ラベル ミッドウェイ海戦 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ミッドウェイ海戦 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年12月8日水曜日

真珠湾攻撃から80年。知られざるK作戦は世界初の長距離爆撃に成功したものの、日本海軍の運命を決する結果を生んでしまった。

MAX SMITH/WIKIMEDIA COMMONS

保存展示されている二式大艇(H8K)の威容 

 

本が80年前真珠湾を攻撃し、米国は第二次大戦に参戦を余儀なくされた。以後連綿としてその日の攻撃は米国民の琴線に触れる記憶となっている。

 

1941年12月7日の奇襲で米太平洋艦隊の戦艦部隊は大損害を受けたが、日本帝国はこれで十分とは見ていなかった。知名度は低いが日本は三カ月未満で次の襲撃を敢行し、この際は大型飛行艇川西H8Kを投入した。当時最新鋭の機材を投入し、その時点で最長の爆撃行に踏み切ったのだ。

 

12月7日攻撃直後の効果には大きなものがあり、日本帝国海軍(IJN)は太平洋艦隊の戦艦8隻すべてに打撃を与え、二隻を破壊、残る各艦も当面行動不能にした。物資面の損害以外に米国民2,400名超が殺害された。

 

米国を大戦に巻き込んだ日本はその後もアジアの制覇に乗り出し、米太平洋艦隊は弱体化し、日本の動きを阻止できない状態だった。

 

ただし、真珠湾の海軍基地の損傷度合が限定的なものに留まっていたと急速に判明した。合計21隻の艦艇に何らかの損傷を与えたものの、大部分は修復可能だった。また艦船攻撃に集中するあまり、艦艇整備施設はほぼ無傷で残った。基地内の燃料貯蔵分もそのままで、太平洋艦隊の空母部隊は当時湾内にいなかった。.

 

そこで1942年3月、IJNは二回目の真珠湾奇襲攻撃を実施する準備を整え、K作戦と呼称した。なお、12月7日のミッションはZ作戦とされた。

 

今回の作戦は進行中の基地機能再開と整備作業を止めることにあり、IJNに対抗する米太平洋艦隊にさらなる打撃を与えることにあった。同時に真珠湾の情報収集もめざした。

 

Z作戦の先鋒は空母部隊と大小の潜水艦部隊だった。K作戦はずっと小ぶりで、爆弾搭載の飛行艇を投入した。川西H8K連合軍名称エミリーが選ばれた。

 

航空史家レネ・フランシロンが「第二次大戦中の飛行艇で最も傑出した機体」としたH8Kは最新鋭の機体だった。試作型の初飛行が1941年1月にあったばかりで、同年後半に量産化が決まった。真珠湾第二次攻撃には最適の機材と判断されたのは長大な航続距離のためで、機内に最大4,400ポンドのペイロードがあることも理由とされた。同機を使い、カリフォーニア空襲も企画されたが実施されなかった。

 

真珠湾第二次攻撃では長距離性能が前提で、往復4,800マイルの行程となった。これだけの長距離爆撃を可能とした機体はそれ以前は存在しなかった。成功すれば同様の攻撃で米海軍の戦闘力を削ぐはずだった。

 

H8Kは機体サイズにもかかわらず、敵戦闘機の攻撃を受けても生存する性能をその後発揮した。驚くほどの操縦性があり、かつ防御兵装は強力で、20mm機関砲5門、0.303口径機関銃4門を配置した。

 

当初は8機をK作戦に動員する予定だったが、結局投入できたのは2機にとどまった。横浜海軍航空隊の機体でマーシャル群島ウォッジェ環礁を1942年3月4日離水した。一号機は橋爪寿夫大尉が指揮をとり、二号機には笹生庄助少尉が機長となった。各機には550ポンド爆弾4発が搭載され、真珠湾の艦艇ドック上空から投下を目指した。特筆すべきは同型機が実戦に投入されたのはこれが初めてだった。

 

両機は1,900マイル飛行しフレンチフリゲート礁に着水した。ホノルル北西560マイル地点だ。同地は北西ハワイ群島に属し米国領だったが、遠隔地で無人のためIJNが停泊地に利用していた。ここで飛行艇は燃料補給のため待機していた潜水艦二隻に合流した。日没後に飛行艇部隊は離水しオアフをめざした。

 

実際に12月7日に先立ち、米暗号解読部門は日本軍がフレンチフリゲート礁を利用した燃料補給活動を計画していることをつかんでいた。だが真珠湾攻撃前に入手したその他情報内容と同様にこれも無視された。

 

WIKIMEDIA COMMONS

全行程4,800マイルのマーシャル群島からハワイへの航路

 

日本軍も利用可能な情報の不確かさに直面していた。米側の天候情報は解読でき、真珠湾上空の気候状況は把握できた。だが米側が暗号を変更したことで情報は入手できなくなり、H8K部隊は悪天候の中を飛行せざるを得なくなった。

 

米側に情報面の落ち度はあったものの、ハワイから200マイル地点で飛行艇部隊は米レーダーに捕捉され、P-40戦闘機部隊がスクランブル出撃した。日本機にレーダーは搭載されておらず、敵機の接近を知ることはなかったが、厚い雲と暗闇に紛れ、飛行艇部隊はオアフ上空15千フィートに3月4日早朝に到達した。

 

夜間と悪天候がIJN機を助けたが、同時に搭乗員が投下目標を視認するのに苦労した。月光に助けられたが、ハワイは灯火管制下にあり、あてずっぽうに頼るしかなかった。真珠湾付近にIJN潜水艦イ23を配備し飛行艇を誘導するはずだったが、同艦は消息不明となっており、当日も利用できるか不明だった。

 

飛行艇搭乗員は爆弾を投下したものの、このような状況では運に頼るしかなかった。橋詰機の爆弾はホノルル郊外の山麓に落下し、高校校舎の窓が飛散したが人身被害は発生しなかった。

 

笹尾機の爆弾は水面を叩いたようで、同機は攻撃開始後に一号機と連絡がとれなくなった。

 

爆弾投下後の二機は南西に進路を取りマーシャル群島へ向かった。笹尾機はウォッジェ環礁に帰還したが橋爪機はフレンチフリゲート礁から離水時に損傷を受け、同じくマーシャル群島のジャルート環礁に向かった。

 

空襲は長距離爆撃ミッションとしては成功したといえ、両機は生還できた。このため、日本側は宣伝工作に利用できると考え、真珠湾に大打撃を加え、米側の人的損失も甚大と発表した。

 

だが実際の軍事成果はとるにたらないもので、ミッションは想定したのと反対の効果を生んでしまったのである。

 

次の攻撃が3月10日実行されたが悲惨な結果に終わった。橋爪機はミッドウェイ礁付近で海兵隊戦闘飛行隊VMF-211のブリュースターF2A-2バッファロー戦闘機により撃墜されてしまった。

 

米太平洋艦隊の再建を阻止する狙いと裏腹に、一回目の空襲で米側はハワイの警戒態勢をさらに強化してしまった。IJN強襲部隊は迎撃されなかったが、レーダー解析結果から各機がフレンチフリゲート礁で燃料補給を受けたことが判明した。米海軍駆逐艦が付近を航行中で日本軍の動きを監視するよう指令を受けた。

 

その一か月後に米軍も長距離爆撃ミッションを実施し、B-25爆撃機の16機がUSSホーネットから日本本土を空襲した。1942年4月18日の「ドゥーリトル空襲」の真価は米国が日本心臓部を攻撃したことで日本側に衝撃を与えたことにある。

 

米側が攻勢に転じたことで日本は大きな賭けにでざるを得なくなり、ハワイ群島を占領し、米海軍空母部隊を撃滅し、米軍の侵攻を阻止する決意に出た。

 

ハワイ方面の次の手がミッドウェイ島で、米海軍とIJNは1942年6月に雌雄を決する海戦を展開した。これが太平洋での戦争の転回点となったと一般に見られている。

 

話には皮肉な展開があり、太平洋で戦ったH8Kについてワイアット・オルソンはStars and Stripes記事で、ミッドウェイ開戦に先立ち、同飛行艇が米空母の偵察任務についたが、ハワイ空襲後のフレンチフリゲート礁は米海軍の監視対象となり、飛行艇の利用ができなくなったため、IJNは貴重な情報が入手できなくなったと記した。実施可能ならば、ミッドウェイで待ち伏せる米空母の位置が判明していたはずで、結局米海軍は日本空母4隻全部を沈めることができた。

SAN DIEGO AIR AND SPACE MUSEUM ARCHIVE

陸上に上がったH8K

 

こうして真珠湾第二次攻撃はIJN敗北につながる展開を開始する結果を生み日本帝国の野望は消え去ったが、H8Kは終戦まで投入された。

 

米PBYカタリナ飛行艇や英ショートサンダーランド飛行艇のように生産数は多くなかったが、H8Kは優秀な性能を示した。合計167機が生産されたが、兵員輸送など無駄に性能を使ったのは、戦況が日本に不利になったためだ。

 

今日、軍用飛行艇の姿はアジア太平洋で限定的に見ら得る。新明和工業が現在もUS-2水陸両用機を海上自衛隊向けに製造しているが、同社は川西飛行機のH8Kの流れを受け継ぐ企業だ。

 

米軍ではここにきて水陸両用機への関心が高まっており、80年前には想像できない展開だ。米空軍特殊作戦軍団の高官が岩国基地でUS-2を視察したのは、MC-130輸送機の水陸両用版の実現に同軍団が注力しているためでもある。

 

U.S. AIR FORCE/1ST LT RACHAEL PARKS

海上自衛隊が米空軍特殊作戦軍団副司令、海兵隊岩国基地司令とUS-2の前に並んだ。 November 9, 2021.

 

IJNによる真珠湾への長距離爆撃ミッションを覚える向きは少ないが、広大な太平洋では飛行艇の運用はまだ終わっていない。■

 

Flying Boats Flew Japan's Little-Known Follow-On Raid On Pearl Harbor

 

The second attempted attack on Pearl Harbor indirectly changed the course of the war in the Pacific.

BY THOMAS NEWDICK DECEMBER 7, 2021

 

Contact the author: thomas@thedrive.com


 

2017年6月9日金曜日

ミッドウェイ海戦75周年、中国軍事戦略家は戦史から何を得ているか


今年はミッドウェイ海戦から75周年の節目です。戦史から何を学ぶのか。日本では失敗の代名詞として細かい点にこだわる傾向があるようですが、中国は本質の戦略論で同じ事例を分析しているようです。米海軍大学校准教授が中国記事を読んで分析していますのでご紹介しましょう。

 

What Do China's Military Strategists Think of the Battle of Midway? 中国軍事戦略思考家はミッドウェイ海戦をどう理解しているか


China likely recognizes that once wars are started with America, even when militarily successful, they may be extremely difficult to end.
中国もいったんアメリカと交戦すれば、軍事的に成功しても戦争終結が極めて困難だとわかっているのだろうか

The National InterestLyle J. Goldstein June 4, 2017

  1. 1942年の6月に米海軍航空部隊は日本帝国海軍の主力空母4隻を海底に沈めて歴史の流れを変えた。勝因には戦略、暗号解読、急降下爆撃機の技量、訓練の蓄積、運のよさに加え少なからぬ勇気と犠牲が加わった。
  2. エドワード・「レム」・マッシー少佐の例を挙げよう。1930年の海軍兵学校卒でニューヨーク州出身の少佐は米海軍初の魚雷投下で命中を上げている。本人が率いる飛行隊が1942年2月にクウェジェリン礁付近で日本海軍に打撃を与えている。運命の6月4日朝に少佐は飛行隊を率いてミッドウェイ海戦の大きな局面となった空母飛龍攻撃に向かった。「僚機は隊長機が大きな火の玉になるのを見た」
  3. マッシー少佐はむき出しのコックピットに乗り乗機TBD(アヴェンジャー)から250フィート下に魚雷を投下したが、命中で発生した炎から逃げることができなかった。海戦の結果を知るものからすればアヴェンジャー隊の犠牲は無駄死にではないと言える。デヴァステーター艦爆隊に道を開き半年前の真珠湾攻撃の仇を返すしたからだ。
  4. 今日の世界では太平洋の対岸で中国がミッドウェイ海戦を真剣に研究している。北京が空母二号艦を進水させ三号艦建造に向かっていることからすれば驚くべきことでもないが中国の海軍専門誌「現代艦船」に長文記事が掲載されたのは興味深い。記事は「ミッドウェイ島への道」の表題で戦術、技術、勇敢さのいずれも取り上げず、かわりに極めて厳密に1942年春時点での日本海軍上層部にあった作戦立案の選択肢を分析している。ミッドウェイの奇跡を生んだ要因の中で中国の分析記事は「戦略洞察力」あるいは日本が軍事的に有利な位置を無駄使いした事実に着目している。
  5. 分析では日本が東南アジア各地を瞬く間に占領し、しかも驚くほど代償を払わずに達成したことから始まっている。簡単に勝利が手に入ったため「次をどうする」が真剣に問われた。1942年3月の日本海軍は二方面作戦を検討していたといわれる。南方からオーストラリアを攻略するか、北に向かいアリューシャン列島を陥落させるかだった。日本海軍の作戦を立案し真珠湾攻撃を考えた山本五十六大将はハワイ攻略の是非も検討させたといわれる。興味深いのは日本海軍はインド洋まで遠征してセイロン(スリランカ)を攻略していた点だ。分析が示しているのは東京のインド洋作戦は突飛な発想でないことだ。日本海軍がインドまで勢力を展開したことで英国は脅威を感じ、インド植民地で英国支配に抵抗する勢力を勇気づけるとともにドイツに好印象を与え、枢軸勢力が手をつなぎ石油豊富なペルシア湾をおさえる可能性が現実にあったからだ。
  6. オーストラリア侵攻は一度も真剣に日本は検討していないと記事分析は結論づけている。実施しすれば最低20万の兵員とともに限りある日本の船舶力の三分の一をつぎこむことになるからだ。日本陸軍には海軍を支援し各種作戦をアジア太平洋で展開することに全く関心がないことを中国側は指摘している。日本の地上部隊はシベリア制圧を想定していたためである。他方で海軍はハワイ占拠で米国最大の太平洋の軍事拠点を無効にし、米軍による日本本土攻撃の可能性も大きく減ると見ていたと記事では強調しており、陸軍の「主体性のなさ、非協力的態度」はあからさまで海軍を支援する作戦には及び腰だったとまとめている。
  7. 山本大将は真珠湾攻撃の立役者として後光がさすほどの存在であったが日本海軍上層部には12月7日の奇襲攻撃でハワイ燃料集積地攻撃を逸した大失敗、さらに艦船修理施設も攻撃しなかった点も見逃していなかったと記事は紹介。ただし一番の失策は米空母部隊をせん滅する機会を逃したことだった。ドゥーリットル空襲で日本本土が直接攻撃されたため、これらの失敗は日本海軍上層部で喫緊の課題と認識された。さらに日本の軍上層部は決戦は先送りできず今仕掛ける必要を感じていた。米国で空母11隻が建造中なのに日本では1隻しかなかったからだ。
  8. それでもミッドウェイ作戦に反対の意見の軍上層部もかなり多かった。中国の分析では反対派は上空援護が不十分、かつ米国が空中で主導権を握る可能性があることを根拠にしている。ミッドウェイ島自体は何ら資源のない土地だが同島を抑えることで太平洋中部の日本の海上活動を抑える効果がある。反対意見ではミッドウェイ島は小さく、防御も難しいが大部隊の駐屯も困難と指摘していた。だが中国分析では山本が例えミッドウェイ島占領に成功してもハワイ攻略作戦の実施は不可能と断念したとある。つまるところもし日本がハワイを占領すれば4千キロという大海原があれば米国と言えども日本が新たに獲得した拠点の奪回に部隊を集結させるのは困難になると見ていた。
  9. ただしここまで大胆な作戦の実施前に日本海軍は米空母部隊をせん滅する必要があり、このためにハワイを攻撃するおとり作戦で米空母を決戦に引きずり出そうとした。アメリカへの欺瞞として日本海軍は「米軍の注意を分散させる」作戦を打撃部隊四つを別行動させた。だが中国記事の分析では「作戦案が過剰なまで複雑」で各独立行動部隊にそれぞれを支援する能力がなかったとまとめている。記事は戦略方針の検討を重視し個別の戦いの進展では説明を省いている。ただ日本側の情報部門がUSSヨークタウンが珊瑚海海戦で損傷したものの迅速に修理され戦場に復帰するとは見ていなかったことを失策としている。中国記事では日本側戦力(空母4艦載機227)は米戦力(空母3艦載機234)に対して圧倒的に多いとはいえず、ミッドウェイは「過剰なリスク」になっていたと分析する。
  10. おそらく中国による評価で一番興味をひかれるのは文末の数行で日本の観点による戦争終結の話題だ。1942年春に日本が戦争で目指していたのはアメリカを「戦争終結の交渉の席につかせる」ことだった。皮肉なのは日本が勝利を収めればそれだけ米国が日本との和平交渉に応じる余地が減ることだ。この観点からいったん開戦すればどれだけ軍事勝利をおさめても戦争終結が極めて困難になるとわかる。
  11. この点をさらに深めて、一度アメリカを怒らせたり、恐喝すれば、米国は必要な犠牲を厭わず勝利のため負担も苦と思わない国であることを中国戦略思考家にも理解してもらいたい。中国側作戦立案部門には軍内部の競合関係がどれだけ危険かを本事例から学んでいるかもしれない。また民間商船が戦略予備部隊として必要だと認識し、戦略的な集中をさらすことの危険性(例スリランカ)と資源を中心的課題に収集する必要性も教訓となるはずだ。中国がミッドウェイ海戦分析から得る可能性のある教訓は日本の失敗はハワイ攻略に必要な軍事力を整備せず努力を集中しなかったことだ。地理条件は今も昔も変わらないので結論として核の時代である今日の中国戦略思考家が十分なまで高度に思考し同様の作戦を今日実施すれば即座に大惨事になるとわかっているとよい。■
Lyle J. Goldstein is an associate professor in the China Maritime Studies Institute (CMSI) at the U.S. Naval War College in Newport, Rhode Island. The opinions expressed in this analysis are his own and do not represent the official assessments of the U.S. Navy or any other agency of the U.S. government.