Has Anyone Ever Shot Down an F-15 in Air Combat?
F-15は航空戦闘で喪失が本当に一機もないのか
Part two
第二部
ボーイングおよび米空軍の公式発表ではF-15イーグルの空戦実績は104対0で一機も喪失していない。だが敵側勢力から同機を撃墜したとの主張が数例出ている。
だがその内容には撃墜の証拠がないことが共通している。
イラクは1991年1月4日、砂漠の嵐作戦開始後13日目にイラク軍戦闘機がイスラエルF-15編隊を迎撃し一機をH-3航空基地近くで撃墜したと主張している。
数年たちイラク退役准将アーメド・サディクが再び主張し撃墜現場を視察したとも述べた。墜落したF-15は地上に激突したためめぼしい残がいはバイロットのブーツだけで本人の遺体の一部が入っていたという。
米F-15Cとサウジ空軍のF-5E タイガー II, 砂漠の嵐実施前の演習にて。 U.S. Air Force photo
サディクによれば残骸の残りはイラク空軍情報部のあるバグダッドへ送った。12年後のイラク侵攻で米軍が情報部を荒らし証拠を破壊したという。
次のイラクの主張はやや現実味が強い。1991年1月30日、イラク空軍MiG-25PDSフォックスバット二機編隊がバグダッドとイラン国境付近を飛行する米空軍イーグル二機編隊を迎撃した。イラク地上管制は敵機に両機を差し向け、一機のMiGがR-40ミサイルを発射し爆発したが命中しなかった。
同じMiG-25編隊がハン・バニ・サード東で別のF-15C二機に襲い掛かった。激しい電子妨害を受けながらフォックスバット先頭機がR-40RD一発を12マイル地点で発射すると、イーグル二機はスパロウ二発で反撃してきた。F-15Cが降下しながらフレアを放出するのを視認したフォックスバット先頭機パイロットはR-40が近くで爆発し損害を与えたと結論づけた。
スパロウミサイル二発は命中せずフォックスバットは左旋回で北へ退避した。残る米機がAIM-7Mを三発発射したが全発作動しなかった。イーグルのパイロットは南へ移動してフォックスバット二番機と交戦を避けた。
MiG-25編隊がバグダッド西のタムズ基地に帰還すると別のF-15編隊に襲撃を受け、スパロウミサイルが着陸中のフォックスバットの10フィート後方の滑走路に命中したという。
F-15Eがダーラン基地(サウジアラビア東部)に並ぶ。 U.S. Air Force photo
一方でイラクの地上レーダーは先に襲ったF-15編隊が後退する様子を捉えうち一機が減速し高度を落とすのを確認し、サウジアラビア領土内で墜落したと推定した。これによりフォックスバット先頭機パイロットに撃墜確実が認められ、その後ベドイン族密輸業者がF-15残骸がサウジアラビア北部に埋まっていると述べ撃墜が確認された。
実際にはこの交戦でF-15Cに墜落は発生していない。砂漠の嵐作戦全体でも一機も撃墜されていないが米空軍はF-15Eを二機喪失した。1991年1月17日と19日で対空砲火によるものだ。ただし航空戦喪失ではない。
だが奇妙な事件が発生した。F-15が敵側の手に渡る寸前になった。1990年、砂漠の嵐作戦実施前にサウジ空軍のF-15Cパイロットがアラブ同士の戦闘の可能性に悩みスーダンへ機体もろとも亡命した。
ペンタゴンは航空部隊に敵性F-15との遭遇可能性ありと警告した。ただサウジ政府の迅速な対応のおかげで解決した。うわさではリヤドがハルツームに5千万ドル支払い機体回収したとのことである。■
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