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イスラエルはF-15に磨きをかけ、ここまでの高性能機材を実現した

イ スラエル空軍(IAF)にはF-15イーグルのイメージがぴったりだ。同国向けF-15A初号機は1976年に到着し、現在も第一線で供用中、しかも一機も喪失していない。1988年にイスラエル空軍は同機の新型式を導入し、空対空、空対地両面対応とした。これがラアムRa’am(雷鳴)で長距離攻撃機の主力で、新たに導入されたF-35Iアディルを補完し、イスラエルの航空優勢体制を確保し、今後も維持しそうだ。 マクダネルダグラス(現 ボーイング )のF-15イーグルの登場当時は純然たる空対空戦闘機だった。大型単座戦闘機の同機はバブルキャノピーで良好な視界を確保し、強力なAPG-63レーダー、AIM-7スパローレーダー誘導ミサイル4発とAIM-9サイドワインダー赤外線誘導ミサイル4発さらにM61ガトリング銃を搭載。 プラットアンドホイットニー F100エンジン双発で圧倒的な推力重量比を誇り、簡単に垂直上昇できた。 開発陣はF-15の多任務機型を想定して、大出力、長距離航続力、多数の空対地兵器搭載能力を生かそうとした。ここからF-15Eストライクイーグルが生まれ、米空軍で1989年から供用開始し、直後に1991年の湾岸戦争に投入された。 湾岸戦争でのストライクイーグルの活躍ぶりにイスラエルも注目した。湾岸戦争ではイスラエルもサダム・フセイン率いるイラクが発射したスカッドミサイルの攻撃を受けたが、イスラエルは報復攻撃を控えるようにとの米国の圧力へ渋々従った。とはいえ仮に報復攻撃に踏み切っていてもイラク西部でスカッド狩りに投入可能な長距離攻撃機や偵察機材は欠如していた。戦闘終結後もサダム・フセインは統治の座に残り、クウェートから軍は撤退させられたがイラクは依然としてイスラエルにとって脅威のままだった。一方で、イランが核兵器開発の初期段階にあった。イスラエルを脅かす勢力への抑止手段として長距離戦闘機が必要なのは明白だった。 F-15Eのコンフォーマル燃料タンクで長距離地点への攻撃が可能となる。空対地空対空双方への対応能力によりF-15Eは援護機材を必要としない。ここで思い出すべきは1981年のイラク原子炉攻撃で、IAFのF-15は援護機として攻撃部隊F-16と飛んだが、空中給油他支援機材の必要性が痛感された。一機ですべてこなせるというのは魅力だった。