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2025年4月22日火曜日

悲運のA-12アベンジャーII:アメリカの「空飛ぶドリトス」は初のステルス戦闘機になるはずの機体だった

 A-12 Avenger

A-12アベンジャー。画像提供:クリエイティブ・コモンズ。



A-12アベンジャーIIは、アメリカ海軍のステルス攻撃機プログラムで、A-6イントルーダーの後継機として開発された。

-マクドネル・ダグラスジェネラル・ダイナミクスが共同開発した全翼機型「ステルス爆撃機」は、三角形の形状で「フライング・ドリトス」の愛称で呼ばれた

-ステルス能力、高度な目標捕捉システム、精密誘導弾薬を装備し、空母航空戦力を革命化する目的で開発された

-しかし、深刻な予算超過、遅延、技術的課題、機密保持の問題により、国防長官ディック・チェイニーは1991年にプログラムを終了させた

-これにより長期にわたる訴訟が発生し、A-12は冷戦時代における海軍の最も野心的な——そして最終的に失敗に終わった——航空プロジェクトの一つとして注目された


A-12 アベンジャーIIの挫折

1983年10月、物理的・比喩的な暗闇に包まれ世界初の運用可能なステルス機が空を舞った。この新型ジェット機「F-117ナイトホーク」は、冷戦期に支配的だった「より高く、より速く」という理念から離れ、ステルス戦術への転換を象徴する存在となった。軍事航空において「隠密性」が「威力」よりも重要視されるようになった。この技術的フロンティアは最初にアメリカ空軍が探求したが、ナイトホークが空を徘徊する頃には、アメリカ海軍も独自のステルスプラットフォームを欲するようになっていた。

 ロッキードはナイトホークを基に大幅に性能向上したF-117Nシーホークを提案した。しかし、シーホークは海軍の最初のステルス攻撃機ではなかった。シーホーク提案が海軍に届く10年前、海軍は既に「アドバンスト・タクティカル・エアクラフト(ATA)」プログラムを開始していた。ATAは当初、1990年代半ばまでにグラマンA-6イントルーダーの後継機として開発される予定だった。イントルーダーは1963年から米海軍の攻撃機として運用されており、海軍は後継機開発をステルス技術導入の絶好の機会と捉えていた。

 1988年1月13日、マクドネル・ダグラスとジェネラル・ダイナミクスの合同チームが、後にA-12アベンジャーIIとなる開発契約を交付された。これは、1960年代にロッキードが提案したA-12(SR-71の派生型に空対空兵器システムを搭載する計画)とは異なる。完成すれば、海軍のA-12はノースロップ・グラマンのB-2スピリットや今後のB-21レイダーを彷彿とさせる飛行翼設計を採用する予定だったが、はるかに小型の機体だった。


新たな航空戦術に向けた新機体

空母搭載を想定したA-12アベンジャーIIは、全長約37フィート、翼幅約70フィートを超えた。これらの寸法により、A-12は全長55フィート(約16.8メートル)のイントルーダーより大幅に短く、翼幅はさらに広く、空母飛行甲板の隣接するカタパルトに2機のA-12を並べて配置できるほどだった。

 A-12アベンジャーIIは全翼設計を採用したが、全体形状は空軍で開発中の三角形のB-2スピリットと異なっていた。A-12の鋭い三角形の形状は、やがて「フライングドリトス」との愛称で呼ばれるようになった。

 しかし、A-12アベンジャーIIの機体自体は比較的小さな5,150ポンドの内部武装を搭載する設計で、ナイトホークのわずか2発の2,000ポンドGBU-27レーザー誘導爆弾の搭載量を上回ったとはいえ、イントルーダーの18,000ポンドには及ばなかった。

 しかし、現代のステルス機としてA-12アベンジャーは歯をむき出して戦闘に突入する目的で設計されていなかった。防衛当局者の考えでは、高度に争われる空域で警告なしに目標を攻撃する能力が、巨大な搭載量より有用とされた。冷戦期に軍事航空が急速に変化した例として、敵を制圧するため地域を弾薬で覆うことは、もはや最も効果的な手段とは考えられていなかった。代わりに、ステルス技術と高精度弾薬を組み合わせることで、A-12アベンジャーIIは敵の最も脆弱な部分に外科的な攻撃を仕掛ける想定だった。


初のステルス戦闘機になるはずだった

攻撃任務に明確についていたにもかかわらず、ロッキードのF-117ナイトホークは意図的に「F」の記号(および「ステルス戦闘機」という非公式の愛称)が与えられた。F-117は「戦闘機」の定義上不可欠な対空戦闘能力を一切持たなかったが、空軍当局は「ステルス戦闘機」という概念が、高度な技能を持つ戦闘機パイロットを引き付ける効果を生むと期待していた。

 一方、海軍は自軍のステルスジェットにおいてそのようなごまかしは一切行わず、新プラットフォームに「A」接頭辞を付与し、地上目標への使用を強調する計画だった。実際には、機内収納のAIM-120 AMRAAM空対空ミサイル2発で空中目標を攻撃する能力を有していた。つまり、A-12アベンジャーIIは実際にはアメリカ初のステルス戦闘機となるはずだった。

 しかし、A-12は、ソ連や崩壊後のロシアのような国家敵対勢力が配備していた強力な第4世代戦闘機と戦うには適していなかった。最高速度580マイル/時、運用高度限度40,000フィートの亜音速機であるため、敵のジェット機を撃墜するミサイルを装備しても、敵戦闘機が付近に存在する場合、論理的にはステルス性に依存するべきだった。


A-12アベンジャーIIは敵防空網に突破口を開けるはずだった

A-12アベンジャーIIは、2発の空対空ミサイルのほか、1985年に配備されたAGM-88 HARM空対地ミサイルを2発搭載する予定だった。AGM-88は対放射ミサイルであり、早期警戒レーダー陣地や地対空ミサイルプラットフォームから発せられる電磁波を捕捉し誘導する能力を持っていた。つまり、A-12 アベンジャー II は、現在の F-35 ジョイント・ストライク・ファイターと同様の役割を果たすことができたはずだ。A-12 は敵の防空システムを捜索・破壊し、よりステルス性能が低く、より多くの武器を搭載した後続機が攻撃できる道を開く役割を担っていた。

 敵レーダーの追跡任務以外の際には、AGM-88 HARMミサイルを非誘導爆弾や精密誘導爆弾と交換し、地上目標に対する継続的な攻撃を行うことが可能だった。

 海軍は620機のA-12アベンジャーIIの購入計画を立て、海兵隊はさらに238機を注文し、空軍も退役するF-111アードバーク後継機として400機の改修型A-12の注文を検討していた。重要な点は、F-117Aナイトホークで運用可能な機体は59機しか製造されなかったことだ。そのため、A-12アベンジャーIIはアメリカ軍のステルス機として長年主力となるはずで、総計1,258機が計画されていた。これらの注文がすべて履行されていれば、A-12アベンジャーIIはアメリカで最も多くの機数を誇る航空機の一つとなり、アメリカ陸軍のUH-60ブラックホークに次ぐ規模になっていただろう。

 一時期、A-12アベンジャーIIプログラムは順調に進んでいるように見えたが、1991年1月、国防長官(のちのアメリカ合衆国副大統領)ディック・チェイニーによって突然中止された。


無残としか言いようがない終結

A-12アベンジャーIIプログラムは、議会からプログラムの進捗について追及された際、繰り返し順調だとチェイニーが報告していたように、一時的には順調に進んでいるように見えた。しかし、チェイニーが知っていた限り(一部の報告によると)、海軍、国防総省、マクドネル・ダグラス、ジェネラル・ダイナミクスなどの関係者は、プログラムの課題を隠蔽する意図があったようだ。

 多くの人が知らなかったことだが、1991年初頭時点でまだ飛行試験を行っていなかった同機は、大幅に重量超過、18ヶ月遅延、予算を大幅に超過していた。

 A-12アベンジャーIIプログラムが中止された後、1991年4月の『エアフォース・マガジン』記事は、国防総省調査官は4つの別個の重大な要因に責任を帰属させたと伝えた:

-「ペンタゴンの分析官は2年前にコスト超過の可能性を最初に指摘していたものの、問題点を指摘することで機体を危険にさらしたくないと考え、過度に保護的な海軍のプログラム責任者は前年行われた大規模なペンタゴン審査後も、A-12が予定通り進んでいると説明し続けた。

-「波風を立てない」ペンタゴン官僚の一部は、問題を知りつつも、上層部に逆らい主張を押し通すことをためらった。A-12の問題を指摘した報告書が隠蔽され、忘れ去られた事例があった。

-A-12の請負業者は、このような航空機を製造する技術的困難の程度を過大評価し、問題を政府から隠蔽した。海軍副法務顧問チェスター・ポール・ビーチの調査では、ジェネラル・ダイナミクスとマクドネル・ダグラスが「コストとスケジュールの乖離が拡大している」と発見したにもかかわらず、海軍にタイムリーに報告しなかったと判明した。

-プロジェクトを覆う過剰な機密保持が、調査を妨げた。チェイニーとガーレットの秘書官に割り当てられた職員は排除され、通常の報告手続きが放棄され、情報は書面ではなく口頭で伝達された。


 その後、米国政府マクドネル・ダグラスとジェネラル・ダイナミクス両社は、契約違反を巡る訴訟を繰り返し、最終的に最高裁まで争った。2014年1月、マクドネル・ダグラスを吸収したボーイングとジェネラル・ダイナミクスは、初期契約の要件を満たせなかったとして、それぞれ政府に2億ドルを返済することで合意した。■



Inside the Doomed A-12 Avenger II: America’s ‘Flying Dorito’ Stealth Jet

By

Alex Hollings

https://www.19fortyfive.com/2025/04/inside-the-doomed-a-12-avenger-ii-americas-flying-dorito-stealth-jet/?_gl=1*c0hm8e*_ga*MTkwNjkwOTY2OS4xNzQ1MTg2Mzc0*_up*MQ..


著者について:アレックス・ホリングス  

アレックス・ホリングスは、外交政策と防衛技術分析を専門とするライター、父親、元海兵隊員です。サザン・ニューハンプシャー大学でコミュニケーション学の修士号、フレミングハム州立大学で企業・組織コミュニケーション学の学士号を取得しています。この記事は最初にSandboxxで公開されました。


2022年1月12日水曜日

U-2に対艦ミサイル搭載し、米海軍へ売込みを図ったロッキード。実現すれば当時としては画期的な攻撃手段になっていたはずだが....

 

                実現しなかった構想シリーズ

戦末期、ロッキードから高高度飛行可能なU-2スパイ機に長距離対艦ミサイルを搭載する提案が出た。U-2の航空母艦運用する案と加え、実現していれば米海軍の対艦攻撃の有効範囲がはるかに伸びていただろう。


U-2の供用開始は1955年で、米国の偵察能力を飛躍的に伸ばした。ケリー・ジョンソンの伝説的なスカンクワークスでの開発は一年未満で完了し、U-2は高度70千フィート超での飛行が可能となり、当時のソ連防空戦闘機やミサイルの性能では対応できなかった。


Lockheed Martin


だがU-2を特別な機体にした要素は別にあった。空中給油が始まったばかりの当時にU-2原型は無休油で3千マイル飛行が可能で敵領土上空での極秘作戦を展開できた。搭載した最初のカメラは高度60千フィートで解像度2.5フィートだったが、その後改良が進み、米軍でも最高性能の光学センサー、初の見通し線データリンクを搭載している。


ハイテク機器を搭載するU-2でミサイルを実際に搭載したことはない。だがロッキードはU-2売り込みを目指し、この点に踏み込んだのだった。


ロッキードはUI-2販売増加を狙っていた


海外国の航空施設に依存しなくてもよくなるため、U-2を米海軍空母で運用する構想がCIAにあったことは承知の通りだ。この試みは各種あったがおおむね成功している。



1963年8月、ロッキードのテストパイロット、ボブ・シューマッハーがUSSキティホークからU-2を初めて発艦させ、その後陸上基地に着陸した。翌年2月にはシューマッハーは改装型U-2GをUSSレインジャーから発艦させ、着艦に成功した。同年末にはU-2は実際に米空母から発進しフランスの核実験を偵察した。


CIAはそのまま続けるはずだったが、最新のCIA仕様U-2Rを海洋捜索センサー満載のEP-Xに発展させる米海軍の構想はとん挫した。テストで成功を重ねたが長大な主翼を空母格納庫に収納する問題や極秘機材を空母艦上で保守管理する負担を考えると同機から得られる偵察内容に見合わないと判断したのだった。


これまで報じられていなかったが当時のロッキードは政府に同型機をたくさん購入させようと理由をつくろうとしていた。同社はU-2を1955年から1989年にかけ104機製造したが、情報収集機能以外でしかるべき理由があれば販売を伸ばせると見ていた。


1970年代末の同社は国防産業として過去の名声を失い、財務上のスキャンダルが続き、ビジネス判断を読み間違え、容赦ない報道陣は同社の存続を危ういと踏んでいた。1971年には2億ドルの赤字(2021年のドル価値で13億ドルに相当)を計上し、コスト超過と契約違反でペンタゴンと争っていた。


同年にロッキードへエンジンをもっぱら供給し栄太ロールスロイス が破産を宣告し、操業を続けるべく同社は米政府に250百万ドルの支援を持ち掛けた。70年代末にはロッキードの企業価値は低下し、米防衛産業では第六位にまで落ちてしまい、ジェネラルダイナミクス(F-16)やマクダネル・ダグラス(F-15)より下になってしまう。ロッキードには何としても朗報が必要で、当時開発中の案件もあったが、U-2は性能で折り紙付きで生産ラインも稼働中だった。また同機の操縦は極めて難しかったものの、同機の性能をさらに伸ばす方法を模索していた。


ゲーリー・パウワーズ操縦のU-2がソ連上空で1960年に撃墜されたことで同機の生命が立たれたと考えていた者もあったが、もともと同機はソ連防空体制の限界以上の高度での運用を想定しており、航続距離を伸ばし長時間運用を可能とした偵察機とあれば無視するわけにいかなくなった。たとえ高速かつ高高度飛行性能を有するSR-71が既に存在しており、衛星の性能も向上していたとしても。


ロッキードが米海軍に同機を導入するのに成功していれば、同社にはのどから手が出るほど欲しい収益が実現していただろう。だがそのためにはドラゴンレイディと呼ばれた同機の威力をさらに伸ばす仕掛けが必要だった。


U-2にミサイルを搭載し対艦攻撃に使う構想だった



ロッキードはU-2を偵察装備満載した海洋捜索機としては海軍に販売できなかったが、同社には別の手もあった。


U-2を設計したケリー・ジョンソンはまず空軍にCL-282として同機を提案した。これがのちにU-2となったのだが、戦略空軍(SAC)の伝説の司令官にして第二次大戦時の太平洋で戦略爆撃方式を編み出したカーティス・ルメイに一蹴されてしまった。ルメイはロッキード社訪問団に「車輪も銃も搭載しない」同機には関心がないと冷淡にあしらわれてしまった。


ロッキードはこの時の教訓を胸におさめたものの、U-2に着陸車輪や銃を搭載せず、かわりにミサイル搭載を想定したのだった。


315B型との名称がついたU-2の派生型に二人目の乗員が乗り、レーダー迎撃士官として搭乗するのであり、米海軍のF-14トムキャットなど戦闘機の後部座席に乗る士官と同様だった。


二名運用とすることで、乗員の認知的負荷が効果的に分散される。つまり、パイロットは操縦に集中し、後部座席士官は通信、敵味方の位置把握、航法にもっぱら集中できる。さらに315B型U-2の場合、ウェポンシステムや防御手段の操作に集中できる。


トップガンのグースが高度で30千フィート高いところにいる様子を想像できるだろうか。


U-2 パイロット訓練はビール空軍基地で複座型TU-2Sで行う。 (U.S. Air Force photo by Airman 1st Class Bobby Cummings/Released)


この315B仕様U-2には当時新型で試験中のAGM-53コンドル長距離空対地ミサイルを搭載し敵艦船を最大60マイル先から攻撃する構想だった。コンドルミサイルは電子光学装置(つまりテレビ)がデータリンクで機体に連絡し後席搭乗員が自分で標的に誘導する想定だった。ミサイルはこの形で標的にロックされると搭乗員は別の標的を探し攻撃する構想だった。


同ミサイルは全長14フィート、直径17インチで4フィート5インチの翼幅だった。ロケットダインMk70固体燃料ロケットを推進力とし、排気は小型ノズル二本から出す設計で、後部にはデータリンクが大部分を占めていた。同ミサイルの重量は2,100ポンドになり、ここに630ポンド弾頭も含まれていた。最大速力マッハ2.9で60マイルを一分半で飛翔する性能だった。大型艦の操艦にかかる時間とコンドルのデータリンクに頼る標的捕捉装備を考えれば、敵艦船攻撃手段として優れた選択だった。


さらにコンドルは通常弾薬と核兵器を併用する想定だった。つまり、U-2に核攻撃機になる可能性があったということで、315B仕様とコンドルがともに技術的に成熟するのが条件だった。残念ながらコンドルのメーカー、ロックウェル、ロッキードともに生産に移すことはなかった。


AGM-53コンドルの開発には問題がつきまとい、推進系の信頼性から実用に耐えるデータリンクの実現が予算超過になったことまで多くの難関が生まれた。さらに悪いことに比較的小型の弾頭をつけた同ミサイルの価格がとんでもない金額になり、合理性が失われた。当初は250発調達を1976年までに完了する想定だったが結局開発中止となった。


同ミサイルと同様に315B仕様のU-2も米海軍で実現することはなかった。数年後にロッキードは軍事航空分野で再び頭角を現した。世界初のステルス機F-117で、同機の試験飛行が始まったからだ。


U-2スパイ機はその後も米空軍で重要な役割を続け21世紀の今日に至っている。現在も30機超のU-2が各種任務をこなし、むしろ用途は拡大している。一部機材は米空軍最高性能を誇る戦闘機F-22ラプターとF-35共用打撃戦闘機間の安全な交信の中継機になっている。この各機種がすべてロッキードのスカンクワークスの手によるもので、U-2同様にロッキードは長年にわたり安定した事業展開を続けている。■


Lockheed pitched arming the U-2 with anti-ship missiles - Sandboxx

LOCKHEED PITCHED ARMING THE U-2 WITH ANTI-SHIP MISSILES

Alex Hollings | January 3, 2022

 

Alex Hollings

Alex Hollings is a writer, dad, and Marine veteran who specializes in foreign policy and defense technology analysis. He holds a master’s degree in Communications from Southern New Hampshire University, as well as a bachelor’s degree in Corporate and Organizational Communications from Framingham State University.