B-29は日本人にとっては好ましからぬ機体なのでしょうか。その派生型がB-50で、さらに知名度が低いのでしょうが、重要な役割を航空史上で果たしているのでご紹介します。 B-29 は歴史上最大規模の空襲3事例、東京、広島・長崎原爆投下を実行したが、後継機B-50は実戦で一回も爆弾を投下していない。 第二次大戦中に20億ドルを投じたマンハッタン・プロジェクトの成果物原子爆弾を投下したのが30億ドルで完成したB-29スーパーフォートレスだった。 B-29は機体空虚重量37トンでR-3350デュプレックスサイクロン星型エンジンにターボチャージをつけ、時速350マイルで高度30千フィート超を飛び、日本の迎撃戦闘機には捕捉が困難だった。. だが第二次大戦が幕を下ろす前に同機の優位性がターボジェット戦闘機の前に消えると空軍も理解していた。冷戦が勢いを増した1940年代末にはロシアを原爆攻撃可能な爆撃機が死活的だった。 ここから新型B-29Dが生まれ、3,500馬力のR-4360ワスプメイジャーエンジンに換装され、機体表皮も軽量だが強靭な75-Sアルミ合金になった。重量は600ポンド軽量化され、飛行速度は400マイルになった。その他改良点に垂直尾翼の大型化、油圧制御、主翼や窓に除氷装置がついた。 第二次大戦終了でB-29発注が取り消されたが、事業継続を計る軍はB-29DをB-50と政治的な理由で呼称変更し、制式名の混乱を生んだ。 B-50Aは60機のみ生産され、新設の戦略航空軍団の核抑止力の一角をにない、大型B-36ピースメイカー、B-47ストラトジェット爆撃機の登場までをつないだ。 本格生産はB-50Dで222機が製造された。最終形では乗員が11名から8名に減らされ、外部燃料タンクを採用し、機首形状が簡素化されたほか、空中給油用のブームがついた。 B-50では与圧制御の不良やエンジン問題さらにアルミ表皮の亀裂が発生し、数年かけ解決した。さらに新型核爆弾運用のため、爆弾倉は数回に渡り改装された。 朝鮮戦争が勃発した1950年代には旧型B-29のみが空爆作戦に投入され、予想外の損失をソ連MiG-15ジェット戦闘機により被った。ミグは時速680マイルに達し、高い上昇性能があり、B-29に優位性がないのは...
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