スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(ソ連によるU-2撃墜事件(1960年))が付いた投稿を表示しています

ソ連上空のU-2撃墜から60年で明かされる当時の情報

Credit: Lockheed Martin Skunk Works ソ連スヴェルドロフスク上空でU-2(フランシス・ゲイリー・パワーズ操縦)が撃墜され60年になったが、事件を取り巻く興味深い事実7つを紹介したい。 1. 撃墜の瞬間 1960年5月1日午前10時ごろ、CIAのパイロット、フランシス・ゲイリー・パワーズは高度7万フィートでロッキードU-2Cのコックピットに座りソ連の工業都市スベルドロスク上空を飛行中だった。南部のICBM基地があるチュラタムから開始してソ連の秘密都市数カ所のスパイ飛行は半分完了していた。共産革命前のスベルドロスクはエカテリンブルグと呼ばれ(今日この名に戻っている)ニコラス二世暗殺の舞台となった。だが1960年の当日はソ連の主要工業都市のひとつだった。CIAはU-2Cでソ連上空偵察飛行を開始して4年目だったが、スヴェルドロスク上空飛行は今回が初めてだった。 高高度を飛ぶパワーズに地上のソ連防空軍がしつように乗機を狙っていると知る由もなかった。SA-2地対空ミサイル部隊が機体をロックしていた。ミサイルの一発はパワーズ機を迎撃しようとしたMiG-19を撃墜したが、別の一発がパワーズ機の水平尾翼を吹き飛ばしたため、U-2Cは高高度操縦が困難になった。機密解除のCIA文書ではロッキードでU-2を設計したクラレンス・「ケリー」・ジョンソンも同席し1962年に身柄を解放されたパワーズに事情聴取しており、本人はその瞬間で機体制御ができなくなったと語っている。 2. スパイ機の領空侵犯にフルシチョフが猛烈に抗議 ソ連内部で墜落した米パイロットを捕獲し混乱が生まれた。ソ連のニキータ・フルシチョフ首相は国連安全保障理事会に米国に対する措置を求めたが、米政府は偽装情報を公開し、Aviation Weekが律儀に報道している。米政府の嘘はフルシチョフの開いた記者会見ですぐに露呈した。ソ連がU-2の残骸から回収したスパイ装備を公開したのだ。 Source: Aviation Week Archives 3. キャリフォーニア州バーバンクのスカンクワークスではジョンソンの部下たちがU-2Cがソ連の防空装備で高度7万フィート飛行中に撃墜できたとは信じられなかった。CIAはアイゼンハワー大統領にソ連防空体制でU