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歴史に残らなかった機体16 ノースアメリカンB-45トーネード

米 航空戦力がナチドイツ、日本帝国の打破に重要な役目を果たした事実は否定できない。だが米爆撃機で主力のB-17、B-24は大戦末期に陳腐化は否めず、当時最新鋭のB-29でさえ原設計は米国参戦前だった。 1944年にドイツのジェット推進航空機の脅威が出現すると、米陸軍航空隊はジェット爆撃機の設計競作を求めた。だが成果が出る前に大戦が終結した。予算の大幅縮小で開発が遅れたが、ソ連と緊張が高まると、ジェット爆撃機開発の必要が痛感された。 ノースアメリカン・エイビエーション B-45トーネードは1947年3月に初飛行し、数々の初の記録を打ち立てた。 初の4発ジェット爆撃機、初の量産ジェット爆撃機で、初の核搭載ジェット爆撃機、初のジェット多発偵察機、かつ初の空中給油機となった。 ノースアメリカンは142機のB-45を生産し、うち10機は長距離型のB-45Cで翼端燃料タンクを付けた。また33機は偵察用RB-45Cで高高度飛行と空中給油に対応した。 武装は軽微で.50口径機関銃2門を尾部に装着するのみだが、爆弾22千ポンドを搭載し軽爆撃機だった。動力は ジェネラル・エレクトリック J47の4基で推力は各6千ポンドだった。最高速度は570mphで戦闘半径は1千マイル、最大高度は37,500フィートだった。 1950年代初頭の米国核抑止力で重要な機材だったが、ボーイングB-47ストラトジェットに交代した。B-45は朝鮮戦争に投入され、爆撃機としての真価を発揮し、また高高度偵察機としてMiG戦闘機を振り切った。 B-45、RB-45Cともに戦略空軍に1959年まで供用された。このうち47爆撃飛行団(軽)のB-45、19戦術偵察飛行隊のRB-45、さらに同機を運用した英空軍特殊任務飛行隊はイングランドのRAFスカルソープ基地に展開していた。英空軍が運用したRB-45は鉄のカーテン内部に侵入し極秘ミッションを実行した。 冷戦初期には重要視された同機も現在は3機がオハイオ州デイトンの米空軍国立博物館に残るのみである。■ この記事は以下を再構成したものです。 North American B-45 Tornado: A Bomber That Made Some Serious History Ju