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歴史に残る機体(27)ダグラスA-3スカイウォーリアー(ホエール)

歴史に残る機体27 1 972年5月10日、ジェット時代でも最も熾烈な空戦がハノイ、ハイフォン上空で展開した。海軍のF-4Jファントム編隊とヴィエトナムのMiG編隊がミサイル攻撃の応酬を繰り広げる中、空には対空射撃とSA-2地対空ミサイルが猛烈な攻撃を展開した。 24時間で双方の十数機が撃墜された。リック・モーガン著の A-3 Skywarrior Units of the Vietnam War  がファントムパイロットのカート・ドセ大尉が遭遇した状況を次のように伝えている。 「SA-2ミサイルが下方から出現し、ブースターを分離していた。私は機首を押し下げ逆Gでミサイルの標的をチェックしたところSAM二発も方向を下げた。つまりこちらが標的だったのだ。7Gで機首を上げたが遅すぎた。こちらに狙いを定めマッハ2で向かってくる。こちらに命中するだけでなくボールペアリングの弾頭部がコックピットを貫通するだろう。 「ミサイルの小型カナード翼が最終調整するのが見え、死ぬ覚悟を決めたが、不発だった。最初のSA-2はキャノピーの5フィート下を通過し、二発目は機首の20フィート前だった。私は右にロールしSAM二発がまっすぐ飛翔するのを見ていた」 ドセは無事空母に帰還した。事後報告で無事生還できたのはEKA-3Bスカイウォリアー電子戦機のジャミングのおかげと知る。 ハノイ周辺にはファンソンミサイル誘導レーダー多数が配備され、EKA-3Bのシステム操作員はミサイル信管へ爆破信号を伝える周波数にジャミングをかけた。無事帰還できたドセは同機搭乗員に感謝の念を込め自分が残していたウォッカ半ケースを贈ったのだった。 ダグラス A-3スカイウォリアー別名「ホエール」は空母運用機材では最大の大きさを誇った。当初は核兵器による戦略爆撃任務を想定したが、これは長続きしなかった。A-3は各種型式が生まれ、米海軍への貢献を長く続けた。爆撃機として生まれ、給油機にもなったが今回は偵察任務や電子戦機材としての側面に触れる。 スカイウォリアーでは給油機として海軍各機をヴィエトナム上空で支援した貢献のほうが爆撃機任務より大きい。ヴィエトナムの地対空ミサイルに狙われる海軍パイロットに電子戦支援は喉から手が出るほど必要だった。そこで1967年に給油型34