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米国が開発中の極超音速機3型式は21世紀の空に再びスピードの威力を復権させる

公 開情報によれば、米国で少なくとも2機(おそらく3機)の極超音速機が秘密裏に開発中であることが明らかになってきた。こうしたプラットフォームが実用化されれば、アメリカが中国やロシアに一貫して負けているとされてきた極超音速兵器競争に終止符を打つことが約束される。 しかし、最も驚くべきことは、再利用可能な極超音速航空機を飛行させるアイデアは今回が初めてではないことだ。ソビエトのスプートニク衛星が軌道に乗る前から、アメリカは有人極超音速爆撃機を開発していた。 X-20 ダイナソアの実物大モックアップ。 . (U.S. Air Force photo) 1957年10月のスプートニク発射を前に、ボーイング(ペーパークリップ作戦で渡米したドイツ人技術者も参加)は、極超音速爆撃機「X-20ダイナソア」開発を開始した。ロケットで打ち上げ、ブースターから分離し、リフティングボディ形状を利用し大気圏をバウンドし、マッハ18以上の速度で膨大な距離を移動する(大気圏外での速度をマッハ数で表すことは必ずしも適切ではない)機体だった。  この頃、ノースアメリカンの有人ロケット極超音速機X-15も実験を開始しており、1959年に無動力で初飛行した。 発射機から引き離されるノースアメリカンX-15。X-15は、1959年から1968年にかけ飛行したロケットエンジン搭載の極超音速機である。 (U.S. Air Force photo) 1960年、空軍はた新型宇宙爆撃機のパイロット選びに着手し、第一陣として30歳の海軍テストパイロットで航空技術者のニール・アームストロングが選ばれた。アームストロングは1962年4月にX-15を操縦した後、X-20プログラムから完全に離れ、新設のNASAでさらに高い速度と高度を追求することになった。そして、4年後に打ち上げられるジェミニ8号の指揮を執り、その3年後に人類初の月面着陸を果たした。  X-20ダイナソアの最初のモックアップは、全長35.5フィート、翼幅20.4フィートだった。同計画は当時の技術水準で実現可能だった。だがコストがダイナソアの消滅を招いた。 X-20計画で選ばれた宇宙飛行士たち。 . (U.S. Air Force photo) 「U-2のようなブラック計画として進めていれば、実現したかもしれない」と、元空軍歴史部長のリチャード・ハリオン博