ラベル F-117A の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル F-117A の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年11月15日土曜日

F-117とステルスの未来(Air and Space Forces Magazine)

 

ステルスは50年前には賭けだった。現在でも賭けであることに変わりはない

テルス技術は、過去 35 年間にわたりほぼ無敵の威力を米軍に与えてきた。1991年の湾岸戦争で圧倒的な成功を収め、それ以来数世代にわたって大幅に改良・改善されてきたステルス技術は、空軍に「ドアを蹴破る」能力、つまりどこにでも進出し、他の統合軍が頼る制空権を確保する能力を与えている。

元参謀総長デビッド・ゴールドファイン将軍は、ドナルド・トランプ大統領の最初の任期中に、ステルス技術のおかげで「私は、あなたが攻撃してほしいと望む地球上のあらゆる目標を、信じられないほどの精度で攻撃することができ、敵は何もできない」と伝えたと述べた。

敵も同盟国も言うことのできないことだが、米国はそれを手に入れている。

6月に米国の航空機がイランの防空網を突破し、イランの核兵器計画に深刻な打撃を与えた「ミッドナイト・ハンマー作戦」は、F-22およびF-35戦闘機、7機のB-2爆撃機という3種類のステルス航空機で実現し、各機は無傷で帰還した。

しかし、軍事分野では、あらゆる対策に最終的には対抗策が存在する。ステルス技術の終焉は、新たな探知技術と高速コンピューターの普及に伴い、幾度も予測されてきた。しかし専門家はこうした予測は時期尚早だとし、ステルスは今後数十年にわたり空軍の必須兵器であり続けると指摘している。

現代のステルス技術は1975年に遡る。国防高等研究計画局(DARPA)がロッキードとノースロップに、探知・追跡が困難な実験機の開発契約を授与したのが始まりだ。ベトナム戦争ではレーダー誘導対空ミサイルが米軍機に甚大な損害を与え、ソ連は米戦闘航空部隊が突破できない「空中壁」を築くため、巨額の資金を投じて大規模防空システムを構築していた。米国には新たな優位性が必要だった。

ソ連はステルスに対抗しようとして、破産寸前まで追い込まれた。

―元空軍参謀総長 デイビッド・ゴールドファイン将軍

ステルス技術が成功すれば、米軍機は世界で最も防衛が手厚い標的の上空を自由に飛行でき、ソ連が巨額の国家予算を投じた防空システムはほぼ無力化する。ステルス戦闘機や爆撃機は、敵に発見されることなく標的へ接近し、武器を発射した後、敵の迎撃を受ける前にその場を離脱できるのだ。

この構想は、キルチェーンの各段階で敵の成功確率を低下させることを目的としていた。すなわち、探知される確率を下げ、探知された場合の追跡確率を下げ、追跡された場合の武器の照準確率を下げるというものだ。

ロッキードの先進開発部門「スカンクワークス」が開発を任された。コードネーム「ハブ・ブルー」と名付けられた試作機は、全体形状の最適化、表面の多面構造、レーダー吸収材を組み合わせ、探知を最小限に抑えた。

ハブ・ブルーは2機が製造され、1号機は1977年に初飛行した。過酷な試験プログラムの過程で両機とも墜落したが、このコンセプトの有効性を実証し、F-117ナイトホーク「ステルス戦闘機」へ道を開いた。大型戦闘機ほどの大きさだったが、実際には空対空能力を持たない爆撃機であった。

1980年、当時のハロルド・ブラウン国防長官は、再選を争っていたカーター政権がソ連との冷戦を真剣に遂行していることを国民に安心させようとステルス技術の存在を公表した。

「既存の防空システムを実質的に無力化することで、この技術は軍事バランスを大きく変える」とブラウンは記者会見で述べた。ステルス技術はロシアの防空投資を無意味にする可能性を秘めていた。

ブラウンは、開発がどこまで進んでいるかについて言及しなかった。その詳細は厳重に守られた秘密だったからだ。

1年後、F-117は初飛行した。そのレーダー断面積(敵のレーダー操作者の画面に映る見かけの大きさ)は、ハチドリに例えられている。

ロッキード社のステルス戦闘機の概念実証機は、同社の有名なスカンクワークス部門によって開発された「ハブ・ブルー」だった。これは、レーダーの反射波を最小限に抑えるために特別に設計された、初の固定翼航空機だった。ロッキードのエンジニアたちは、ソ連の物理学者であり数学者でもあるペトル・ウフィムツェフが開発した数学的モデルを活用し、ステルス技術の潜在能力を引き出した。ロッキード・マーティン

ブラックジェットの秘密

ハブ・ブルーの基盤を基に、F-117の形状はレーダーのエネルギーをそらし、探知レーダーに微弱なエコーしか返さないよう設計されていた。

その多面的な外皮は、レーダーを吸収する素材を層状に重ねた構造で、コックピットの窓は金属でコーティングされ、レーダーを反射するパイロットのヘルメットを内部に隠していた。エンジン吸気口はレーダーを反射するグリッドで覆われ、平らに広がった排気口は、スペースシャトルのように熱を吸収するタイルで覆われ、熱痕跡を最小限に抑えていた。

メンテナンスが鍵だった。F-117の表面は入念に平滑に保たれ、技術者は継ぎ目や締結部の突起から電波が反射しないよう、何時間もかけてコーキング材や特殊テープを「塗り込む」必要があった。

F-117の運用には技術も求められた。パイロットは様々なレーダーに対抗する戦術を開発し、正面から接近する、側面から接近する、あるいは様々な姿勢で接近するなど、探知を最小限に抑える方法を編み出した。パイロットが「エルヴィラ」と呼んだコンピュータープログラムとデータベース——おそらくポップカルチャーの吸血鬼「エルヴィラ、闇の女王」へのオマージュ——は、世界中の既知の防空レーダーを全て記録し、各レーダーに対する最適な飛行プロファイルを提示した。

ブラウンの暴露発表からわずか3年後の1983年、F-117の14機が秘密裏に実戦配備された。空軍はその後7年間でさらに46機を追加した。機体はネバダ州トノパ試験場に配備され——好奇の目を遠ざけるため——8年間にわたり夜間のみ飛行した。飛行ルートは米国西部全域を迂回するもので、パイロットはレーザー誘導爆弾の投下を極めて精密な精度とタイミングで行った。

ステルス機のパイロットは表向きネバダ州ネリス空軍基地に所属していたが、毎週日曜の夜に目立たない旅客機でトノパへ移動し、金曜の夜に帰還していたとは述べた。家族にとっては厳しい状況だった。

「彼らは家族に自分の任務を一切話せなかった」とゴールドファインは語った。「機密レベルが極めて高く、もし彼らが…秘密を漏らした場合、罰則は非常に厳しかった…マンハッタン計画並みの厳重な警備だった」

1988年、国防総省報道官ダン・ハワードは、F-117の大きさと形状を歪めた、わざと誤解を招く粗い写真を報道陣に公開した。これにより、空軍が実戦配備可能なステルス機を保有しているという公然の秘密が確認され、機体名称も明らかになった。この戦闘機はまもなく演習に組み込まれる予定であり、空軍は情報流出を可能な限り制御しようとしていた。この欺瞞的な写真は非常に効果的だった。例えば、戦闘機の主翼後退角や排気管の配置を推測する試みのほとんどは、大きく外れていた。

国防総省報道官ダン・ハワードは、F-117の粗く意図的に誤解を招く最初の画像を公開した。これにより1988年までに公然の秘密となっていた事実——空軍が実戦配備可能なステルス機を保有していること——が確認された。1991年までに、世界はその意味を理解するようになった。国防総省

ステルスの作戦投入

F-117が初めて実戦投入されたのは1989年、パナマの独裁者マヌエル・ノリエガ政権を打倒した「正義の作戦」である。2機のF-117が軍兵舎近くの野原に不発弾を投下し、大爆発でパナマ軍にパニックと混乱を引き起こすことを目的とした。破壊を目的としたものではなく、パナマには回避すべき防空システムが事実上存在しなかったため、この任務はステルス技術の真の実力試験とならなかった。

ゴールドファインによれば、計画初期段階では空軍とロッキードの幹部は「秘密を守れるのはせいぜい1~2年…おそらく」と考えていたという。しかしその秘密は1990年の公式発表まで守られた。

真の試練は1991年1月、砂漠の嵐作戦開始時に訪れた。米主導の国際連合軍が占領下のクウェートからイラク軍を駆逐するため進攻したのだ。F-117が先陣を切り、指揮統制施設、核兵器研究施設と疑われる拠点、通信中枢、その他の戦略目標を攻撃した。

イラク軍は当時世界第4位の規模を誇り、ロシア製最新鋭防空システムを運用していた。当時中佐だったグレゴリー・フィスト(後に少将として退役)は、この「ステルス技術」が高度な統合防空システム、地対空ミサイル(SAM)、対空砲(AAA)の射撃に対して確実に機能するかどうか予測できなかったと回想している。

「技術者を信頼した」とフィストは最近のインタビューで語った。「説明はあった。この種のSAMに対するシグネチャはこうだ、対空砲に対するシグネチャはこうだと。だが実際、何も検証できなかった」と

エルヴィラには「あらゆるIADS(統合防空システム)が記録されていた」とフィストは言う。「それが我々に、それらを回避する最も安全なルートを示してくれた」

この稀に見る画像では、F-117ナイトホークの機体外皮の下が露わになっている。ロッキードは最初のステルス戦闘機を秘密裏に開発するため、多数の他機体から部品を流用した。国防総省

一部レーダーはF-117を捕捉できなかったが、至近距離では捕捉可能なものもあったとフィストは説明する。「我々の目標は、発見・追跡される『脅威時間』を最小限に抑えることだった」。

イラク軍は対空砲弾を大量に空に放ったとフィストは回想する。機周辺は「まるで巨大な花火大会のようだった」と彼は言う。あまりに明るい光に、肉眼や地上砲兵に発見されるのではないかと恐れた。「実際に撃墜されると思った」と彼は語った。

フィストは座席を下げ、外を見ないようにして航法に集中した。同乗していたのは、その夜イラク上空にいた他のF-117パイロット全員の名簿だった。爆弾を投下後、帰還用の給油機との接続を確認するため連絡を取った。フィストは注意深く耳を傾け、全てのコールサインを聞き取った。「俺たちは本当に運が良かった」と彼は言う。F-117は全機無事に戻ったのだ。

「数回の任務を終えて、技術者たちが良い仕事をしたと確信した」とフィストは言う。技術者が開発した技術が実戦でその有効性を証明し、ナイトホークのパイロットたちの自信が高まっていったことを思い出しながら、「技術者たちの言うことは本当だった。我々は安心感を強めた」と彼は語った。

退役中将のデビッド・デプチュラは、ナイトホークを採用した戦略を立案し、作戦の目標を選定した。現在は AFA のミッチェル航空宇宙研究所の所長である彼は、砂漠の嵐作戦に参加した 36 機の F-117 は、サダム・フセインの軍隊を攻撃するために集結した国際空軍部隊のわずか 2.5% に過ぎなかったにもかかわらず、戦略的目標の 40% を破壊したことを思い出す。

得られた教訓

砂漠の嵐作戦はステルス技術の有効性を証明し、当時試作段階にあった F-22開発を推進する空軍の計画を裏付けるものとなった。しかし、この作戦は新たな兵器の必要性も明らかにした。

イラク軍司令部の通風口にレーザー誘導爆弾 GBU-27 が落下する画像は、この戦争の象徴となったが、このような兵器は雲、煙、砂塵によって視界が遮られた目標に対しては効果がない。場合によっては、パイロットは目標を視認できないため爆弾を投下せずに帰還した。

「全天候型爆弾が必要だった」とフィストは述べた。空軍は間もなくそれを開発する。それが共同直接攻撃弾(JDAM)だ。衛星誘導装置を搭載し、パイロットによる更新を必要とせず、あらゆる条件下で任意の目標点を正確に攻撃できる。

F-117の欠点は戦後修正された。例えば爆弾倉の扉は一度に1つしか開かず、目標によっては2度の攻撃が必要だった。両扉を同時に開放して兵器を投下できるように改良された。また初期任務ではステルス性能維持のためアンテナを格納する必要があり、パイロットは無線沈黙を強いられていた。ステルス対応のコンフォーマルアンテナが追加された。

F-117は1990年4月、サダム・フセインがクウェート侵攻するわずか3ヶ月前に公式に公開された。ネリス空軍基地での公開式典後、技術披露のため航空ショーにも登場した。湾岸戦争直後の1992年、機体はトノパからニューメキシコ州ホロマン空軍基地へ移された。

第37戦術戦闘航空団所属のF-117ステルス戦闘機が、砂漠の盾作戦および砂漠の嵐作戦のためサウジアラビアへ向かう途中。途中、バージニア州ラングレー空軍基地に立ち寄り、砂漠の嵐作戦の初期攻撃を実行した。USAF

「史上唯一、極秘計画をカモフラージュに用いたプログラムだと思う」とゴールドファインは付け加えた。F-117は、ソ連製航空機を入手・評価し、その長所短所を把握するために飛行させる空軍の「レッドイーグルス」計画の一環として隠蔽されていた。

「あれがカモフラージュ計画だった。…だから誰かが実機を見かけた場合、それが説明となるはずだった」。

歓迎されざる生徒たち

「ナイトホーク」の公式愛称が与えられる前にパイロットたちが「ブラックジェット」と呼んでいたこの機体は、次に1999年の「アライド・フォース作戦」で戦場へ赴いた。この作戦もまた、ロシア製防空システムを備えたセルビア国内及び周辺の高価値目標を標的としていた。今回は、ノースロップが1981年から開発を進めていたB-2スピリットステルス爆撃機が共同作戦に参加した。

デイル・ゼルコ中佐は、ナイトホークが無敵ではないことを最初に発見した人物だ。1999年3月27日、アライドフォース作戦開始からわずか数日後、彼の操縦するF-117はセルビア軍のSA-3ミサイルに撃墜された。彼は脱出に成功し救助されたが、機体の残骸はセルビア軍によって回収され、おそらくロシアや中国に渡った。ステルスの秘密が敵の手に渡ったのである。

空軍当局は依然として具体的な原因については慎重な態度を崩さないが、F-117が撃墜された主な理由は、飛行パターンが予測可能になっていたためだという見方が支配的だ。セルビア軍は、F-117が配備されていたイタリア・アヴィアーノ空軍基地付近のスパイの協力を得て、離陸時刻を把握し、おおよその飛行経路を予測できた。空軍高官の一人は、ゼルコが「正確な推測」の犠牲になったと述べている。つまり、彼の機体がいつ、どこにいるかは敵に把握されていたのだ。

空軍はステルス機が不可視あるいは検知不能だと主張したことは一度もなく、この技術を「低可視性(LO)」、近年ではVLO(超低可視性)やELO(極低可視性)と呼び続けている。レーダーとコンピューター処理能力は年々向上し、技術者たちは一歩先を行くために苦心してきた。しかし「ステルス」という言葉は一般の記憶に定着した。

2022年から2025年までロッキード・マーティンのスカンクワークスを率い、現在は同社の技術担当上級副社長を務めるジョン・クラークは、セルビアがロシアと中国にF-117の技術や材料のサンプルを提供した可能性が高いと述べた。しかしそれは技術的な大収穫とは程遠いと彼は語った。

「断言できないが、私の知る限り、また私が関わった範囲では、プラットフォームの性能を損なうような技術的損失はなかったと確信している」とクラークはインタビューで語った。「材料に関する興味深い点の一つは…単純な『1+1=2』のレシピ以上のものだという点だ。我々のLOカクテルや組み合わせた特定の材料群には…多くの統合された複雑さが伴う」。

ステルス技術の逆解析は、単にレーダー吸収材の成分を特定するだけの単純な作業ではないとクラークは指摘した。最終製品のサンプルを入手したとしても、「同じ材料を開発するには数十年かかる可能性がある」と彼は語った。

ステルス技術は進化を続けている。「彼らがその難題を実際に解く頃には、我々はとっくに次の段階へ進んでいるだろう」とクラークは語った。実際、1999年までにF-117に採用された初期のステルス材料は「寿命の終わり」に近づいていたという。「我々は既に他の技術へ移行していた」。

2011年、ロッキード製ステルス偵察機RQ-170がイランで墜落したが、損傷した機体は比較的無傷だった。イランは撃墜を主張し、その後逆設計に成功したと主張して、報道陣に類似機を公開した。クラークは、同じくロッキード製の墜落機がF-117より「後期の材料」を使用していたことを認めたが、政府と産業界の専門家チームは、F-117と同様にイランがRQ-170を逆設計するのは極めて困難だと結論づけたと述べた。

段階的廃止

F-117がトノパからホロマンへ移された後、パイロットはより普通の家庭生活を送れるようになった。空軍の公開装備となった同機は、その後7年間同基地で運用された。2006年、多数のF-22が配備されF-35の導入も控える中、F-117の時代は終焉を迎えようとしていた。

当時アヴィアーノ空軍基地の航空団長だったゴールドフェインは、欧州米空軍司令官トム・ホッビンズ将軍から次のような任務を命じられた。「ホロマン基地へ赴任させる。お前の任務はF-117の退役だ」。

ゴールドファインは即座に承諾した。F-117が空軍戦闘機の中で最も新しい機種である事実にもかかわらずだ。

ベン・リッチ(左)は「ステルスの父」とも呼ばれ、ロッキード・スカンクワークスの責任者としてケリー・ジョンソンの後任となった。1981年カリフォルニア州パームデールでのTR-1ロールアウト時に撮影された2人は、F-117開発に重要な役割を果たした。エリック・シュルツィンゲ

「予算制約が原因だったと思う。予算制約は常に、即応態勢と近代化のどちらかを選ばせる」とゴールドファインは語った。次世代ステルス機が配備されつつあり、それは「『バター塗り』業務から脱却し、より標準的な整備業務に移行させる」ものだった。

F-22とF-35が配備された今、古く整備負荷の高いステルス技術を退役させるのは「当然の選択」だと彼は述べた。

固定姿勢用に設計されたF-117から動的なF-22への移行は課題をもたらした。新型機は機体を歪ませる高G機動を要求され、継ぎ目充填材が剥離する恐れがあったとクラークは説明する。しかし当時、低可視性(LO)材料科学は大きく進歩していた。

「我々の材料体系と技術革新は…LOが維持コストの主因だという噂を完全に払拭した」と彼は語った。「もはや上位5項目にも入らなかった」。

ホロマン基地がF-22の配備予定地であり、「格納庫が必要だった」とゴールドファインは述べた。これが導入時期を決定づけた。後任のジェフリー・ハリガン准将と連携し、ゴールドファインは移行を円滑に進めるよう努めた。

しかし議会は新型ステルス機のみで十分とは完全には納得せず、将来の戦争に備えF-117を「飛行可能な状態で保管」するよう空軍に密かに命じた。機体はトノパ基地に戻され、主翼は取り外されて胴体の横に積み上げられた。ゴールドファインが最後の1機を搬入した。

ゴールドファインはスロットルを切る前に長い間躊躇したと語った。「タキシングで進入した時、これが最後だと知りながらエンジンを止めるのは初めてだった」と彼は回想する。「しかも『コードワン』状態、つまり完全な戦闘能力を有した機体だった」。

やがて、そのうちの数機は再び飛ぶことになる。

遺産

ゴールドファインは「ソ連はステルスに対抗しようと、破産寸前まで資金を投入した」と指摘している。

F-117は「冷戦期において、地球上のいかなる兵器システムにも劣らず、おそらく同等かそれ以上の影響力を我々にもたらした」と彼は語った。ステルスは「潜在的な敵対国が毎朝目を覚ますたびに『今日はやめておこう』と決断させる」能力の一つだ。

「飛行可能な保管」とは、少数のパイロットが航空機の操縦技能を維持し、時折保管庫から機体を取り出し、燃料を補給し、潤滑を施して飛行させることを意味する。

少なくとも2020年以降、ブラックジェットは空に舞い上がり、レッドフラッグ演習、空軍州兵の戦術訓練、ノーザンエッジなど数々の航空演習に参加している。空軍は一部のF-117が時折飛行していることを認めているが、その任務内容は明らかにしていない。観測筋は、ステルス敵機としての役割を担っていると推測しているが、その役割がいつまで続くかは誰にもわからない。

将来への課題

ステルス技術とレーダー技術のいたちごっこのような競争は続いている。DARPAの副長官ロブ・マクヘンリーは 6 月に「ステルス時代」は最終的に終わりを迎えるだろうと述べた。

AFA のミッチェル航空宇宙研究所で同氏は、量子センシング、「クロスドメインセンシング」、人工知能といった技術が成熟するにつれて、ステルス技術の優位性は失われていくだろうと語った。

量子センシングは、環境のごくわずかな変化を検出することを目指しており、理論的には、最もステルス性の高いプラットフォームでさえも検出可能になる。

ゲームを変えるような先進的研究に焦点を当てているDARPAは、「科学としての量子センシングから、工学分野としての量子センシング」への移行を予測しているが、それがいつ実現するかは定かではない。

トランプ政権初期に国防総省の研究・技術担当部長を務めたマーク・ルイスは、ステルス技術も進化していると述べた。

「SR-71 からハブ・ブルー、F-117 へと飛躍的な変化があり、F-117 から F-22 へとさらに飛躍的な変化があった」と同氏は述べた。「そしてB-21やF-47ではおそらくさらなる飛躍的変化があると聞いている」。

こうした進歩は航空機の生存性を高め続けるだろうと彼は述べ、「あえて予測するならば、ステルスは今後相当の期間、我々の主要システムの多くに組み込まれるだろう」と付け加えた。

ステルスとは不可視化ではなく、探知を「より困難」にすることだ。

ステルス技術の初期段階では、「機体の一部分しかレーダー断面積を計算できなかった」とルイスは述べた。「今では機体全体を計算でき、以前は多面体構造が必要だった部分に曲面形状を採用できるようになった。…ステルス形状の設計技術も向上した。より多くの角度からステルス性を発揮する構造だ」とルイスは説明する。初期のステルス機は敵レーダーに対して特定の向きで接近する必要があったが、「現在では複数の方向から効果を発揮する設計が格段に容易になった」。

物理学の原理自体は「それほど変化しておらず」、連続的な進化を続けているとルイスは指摘する。

ただし人工知能と計算能力の進歩は課題だとルイスは認めた。

「ステルス機のような検知困難な物体を正確に探知する機械学習システムは容易に想像できる」と彼は述べた。「だから確かに、それは役割を果たすだろう。…つまり敵対勢力がこうしたものを検知する手段を向上させるだけだ。だがそれでも検知は困難無ことに変わりない」。

航空機設計の進歩も、高度な検知技術への対抗手段として役割を果たす。米国は「形状変化材料を数十年にわたり実験してきた」とルイスは述べ、この技術が実用化されれば「非常に興味深いことが可能になる」と語った。「表面特性、例えば反射率を変えられるなら、他にも面白いことができる」と彼は語った。

数年前、写真家たちがF-22やF-35の機体に様々な高反射性の銀色表面が施されているのを目撃した。空軍は当時、その実験について説明を拒否し、ルイスもコメントを控えている。「その件については30年間は話せない」と彼は冗談を言った。しかし結論として「我々はしばらくの間ステルス技術を使い続ける」と述べた。

クラークは「いわゆる『バーンスルー』範囲との戦いは常に存在する」と指摘している。これは、どんな対抗手段を用いても敵のセンサーがステルス機を検知できる限界点を指す。

「敵があまりにも多くを集中させる場所が存在するだろう。そう、…特定の領域上空の飛行は不可能になるが、それでもその領域は比較的小さく留まる」とクラークは語った。

ステルスは今後何年にもわたり空軍の戦術手段の一部であり続けるとゴールドファインは述べた。「地球上の大半の国々で、防空網の熱分布図を描けば、我々は依然として有効だ」と彼は語った。「そして10年、15年、20年先を見据えてもな。どうだろう?地球の大部分はほぼ変わらないだろう。だからステルスは常に極めて重要だが、他の技術と組み合わされる。それはステルスを向上させるだけでなく、他の技術も向上させるのだ」。

クラークは、批判派がステルス機は発見可能と言うが、「彼らは特定のスペクトルでしかステルス機を見つけられない…既に位置を知っていて、センサーをその機体に向け続けられる場合に限る」と述べた。それは干し草の山の中の針を探すようなものだ、と彼は言う。

「もし俺が干し草の山の中に座っていて、誰かが針を俺の膝の上に落としたら、針を見つけられる。だが針が干し草の山の中央にあるなら、たとえそこに存在していても、実際にそれを見つけることは不可能だ」。

低可視性航空機が目的を達成するのを阻止するには、クラークはこう述べた。「まず検知し、追跡し、そして撃墜する前に交戦しなければならない」。センサー操作員が「30分の観測窓の中で3秒間だけ断続的に検知する」だけなら、それは役に立たない。

F-117はもはや記憶の中に存在するだけかもしれないが、ステルス技術とその課題は今も残っている。■


The F-117 and the Future of Stealth

By John A. Tirpak

Sept. 12, 2025

https://www.airandspaceforces.com/article/the-f-117-and-the-future-of-stealth/


2024年6月25日火曜日

F-117ステルス戦闘機: アメリカ空軍の象徴はこうしてセルビアで撃墜された

 


ステルス戦闘機F-117がセルビアでミサイルに撃墜された事件はショッキングでした。機体はロシア、中国により研究対象となり、その後両国でのステルス機開発を助けたのはご承知のとおりです。しかし、そもそもセルビアは旧式装備でどうやって驚異のステルス機を撃破できたのでしょうか。答えはNATO軍の慢心と、現地の防空部隊指揮官の型破りの運用方法にあります。National Interest記事からのご紹介です。




デール・ゼルコ中佐操縦のF-117ナイトホーク"サムシング・ウィキッド"は、セルビア上空での連合軍の作戦中に1999年3月27日、ゾルタン・ダニ大佐指揮下のミサイル部隊が発射したS-125Mネヴァにより撃墜された

 

-ステルス性にもかかわらず、同機は予測可能な飛行パターンのまま低帯域幅レーダーの革新的な使用で待ち伏せされた

-この事件は、ステルス技術の課題と脆弱性を浮き彫りにした

-ゼルコとダニは後に出会い、友人となった


ルビア軍のミサイル司令官はステルスF-117ナイトホークを撃墜に成功した。

 1999年3月27日午後8時、セルビア上空の夜空を黒塗りの飛行機が切り裂いた。F-117ナイトホークは、世界初のステルス機として運用された亜音速攻撃機で、コールサインはVega-31。その数分前、ユーゴスラビアの首都ベオグラード近郊の標的に2発のペーブウェイ・レーザー誘導爆弾を放ったばかりだ。スロボダン・ミロシェビッチ大統領がコソボ・アルバニア系住民を追放しようと残忍な民族浄化作戦を開始したため、ベオグラードに圧力をかけコソボ州から軍隊を撤退させることを目的としたNATOの爆撃作戦の一環である。

 ユーゴスラビア国軍(JNA)は、1950年代から1960年代までさかのぼるS-75とS-125地対空ミサイル・システムに加え、最新の2K12カブ移動式SAMとMiG-29フルクラム双発戦闘機を保有していた。これらを合わせると、NATO戦闘機にとって中程度の脅威となり、より高い高度で飛行し、EA-6Bプラウラーのようなレーダー妨害機による護衛を余儀なくされた。

 しかし、その夜、プラウラーは悪天候のため着陸していた。サムシング・ウィキッドと僚機は、レーダーで探知され、銃撃される可能性があったが、とにかく派遣された。

 突然、ゼルコは眼下の雲を突き破り、音速の3.5倍で迫ってくる2つの明るい点を発見した。レーダー誘導式のV-601Mミサイルで、S-125Mネヴァ地対空ミサイル・システムの4連装発射レールから発射された。2段式の固体燃料ロケットモーターでブーストされた全長6メートルのミサイルのうち1発は、ベガ31機を揺るがすほどの至近距離を通過した。もう一発は154ポンドの近接融合弾頭を爆発させ、ゼルコのジェット機を爆風に巻き込み、4500個の金属片を空中にまき散らした。

 サムシング・ウィックドはコントロールを失い、倒立したまま地面に向かって急降下した。ゼルコはかろうじて脱出リングをつかみ、絶体絶命のナイトホークから脱出できた。

 セルビアの時代遅れのミサイルシステムが、洗練された(もはや最新鋭ではないが)ステルス戦闘機をどうやって撃墜したのか。

 その夜、ゼルコの敵となったのは、第250防空ミサイル旅団の司令官であるセルビアのゾルタン・ダニ大佐だった。ダニは西側の防空鎮圧戦術を研究した意欲的な指揮官だった。中東で不運に終わったイラクやシリアのミサイル防衛で採用した定位置戦術とは対照的に、彼はネバ砲台を頻繁に再配置した。彼は要員にアクティブターゲティングレーダーの作動を20秒だけ許可し、その後はたとえ発砲していなくても再展開を要求した。

 S-125Mは通常、"機動的"なSAMシステムと見なされなかったが、ゾルタンは彼の部隊に、わずか90分(標準的な所要時間は150分)で兵器を再展開できるよう訓練させた。指揮下の部隊があるサイトから別のサイトへ移動する間、ダニはダミーのSAMサイトと、NATOの対放射ミサイルをそらすために旧式MiG戦闘機から取り出した囮の標的レーダーもセットアップした。

 囮と絶え間ない移動のおかげで、ダニの部隊はNATO戦闘機からHARMミサイルを23発も撃ち込まれたにもかかわらず、SAM砲台を一つも失うことはなかった。

 ダニは、P-18 "Spoon Rest-D "長距離監視レーダーを可能な限り低い帯域幅に調整すると、15マイルの範囲内ならナイトホークを大まかに追跡できることに気づいていた。(ダニは当初、これを実現するためにP-18のハードウェアを改造したと主張していたが、後にこれはデマであったと認めた)。

 しかし、低帯域幅のレーダーは精度が低く、"兵器級"のロックはできない。だがNATOは、ステルス爆撃機を予測可能な飛行パターンで飛行させていた。さらに悪いことに、セルビアはNATOの通信に侵入し、米軍戦闘機とそれを指揮する空中レーダー機の会話を盗聴していた。

 ミサイル司令官はステルス機を待ち伏せすることに決め、イタリアに戻るNATO機にS-125M砲台を配備した。ステルス機は、近距離であればハイバンドの照準レーダーで探知できる。しかし、そのためにはやはり上空を掃射して目標を探し、その過程で敵のレーダーに自らを照射する必要がある。それは敵にステルス機を脅威から遠ざけるチャンスを与えるだけでなく、HARM対レーダーミサイルによる攻撃を招いた。

 そこでダニは、砲台の照準レーダーを非アクティブにし、P-18レーダーが報告したステルス機のおおよその位置に向けてキューを出した。それに従い、P-18レーダーはサムシング・ウィキッドと他の3機のF-117を探知したが、ハイバンド照準レーダーが20秒間の「バースト」のために作動しても、目標を捕捉することはできなかった。

 ダニは、イタリアのスパイからプラウラーがその日は着陸していることを知らされていたと主張し、そのため、より大きなリスクを冒すことを厭わず、すぐ移転するのではなく、2回目の照準レーダーを作動させたが、それでも結果は出なかった。

 そして3回目のトライで、S-125M部隊がサムシング・ウィキッドをロックした。ダニは、F-117が武器を放出するために爆弾倉のドアを開け、レーダー断面が一時的に開花したときが好機だったと主張している。

 ベイルアウトしたゼルコは用水路に身を隠し、100メートル以内を捜索したセルビア人捜索隊に捕まるのを間一髪で逃れた。翌日の夕方、彼はMH-60Gペーブホーク特殊作戦ヘリの空軍戦闘捜索救助チームによって安全な場所まで移動した。

 ダニの部隊はその後、5月2日に米軍のF-16を撃墜し、この戦争でユーゴスラビア軍唯一の航空機撃墜を達成した。別のF-117は4月30日にミサイルの被害を受けたが、なんとか基地に帰還した。

 サムシング・ウィックドはブダノフチ村近くのユーゴスラビアの大地に逆さまに墜落した。残骸の一部は現在、ベオグラードのセルビア航空博物館で見ることができる。部品はロシアと中国にも運ばれ、それぞれのステルス機計画に役立てるために研究された。ダニは飛行機のチタン製エンジンアウトレットを記念品として保管していた。

 F-117撃墜は、幸い命に別状はなかったものの、米空軍にとって恥ずべきエピソードだった。それ以来、レーダーで見えないはずのステルス機が、時代遅れのソ連時代のSAMシステムでさえも「簡単に」撃墜できるという「証拠」として、延々と引き合いに出されてきた。

 真実はもっと複雑だ。ゾルタンの策略は、低帯域幅のレーダーを使ってステルス機を遠くから追跡するというもので、今日でも対ステルス戦術の要となっている。(もうひとつは赤外線センサーを使う方法だが、こちらは射程が30~60マイル程度に限られている)。

 しかし、高帯域幅のレーダーや熱探知兵器を備えたプラットフォームを、ステルス機を実際に撃てる距離まで近づけることは、依然として大きな課題だ。結局のところ、ステルス機は接近してくる脅威を検知し、単に避けるか撃つしかないのだ。ダニはF-117の飛行経路をよく把握していたため、ミサイル砲台をベガ31の接近経路のすぐ近くに配置することができた。

 さらに、ナイトホークは1970年代の設計で、F-22やF-35よりもレーダー断面積が大きい。現代のステルスジェットはさらに、独自の搭載レーダーを装備し、より多様な兵器を搭載しているため、地表や空からの脅威に対処できる。

 結局のところ、ステルス機は「探知されない」わけではなく、十分に狡猾な敵なら待ち伏せしたり追い詰めたりする方法を見つける可能性があるということだ。しかし、ダニ大佐のリーダーシップは防空戦の多くのベストプラクティスを例証したが、ベガ31の待ち伏せは、ステルス機と戦うための「型通りの」解決策を提供するものではない。


 ゼルコとダニはその後、より友好的な状況で2011年に会うこととなった。セルビアのミサイル司令官は故郷のスコレノヴァツでパン職人を再開していた。かつての敵対者2人の出会いとその後の友情はドキュメンタリー番組となった。ハイテク戦争に多大な工夫を凝らす一方で、人類は幸いなことに、最もあり得ない状況下でも和解できるという驚くべき能力も持ち合わせている。■


F-117 Stealth Fighter: How This Symbol of U.S. Air Power Was Shot Down | The National Interest

by Sebastien Roblin


2018年8月12日日曜日

★F-117はなぜ今も米西部で飛行しているのか



The Air Force retired its F-117 Nighthawks, but they are still mysteriously flying over Nevada — and may be the key to the US' next-generation aircraft F-117ナイトホークは米空軍で退役したはずなのに今も秘密のうちに飛行している。次世代機開発のカギになっているのか

David Cenciotti,

F-117 Nighthawk stealth aircraft1999年4月4日、ドイツ・ボン南西部のスパンダレム航空基地にて。 Reuters
  • 2008年に第一線を退いたF-117ナイトホークステルス機がまだ飛行しているのは謎だ
  • 旧式ステルス機の同機は各種テスト開発用途に投じられているのだろう
  • 新型レーダーあるいは赤外線捜索追尾装置の開発の他、新型SAM装備、新型RAM機体塗装、さらに第六世代戦闘機あるいは新世代のAEW機材開発が関係しているのだろう


こ数年にわたりF-117ナイトホークジェット機がネヴァダ上空を飛行しているとお伝えしてきた。同機は公式には2008年に退役になったがミッションは続いている。
2014年に入り映像画像がオンライン上に出回り、米空軍も同機が「タイプ1000」保存機としてトノパ・テスト施設(TTR)に保管されている事実を認めた。この分類は実戦に呼び戻されるまで保守管理の対象となる機材のことだ。米国は同機は現在の想定でも十分使い勝手があると見ており、その後も飛行ミッションに投入しているのだろう。ミッションのねらいは乗員(複数筋によれば米空軍隊員ではなくロッキード・マーティン社員だという)の習熟度維持と機体の飛行可能性の維持にあるといわれる。ネヴァダ砂漠の環境はステルス機の維持管理に理想的とされ乾燥気候のため機体腐食の可能性が低い。このためTTRを舞台に同機が活動をしているのだろう。
だがこれで謎がすべて解けたとはいいがたい。
2016年7月に本誌は二機のF-117が編隊飛行する画像を公開した。撮影箇所は距離の離れた丘陵地でトノパ演習場の端だった。画像分析した読者はさらに二機のF-117が滑走路にあり、うち一機は通信アンテナらしきものを機体上部に立てているのがわかったはずだ。もう一機のナイトホークにはそのようなアンテナはなかった。新型アンテナなのか。何のためなのか。遠隔操縦F-117なのか。如何せん画像の解像度が低くなんとも断言できなかった。
One of the interesting photographs taken by The Aviationist’s contributor “Sammamishman” at the end of July 2016. One of the aircraft seems to show a slightly different antenna/shape: just a visual effect caused by the distance?Aviationist’常連の “Sammamishman” が2016年7月末に撮影した写真では駐機中の一機に別のアンテナがついているようにも見えるが、遠距離からの視覚効果にすぎないのか。The Aviationist


昨年米空軍から発表があり同型機は完全に廃止するとあった。「2017年国家防衛予算認可法に準拠し、空軍は毎年四機のF-117を廃棄し最終的に全機を処分する」とオリアナ・ポーリクが昨年伝えており、今年は一機、その後は毎年四機のF-117が姿を消すとあった。
2017年11月13日、F-117の一機がトレーラーに乗り高速95号線を移動する様子が目撃された。場所はクリーチAFB(ネヴァダ南部)だった。この目撃は2017年末までに一機のF-117を処分するとの発表と符合していた。2018年からは毎年4機を処分するという内容だ。言い換えればトレーラーに乗せられていた機材は飛行機の墓場への移送途中だったのだろう。だが翌日の11月14日に、別のF-117がネヴァダ州レイチェル北方で目視され、チェイス機はグルームレイク所属の複座型F-16だった(おそらく同機はその後スターウォーズキャニオンを飛行したのと同じ機体だろう)。
一気に2018年7月26日に話を飛ばす。Youtubeユーザーの"pdgls"がF-117二機がまたもやトノパ試射場上空を飛ぶ映像を投稿した。
映像ではF-117二機がナイト(NightまたはKnight--第9戦闘機隊コールサイン)17、19として離陸している。試射場上空でブラックジェットの特徴がよく見える。
ただし交信記録に興味をそそられる。
以前の目撃事例と違い、今回は視覚聴覚の両面から興味深い詳細情報が見られる。離陸後のF-1172機編隊はシエラ98と呼ばれるKC-135給油機(フェアチャイルド空軍基地所属)から給油を受けている。F-117がストラトタンカーから給油を受けるのは通常ではない。その後編隊を説いている。ナイト17はテストミッションへナイト19はトノパ試射場へ戻っている。注意したいのは17が途中でコールサインを変更してダガー17になっている。ダガーはステルス機部隊で知名度の高いコールサインだ。410試験飛行隊が使っており、ロッキードと空軍がグルームレイクで使うコールサインだ。
The War Zoneのタイラー・ロゴウェイも同時に指摘している。
「コールサイン変更の前にブルーバード、ブロンドガールの名前が呼ばれており、なんらかの管制部隊の名称なのだろう。その後F-117が『ラムロッド』RAMRODとチェックのあとテストを開始している。ラムロッドがF-117に『スピン』開始を告げており、通常は飛行経路パターンの開始を意味するが、このバイアは暗号付きのテストカードの実施の指示が聞こえる」
ラムロッドというのは何らかのセンサー装備のことだろう。可能性が高いのはDYCOMSレーダー断面積測定施設のことでエリア51にあり飛行中の機体のレーダー特性を各種角度で測定する地上センサーのことだ。また別の可能性としてラムロッドが飛行中に同様の特性測定を行う機材なのかもしれない」
ダガー/ナイト17が何らかの地上レーダー関連施設と共同作業している間にナイト19は別の任務として低空接近を繰り返しILSローカライザーアプローチで探知アンドゴー他を実施している。通常任務につかない機材がよく行う一連のパターンだ。
ADS-B記録からはKC-135ストラトタンカーの支援内容の中身がわかる。同機#58-0086は前日(7月25日)もEAAエアヴェンチャー・オシュコシュで飛行しており、ワシントン州フェアチャイルドAFBを出発し6時間超のミッションに投入されている。同時間帯にシエラ98が別の機材にも給油しているかは不明だ。保存中の機材二機には通常ミッションとはいえ相当の支援であったことは間違いない。
The KC-135 supported Night 17 and 18. It did not broadcast its GPS position and was not geolocated via MLAT. The only detail gathered from its transponder is the serial 58-0086.
ナイト17,18を支援したKC-135はGPS位置情報を発せずMLATによる表示に出てこない。トランスポンダーから判明したのは機体番号58-0086のみだ。@CivMilAir


言うまでもなくF-117のフライトは謎のままだ。ナイト19が基本パターンの飛行をしていることから機体の飛行状態の維持が目的なのだろう。一方ナイト17は複雑な飛行を始めるに当たりコールサインをダガー17に変更していることからブラックジェットで何らかの別の作業が進行中のようだ。The Aviationistで度々お伝えしているようにレーダー探知されにくい機体としては「レガシー」といわれるF-117だが今でも各種テスト開発業務に投入できるのだ。新型レーダー、赤外線探知追尾装備、新型SAM地対空ミサイル、新世代AEW早期警戒機の開発等だ。ステルスUCAVの研究支援も可能性があり、以前指摘があったように一部機材が無人機に改造されているのかもしれない。さらにナイトホークがアグレッサーとして実際の演習やシミュレーションに投入されている可能性も排除できない。これがレッドフラッグと関連しているかはわからないが大規模LVC(ライブ仮想構造)のシナリオでは実機を仮想機材と一緒に運用する。
読者の皆さんはどう思われるだろうか。■