第 二次大戦は人類史上で最大の被害を生んだ戦争となり、控えめな試算でも世界人口の3パーセントが死亡したとされる。 だが第二次大戦は次の大国間衝突の種子をまいただけともいえる。ソ連が中東欧に鉄のカーテンを下ろし、米国は西欧で同盟関係を構築した。 その後45年にわたり、米ソの軍関係者はNATO-ワルシャワ条約間の戦闘計画を練ることになった。ソ連の数的優位性をどうしたら覆せるか、しかも初期段階で核兵器の投入をせずに。 米国では核兵器の役割を減らすと公約して政権の座につく大統領が連続したが、結局レーガン政権が生まれるまで公約は実現できなかった。精密誘導兵器の登場で初めて米国がソ連軍を打破できる時代が到来したのだ。 ソ連の戦闘計画も米国同様に機密扱いのままだが、学界では旧ワルシャワ条約加盟国が公開した資料からソ連軍がどんな戦闘を展開したかがわかるようになった。 それによれば、スターリン存命中および1950年代を通しワルシャワ条約軍は西側侵攻からの防衛を主にしていた。当時の米国が核兵器の圧倒的優位性を保持していたため、核兵器使用を全く考慮しない戦争計画だった。 スターリン死去をうけ1960年代に入り、ソ連は全く別の戦争計画を立案した。攻撃的性格となり電撃戦型の強襲によりワルシャワ条約軍が西欧の大部分を数日間で占領するものだった。核兵器も遠慮なく投入し、ワルシャワ条約軍の通常兵力の鉄壁な優位性を活用する前提だった。 ソ連の戦闘立案部門は米国および同盟側が初期段階で核兵器の大量投入に踏み切ると想定していた。このため、ソ連及びワルシャワ同盟加盟国の領土を守るためにも核先制攻撃を想定した。 にもかかわらず、ソ連の対西欧戦略では核兵器に中心的役割を想定した。北方戦線だけでも核兵器189発をミサイル177本、爆弾12発で5キロトンから500キロトンにわたり投入する想定だった。さらに中欧南欧の各地でも核兵器を投入する計画だった。 さらに多数の核兵器を西欧主要都市の破壊に使う予定で、ハンブルグ、ボン、ミュンヘン、ハノーバー、ロッテルダム、ユトレヒト、アムステルダム、アントワープ、ブリュッセルが標的だった。 コペンハーゲンには二発で...
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