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2022年7月5日火曜日

主張 NGAD開発は順調というが、F-111という失敗の前例があった。だが希望はある。

AFTI/F-111 Mission Adaptive Wing in flight.

Credit: NASA Dryden Flight Research Center

 

 

ランク・ケンドール空軍長官は6月、次世代航空優勢プログラムがエンジニアリングおよび製造開発に入ったと発表した。試作段階からの移行は重要なステップであり、スケジュールが機密扱いのままのため、驚きをもって発表が聞かれた。

 

 

しかし、以前にも同じ様子を見たことがある。次世代航空優勢(NGAD)長距離戦闘機は、新しく、大きく、高価で、空軍の要求を満たす先端技術を活用する。それは、1960年代にTFXプログラムで開発されたジェネラル・ダイナミクスのF-111を思わせるからだ。F-111の話は、NGADの将来を予測するのに役立つかもしれない。

 

まず、NGADの価格が脆弱である可能性がある。5月にケンドール長官は、1機あたり「数億ドル」のコストがかかると述べた。これは非常に心配な数字で、1億3000万ドルのロッキード・マーチンF22と6億ドルのノースロップ・グラマンB-21の間に位置づけられる。F-111と同様、価格が予想より高くなるのは必至で、空軍が本当に欲しい範囲と能力をすべて手に入れた結果である(もちろん、ステルス性もその一部)。

 

F-111は不愉快な前例となった。機体単価(開発費用を含む)は、397万ドルから最終的に1501万ドルになった。このコスト増に伴い、調達計画も1388機からわずか466機へと崩壊し、デススパイラルに近い状態に陥った。インフレ前の値というのは、今となっては古めかしく聞こえるが、この大幅値上げによって、計画はほとんど中止された。

 

F-111にとって幸運だったのは、開発中に戦略環境があまり変わらなかったことだ。脅威も要求も国防予算もそのままで、かろうじてプログラムが生き残った。NGADの背景にある戦略的原動力、すなわち同格の敵国となりうる中国の台頭が変わることはまずないだろうが、変わる可能性はある。これは、ノースロップ・グラマンのB-2、F-22、その他の単一サービスプログラムが、計画購入数のごく一部を調達した後に冷戦終結により中止されたのと同じように、NGADが頓挫することになる。

 

第二に、F-111が空軍に最適化されていたことと、それに伴う高価格が、その他の顧客層への期待を失わせた。海軍は空母運用のためF-111Bを検討したが、代わりに小型のグラマンF-14を採用した。英国空軍は50機購入を希望していたが、注文をキャンセルした。結局、輸出はオーストラリアへの28機のみであった。

 

NGADがこれを繰り返しそうだ。このクラスの航空機を購入する必要条件や財源を持つ国は、ほとんどない。可能性のある主要市場(オーストラリアと日本)は、ロッキード・マーチンF-35を購入するために破格の投資を行ったばかりだ。米海軍のNGADは、コスト、サイズ、その他の要因から、F-111Bに続き中止となる可能性が高い。空軍でさえも、希望数で購入できず、レガシー機の代替と戦力構成計画を複雑化させるだろう。

 

第三に、技術的な問題がある。F-111は、可変ジオメトリー(「スイング」)翼を使用した初の量産機だ。NGADは、可変バイパスのAETP(Adaptive Engine Transition Program)エンジンを使用する最初の量産機となるかもしれない。これらの技術はいずれも、速度と航続距離を両立させる。NGADは航続距離を向上させるためその他機能を提供するが、AETPはおそらくアメリカ空軍戦闘機の600nmの戦闘半径の制限を超えるため最良の方法となるだろう。

 

しかし、この可変翼はF-111の技術的な問題やコスト超過に大きく貢献した。数年後に最後のパナビア・トーネードとロックウェルB-1が退役すると、可変翼はコスト、複雑さ、重量、メンテナンス費用に見合わない実験だったと記憶されるだろう。AETPエンジンはかなり有望で、航続距離の延長以外も提供してくれますが、同じ結果にならない保証はない。これもプログラムのリスクだ。

 

こうした懸念の一方で、F-111の物語が希望も与えてくれる。F-111は、戦術戦闘機としてはぱっとしなかったが、その大型機体で、米空軍の各種任務に適応できることが証明された。FB-111として76機の爆撃機型が追加製造され、42機がEF-111電子攻撃機型に改修された。1985年、戦略家のエドワード・ラットワックは『ペンタゴンと戦争術』の中で、「論争から約20年後の今日、F-111は...空軍機の中で最も評価されている」とまで論評している。オーストラリア空軍は、2010年までF-111を供用した。F-35AやボーイングF/A-18E/F/Gを保有するオーストラリアには、F-111に匹敵する航続距離やペイロードの機材はない。

 

NGAD開発はリスクが高く、非常にコストがかかるが、F-111が何らかの指針になれば、米国の軍備増強に成功する存在になりうる。■

 

Opinion: How The F-111 Sets A Precedent For NGAD | Aviation Week Network

Richard Aboulafia June 28, 2022

 

Richard Aboulafia

Contributing columnist Richard Aboulafia is managing director at Aerodynamic Advisory. He is based in Washington.


2016年7月17日日曜日

歴史に残る機体⑥ F-111 カダフィをあと一歩で殺害できた骨太爆撃機


ずっとなぜF-111はFなのか疑問に思っていましたが、この記事で疑問が解けました。F-117も同様の理由なのでしょうかね。ずっと期待され甘やかされながら活躍できず厄介者になりそうだったのが人生の後半でやっと真価を発揮したようなものでしょうか。でも人件費が高いので退職においやられた、そんな人生もありそうですね。

War Is Boring
ドロップアンドバーン」をするオーストラリアのF-1112008年 Allan Henderson/Flickr photo

The F-111 Was a Muscular Bomber That Nearly Killed Gaddafi

Aardvarks flew combat missions in Vietnam, Libya and Iraq

by SEBASTIEN ROBLIN
  1. 低空攻撃機ジェネラル・ダイナミクスF-111アードヴァーク(ツチブタ)は別の仕様を想定していた空軍と海軍に当時の国防長官が無理やり押し付けて誕生した機体だ。
  2. 開発中はトラブル続きだったが、高性能ハイテク夜間爆撃機として数十年に渡リ供用され、すっきり優雅な姿が特徴的だった。
  3. 米空軍は1960年代初頭には高高度飛行する爆撃機は低速でSA-2などレーダー誘導式地対空ミサイルから逃げられないと気づく。そこで小型長距離超音速爆撃機で地表すれすれを飛びレーダー探知を逃れる新構想が生まれた。
  4. 米海軍も空母防衛のため高速長距離迎撃機に空対空ミサイルでソ連爆撃機を遠方で排除させる構想の検討に入っていた。
  5. 新任の国防長官ロバート・マクナマラは共通機材にすれば両軍の要求を満足させつつ開発費用を大幅に節約できると信じ、空軍海軍は仕様面の妥協は本意ではなかったが、結局TFX事業へ協力せざるを得なくなる。1962年ペンタゴンはジェネラル・ダイナミクスに契約を交付する。
  6. 機体は空軍が望んだ戦略爆撃機より小さいため海軍が使う「攻撃機」の略称を避け、戦闘機の「F」がついた。

革新的な設計

  1. F-111は強力かつ燃料消費が優れたTF30ターボファン(アフターバーナー付き)双発機で、機体内部に爆弾を31千ポンドと作戦半径2,500マイル分の燃料を搭載し、外部タンクをつければ1,000マイル延長できた。空虚重量は20トンという大型機で完全装備するとこの二倍となった。
  2. F-111設計陣には一つ課題があった。飛行は超高速でも離着陸は短距離にする必要があったのだ。
  3. 主翼を小さくすれば抗力が減り、速度は高くなるが揚力が小さくなり離陸速度を早くする必要から長い滑走路も必要となる。当時の超音速戦闘爆撃機F-105サンダーチーフも主翼が小さく、離陸には1マイルもの滑走が必要で運用基地が制限されていた。
  4. そこでF-111では新技術の可変翼が採用された。離陸時は主翼を広げ最大限に揚力を得て、飛行時には主翼をしまい高速を得る。以前も試行はあったが実用化はF-111が初めてになった。
  5. 搭乗員二名はコックピットポッドに隣り合わせで座る。脱出時はロケット噴射でポッドを射出し、宇宙カプセルと同じように地上へパラシュート落下させた。
  6. 鍵となった技術革新は地形追随レーダーで機体前面の地形を把握し衝突回避できる飛行経路を自動形成するものだった。これによりF-111は地上200フィートを夜間や悪天候でも安全に高速飛行でた。
  7. 暗闇を物ともせず長い機首を地上スレスレに飛行することからツチブタの愛称が生まれた。
  8. 初期型は期待通り低空をマッハ1.2で、高高度ではマッハ2.5を出しながら着陸滑走路長はわずか2,000フィートで十分だった。また戦術機で初めて米大陸からヨーロッパまで無給油で横断飛行できた。
  9. だがF-111の基本設計は空軍の要求内容を重視していた。空母搭載迎撃機モデルF-111Bの公試結果はひどい有様でマッハ1を超えるのに苦労するほどだった。多額の出費の末の妥協の挙句、海軍型はスクラップにされた。ただし一部の機構はF-14トムキャットに引き継がれている。

  FB-111s. U.S. Air Force photo

アジアへの展開

  1. 空軍のF-111戦闘デビューは幸先悪いものだった。F-111A分遣隊がヴィエトナムに展開したのは1968年でうち3機がわずか55回の出撃で墜落喪失したのは主翼の安定機構の不良のためだった。空軍はF-111全機を飛行停止とし、解決に100百万ドル支出した。
  2. 1972年にラインバッカー空襲が始まるまで実力発揮の場がなかった。北ヴィエトナムのレーダー網をかいくぐりF-111は夜間空襲で飛行場や対空陣地を粉砕し、その後に続くB-52用に防空体制を弱体化した。
  3. アードヴァークは護衛戦闘機、電子支援、空中給油機が不要で悪天候でも稼働可能だった。ヴィエトナム戦で延べ4千回ミッションをこなしたが戦闘中喪失はわずか6機と当時の全機種で最低水準だった。
  4. F-111の東南アジア最後の実戦はカンボジアでクメール・ルージュがコンテナ船S.S.マヤゲスを拿捕した1975年5月だった。アードヴァーク2機が訓練飛行中で同船を発見し、その後1機のF-111が同船に随行していたクメール・ルージュ哨戒艇を撃沈した。
リビア空爆の準備をするF-111F,1986年4月 U.S. Air Force photo

派生型各種

  1. F-111は各型あわせ563機が製造され、A型に続くD型、E型は電子装備が充実し、エンジンの空気取り入れ口の変更と、推力がを増加した。
  2. FB-111は戦略爆撃機でエンジン性能を引き上げ全長を2フィート延長し燃料を追加搭載した75機が戦略航空軍団で稼働した
  3. F-111Cはオーストラリア専用に米国が売却したもので、FB-111とF-111Eの特徴を併せ持っていた。
  4. 決定版がF-111Fで推力35パーセント増のエンジン、性能向上型レーダー、ペイヴトラック赤外線目標補足ポッドで地上目標を捉え、精密誘導弾薬で攻撃可能だった。
  5. 1970年代中頃から42機のF-111Aが無武装のEF-111Aレイヴン(大カラス)電子ジャミング機に15億ドルで改装された。EF-111の中核装備はALQ-99Eジャミングポッドでレーダーを放射線で妨害し、味方機の探知を不可能にした。
  6. ジャマーの電流は機内に漏れて搭乗員の毛髪が立つほどでだった。このためレイヴンは「スパークヴァーク」の異名がついた。EF-111は尾翼上の受信用ポッドで識別が可能だ。
F-111F がマーク82爆弾を訓練投下している。1986年、 U.S. Air Force photo

エルドラドキャニオン急襲作戦

  1. F-111が世界史に再び現れたのは1986年でリビア工作員がベルリンのラ・ベルナイトクラブを爆破し米軍人2名が命を落とした事件の直後だ。
  2. レーガン大統領はリビアの独裁者ムアマール・カダフィの住居をトリポリ郊外で攻撃する命令を下した。作戦名はエルドラドキャニオン作戦とされ、国家元首を空爆で初めて暗殺する先駆けとなった。
  3. トリポリはSAMの25陣地で守られていた。F-111F一個飛行隊18機が攻撃の中心となり、4機のEF-111レイヴンが防空レーダーを妨害した。別に海軍がベンガジ付近を空襲した。
  4. ヨーロッパ各国が上空通過を拒否したためアードヴァーク各機は英国を離陸後、スペインへ迂回しフライトは13時間に及び空中給油を往復で6回行った。戦闘機の最長ミッション記録となった。
  5. 空爆は大きな効果を上げとはいうものの、F-111の作戦効果と作戦内容で不満足さが残った。F-111は1機を喪失。おそらくSAMによるもので乗員は死亡した。4機はエイビオニクス故障で兵装を投下できず、1機はエンジンのオーバーヒートでスペインに緊急着陸を迫られた。7機は目標を外し、爆弾数発が一般人居住地に落下し、危うくフランス大使館に命中するところだった。
  6. カダフィは空襲の直前にイタリア首相から警報を受け辛くも逃げ延びた。子ども8名と妻が負傷し、養子の幼児ハンナが死んだとされる。(ハンナの出生については謎があり、実際に生き残ったとも言われる)
  7. カダフィは衝撃を受けたものの、その後もテロ攻撃を継続し、中でもパンナム73便のハイジャック、スコットランド、ロッカビー上空でのパンナム103便爆破はよく知られている。
砂漠の盾作戦でのF-111F U.S. Air Force photo

イラク

  1. 1991年1月17日、砂漠の嵐作戦開幕の夜にアードヴァークは砂漠を低高度で縫うように飛び、イラクの防空、主要軍事施設をレーザー誘導爆弾で攻撃した。一方、EF-111レイヴンは連合軍部隊に随行しイラク国内深くに侵入し、イラク防空レーダーをジャマーで妨害した。
  2. 1991年のイラク戦に投入されたのはF-111Fが66機とF-111Eの18機でミッションは5千回にのぼった。
  3. 風説と違い、開戦初日のイラク空軍は無力ではない。F-111の2機がMiG-23の赤外線誘導式R-23ミサイルにより被弾した。MiG-29も別のアードヴァークをR-60ミサイルで被弾させている。頑丈なアードヴァークの面目躍如でこの3機は基地に帰還している。
  4. 2月にはEF-111でそこまで幸運でない事例が出た。敵機を探知後、回避行動中で地上に激突し、乗員全員が死亡した。
  5. ただしジェイムズ・デントンの操縦するレイヴンは尋常でない勝利を手にした。砂漠の嵐作戦初日にデントンのEF-111は早朝の暗さの中を高度400フィートで飛行し、F-15E戦闘爆撃機編隊と上空護衛するF-15C戦闘機編隊を先導していた。
  6. 飛行場H3を通過するとイラクのミラージュF1戦闘機一機が後方から迫ってきた。デントンは鋭い左旋回のあと右に方向を変えチャフを放出し、熱追尾ミサイルを回避した。イラクのパイロットはレイヴンの回避行動に対応する中で空間識を失い、地上へ激突した。無武装のレイヴンが空中戦勝利をあげ、F-111「戦闘機」となった。
  7. イラク防空網が弱体化すると、アードヴァークは地上攻撃に中心を移した。F-111Fのペイヴタック装備は「タンク・プリンク」すなわち赤外センサーによる装甲車両識別で効果を発揮し、レーザー誘導爆弾を頭上から投下した。F-111はイラク車両1,500両を識別した。
  8. その他の標的にサダム・フセインが妨害工作をした油田の連接管がありペルシア湾を汚染した原油流入を止めた。
  9. 砂漠の嵐作戦はアードヴァークの最後の現役活躍の場となり、F-111は1998年に米空軍から退役した。アードヴァークは効果は高いが保守点検コストが高く、空軍は短距離攻撃ミッションはF-15Eストライクイーグルで、長距離攻撃任務はB-1爆撃機が引き継げると判断した。
  10. 空軍にEF-111の交代機種がなく、ジャミング任務は海軍海兵隊のEA-6BプラウラーとEA-18Gグラウラーが今でも実施している。
オーストラリのゴールドコーストで「ダンプアンドバーン」をするF-1112008年.Simon Morris/Flickr photo

オーストラリア

  1. オーストラリアのF-111は2010年まで供用され、同国では愛情をこめ「ピッグ」と呼ばれた。
  2. 1973年受領のF-111C24機に加えFB-111を15機、F-111A4機をオーストラリアは運用した。戦闘投入は一回もなかったが、オーストラリアはF-111で兵力投射能力を確立し外交上の強みとなった。
  3. ピッグはオーストラリアの航空ショーの目玉で燃料を放出したところにアフターバーナーで点火する「ダンプアンドバーン」は有名だった。同国は対艦ミサイル運用の改修のほか、4機を偵察用に改造した。
  4. ただし運航コストが高く、F-18Fスーパーホーネット24機に交代させた。
  5. こうしてF-111は全機が退役したが、類似機種がまだ使われている。ロシアのスホイSu-24フェンサーはF-111の直後に企画され、驚くほど外観や任務が似ており、可変翼付きでもある。
  6. アードヴァークの航続力、速力、兵装搭載量には及ばないが、Su-24の生産数は三倍で、今日でも300機近くが稼働中だ。
  7. トルコ空軍のF-16が2015年にシリア上空で撃墜した機体もロシア空軍のSu-24で外交面で大事件になった。■