバードは伝説の域に達した機体だ。どんな敵も対抗不能の偵察機として知られる同機は戦闘機にも発展するものと考えられ、実際には有人機として世界第二の高速飛行記録を樹立した。

米軍での供用期間は1964年から1998年まで、NASAでは1991年まで活躍した。原型はA-12オックスカート(A-12アヴェンジャーとは無関係)のSR-71は単座で高速偵察飛行を塗り替えてもいる。

衛星と無人機がSR-71の代わりになると言われてきた。だが衛星は動きが予測可能であり、無人機では性能、信頼性が劣る。そこでロッキードのスカンクワークスはA-12/YF-12/SR-71ファミリーの製造元としてSR-72を開発中であり、ブラックバードの速度を上回る機体になると約束している。
SR-71は紙上で計算尺を使って設計されたが、ハイテクの恩恵は受けずに十分役目を果たす機体になった。
次のSR-72はDARPAによるファルコン・ハイパーソニック・テクノロジー・ビークル2(HTV-2)(下図)の技術からマッハ6超の飛行を目指す。HTV-2はマッハ20の速度を記録している。



Popular MechanicsによればSR-72は攻撃ミッションも担当する。どんな兵装を搭載するのか不明だが、Aviation Weekは「飛行実験機」を2020年代初頭に製造し、実際に配備する機体は2030年代に登場するとしている。

実際に同機を操縦する幸運に恵まれたパイロットはブラックバードのパイロットのようなかさばる飛行スーツの着用はないはずだ。というのは当初はSR-72は無人機運用する構想だからだ。

ブラックバード後継機といえども最初から完璧にできるわけではないようだ。■