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歴史に残る機体19 MiG-25フォックスバット

The Soviet MiG-25 Spooked the U.S. Military The Americans hurried to develop the F-15 歴史に残る機体19   ソ連のMiG-25に震え上がった米軍はF-15開発を急いだ WIB AIR October 23, 2018 Robert Farley https://warisboring.com/the-soviet-mig-25-spooked-the-u-s-military/ M iG-25フォックスバットほど威力を持ちつつも誤解された冷戦期の機体はない。米軍の超音速爆撃機や高高度を飛ぶスパイ機の迎撃用に設計されたフォックスバットには高速飛行性能を活かし偵察機としての用途もあったが戦闘爆撃機としての性能は限定的だった。 .フォックスバットは10数カ国の空軍に配備され、レバノン、シリア内戦、エジプト、イラン-イラク戦、湾岸戦争、リビア内戦で実戦投入された。 多くの点でMiG-25は特筆すべき機体だった。最高速度マッハ3で高高度を飛んだ。試作機は1965年に初飛行するや速力、上昇性能、飛行高度で世界記録を書き換えている。 ずば抜けた性能とは裏腹に問題があった。低高度で操縦性が欠如していたのだ。機体重量が大きくなったのは耐久性を保証する素材技術がソ連になく、ニッケル-鋼合金を機体全面に使ったためだ。 双発エンジンでマッハ3.2を出したがこの速力ではエンジン自体が損傷し、実用上はマッハ2.8が最高だった。初期モデルには機体下を監視照準するレーダーがなく米爆撃機を狩る迎撃機として致命的な欠点だった。 フォックスバットの実態が表面に出たのはソ連パイロットが日本に機体を着陸させた1976年9月の亡命事件だ。日本は機体を米側に引き渡し、米国が機体を分解点検した。調査からフォックスバットは迎撃機であり航空優勢戦闘機ではないことが判明した。また実際の性能が想定より低いこともわかった。 ソ連情報機関が米国の爆撃機運用思想を正確に把握していれば、MiG-25を多数配備する予算を安価な多用途戦闘機整備に回せたはずだ。その場合は戦闘用航空機の歴史も変わっていたはずだ。 ソ連はフォックスバットを1,000機以上量産し、うち8割から9割がソ連空軍で供用さ

F-15無敵神話を追う 第二部

Has Anyone Ever Shot Down an F-15 in Air Combat? F-15は航空戦闘で喪失が本当に一機もないのか Part two   WIB AIR WIB HISTORY January 1, 2018 Tom Cooper https://warisboring.com/part-two/ 第二部 ボーイングおよび米空軍の公式発表ではF-15イーグルの空戦実績は104対0で一機も喪失していない。だが敵側勢力から同機を撃墜したとの主張が数例出ている。  だがその内容には撃墜の証拠がないことが共通している。  イラクは1991年1月4日、砂漠の嵐作戦開始後13日目にイラク軍戦闘機がイスラエルF-15編隊を迎撃し一機をH-3航空基地近くで撃墜したと主張している。  数年たちイラク退役准将アーメド・サディクが再び主張し撃墜現場を視察したとも述べた。墜落したF-15は地上に激突したためめぼしい残がいはバイロットのブーツだけで本人の遺体の一部が入っていたという。 米F-15Cとサウジ空軍のF-5E タイガー II, 砂漠の嵐実施前の演習にて。 U.S. Air Force photo  サディクによれば残骸の残りはイラク空軍情報部のあるバグダッドへ送った。12年後のイラク侵攻で米軍が情報部を荒らし証拠を破壊したという。  次のイラクの主張はやや現実味が強い。1991年1月30日、イラク空軍MiG-25PDSフォックスバット二機編隊がバグダッドとイラン国境付近を飛行する米空軍イーグル二機編隊を迎撃した。イラク地上管制は敵機に両機を差し向け、一機のMiGがR-40ミサイルを発射し爆発したが命中しなかった。  同じMiG-25編隊がハン・バニ・サード東で別のF-15C二機に襲い掛かった。激しい電子妨害を受けながらフォックスバット先頭機がR-40RD一発を12マイル地点で発射すると、イーグル二機はスパロウ二発で反撃してきた。F-15Cが降下しながらフレアを放出するのを視認したフォックスバット先頭機パイロットはR-40が近くで爆発し損害を与えたと結論づけた。  スパロウミサイル二発は命中せずフォックスバットは左旋回で北へ退避した。残る米機がAIM-7Mを三発発射したが全発作動しなか

歴史に残る機体11 MiG-25フォックスバットは巨大な張子の虎、函館空港着陸から40年

函館空港にMiG-25が着陸して40年がたちました。当初恐れられていた同機ですが、分解してその実力を露呈してしまいました。この記事では亡命事件をベレンコの個人の企てのように書いていますが、実態はどうったのでしょう。また故トム・クランシーの「レッドオクトーバーを追え」がこの事件で触発されたのは明らかですね。その両者に共通するのはザ・カンパニーです。 The pilot who stole a secret Soviet fighter jet . By Stephen Dowling  5 September 2016 http://www.bbc.com/future/story/20160905-the-pilot-who-stole-a-secret-soviet-fighter-jet 1976年9月6日、函館近くの雲の中から一機の航空機が出現した。同機は双発ジェット機だが函館空港でお馴染みの短距離旅客機とは全く違っていた。大型で灰色の機体には赤い星、ソ連のマークがついており、西側陣営で実機を見たものは誰もいなかった。 同機は函館空港に着陸したが滑走路が足りなかった。舗装路を外れ土を数百フィート掘り返しながらやっと停止した。 パイロットは操縦席から出るとピストルで威嚇射撃を二発撃った。空港隣接道路から写真を撮影したものがあったのだ。空港関係者が慌ててターミナルビルから駆けつけるまで数分かかったがパイロットは29歳の飛行中尉ヴィクトール・イヴァノヴィッチ・ベレンコでソ連防空軍所属だと名乗り亡命を申請した。 通常の亡命ではなかった。ベレンコは大使館に駆け込んだのでもなく、海外旅行中に脱走したのでもなかった。機体は400マイルほど飛行しており、今や日本の地方空港の滑走路端に鎮座している。機種はミコヤン-グレヴィッチMiG-25だ。ソ連が極秘扱いしてきた機体だ。ベレンコが来るまでは、だったが。 西側はMiG-25の存在を1970年頃に把握していた。スパイ衛星がソ連飛行基地で新型機が極秘テストされているのを探知。外観から高性能戦闘機のようで西側軍部は特に大きな主力に注目した。 大面積の主翼は戦闘機に極めて有益だ。揚力がつき、主翼にかかる機体重量を分散す