XF-108は高度80,000フィートに達することができると期待され、それはレイピアを当時の航空機中で最も高く飛ぶ航空機になるはずだった
ノースアメリカンのXF-108レイピアは、超音速で飛来するソ連の戦略爆撃機からアメリカを守るため設計された迎撃機であった。冷戦真っ只中の1950年代を通じXF-108の開発は進められたが、最終的に1959年に計画は中止された。その理由は、プロジェクトのコストと、ソビエトが核攻撃の主要手段として弾道ミサイルを採用したため、XF-108が無意味になったというためだ。計画が中止された時点で、XF-108の実現に最も近かった木製のモックアップが1機作られただけだった。
1950年代、米空軍は初期のセンチュリー・シリーズ迎撃機、F-102デルタ・ダガーとF-106デルタ・ダートの後継機を望んでいた。後継機の仕様は1955年に策定され、耐用高度60,000フィート、最高速度マッハ1.7、航続距離1,000マイルを達成できる迎撃機が求められた。空軍は、乗組員2名と2基のエンジンで運用できる迎撃機を求めた。
ノースアメリカンが最終的に2機のプロトタイプを受注した。航空宇宙技術が急速に進歩していたため、プロトタイプの設計は複雑なプロセスであった。空軍が要求仕様を修正し続けたこともあり、プロジェクトの最先端性能を維持するには、常に設計を修正する必要があった。
最終的に、XF-108は「クランク型」デルタ翼を採用した。クランク・デルタ翼は、後縁か後縁のどちらかにねじれや曲がりがあり、高速や高迎角時の機体の安定性を向上させることができる。前方カナードのような他の特徴は設計段階で破棄された。
最終的にXF-108は、胴体に2つの燃料タンク、主翼に5つの燃料タンクを搭載し、戦闘半径は約1,100海里となった。XF-108の最高速度は時速1,980マイル、およそマッハ3と見積もられていた。特筆すべきは、XF-108が高度80,000フィートに達すると予想されていたことで、レイピアはU-2ドラゴン・レディや、のちに登場するSR-71ブラックバードに匹敵する、史上最も飛行性能の高い航空機のひとつとなった。
生産を簡素化するため、ノースアメリカンはXB-70ヴァルキリー爆撃機プログラムからジェネラル・エレクトリックJ93ターボジェット・エンジンをXF-108に移植した。J93の推力は1基あたり28,800ポンド。XF-108の総重量が76,000ポンドであることを考えると、高推力のエンジンは必要だった。推力重量比0.77のXF-108は、毎分45,000フィートで上昇することが期待されていた。
しかし、XF-108は木製のモックアップの製作にとどまった。前述したように、プログラムの経費は多額となり、開発中あるいは就役中のセンチュリー・シリーズ戦闘機が他にも豊富にあることから、空軍はXF-108はもはや必要ないと判断した。ソ連が戦略爆撃機よりも弾道ミサイルに依存する方向へ再調整中に見えたのも好都合だった。
それでXF-108はお払い箱になった。しかし、その基本的な機体と兵器パッケージは、同機の縮小版と多くの人が見なしたマッハ2対応空母艦載核爆撃機、ノースアメリカンA-5ヴィジランテとして生き続けた。■
The Two Reasons the Air Force Killed the XF-108 Rapier
May 1, 2025
By: Harrison Kass
https://nationalinterest.org/blog/buzz/the-two-reasons-the-air-force-killed-the-xf-108-rapier
著者について ハリソン・キャス
ハリソン・キャスは、世界情勢に関わる問題に関して1,000本以上の記事を執筆している国防・国家安全保障のシニアライターである。 弁護士、パイロット、ギタリスト、マイナー・プロ・ホッケー選手であるハリソンは、パイロット訓練生として米空軍に入隊したが、医学的理由で除隊。 レイクフォレスト・カレッジで学士号、オレゴン大学で法学博士号、ニューヨーク大学で修士号を取得。 ハリソンはドッケンをよく聴く。
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