ラベル MiG-31ファイヤーフォックス の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル MiG-31ファイヤーフォックス の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年11月14日火曜日

SR-71はMiG-31でも迎撃不能だったのに、スウェーデンが意外な状況でインターセプトしていたという誰も知らないお話。

 伝説のISR機材SR-71ブラックバード(ハブ)を結局どの国も打ち上落とすことが出来ないまま、上空通過飛行を許していた...というお話です。そのSR-71の後継機がいつ生まれるのか、実はもう飛んでいるかもしれません。


(Lockheed Martin)


ロッキードの伝説的機体SR-71ブラックバードは、時代の最先端を走っていた。初飛行から約59年が経過した今日でも、史上最速の乗員付きジェット機という表彰台の頂点に挑む機体はまだ1機もない。ブラックバードはその30年間を通じて、4,000発を超えるあらゆる種類のミサイルを撃ち込まれたが、そのすべてを凌ぎ切ったことで有名である。

しかし、無敵の航空機など存在せず、ブラックバードも例外ではなかった。1971年にはMiG-25のようなソ連の迎撃ミサイルがマッハ3.2の速度を達成し、SA-2のようなソ連の地対空ミサイルはマッハ3.5を超えることが知られていたため、SR-71のマッハ3.2という最高速度は必ずしも競合機よりも速いとは言えなかった。

SR-71とはSFの世界が現実になった機体だった

有名な航空エンジニア、ケリー・ジョンソンが設計したSR-71は、初期のステルス性、綿密な任務計画、そしておそらく最も重要なこととして、圧倒的なパワーの組み合わせによって、だれも見たこともないような高性能な防空システムや迎撃戦闘機を打ち負かすように設計された。

SR-71は、おそらくケリー・ジョンソンが最も成功させた設計と見ることができる。ジョンソンは、第二次世界大戦のP-38ライトニング、アメリカ初のジェット戦闘機P-80シューティングスター、そして最も特筆すべきU-2偵察機といった過去のプロジェクトで、設計手腕は証明ずみだった。実際、U-2計画におけるジョンソンの努力は、今日私たちの多くがエリア51として知っている秘密軍事施設の設立につながった。しかし、ジョンソンのこれまでの努力は画期的なものであったが、アークエンジェル・プログラムが生み出したSR-71は別格であった。

SR-71のマッハ3.2という最高速度が注目されがちだが、ハブがこれほど素晴らしいプラットフォームとなったのは、速度だけではない。結局のところ、ロケットエンジンを搭載したノースアメリカンX-15がマッハ6.7を達成している。しかし、X-15が1回の飛行でカバーできる距離が240マイル程度で、1時間飛行するごとにエンジンの完全リビルドが必要だったのに対し、SR-71は何時間も何時間も弾丸よりも速く飛び続け、滑走路に安全に着陸して翌日の再飛行のために燃料を補給する設計だった。

「マッハ3.2を達成し、それを長時間維持するアイデアは、スカンクワークスにとって最も過酷な仕事であり、私のキャリアの中でも最も困難なものでした。「開発の初期段階で、私は簡単にできることを見つけた人に50ドルを約束した。1,000ドルを提供した方がよかったかもしれません」(ケリー・ジョンソン)。

Lockheed’s Kelly Johnson (Lockheed Martin)


マッハ3以上を長時間維持するブラックバードの能力は、大規模な温度変動に耐えられるエイビオニクス・システム用の新種のワイヤーを発明する必要性など、大量の工学的ハードルを生み出した。エンジニアたちはまた、地上と上空16マイルで機能する新しい油圧作動油を特別に調合する必要もあった。重量と温度の両方の要求を満たすため、機体構造の93%にチタンを使用することが決定された。そこでCIAは一連のペーパーカンパニーを設立し、チタンをソビエトから密かに調達した。

マッハ3の飛行が続くとガラスは半透明になり、パイロットの視界が遮られる。そのため、SR-71の窓は厚さ1.25インチの石英で作られ、音波で機体に溶着された。それでも飛行中、石英窓は非常に熱くなり、乗員は機内食を温めるため、窓から数インチのところに配給品を置いていた。

スピードとステルス性を兼ね備えたSR-71は、非常にタフなターゲットだった

SR-71のレーダー断面積は比較的小さく、スピードも非常に速いため、地上ベースの防空システムにとっては非常に難しいターゲットだった。報告によると、全長107フィートのブラックバードのレーダー断面はわずか22平方インチ(0.1メートル四方)であった。その時点で、最高速度がマッハ3.5でハブよりも速いSA-2ミサイルを発射しようとしても、事実上失敗に終わった。ミサイルが飛来する頃には、SR-71は射程圏外にいたのだ。

しかし1970年までに、ブラックバードは航空界の高速リーダーボードとソ連支配地域の上空で新たな競争相手を得た。

MiG-25は、当時アメリカが開発していた核搭載可能な超音速爆撃機への対抗策として、ソ連が秘密裏に開発したものだった。当時Ye-155として知られていたこの新型高速迎撃機の噂は、1964年には早くもアメリカに届いていたが、ソ連が時速1,441マイルで世界速度記録を更新したと発表したおかげで、この計画が表沙汰になった1965年に、注目を集めた。しかし、アンクル・サムがソ連の新型スーパーファイターを初めてはっきりと目にすることになったのは1967年のことだった。

巨大なエアインテーク、広大な翼、ピクニックができるほど大きな双発エンジンのアウトレットを備えたこの戦闘機を見て、アメリカの防衛機関はすぐに懸念を抱いた。そして、そこから悪化の一途をたどることになる。1971年、MiG-25は、イスラエル軍によってシナイ半島上空での偵察飛行中にマッハ2.5から2.83の速度を記録した。イスラエル軍のF-4が迎撃を試みたが、80,000フィート以上の上空を飛行していたミグがマッハ3.2を超えたと報告されている。

SR-71とMIG-25のマッハ3.2での飛行方法はまったく異なる

書類上では、MiG-25はアメリカのSR-71ブラックバードに匹敵するように見えたが...。

ソ連のMiG-25は、強力な(しかし気難しい)トゥマンスキーR-15ターボジェットエンジンに修復不可能なダメージを与えるような短時間の全力疾走で、マッハ3.2という高速を達成することができた。一方、SR-71は、冷気を直接アフターバーナーに送り込むバイパスチューブを備えた独自のプラット&ホイットニーJ58ターボジェットエンジン(J58は「ターボラムジェット」と呼ばれることもある)と、それまでのどのジェットエンジンよりも高温に耐えることができる世界初の方向性固化タービンブレードのおかげで、苦労せず何時間もその速度を維持することができた。

言い換えれば、MiG-25は大きな犠牲を払ってでもマッハ3を超えることができるかもしれないが、SR-71は楽々マッハ3で飛行していたのである。その結果、ソ連のパイロットがブラックバードが向かってくるという知らせを受けたときには、その機体が消えてしまう前に、自分たちの機体を空中に浮かせ、その尾を引くチャンスはほとんどなかった。

ソ連のMiG-25パイロット、ビクトル・ベレンコ中尉が1976年に西側に亡命した後に説明したように、MiG-25として知られるフォックスバットは、マッハ3以上の持続速度で叫んで通り過ぎるSR-71と接近できるほど速く上昇することができず、たとえできたとしても、空対空ミサイルには両者の距離を縮めるのに必要な推力が不足していた。SR-71に真正面からぶつかっても、ハブの接近率はフォックスバットの誘導システムには手に負えなかったとベレンコは説明した。

「ソ連機が到達できない高度まで上昇し、上空を悠々と旋回したり、ロシア機が追いつけない速度で颯爽と飛び去ったりした」とベレンコは説明した。

あるソ連のMiG-31パイロットがSR-71をロックオンしたと主張したが......

元ソ連軍パイロットのミハイル・ミャグキー大尉は、MiG-31でSR-71をロックオンすることに成功したが、航空機がソ連領空を侵犯していなかったため、撃墜しなかったと主張している。しかし、この証言はアメリカ側からは確認されておらず、ソ連のパイロットが射撃の判断に慎重なことで知られていたわけではないことは注目に値する。

たとえば1983年、大韓航空のボーイング747がSu-15に迎撃された。Su-15は機関砲で数発の威嚇射撃を行ったが、パイロットは民間旅客機であることをはっきりと認識できたにもかかわらず、情報を司令部に報告しなかった。実際、報告によれば、戦闘機は無線で旅客機に連絡しようともしなかったという。

「2列の窓を見て、ボーイングの民間機だとわかっていた。しかし、私にとっては何の意味もなかった」。ソ連のパイロット、ゲンナディ・オシポビッチ大佐はニューヨーク・タイムズ紙にこう語っている。「ボーイングタイプの飛行機であることを地上に伝えなかった」。

その後、オシポビッチは747の後方に位置し、2発のK-8赤外線誘導空対空ミサイルを発射、航空機を破壊し、乗客269人全員を死亡させた。当時のソ連指導部が、撃墜はアメリカが企てた挑発行為だと非難していたのを見ると、ソ連領空外でSR-71を確実にロックしたソ連の戦闘機パイロットが、突然国際法を完全に理解するようになるとは思えない。

SR-71をロックオンした唯一の外国人戦闘機はスウェーデン人だった

特別な訓練を受けたスウェーデン空軍のJA-37ヴィゲン・パイロットたちである。彼らは、比較的低速で飛行速度の低いヴィゲンがこの栄誉を得ることができたのは、その卓越した作戦計画と技術的スキルのおかげであると大いに称賛に値する。

しかし、これらの迎撃が可能だったのは、米空軍がスウェーデンを脅威として認識していなかったからであり、そのため、迎撃を防ぐ作戦計画をほとんど立てていなかったからだ、という見方もできる。言い換えれば、スウェーデンのヴィゲンは、必ずしも実際に回避しようとしていたわけではないブラックバードの迎撃に成功したということができる。実際、ほんの数年前まで機密扱いのままだったある事件では、SR-71を迎撃するために派遣されたヴィゲンが、SR-71のエンジンの1つが爆発したことに気づくと、すぐに護衛に移行した。ブラックバードが急速に速度と高度を失う中、2組のヴィゲンがローテーションで出入りし、味方空域に到達するまでソ連の迎撃から守った。

ヴィゲンのパイロットたちは、アメリカ軍機を即席で守った功績により、最終的にアメリカ空軍航空勲章を授与された。これは、軍用航空界で多くの人々を動かしている競争心でさえ、世界のトップエイビエイターが共有しているプロフェッショナリズムと相互尊重を克服することはできないという貴重な思い出となっている。■

Why Russia's Mach 3.2 MiG-25 couldn't catch the Blackbird | Sandboxx


  • BY ALEX HOLLINGS

  • NOVEMBER 9, 2023


2017年12月10日日曜日

日曜特集 MiG-31ファイヤーフォックスのすべて

あなたはシャーロック・ホームズやホーンブロワー提督がお好きですか。そうでなければ今回の記事をお読みにならない方がいいでしょう。読んでも理解できない向きはコメントをお寄せにならないようお願いします。英国人が同じ記事を書いたらもっとおもしろくなるのでしょうかね。

 

The Story Of The MiG-31 “Firefox”: All You Need To Know About The Most Awesome (Fictional) Advanced High-Speed Interceptor Ever

MiG-31「ファイヤーフォックス」の物語:世界最高峰の(架空の)高速迎撃機のすべて

Dec 01 2017 - 0 Comments

 

  1. MiG-31について誤った情報が流布しているようなので訂正したい。
  2. クレイグ・トーマスが1977年に発表した小説「ファイヤーフォックス」はクリント・イーストウッド監督主演でテクノスリラーアクションとして映画化され、1982年に公開された。
  3. 航空好きなら一度は見たことがあるのではないか。
  4. 映画ではソ連のMiG-31(МиГ-31)を盗むプロットを中心にNATO名「ファイヤーフォックス」のステルス迎撃機はマッハ6飛行可能としていた。
  5. 機体外形は小説と映画で大きく異なる。小説版はMiG-25フォックスバットに似ており、これはその後本当のMiG-31フォックスハウンドで現実になった。映画版は当時噂のあった「ステルス戦闘機」のイメージに影響を受け未来的デザインになっている。
  6. 物語全体は実現性とは無縁だったが興味深いのはMiG-31の想定性能だ。(小説執筆時、映画化の時点で不可能だった内容がその後に実現している)敵レーダーから探知されず極超音速飛行するファイヤーフォックスではパイロットの脳波の思考制御で兵装運用していた。ただしロシア語による思考にのみ反応するのだった。機体にはカメラ多数が装備されパイロットは後方の様子も把握できた。
  7. MiG-31は試作機が二機製造された。一号機はミッチェル・ガント少佐(扮クリント・イーストウッド)がソ連から盗み出し追跡を振り切る。北極海の氷上に着陸し、潜水艦から補給を受けた。二号機が盗まれたファイヤーフォックスを追跡して接近したがドッグファイトでガント少佐が勝利した。
The MiG-31s involved in the dogfight. (Credit: Warner Bros)

  1. 映画版の機体をデザインしたカート・ベスウィックが自らファイヤーフォックスの詳細情報サイトを開設している。カートは技術諸元の「白書」もイラストにつけて公開しているが、「すべて映画からあるいは自分で作った情報なので真剣に取りすぎないでほしい。この形状では明らかに極超音速は無理であくまでも映画の世界」と伝えてきた。
  2. 白書から興味を惹かれる部分を抜き出し解説してみた。

開発の背景

  1. MiG-31ファイヤーフォックスの根本目的は西側が開発中のすべての機材を迎撃可能な戦闘機開発にあった。想定したのはSR-71ブラックバード、U-2BTR-1D-21無人機だった。冷戦は最高潮で、「相手を正直にふるまわせるため」米国はソ連上空でスパイ飛行していた。マッハ3.5のロッキードD-21無人機を「母機」SR-71から発射することがソ連の現実の悩みだった。米側は高度100千フィートから同無人機の運用に成功しており、ミコヤン-グレヴィッチはこれを標的に設定した。MiG-25フォックスバットの知見が使われ最高水準の機体が生まれた。ファイヤーフォックスは航空技術の最高峰であり、米国はこのことを認識していた。
  2. MiG-31予算は増大の一途で試作型2機以外の製造は期待薄となった。チタン加工法だけで当初の予算想定を超過する規模だったが関係者は構わず進めた。なによりも米国による上空飛行を許さないとの決意が強かった。ファイヤーフォックスは究極の高速高高度飛行迎撃機として設計されたのだ。

エンジン

  1. ファイヤーフォックスのエンジンはツマンスキ Tumansky RJ-15BD-600高バイパス比アフターバーナー付きターボジェット双発で推力は各50千ポンドだった。これはMiG-25フォックスバットで開発したエンジンを大幅に改良したものでSR-71ブラックバードの P&W J58(32,000lb)を上回った。
  2. エンジンには六基のソユーズ・コマノフ固体燃料ロケットブースターも付き、主エンジンを助けて15,900ポンドの追加推力を生んだ。重量満載時の離陸を補助したほか、高速加速効果も生んだ。テストパイロットがエンジンのフレームアウトが発生する高高度で作動させたこともあった。試作型一号機は131,079フィートまで上昇し、以前の世界記録Ye-266M123,492 ft.を更新した。
  3. コンプレッサーのブレイドはチタン製でロシア航空機産業で初の試みだった。燃料は冷却後にエンジンに供給され機体冷却にも役立てた。この技術についてはロシア情報部が入手したSR-71のシステムが参考になった。
  4. RJ-15BD-600は驚異の推力重量比を実現し、高高度でも空気取り入れ効率を維持してマッハ6を実現した。ただし燃料消費が高くなるため最高速度の長時間維持は不可能だった。巡航速度はマッハ3.8から4.8の間で実用高度は 95,000フィートから105,000フィートの間だった。
The Firefox at the rendezvous with a submarine in the arctic (Warner Bros).

機体

  1. 機体は大部分がチタンとSS-118ステンレススチール・ニッケル合金でフォックスバット後期型と同様だった。MiG-31はチタンを大幅に取り入れたソ連初の機体で、1970年代中頃までにソ連の製造技術はチタン工法を習熟していた。ただし、レーダー吸収剤の追加により機体表面の高温化が問題となった
  2. この解決策の一つとして機体のアスペクト比と前後縁は切り詰められロッキードF-104スターファイターと酷似した。機首とエンジンナセルは滑らかな平面とし空気摩擦を最小にしながら抗力を減らした。リベットは表面を滑らかにされ、機体表面に突出部はなく、センサー等は機体内部に搭載された。機体表面の高温化に対応し主翼内に拡張可能な結合構造が採用された。兵装搭載はすべて内部とし、ミサイルは引き込み式発射装置を左右に配置した。熱対策が各種試されたが、結局巨大ヒートシンクで解決し、MiG-25と方向が違っていた。
  3. 機体に「ステルス」特性もあったが、高速と高高度飛行を前面に立ててどちらを優先すべきかで議論の種となった。ステルス性には三段の対策がなされた。まず機体構造は角ばりレーダー波反射をねらった。さらに表面にレーダー吸収剤(RAM)が施され当時の米国の技術と同じだった。次にMiGには電子対抗装置(ECM)で敵早期警戒をジャミングできた。ただし、ツマンスキエンジンの冷却だけはどうしようもなく熱追尾ミサイルの格好の標的となる点は同機最大の弱点といわれた。

エイビオニクス

  1. ファイヤーフォックスは思考制御による兵装運用を初めて効果的に実施した機体だった。機構は簡易かつ地味な構造で、ヘルメットを中央コンピューターに光ファイバーで接続していた。パイロットが兵器選択を考えると(ロシア語で)、その通りにミサイルを発射する仕組みで、EEGフィードバックと呼ばれた。操縦は思考とは別で、兵装運用だけに応用した。当時はフライバイワイヤは新技術とみなされていたが、思考制御は革命的だった。ミコヤン-グレヴィッチは合成開口レーダーも開発し偵察ミッションにも柔軟に使われた。
The MiG-31 Firefox had a range of 3,000 miles. (Warner Bros).

 

ファイヤーフォックスのその後

  1. クレイグ・トーマスの小説版のファイヤーフォックスのその後の経緯とは異なる。あれだけ苦労して盗み出した機体が(次作「ファイヤーフォックスダウン」で)墜落してしまうとはあまりにも荒唐無稽なためだ。代わりに判明している事実に従ってその後の経緯を伝える。映画では実寸大のファイヤーフォックスのモックアップがエドワーズ空軍基地周辺で使った。そこで同機の「経緯」を以下の通りだ。「ソ連から盗んだ機体を米軍幹部はどうするだろうか」と考えてみた。まず機体は映画の最後でアラスカに向かい飛行したので北部カリフォーニアに秘密基地があると考えるとビールAFBが設備が整い立地も遠隔地だ。(実際に同基地でSR-71TR-1が運用されていた) 同基地で初期点検と研究がなされただろう。その後、グルームレイクに移動し、ロシア製軍事装備を運用する「レッド・ハット」飛行隊に加わったはずだ。
  2. 機体は大部分が分解されリバースエンジニアリングされたはずだ。最終的にエドワーズAFBに併設したドライデンフライトリサーチセンターに移動し、高速飛行テストと合金技術の研究用に使われその生涯を終えたはずだ。思考制御方式が関心を呼んだことは間違いない。そこからの可能性は無限で、おそらくF-22ラプターも今とは大きく異なる方向に進んでいただろう。

結論

  1. ミコヤン-グレヴィッチ設計局はロシア軍用機の特徴である「荒っぽいやり方」を使い西側の追随を許さない航空機を一貫して実現してきた。同設計局は当時可能な選択肢で多様な方法を試した。西側は同機が開発段階にある段階からこの事を察し、完成した同機を盗み出すことに成功し、あと一機のみ残るMiG-31試作型の破壊にも成功した。
  2. 両機を喪失したため支出済み予算はムダとなり、主要技術陣も他界したため、ミコヤン-グレビッチはファイヤーフォックスの再起を断念した。このため世界最強かつ最高の技術を盛り込んだ機体は二度とこの世にあらわれなかった。以上がファイヤーフォックスの語られることのない側面だ。同機に関する全記録は製造装置含め同機が盗み出された直後に廃棄されており、ロシア航空関係の文献では同機に関する言及は皆無だ。ロシア高官にとってここまでの性能がありながらばつの悪い終わり方になった同機の存在は都合の悪い話になのだろう。■

https://theaviationist.com/2017/12/01/the-story-of-the-mig-31-firefox-all-you-need-to-know-about-the-most-awesome-fictional-advanced-high-speed-interceptor-ever/#5RfQqZwgL5D1TtSg.99 で詳細を読む