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中国との対決に備え、装甲車両部隊の整備運用を再構築しつつある陸上自衛隊だが、輸送力確保など他部隊との協調連携が不足したまま突っ走っていないか検証が必要だ。

  10式戦車(左)、90式戦車(右)と16式機動戦闘車両 January 12, 2020. KAZUHIRO NOGI/AFP via Getty Images   ここがポイント 日本は冷戦時にソ連に対抗すべく装甲部隊を大規模整備した 中国の台頭で新しい課題が生まれ、日本は装甲車両を一新しつつ使用方法を変えようとしている 第 二次大戦期の日本装甲部隊はわずかな例を除き、連合軍戦車部隊の数量に圧倒され勝ち目は薄かった。 この経験とソ連の脅威から戦後の日本は戦車開発を進めた。1990年代には高性能装甲部隊を大規模整備するに至った。 だが、自衛隊は軌道修正を迫られている。 中国の脅威の台頭により陸上自衛隊は装甲車両、火砲集中投入を前提とする北部展開方針から迅速に南西部に展開可能な機動性部隊の必要に直面している。 このため、輸送力整備、新型装甲車両の開発、さらに陸上自衛隊戦車部隊そのものが変わろうとしている。 ソ連への守りだった 61式戦車 November 18, 1985. US Defense Department 両大戦間の日本の戦車部隊は近代的かつ革新的な存在だった。だがドイツ及び連合国が工業力にものを言わせ新型戦車の数々を第二次大戦中に登場させ性能向上させたのに対し、日本の限られた工業力では対応できなかった。 さらに第二次大戦の日本軍の戦略は南方侵攻で、大規模戦車戦は想定されず、海軍や航空機の整備を優先した。 戦後の日本は西側技術や設計にアクセスが許され、戦車の重要性を改めて認識し、ソ連侵攻に備え高性能装甲部隊の整備に注力した。 冷戦時の日本戦車部隊は61式、74式の両主力戦車が中心で90mm砲105mm砲を各搭載した。当時としては高性能車両で大量整備した。 1990年に90式戦車が導入され、50トンの車体に120mm砲を搭載し、あらゆる点で第一線級戦車となった。モジュラー式複合材装甲、レーザー測距、火器管制コンピュータ、熱探知暗視機能、自動装てん装置を搭載し、ドイツのレパード2A4に匹敵する戦車となった。 当時の日本はソ連侵攻の主戦場を北海道と想定し、戦車多数を配備した。 1976年時点で陸上自衛隊は戦車1,200両、火砲1,000門の大部分を北海道に常駐させていた。 軽量かつ高機動の追求 74式主力戦車 August 24, 2017. Tomohir

速報 陸自向けV-22が日本へ到着

陸自向けV-22の初号機が日本に到着しました。 米国防総省の広報ウェブサイトDVIDSが写真入りで伝えています。 Images - V-22 Arrives in Iwakuni IWAKUNI, YAMAGUCHI, JAPAN 05.08.2020 Photo by Cpl. Lauren Brune   Marine Corps Air Station Iwakuni    陸上自衛隊向けV-22オスプレイが海兵隊岩国航空基地に2020年5月8日到着した。陸揚げされたV-22はJGSDF向けの初の機材。(U.S. Marine Corps photo by Cpl. Lauren Brune)