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2024年12月8日日曜日

ホームズ教授:日本はなぜ真珠湾で失敗したのか(19FortyFive)―米国にとって真珠湾攻撃は12月7日日曜日の出来事ですが、奇襲攻撃を卑劣な攻撃にした外務省の失敗、戦術と戦略を区別できない日本人の思考の限界は残ったままですね

 

Dr. James Holmes: The Naval Diplomat - 19FortyFive

Why Japan Failed at Pearl Harbor

By

James Holmes

The USS Arizona (BB-39) burning after the Japanese attack on Pearl Harbor, 7 December 1941.

日本軍の真珠湾攻撃後に炎上するUSSアリゾナ(BB-39)、1941年12月7日。


大日本帝国の真珠湾攻撃は失敗だった。平時の戦略的競争相手に対する自らの行動の影響を見誤り、競争相手を敵に回し、自ら破局への道を歩み始めた


ール・フォン・クラウゼヴィッツは微笑むだろう。軍人は戦略、作戦術、戦術を科学として考えたがる。そのような態度は物事を単純化し、戦場での成功は変数や方程式、インプットとアウトプット、その他もろもろの処理によってもたらされると暗示する。士官候補生が任官の前段階で海軍科学や軍事科学のコースを学ぶのには理由がある。そして、数値的な見方は慰めになる。運命は自分でコントロールできる、あるいは少なくとも予測できる。 私たちは数学ができるのだ。


クラウゼヴィッツは、歴史上最も傑出した軍事学者であり、生涯を武器に費やした人物だが、その見解は異なる。


プロイセンの軍人クラウゼヴィッツは、武術の努力には科学的な側面があることを認めている。兵站(へいたん)は軍事作戦の一側面であり、定量的アプローチが適している。A地点からB地点に十分な量の物資を運び、埃っぽい戦場を支配する軍隊が勝つのに十分な弾薬や貯蔵品を確保することだ。兵器生産もそのひとつだ。それはまず科学的な研究開発に依存し、次に工業的な方法とインフラに依存する。 等々。


科学が役割を果たす。


しかし、クラウゼヴィッツは最終的に、戦争は科学というよりも芸術であると結論づけた。戦争は生身の戦闘員と生身の戦闘員が戦うものであり、人間の動機や行為を正確に数値化することは不可能だからだ。人間が予測不可能なのは、コストや利益、リスクを合理的に計算して行動するからだけではない。また、妬み、憎しみ、復讐心、恨みなど、理性的でない情念、とりわけ暗く煽動的な情念から行動することもある。客観的な測定単位をどう定めるのか。 そんなものはない。


では、競争する人間同士を比べてみよう。欺瞞とミスディレクションが戦略、作戦、戦術の中核をなす。相互作用は戦争をフラクタルな環境にする。 戦争は予測不可能である。


クラウゼヴィッツが戦略立案の魂として推測を描くのはそのためである。敵を見極めることは勝者にとって極めて重要であり、科学というより芸術である。戦場での成功を目指す者は、「いわば推測しなければならない。戦いの最初の衝撃が敵の決意を固め、抵抗を硬直させるのか、それともボローニャ・フラスコのように表面に傷がつくとすぐに砕け散ってしまうのかを推測しなければならない」と彼は忠告する。指導者は「自分が受けた傷の焼けるような痛みが、敵を疲労で倒れさせるのか、それとも傷ついた雄牛のように怒りを呼び起こすのかを推測しなければならない」。


推測、推測、推測。


ボローニャ・フラスコは仕掛けである。その他科学ガラス製品と同じように吹きガラスで作られ、それを冷却することで外側は石のように硬く、内側からのわずかな衝撃で割れてしまう。クラウゼヴィッツにとって、それは戦争の完璧な比喩だ。すべての戦争社会は、政府、軍隊、民衆の内部関係に依存している。ある社会は強く毅然としている。敵対勢力が一撃を加えても耐え忍び、極端な偏見を持って暴れる。だが、ボローニャ・フラスコのように、ストレスで崩壊してしまう社会もある。崩壊し、戦闘開始と同時に敗北するか、講和を求めてくる。


軍事プランナーにとって最悪なのは、敵対的な社会が、ある時はボローニャ・フラスコになり、ある時は傷ついた雄牛になることだ。 どちらになるかは状況次第である。


1941年、日本の軍事界の大物たちの推測は間違っていた。彼らは、アメリカが産業面、ひいては軍事面において、中堅クラスの自らの島国帝国をはるかにしのぐ潜在力を誇っていることは理解していた。しかし彼らは、真珠湾で太平洋艦隊を喪失すれば、アメリカは潜在的な軍事的利益を得るために自らを奮い立たせることはないだろうと結論づけた。艦隊の再建に労力と費用をかけるよりは、西太平洋を日本に譲り、グアムやフィリピンなどの島嶼を不本意でも放棄し、日本が主導する新しい地域秩序に自らを和解させるだろう。


つまり、日本は敵をボローニャ・フラスコとして見ていたのだ。


しかし、アメリカは12月7日以降に疲弊して倒れることはなかった。それどころか、日本海軍の空母による空襲は、傷ついた雄牛に怒りを引き起こした。あるいは、ハリウッド版の山本五十六艦隊司令官が真珠湾攻撃後に嘆いたように、攻撃が眠れる巨人を目覚めさせ、恐ろしい決意で満たした。 (現実の山本元帥もそのような趣旨を日記に書いている。)


力と決意が武力の教科書的な定義だ。巨人は巨人の肉体を持つ。恐るべき決意は、敵を打ちのめすためにその力を発揮する動機となる。スーパーマンのマントを引っ張る前に、よく考えてほしい。


日本は真珠湾攻撃で、クラウゼヴィッツ的な誤った推測により敗北したのだ。このような誤った判断は、外交的・軍事的歴史を台無しにする。ロシアはウクライナを2022年のボローニャ・フラスコと見ていた。モスクワは、ウクライナの国防軍、政府、民衆は攻撃から数日以内に降伏すると考えていた。眠れる巨人ではないものの、ウクライナ社会に3年にわたり困難な逆境に立ち向かう意志の力を呼び起こさせた。ウクライナ社会は最強となった。習近平のような敵対勢力が、同じような軍事的不測の事態を引き起こす前に、歴史から教訓を求めることを期待したい。


節制は知恵である。■


著者について ジェームズ・ホームズ博士

ジェームズ・ホームズ博士は、海軍大学校のJ.C.ワイリー海洋戦略講座の教授であり、ジョージア大学公共・国際問題学部のファカルティフェローでもある。 ここで述べられている見解は彼個人のものである。



2021年12月7日火曜日

真珠湾攻撃から80年、ホームズ教授が帝国海軍による攻撃は失敗だったと言い切る三つの理由。

  

 

本帝国海軍が航空攻撃で米戦艦群を真珠湾で沈め80年になる。作戦は救いがたい失策だった。


 

矛盾して聞こえるだろうか。そんなことはない。日本の機動部隊は空母中心の打撃部隊で遠距離移動し、荒天をものともせず、450機を搭載し、その他戦艦、巡洋艦、駆逐艦、補助艦が空母部隊を護衛し補給支援を行った。

 

日本近海からハワイ沖までこれだけの部隊を移動させるのは大変な任務だった。艦隊は広い海面に広がったが任務は戦術的には完遂した。艦載機二波にわかれ1941年12月7日朝にハワイへ来襲し、フランクリン・ロウズヴェルト大統領は「不名誉の日」と名付けた。米海軍では94名の戦死者が生まれたが、日本軍の攻撃の優先順位は湾内中央部フォード島に係留した戦艦8隻だった。

 

サミュエル・エリオット・モリソンがハーヴァード大歴史学教授としてまとめた第二次大戦時の米海軍戦闘記録で書き残した。「戦闘開始30分でアリゾナは燃えさかり、オクラホマは転覆、ウェストヴァージニアは沈没し、カリフォーニアは沈みつつあった。戦艦は乾ドックにいたペンシルヴァニアを除き、大損傷を受けた」(幸いにも米空母部隊は航空機輸送用に使われ12月7日は海上にあった)

 

8:25までに第一波攻撃は終わった。その時点でモリソンは「日本軍はおよそ9割の目標の攻撃を終え、太平洋艦隊の戦艦部隊が壊滅した」と記述した。また日本軍機はオアフ島内の戦闘航空機をほぼ全数破壊した。

 

10:00に戦闘は終了した。モリソンは以下述べている。「緒戦でここまで決定的な勝利を収めて始まった戦争は近代史になかった」 

 

ただ筆者は真珠湾攻撃が日本帝国にとって大惨事になった理由を以下三点あげたい。まず、機動部隊は本国からはるか遠隔地まで遠征したため、戦略原則である「継続性」を実行できなかった。軍事大家カール・フォン・クラウゼビッツも敵の「重心点」つまり敵の軍事、社会双方の集合地点を把握すべしと指揮官に説いていた。これが見つかれば、効果的に攻撃し、「攻撃に次ぐ攻撃を同じ方向に向け」敵の抵抗が下火になる、もう抵抗できなくなるまで続けるべしとした。

 

ボクシングも同じだ。相手ボクサーをふらつかせる一撃を加えたら、連打を加え相手をノックアウトさせるまで手を緩めてはいけない。

 

筆者は太平洋艦隊を米海軍力の重心ととらえた帝国海軍の判断に合意する。日本の補給線は伸びきっており、機動部隊はオアフ島付近に留まれず、連続攻撃がままならなくなっていた。また機動部隊に残る燃料が少なく洋上の米空母を索敵攻撃する余裕もなかった。

 

日本は12月にワンツーパンチを叩いたが、ノックアウトは取れなかった。米戦艦部隊は損傷を受け、修理不能となった艦もあった。米空母戦力は残ったが、当面は攻撃を恐れ逃げ回っていた。

 

そこで真珠湾攻撃が失敗だったという二番目の理由だ。チェスター・ニミッツ海軍大将が12月末にハワイに赴任し太平洋艦隊の指揮を執ったが、モリソンは日本の攻撃目標を間違えたとした。「戦艦部隊と航空部隊は大きく損傷させたが、真珠湾の恒久施設は無視した。修理施設では早速損傷度の低い艦艇の修理作業が始まっていた」。(当日に損傷を受けた戦艦の大部分がその後現役復帰し、1944年には復讐とばかりにスリガオ海峡海戦で活躍している)また、日本軍は発電所や燃料施設にも攻撃を加えなかった。また実際の死傷者も予想より少なくなった。日曜日早朝とあり、艦艇乗組員の多くが上陸して自由時間を楽しんでいたためで、日本側の想定は外れた。

 

乾ドック、修理施設、燃料、電気供給がなければ艦隊は機能しない。ブラドリー・フィスク少将が一世紀前に基地機能の重要性に気づいていた。またトーマス・C・ハート海軍大将が真珠湾攻撃後に指摘したように、基地施設が破壊されていたら太平洋での米軍活動は長期化していただろう。

 

となると日本側の標的設定に誤りがあったことになる。米海軍の重心点は艦隊としても、海軍基地がなければ艦隊行動は維持できなくなる。

 

三番目に真珠湾攻撃が与えた政治面の影響がある。映画トラ・トラ・トラ!(1970年)、さらにミッドウェイ(2019年)でハリウッド版の連合艦隊司令長官山本五十六大将が真珠湾攻撃で「眠れる巨人を起こしてしまい、恐るべき決意を与えてしまった」と悲しく語るシーンがある。史実の山本はここまで詩的表現で発言していないが、著作で同じ意味を述べている。映画製作者は記憶に残る表現にしたかったのだろう。

 

真意を考えてみよう。米国は当時海外の戦争に巻き込まれたくない姿勢だったが、膨大な天然資源と産業力を有する巨人で、軍事大国になる潜在力も秘めていた。潜在力を実際の軍事力にするのは決意だ。米経済力は日本の9倍10倍の規模だった。圧倒的な軍事優位性を秘めた相手を挑発したいとは思わないはずだ。それでも日本は真珠湾を攻撃した。これにより米国民が動員され社会も同調し本当に軍事大国になってしまった。米国民の怒りは太平洋の向こうにある帝国に向けられた。

 

戦時中の感情は1945年終戦後にも長く残った。筆者の家族は軍人の系譜で第二次大戦中は海軍一家だった。祖父両名は下士官でうち一人の乗った護衛空母は沈没したが幸い本人は生き残った。1987年に筆者が初めての自分の車、真紅のホンダで祖父宅を訪問した際は気まずい場面になったのを想像してもらいたい。

 

日本が真珠湾で犯したまちがいの主な理由は筋肉隆々の敵を相手にしたことだ。日本は代りに何をすべきだったのか。日本は別の標的を攻撃できたはずだ。そうであれば、史実より相当長い期間にわたり、軍事優位性を発揮できたはずだ。

 

あるいは戦前の軍事演習の想定どおりにしていたらどうなるか。山本が真珠湾攻撃を主張したのは1941年のことだった。それまで帝国海軍の戦略構想は何十年を費やし磨いたもので、まず米領だったフィリピン攻略の後出動する米太平洋艦隊を待ち、これを撃破するものだった。潜水艦、軍用機を太平洋内の島しょから出撃させ米艦隊が西方に移動するのを反復攻撃し、戦力を消耗させたのちに日本艦隊が交戦し西太平洋で撃破するシナリオだった。これは健全な戦略だった。

 

反対に日本軍指導層はモリソンが「知的愚鈍」と呼ぶ主張に同意してしまった。戦術面では日本は輝かしい戦果をあげても、上層部の戦略無教養の埋め合わせにならなかった。

 

これが日本による真珠湾攻撃は失敗だったと言い切る理由だ。■

 

 

Japan’s Attack on Pearl Harbor Was a Colossal Mistake

ByJames Holmes

 

Dr. James Holmes is J. C. Wylie Chair of Maritime Strategy at the US Naval War College and a Nonresident Fellow at the Brute Krulak Center, Marine Corps University. He is slated to present these remarks on board the battleship Massachusetts, Fall River, Massachusetts, this December 7. The views voiced here are his alone.

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