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1940年代末に米空軍はロボット爆撃機でソ連への核攻撃を想定していた

U.S. Air Force Considered Building Robot B-47 Bombers for One Reason 米空軍は無人B-47爆撃機でソ連攻撃を想定していた . by WarIsBoring June 16, 2019   Topic: Security   Blog Brand: The Buzz   Tags: B-47 Hydrogen Bombs Nuclear Bombs Nuclear Bomber https://nationalinterest.org/blog/buzz/us-air-force-considered-building-robot-b-47-bombers-one-reason-62922 1 949年末、米空軍はプロジェクト・ブラスリングを立ち上げB-47ストラトジェット爆撃機を遠隔操縦核兵器運搬手段に変えようとした。 空軍が無人核爆撃機の取得をめざした経緯は A History of the Air Force Atomic Energy Program: 1943–1953 として空軍が当時検討していたた内容が機密解除で入手できる。結局、同構想は途中で中止されたが。 日本への原爆投下で第二次大戦が終了すると米国はより強力な水素爆弾の開発を開始しソ連を標的に想定した。 原子力エナジー委員会は核兵器開発を担当し水爆開発に走ったが。核兵器を運ぶのは空軍の役目なのに空軍は全く関与しなかった。 その結果、空軍は新型兵器の外寸や効果を教えてもらえず推測で運搬手段を整備することとなった。 当時は核兵器の効果を理解するものは皆無で、空軍のブラスリングに関する記録では立案者は水素爆弾は「森林を20マイルに渡り焼き尽くす地獄を作り出す」効果があり「小規模ハリケーンを呼び起こす」と想定していた。 空軍はパイロットが今後登場する爆弾を運べるのか、爆発後に生存できるのか疑い始めた。 空軍は大きな課題に直面した。10千ポンド兵器を4千カイリ先に運び、目標地点からニマイル以内で爆発させる任務を二年半以内に実現するのだ。 空軍はミサイル開発はデッドライン前に実現できるとは考えす、既存の爆撃機を無人機に改装する、いわば窮余の策を思いつく。

★冷戦時、ソ連製装備品はこうして米国の手に入っていた

This Is How the CIA Got Its Hands on Some of Russia's Most Powerful Weapons CIAはロシア最強兵器をこうして入手した     Michael Peck February 9, 2018 http://nationalinterest.org/blog/the-buzz/how-the-cia-got-its-hands-some-russias-most-powerful-weapons-24430?page=show 冷 戦時に思わぬ宝が手に入ったことがあるようだ。一方の陣営が新兵器を登場させると相手陣営はなんとしても入手して分析の後、リバースエンジニアリングするか敵陣営と戦う戦闘員に供与しようとした。 米国はこの動きを海外軍事探求(FME)と名付け、国家安全保障アーカイブでロシア製装備の入手が広く行われていたことがわかる。  一例をあげると1951年の米空軍情報部報告がソ連のMiG-15を入手した経緯を述べている。1951年7月9日、平壌北西でのドッグファイトでMiG-15パイロットが機外脱出した機体は朝鮮半島西海岸の浅瀬に墜落したのが目撃された。英軍機が墜落地点を確認したが、米空軍は機体回収できなかった。  直後に英米合同の任務部隊が機体回収を再度試みた。やはり回収しようと共産軍の発砲はあったが英米チームはほぼ機体全体を回収でき、米国に送付し分析した。その他のソ連製機体も回収されており、Yak-28ファイヤーバー迎撃戦闘機は西ベルリンで1966年4月に墜落した機体だ。  中でも一番有名な事案が1960年代初頭にあり、CIAがメキシコで展示中のソ連ルナ衛星を「拝借し」写真撮影したことだ。1965年にはCIAが新型Mi-8輸送ヘリコプター一機を手に入れ、別件ではミンスク-2デジタルコンピューターを100千ドルで入手しようとした。(もちろん成功している)  冷戦期には敵味方が常に入れ替わっており、第三世界に供与した兵器が同盟関係の変更で反対陣営の超大国の手に渡ることはよくあった。1966年にCIAはソ連製対空兵器をガーナで入手している。同様にソ連もF-14他米製兵器をイラン革命後に入手したはずだ。

冷戦時ソ連に撃墜され投獄されたRB-47パイロットの運命

冷戦時のソ連は結構荒っぽく、領空侵犯した機、していない機も撃墜しています。今回の記事のパイロットは運悪く撃墜されソ連当局に逮捕されたのですね。投獄7か月が長いのかわかりませんが、おそらく交換の形で帰国できたのでしょう。翻って航空自衛隊パイロットが中国に撃墜され地上で捕獲されたらどうなるのか。まず自衛隊員は軍人ではなく公務員ですので軍人の処遇は受けず民間人スパイと同じ扱いになるのでは。つまり闇に葬られるか、取引の材料とされるのでしょう。考えたくない仮定ですが。今回はオファット基地のあるオマハ地元紙の記事です。 By U.S. Air Force photo [Public domain], via Wikimedia Commons 55th Wing pilot imprisoned by Soviets in Cold War will be laid to rest 冷戦時にソ連で捕虜となった第55航空団パイロットが安息の時を迎える By Steve Liewer / World-Herald staff writer Jul 24, 2017 Updated 18 hrs ago http://www.omaha.com/news/military/th-wing-pilot-imprisoned-by-soviets-in-cold-war-will/article_f4126df9-28a5-5bb4-8b72-dd334d232aba.html ブルース・オルムステッド大尉と妻ゲイル(左)、ジョン・マコーン大尉と当時の妻コニーが1961ン円1月に7か月にわたるソ連監獄生活から解放され再開した。 JOHN F. KENNEDY PRESIDENTIAL LIBRARY AND MUSEUM 写真左から、ゲイル・オルムステッド、ブルース・オルムステッド大尉、ジョン・マコーン大尉、リンドン・ジョン副大統領、大統領夫人ジャクリン・ケネディ、ジョン・F・ケネディ大統領。空軍の二名は戦略空軍軍団のRB-47の生存者で、機体はソ連により北極海上空の国際空域で1960年7月1日に撃墜された。White House Photographs. John F. Kennedy Presidential Library