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★★回想の9/11 体当たり攻撃をしてでも旅客機を食い止める覚悟だった米空軍搭乗員

9/11では当時から空軍戦闘機が迎撃に向かったとの話は流布していました。今回は当時のパイロットからの回想が紹介されていますが、セレブの話題など中心のメディアでこんな記事が出るところがアメリカの懐の深さでしょうね。 Inside a Hero Fighter Pilot's Decision to Give His Life in Kamikaze Mission on 9/11: 'We Were Going to Do the Unthinkable' BY NICOLE WEISENSEE EGAN UPDATED 09/11/2016 AT 09:00 AM EDT • ORIGINALLY PUBLISHED 09/09/2016 AT 04:50 PM EDT http://www.people.com/article/marc-sasseville-911-f16-pilot-kamikaze-mission 米空軍中佐マーク・サセヴィルが世界貿易センターに飛行機が衝突したとの一報を聞いた2001年9月11日、中佐も他の数百万名同様に単なる事故だと思っていた。 .だが二機目がタワーに衝突したと聞き、中佐は第121戦闘機飛行隊の隊員とアンドリュース空軍基地(メリーランド)で直ちに行動に移った。 三機目がペンタゴンに突っ込むと93便がワシントンDCへ向かっているとの一報が入った。 「93便の行き先は誰も知らなかった」と中佐は本誌に語ってくれた。「そのためわれわれはとりあえず 滞空待機を命じられた」 「旅客機が本来の目的地以外の場所へ突っ込んでいることはわかった」「ホワイトハウス、議会議事堂などに激突すれば大惨事になる。ペンタゴンは軍事目標として受け入れられても、その他は想定外だ」 中佐と同僚パイロット、ヘザー・「ラッキー」・ペニーがそれぞれ自機F-16に向かった。 「たったひとつの問題は機体が武装していなかったことだ。通常は武器を搭載して飛ぶことはない」と現在は少将に昇進しペンタゴンに勤務するサセヴィルは語る。 両機の唯一の武器は機体そのもので、サセヴィルとペニーは神風ミッションに出撃したのだった。 「機に向かう途中、ラッキーと短く言葉をかわし、これからする仕事のこと

9/11から15年。アメリカ的思考はその教訓をこうまとめる

うーん、どうなんでしょう。いかにもアメリカ的というか。これが3.11の15周年エッセイならこんなトーンの回想録が日本人に書けるでしょうか。思考の方向性が全く違う気がします。日本メディアが日本人の思考でまとめた記事とも全く違っているでしょう。ご参考までに。 9/11 Anniversary: 10 Lessons Learned From the 15-Year ‘Long War’ Steven P. Bucci September 8, 2016 http://nationalinterest.org/blog/the-buzz/9-11-anniversary-10-lessons-learned-the-15-year-%E2%80%98long-war%E2%80%99-17634 9/11当日に筆者は軍務にいたが、この15年で生活も国の動きも大きく変わってたとはとても思えない。 渦中にいたものには時間は早く流れた感が強いがその他国民にとっては過去の歴史の一部だろう。現在ヘリテージ財団でインターンをする若者は4歳5歳だった。この長期戦で得られた教訓は何なのか。 1.  どの国も脆弱、民主体制も同様。 アメリカの自由と開放さが攻撃を招いた。9/11のテロリストはアメリカを世界に紹介する制度を利用して入国している。これまでは2つの大洋が直接攻撃を防いできた。すべてのグローバル化がその仮定を変えてしまった。アメリカも他の国同様に外部から攻撃されることを示した。 2. アメリカの回復力は高い。 9/11攻撃が他国で起こっていれば衝撃の脅威で服従させられただろう。だがアメリカは違う。たしかに動揺し、混乱させられたが直後数時間のことで、国家指導層は対応が早かった。米経済は崩壊せず、政府機構は機能不全にならず、世界各地からの軍撤退を求める声は殆ど出ずか細いものだった。困難にめげず頑張る姿勢がアメリカにあり、大混乱のあとも仕組みが機能しつづけていた。 3. 国家勢力相手の戦いより対テロリズム戦は長期戦になる。 アメリカでは外交政策は期限付きで考えることが多い。特に軍事作戦が絡むとこの傾向が強い。第二次大戦は数年間でお終わり、ヴィエトナムは長かったが最終では終結した。テロとの戦いではまだ終結の兆しが見えない。オバマ大統領も「永久に

★★自衛隊が真の意味で統合運用を実現する前に中国が日本領土に侵攻したらどうなるのか

ともすれば戦闘機や潜水艦、また戦闘車両など自衛隊の実力を評価しすぎる傾向にやや違和感を覚えていましたが、日本戦略研究フォーラムのニューシャム研究員の以下投稿には考えさせられるものがあります。自衛隊も日本の組織文化の産物であることを思い知らされますが、理想の姿には相当乖離していることがうかがえます。長年放置しておいたツケがいま来ているのでしょうか。言葉だけうわ繕いしておけばよい、という問題ではなく真剣に考えなくてはいけませんね。 THE BUZZ Japan's Military Has Some Serious Problems (As China's Military Gets Stronger) Grant Newsham September 7, 2016 http://nationalinterest.org/blog/the-buzz/japans-military-has-some-serious-problems-chinas-military-17613 陸上自衛隊(GSDF)は恒例の富士総合火力演習を8月末に富士山周辺で実施した。GSDFは弾薬装備を多量に使用し隊員はヘリコプター、戦車はじめハードウェアを駆使した「戦闘状況」を再現した。  感動的な実演に来場者数万名は感銘を受けたが、目前でくりひろげられた高額な「カブキ」の下に深刻な国防上の欠陥があるとは気づかなかっただろう。  今年の演習は「島しょ部分奪回」シナリオを展開したが、内陸演習地では再現困難な内容だった。GSDFはいつも見せ場を作り、隊員のプロ意識が高いところを示そうとする。自衛隊(JSDF)は日本防衛を専門に編成されてきた部隊であると思いを新たにする来場者も多いだろう。  だが演習はGSDFやJSDF全体としての欠点を逆にさらけ出している。日本政府は欠点を是正し、中国の軍事力、野望の前に無力をさらけ出すことは避けなければならない。  言い換えれば日本政府が問題点を是正しないと戦略的な軍事敗北を喫するのは必至だろう。欠点は次のとおりである。 揚陸作戦能力整備に本気でないGSDF GSDFが揚陸作戦整備を揚陸緊急展開大隊(ARDB)として整備しようとしている。中国は行動言動両面で日本の南西諸島を脅かしており、

黒海上空でまたもや危険なロシアの嫌がらせ飛行、今回はP-8Aへ10フィートまで接近

ロシアの無分別な行為は中国とも重なり、日本も黒海やバルト海での事件を傍観しているだけではすまなくなりそうですが、今回は事故にならなかったのが奇跡といえそうです。このままいけば、しかしながら、深刻な事故が発生するのは時間の問題かもしれません。 Russian Fighter Came Within 10 Ft. of Navy Surveillance Plane Over Black Sea By: Sam LaGrone September 7, 2016 1:43 PM • Updated: September 7, 2016 6:37 PM https://news.usni.org/2016/09/07/russian-fighter-came-within-10-ft-navy-surveillance-plane-black-sea P-8A Poseidon. US Navy Photo 9月7日黒海上空で、ロシア戦闘機が米海軍偵察機に10フィートまで接近してきたと国防関係者がUSNI Newsへ伝えた。 事件は同日午前11時20分(現地時間)黒海上空の国際空域で米海軍P-8AポセイドンとスホイSu-27フランカー間で発生したとの声明文をUSNI Newsは入手した。 「迎撃行為はおよそ19分間続き、Su-27は当初はP-8Aに30フィートの距離をとっていたがその後10フィート未満まで接近し、極めて危険かつ無分別な行為だ」と声明文にある。 「このような危険行為に深く憂慮せざるを得ない。また不必要な緊張を両国間に招き、偶発あるいは誤解から深刻な人命損傷につながりかねない」 Russian Sukhoi Su-27 Flanker Fighter P-8A部隊は先月から同地区で運用中と海軍関係者がUSNI Newに伝えている。ロシア海軍が黒海で潜水艦部隊を増強する中での配備だ。ロシアは改良型キロ級潜水艦4隻を黒海に配備している。 2014年からロシアとNATO間のバルト海、黒海での艦船航空機の異常遭遇事件が多発している。 2014年にはUSSドナルド・クック(DDG-75)が黒海に入るとスホイSu-24フェンサー一機が同艦上空を繰り返し通過飛行した。

歴史に残る機体11 MiG-25フォックスバットは巨大な張子の虎、函館空港着陸から40年

函館空港にMiG-25が着陸して40年がたちました。当初恐れられていた同機ですが、分解してその実力を露呈してしまいました。この記事では亡命事件をベレンコの個人の企てのように書いていますが、実態はどうったのでしょう。また故トム・クランシーの「レッドオクトーバーを追え」がこの事件で触発されたのは明らかですね。その両者に共通するのはザ・カンパニーです。 The pilot who stole a secret Soviet fighter jet . By Stephen Dowling  5 September 2016 http://www.bbc.com/future/story/20160905-the-pilot-who-stole-a-secret-soviet-fighter-jet 1976年9月6日、函館近くの雲の中から一機の航空機が出現した。同機は双発ジェット機だが函館空港でお馴染みの短距離旅客機とは全く違っていた。大型で灰色の機体には赤い星、ソ連のマークがついており、西側陣営で実機を見たものは誰もいなかった。 同機は函館空港に着陸したが滑走路が足りなかった。舗装路を外れ土を数百フィート掘り返しながらやっと停止した。 パイロットは操縦席から出るとピストルで威嚇射撃を二発撃った。空港隣接道路から写真を撮影したものがあったのだ。空港関係者が慌ててターミナルビルから駆けつけるまで数分かかったがパイロットは29歳の飛行中尉ヴィクトール・イヴァノヴィッチ・ベレンコでソ連防空軍所属だと名乗り亡命を申請した。 通常の亡命ではなかった。ベレンコは大使館に駆け込んだのでもなく、海外旅行中に脱走したのでもなかった。機体は400マイルほど飛行しており、今や日本の地方空港の滑走路端に鎮座している。機種はミコヤン-グレヴィッチMiG-25だ。ソ連が極秘扱いしてきた機体だ。ベレンコが来るまでは、だったが。 西側はMiG-25の存在を1970年頃に把握していた。スパイ衛星がソ連飛行基地で新型機が極秘テストされているのを探知。外観から高性能戦闘機のようで西側軍部は特に大きな主力に注目した。 大面積の主翼は戦闘機に極めて有益だ。揚力がつき、主翼にかかる機体重量を分散す