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水陸両用機の復権、米国は対中戦を念頭に兵站を支える機体を太平洋戦線で投入できるよう整備すべきだ(USNI Proceedings)

  2023年1月、海兵隊岩国航空基地(日本)に着水する水陸両用輸送機、海上自衛隊新明和US-2。 アメリカ海兵隊(ミッチェル・オースティン) 水陸両用機は戦争の3つの物理的領域を結びつけ、それぞれの問題を解決することができる。 米 海軍は、以前の大規模な海上紛争での成功で不可欠だった重要な能力を軽視してきた。西太平洋で将来起こりうる紛争を前にして、米海軍はその能力に貢献した能力、すなわち兵站の維持を反省するのがよいだろう。この能力は極めて重要であり、柔軟で機敏な補給ネットワークの開発を必要とする。そのネットワークの不可欠な構成要素は、分散型海上作戦を支援するために、試行錯誤を重ねた主力コネクターである水陸両用機であろう。  海軍は1911年7月、海軍飛行士No.1のセオドア・エリソン中尉がカリフォーニア州サンディエゴのノースアイランドからカーチスA-1トライアドを飛ばして以来、水陸両用機を運用してきた。空母が海を支配するはるか以前から、水陸両用機はすでに歴史にその名を刻んでいた。  その後数十年の間で水陸両用機は成熟し、第二次世界大戦中に真価を発揮した。PBY-5カタリナなどは、太平洋戦域と大西洋戦域の両方で艦隊作戦を支援し、さまざまな役割を果たした。敵艦隊を発見するため長距離偵察を行った。潜水艦から輸送船団の航路を守るために爆弾と爆雷を搭載し、海運と港湾業務を妨害するために敵の港を機雷掃海した。また、捜索救助活動や後方支援も行った。PBY(カタリナ全体で3,000機以上)は、艦隊が戦力を維持し、補給線を守り、戦域認識を維持するための重要なコネクターであった1。  第二次世界大戦での2つの有名な事例が水陸両用機の価値を示している。最初の例は、米国の参戦からわずか6ヵ月後のことであった。1942年6月3日、ジャック・リード少尉はミッドウェー環礁からVP-44所属のPBY-5Aを飛ばしていた。彼の長距離偵察任務は、日本帝国艦隊を見つけて捕捉することだった。700マイルの哨戒中、彼は水平線上に敵艦を発見した。彼は最初の目撃報告を行い、追加情報を得るように命じられた。その後の数日間、この重要な目撃情報は、ミッドウェー海戦における大規模な艦隊行動を引き起こし、米国の重要な勝利をもたらした。  二つ目の例は、戦争終結間際に起こった。1945年7月、巡洋艦USSインディアナポリ