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2018年10月28日日曜日

歴史に残る機体19 MiG-25フォックスバット

The Soviet MiG-25 Spooked the U.S. Military

The Americans hurried to develop the F-15

歴史に残る機体19 ソ連のMiG-25に震え上がった米軍はF-15開発を急いだ


WIB AIR October 23, 2018 Robert Farley


MiG-25フォックスバットほど威力を持ちつつも誤解された冷戦期の機体はない。米軍の超音速爆撃機や高高度を飛ぶスパイ機の迎撃用に設計されたフォックスバットには高速飛行性能を活かし偵察機としての用途もあったが戦闘爆撃機としての性能は限定的だった。
.フォックスバットは10数カ国の空軍に配備され、レバノン、シリア内戦、エジプト、イラン-イラク戦、湾岸戦争、リビア内戦で実戦投入された。
多くの点でMiG-25は特筆すべき機体だった。最高速度マッハ3で高高度を飛んだ。試作機は1965年に初飛行するや速力、上昇性能、飛行高度で世界記録を書き換えている。
ずば抜けた性能とは裏腹に問題があった。低高度で操縦性が欠如していたのだ。機体重量が大きくなったのは耐久性を保証する素材技術がソ連になく、ニッケル-鋼合金を機体全面に使ったためだ。
双発エンジンでマッハ3.2を出したがこの速力ではエンジン自体が損傷し、実用上はマッハ2.8が最高だった。初期モデルには機体下を監視照準するレーダーがなく米爆撃機を狩る迎撃機として致命的な欠点だった。
フォックスバットの実態が表面に出たのはソ連パイロットが日本に機体を着陸させた1976年9月の亡命事件だ。日本は機体を米側に引き渡し、米国が機体を分解点検した。調査からフォックスバットは迎撃機であり航空優勢戦闘機ではないことが判明した。また実際の性能が想定より低いこともわかった。
ソ連情報機関が米国の爆撃機運用思想を正確に把握していれば、MiG-25を多数配備する予算を安価な多用途戦闘機整備に回せたはずだ。その場合は戦闘用航空機の歴史も変わっていたはずだ。
ソ連はフォックスバットを1,000機以上量産し、うち8割から9割がソ連空軍で供用された。フォックスバットが実現しなかったらソ連はその他の戦闘機、戦闘爆撃機を迎撃や偵察任務に投入しただろう。
MiG-21やMiG-23、Su-17が偵察用途の選択肢だったはずだ。フォックスバットと並び迎撃任務についていたTu-28は大型長距離機だったがMiG-25並の高速性能はないものの一定の条件下で任務をこなしていた。
フォックスバットが実用上で性能を最大に発揮したのが偵察任務で高速高高度飛行のため敵防空網は捕捉できなかった。
The Soviet MiG-25 Spooked the U.S. Military
写真上)1976年に亡命したソ連MiG-25は日米両国により機体を見聞された。写真下)アルジェリア空軍のMiG-25機材、2018年撮影。Google Maps photo

フォックスバットの大問題は供用開始にっの時点で想定していたミッションがなくなったことだ。米国はソ連の地対空ミサイルの威力を恐れB-70ヴァルキリー戦略爆撃機開発を断念し、超音速B-58ハスラーも早期退役させてしまっていた。
高高度高速飛行ではなく米爆撃機はソ連領空に低高度から低速侵入することとなり、フォックスバットでは対応がほとんど不可能になった。だが米爆撃機の大量侵入を撃退する事態が生まれなかったためフォックスバットの長所短所は実践で試されていない。
ソ連ではフォックスバットの実戦投入はまれだったが冷戦期、ポスト冷戦期のその他地域の紛争に投入された。イラン-イラク戦争でフォックスバットは制空任務をかなりうまくこなしたものの、イランのF-14の前に損害を受けている。
湾岸戦争ではMiG-25が空対空戦で米戦闘機F/A-18を最後に撃墜した。2002年にはプレデターを撃墜しているが高速飛行性能を活かした形だった。偵察任務ではインド空軍がパキスタンとの紛争時に優秀な成績を残している。だが戦術機材としてのMiG-25に目立った功績はない。
フォックスバットの登場で空の戦闘が質的に変わるとの恐れから米国で戦闘機開発が加速され、フォックスバットの情報評価から現行の西側戦闘機が対応不可能とわかったが真の欠陥はほとんど理解されないままだった。
その結果、米国はF-X事業の評価を見直しF-15イーグルが生まれた。イーグルは世界最強の航空優勢戦闘機を目指し、ソ連機に勝つのが目的だったが肝心の強力なソ連機は情報機関の頭の中にしかなかった。
フォックスバットが実現していなかった場合、F-15は凡庸で戦力もほどほどの機体になっていたはずでこれだけ長く供用可能な機体ではなかったはずだ。
最後にフォックスバットからMiG-31フォックスバウンドが生まれているが、レーダーと機体材料を改良し高性能迎撃機になった。フォックスバウンドは現在もロシア航空宇宙軍で供用中だ。フォックスバットが生まれていなければかわりにSu-27の派生型が防空任務についていただろう。Su-27は高性能機だが迎撃機としては一流とは言えない。
今日でもMiG-25を運用するのはアルジェリア空軍のみだ。リビア、シリアにも機材があったが性能を十分活用できなかった。対照的にMiG-21、MiG-23は現在も多数が世界各地で飛行している。
だがフォックスバットの正統進化形のMiG-31は現在もロシアで当初の設計思想通り哨戒、迎撃ミッションをこなしている。またF-15は世界の空戦史に残る実績を上げている。F-15は誤解から生まれたがその誤解が幸運な結果を生んだと言えよう。■

Image: Creative Commons.

2017年4月9日日曜日

★★ロシア防空の後継機種MiG-41が実現する可能性は?




The National Interest

MiG-41: Russia Wants to Build a Super 6th Generation Fighter

ロシアが実現めざすMiG-41はスーパー第六世代戦闘機

April 6, 2017


  1. 広大な自国領空の防衛手段としてロシアは長距離飛行・高速なミコヤンMiG-31フォックスハウンドを重用している。同機の改修は続いているとは言え生産は1994年が最後だ。
  2. MiG-31は2030年代まで供用される見込みだが、ロシア政府は後継機開発が必要だ。すでに事前開発予算を計上しており、後継機は暫定的にMiG-41と呼ばれている。
  3. 「MiG-31後継機の開発に向けた初期検討がはじまっている」とロシア国防アナリストのワシリー・カシンが語っている。
  4. MiG-41はロシアの第五世代機スホイT-50PAK-FA航空優勢戦闘機と全く別個の開発となる。新型迎撃機は第六世代機で米空軍の侵攻滞空戦闘機あるいは米海軍のF/A-XXまたは次世代航空優勢戦闘機構想に匹敵する存在となる。
  5. カシンは言う。「5++または6世代機だろう。実現すれば米中およびヨーロッパで進む第六世代機に肩を並べる存在になる。2035年ないし2040年に供用開始となるだろう」
  6. MiG-41開発はPAK-FAの後となるため、スホイと資源の取り合いにはならない。「テスト飛行も2020年代中頃のはずで両事業はバッティングしない」
  7. だが懸念を示す向きもある。そもそもロシアに機体開発の余裕はあるのか。「紙上のプロジェクトの段階で、『設計図ができれば資金手当ては可能かも』という感じだ」と国防産業筋がNational Interestに語っている。
  8. ロシアにはMiG-31後継機として長距離迎撃機材が必要だ。何と言っても国土が広大である。ソ連崩壊後のロシアは各地に点在する基地で広大な国境線を守っている。「ロシアに長距離迎撃機が必要となるのは地理条件のためであり、MiG-31を可能な限り供用してから後継機種を確保するのは正しい考え方だ」(カシン)
  9. MiG-41が本当に実現するかは時が教えてくれるはずだ。たしかなことはクレムリンには同機実現の野心があり必要があることだ。問題はロシアにそのような野心の実現に必要な資源があるかだ。
Dave Majumdar is the defense editor for The National Interest. You can follow him on Twitter: @davemajumdar.


2016年9月7日水曜日

歴史に残る機体11 MiG-25フォックスバットは巨大な張子の虎、函館空港着陸から40年


(Credit: US Air Force/ Wikimedia Commons)函館空港にMiG-25が着陸して40年がたちました。当初恐れられていた同機ですが、分解してその実力を露呈してしまいました。この記事では亡命事件をベレンコの個人の企てのように書いていますが、実態はどうったのでしょう。また故トム・クランシーの「レッドオクトーバーを追え」がこの事件で触発されたのは明らかですね。その両者に共通するのはザ・カンパニーです。

The pilot who stole a secret Soviet fighter jet


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  • By Stephen Dowling 5 September 2016



1976年9月6日、函館近くの雲の中から一機の航空機が出現した。同機は双発ジェット機だが函館空港でお馴染みの短距離旅客機とは全く違っていた。大型で灰色の機体には赤い星、ソ連のマークがついており、西側陣営で実機を見たものは誰もいなかった。

同機は函館空港に着陸したが滑走路が足りなかった。舗装路を外れ土を数百フィート掘り返しながらやっと停止した。

パイロットは操縦席から出るとピストルで威嚇射撃を二発撃った。空港隣接道路から写真を撮影したものがあったのだ。空港関係者が慌ててターミナルビルから駆けつけるまで数分かかったがパイロットは29歳の飛行中尉ヴィクトール・イヴァノヴィッチ・ベレンコでソ連防空軍所属だと名乗り亡命を申請した。

通常の亡命ではなかった。ベレンコは大使館に駆け込んだのでもなく、海外旅行中に脱走したのでもなかった。機体は400マイルほど飛行しており、今や日本の地方空港の滑走路端に鎮座している。機種はミコヤン-グレヴィッチMiG-25だ。ソ連が極秘扱いしてきた機体だ。ベレンコが来るまでは、だったが。

西側はMiG-25の存在を1970年頃に把握していた。スパイ衛星がソ連飛行基地で新型機が極秘テストされているのを探知。外観から高性能戦闘機のようで西側軍部は特に大きな主力に注目した。







大面積の主翼は戦闘機に極めて有益だ。揚力がつき、主翼にかかる機体重量を分散する効果があり、旋回が楽になる。ソ連ジェット戦闘機はこれに大型エンジン二基を組み合わせたようだった。どれだけ早いのか。米空軍機で対抗できるのだろうか。

同機はまず中東で目撃された。1971年3月のことでイスラエルが観測した奇妙な新型機はマッハ3.2まで加速し高度63千フィートまで上昇していた。イスラエルも米側情報機関もこんな機体は見たことがない。二番目の遭遇例ではイスラエル戦闘機が緊急発進したが追いつけなかった。

11月にイスラエルは謎の機体を待ち伏せし、ミサイルを30千フィート下から発射した。無駄に終わった。正体不明の機体は音速の三倍近くの速度でミサイルからゆうゆうと逃げていった。

ペンタゴンはこの事例から冷戦始まって以来の危機と認識し、問題のジェット機は衛星画像の機体と同一だと判明した。ソ連空軍に米空軍の手に余る機体が出現したのだ。





軍事力の解釈を誤った古典例だとスティーブン・トリンブル(米国版Flightglobal編集長)は語る。「外観で性能を過大評価したようだ」とし、「主翼の大きさと巨大な空気取り入れ口が原因だ。超高速も理解し、操縦性も高いと考えていた。前者は正解だったが後者はハズレだったのです」


米衛星とイスラエルレーダーは同一の機体MiG-25を捉えていた。同機は米側の整備しようとしていた1960年代の機体群、F-108戦闘機から、SR-71スパイ機さらに巨大なB-70に備えようとするソ連の回答だった。各機がマッハ3飛行という共通項を持っていた。


1950年代のソ連は航空技術で飛躍的進歩を示していた。爆撃機ではB-52に匹敵する機体を運用し、戦闘機はほとんどがMiG設計局の作で米側各機に迫る性能を示しながら、レーダーや電子製品はかなり劣っていた。だがマッハ2からマッハ3への進展は難易度が高い課題だ。だがソ連技術陣はこの挑戦を避けることが許されず、かつ迅速に実現する必要があった。


その課題に果敢に挑んだのがロスティスラフ・ベリヤコフ設計主任だった。高速新型戦闘機を飛ばすには莫大な推進力を生むエンジンが必要だ。ソ連のエンジン開発の中心人物トゥマンスキーが回答となるエンジンR-15ターボジェットを完成させていた。新型MiG機にはエンジン二基が必要で各11トンの推力を想定した。




(Credit: US Navy)

MiG-25は第二次大戦時のランカスター爆撃機の全長とほぼ同じ (Credit: US Navy)

これだけ高速となると空気との摩擦熱量が莫大となる。ロッキードはSR-71ブラックバードをチタン製としたため高価かつ製造が困難になった。MiGは鋼鉄を素材とした。しかも多量に。MiG-25は手作業で溶接して機体を製造していた。


ロシアの軍事博物館各所には退役機が陳列してあり、当時の任務が理解できる。MiG-25は巨大な機体だ。全長64フィート(19.5メートル)で第二次大戦時のランカスター爆撃機よりわずか数フィート短いに過ぎない。これだけ大きいのはエンジン二基を搭載し、莫大な燃料を運ぶ必要があった。「MiG-25は燃料3万ポンド(約14トン)を搭載していました」(トリンブル)





重い鋼鉄製の機体としたことが主翼が大きくなった理由だ。米戦闘機とのドッグファイトには役立たないが、ともかく飛行できる。


MiG-25の設計思想は離陸後、マッハ2.5まで加速し地上レーダーがとらえた目標に接近するというものだった。50マイルまで近づくと機内レーダーが引き継ぎ、ミサイルを発射する。このミサイルも機体の大きさに応じて20フィード(6メートル)ほどの大きさだ。

米ブラックバードに対抗すべく作られたMiG-25には偵察機型もあり、非武装でカメラやセンサー多数を搭載した。ミサイルの重量分と目標捕捉レーダーがないため、機体は軽量となり、マッハ3.2まで加速可能だった。この機体をイスラエルは1971年に目撃していた。


だが1970年代初頭の米防衛トップはMiG-25の性能を知らずにコードネームの「フォックスバット」はつけていた。宇宙空間から撮影の不鮮明な写真やレーダー探知の輝点でしか姿を見られずMiG-25は謎の脅威のままだった。だがすべては現状に不満を覚えるソ連戦闘機乗りがコックピットのハッチを開けるまでのことだった。


ヴィクトール・ベレンコは模範的ソ連市民で第二次大戦終結直後にコーカサス山脈の麓で生まれた。軍務に就き戦闘機パイロットとなった。通常のソ連市民には不可能な役得を伴う仕事だ。




(Credit: CIA Museum)

ベレンコの軍人証明書はワシントンDCのCIA博物館に展示中 (Credit: CIA Museum)

だがベレンコには不満があった。一児の父となった彼は離婚の危機にあった。ソ連社会の成り立ちそのものに疑問を抱き始める。またアメリカが本当にソ連政府が言うような悪魔的存在なのだろうか。「ソ連プロパガンダでは皆さんの社会を腐敗社会で没落中としていたのですよ」とベレンコはFull Context誌に1996年語っている。「だが疑問が心のなかに残っていました」


ベレンコは訓練中の新型戦闘機が脱出の鍵だと理解していた。配属先はチュグエフカ空軍基地でウラジオストック近郊だった。日本へはわずか400マイルである。新型MiGなら高高度を高速飛行できるが巨大な双発エンジンは飛行距離が短い。とても米空軍基地までは到達できない。9月6日にベレンコは同僚パイロットと訓練飛行に出かける。両機は武装をつけていない。ベレンコはおおまかな飛行経路を検討ずみ、燃料を満載していた。


洋上に出ると編隊を離れ、単独で日本に向けて航路をとった。

ソ連、日本の軍事レーダー探知を逃れるため、ベレンコは超低空飛行をする。海上およし100フィートだ。日本領空に侵入してから高度を一気に20千フィートに引き上げ、日本のレーダー荷姿を見させた。驚いた日本は国籍不明機へ呼びかけるものの、ベレンコは別の周波数へあわせていた。日本機がスクランブルするが、それまでにベレンコは厚い雲の中を飛行していた。日本のレーダーも捕捉を失う。


この時点でベレンコは勘で飛行しており、離陸前に叩き込んだ地図の記憶だけが頼りだった。千歳基地へ向かうつもりだったが、燃料が底をつきつつあり一番近くの空港に着陸するしかなかった。函館である。

日本はMiG-25が着陸して初めて迎撃対象機の正体を知ることになった。日本はいきなり亡命パイロットを迎えることになった。またジェット戦闘機が残った。西側情報機関が正体をつかめなかった機体だ。函館空港は突如として情報機関の活躍場所となり、CIAは幸運を信じられなかった。




「MiG-25機を分解し、部品を一つ一つ何週間もかけて検分しました。性能の実態を理解することができました」(トリンブル)

ソ連はペンタゴンが恐れたような「スーパー戦闘機」を作っていなかった、とスミソニアン協会航空学術員ロジャー・コナーは述べる。特別な任務の用途で製造されたつぶしの利かない機体だった。





「MiG-25は戦闘用機材として有益な存在でなかったのです。高価で取り扱いが大変な機体で、戦闘では大きな効果は挙げなかったでしょう」(コナー)


問題が他にもあった。マッハ3飛行はエンジン負担が並ではなかった。ロッキードSR-71ではこの問題をエンジン前方にコーンを設けることで解決し、エンジン部品の損壊を防いだ。取り入れた空気をエンジン後部から押し出して推力を増やす狙いもあった。


MiG-25のターボジェットエンジンは2,000マイル時(3,200キロ)を超えると不調となった。それだけの空流は燃料ポンプを圧倒し、一層多くの燃料がエンジンに供給される。同時にコンプレッサーが生む力は膨大でエンジン部品を飲み込むほどだ。MiGの機体そのものが損壊する。MiG-25パイロットはマッハ2.8を超えないよう注意されていた。イスラエルが1971年に追跡した機体はマッハ3.2を出して両エンジンを損壊している。


MiG-25の存在が明らかになり米国は新型機開発を始めた。その成果がF-15イーグルで高速飛行を狙いつつ同時に高度の操縦性を狙ったのはMiG-25の推定性能内容を実現したものだ。40年経ったが、F-15は今でも第一線で活躍中だ。


今になってみれば、MiG-25を西側があれだけ恐れたのは「張子の虎」だったのがわかる。搭載する大型レーダーは米国より数年間遅れた技術のあらわれで、半導体の代わりに旧式真空管が使われていた。(ただし真空管は核爆発で生まれる電磁パルスへは強い) 巨大なエンジン二基には多量の燃料が必要なため、MiG-25は短距離しか飛行できない。離陸は確かに早く、直線飛行を高速にこなしてミサイルを発射するか写真撮影するだけだ。ただそれだけなのである。


ソ連が長年世界から隠してきたMiG-25は部分的に再組み立てされ、船舶でソ連に返却された。日本はソ連に輸送費用並びに函館空港の損傷の弁償費用として4万ドルを請求した。


すぐにそれまで恐れられていたMiG-25にはSR-71を迎撃する能力がないことが判明した。

「MiGとSR-71の大きなちがいのひとつにSR-71が単に早いだけでなくマラソン選手のような存在だという点があります。MiGは短距離選手ですね。ボルトのような存在ですが、マラソン選手より遅いボルトです」(コナー)


成約があったがMiG-25は1,200機も生産された。「フォックスバット」はソ連陣営の空軍部隊の最上級機材とされ、世界で二番目に高速な機体を配備するプレミアム感覚とプロパガンダ効果を期待された。アルジェリア、シリアは現在も運用中とされ、インドは偵察機として25年間に渡りうまく活用してきたが2006年に部品不足のため退役している。

MiG-25のもたらす恐怖感が最大の効果だったとトリンブルも言う。「1976年まで米側は同機にはSR-71迎撃能力があると信じており、SR-71はソ連領空侵入を許されていませんでした。ソ連は自国上空の情報収集機飛行に神経質でしたしね」



(Credit: US Department of Defense)

MiG-31は MiG-25 の改良型といってよい機体だ (Credit: US Department of Defense)


ベレンコは結局ソ連に帰国せず、米国居住を認められ、ジミー・カーター大統領本人から市民権が与えられた。その後、航空工学技術者として米空軍向けコンサルタントとなった。


本人の軍人時代の身分証明書および日本海上空を飛行中に膝の上で殴り書きした紙幣がワシントンDCのCIA博物館に展示されている。

米F-15が出現したこともあり、ソ連技術陣にMiG-25の欠点を克服した新型機設計を急がせた。トリンブルによればここからMiGのライバルのスホイがSu-27シリーズを産んだという。同機は各種機体へ進化した。こちらのほうこそペンタゴンが1970年台早々に心配していた機体であり、最新型は世界最良の戦闘機だという。


MiG-25の物語はここで完結しなかった。大きく改良されMiG-31が生まれた。性能を引き上げたセンサーを搭載した戦闘きで強力なレーダーと改良型エンジンを搭載した。「MiG-31は基本的にはMiG-25で目指した姿を実現した機体です」(トリンブル) MiG-31は冷戦終結直前で実戦化され、数百機が今もロシアの広大な国境線を守っている。西側筋がMiG-31を観察する機会として航空ショーがあるが、内部構造は堅く秘密が守られている。

MiG-31パイロットで国外亡命しようというものは出ていない。■




2014年8月15日金曜日

MiG-31後継機種開発に動くロシアは PAK-FA技術の展開を期待



Russia to Develop MiG-31 Replacement Starting In 2017

By: Dave Majumdar
Published: August 13, 2014 11:31 AM
Updated: August 13, 2014 2:00 PM
MiG-31 Fighters
A pair of Mikoyan MiG-31 Foxhound

ロシアはミコヤンMiG-31フォックスハウンド迎撃戦闘機の後継機開発を2017年に開始すると国営通信RIAノーヴォスティが伝えている。

  1. 「2017年から長距離迎撃機機を開発しMiG-31後継機種とする」とロシア空軍司令官上級大将ヴィクトル・ボンダレフCol. Gen. Viktor Bondarevが語っている。

  1. 新型機の就役は2025年とし、122機あるMiG-31は2028年までに退役させる。

  1. フォックスハウンドはマッハ3級のMiG-25を原型とするが、低高度での超音速飛行が可能でフェイズドアレイレーダーを戦闘機として初めて搭載している。フォックスハウンドも高速が得意でマッハ2.83飛行を維持できるという。

  1. 兵装はヴィンペルVympel R-33長距離空対空ミサイルでR-77や新型R-37も搭載できる。ソ連時代の防空軍に1982年から配備開始され、1994年に製造が終わったのはソ連崩壊のためだ。

  1. ロシアは第五世代機としてSu-27フランカーをもとにスホイT-50 PAK-FAを開発中だが、PAK-FA技術を元にフォックスハウンド後継機を開発するとみられる。ただし開発大日程はどう見ても実施不可能だ。

  1. RIAノーヴォスティ通信によればドミトリ・ロゴジン副首相 deputy prime minister Dmitry Rogozin は8月8日にMiG-31生産ラインを再開すれば良いと発言している。ロゴジンはMiG-31は西側戦闘機で匹敵する存在がないとしているが、広大なロシア領土を防衛するべく生まれた独特な性能が特徴だ。■