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歴史に残る機体(37) 米海兵隊で活躍したAV-8ハリアーにもいよいよ退役の時が迫る。F-35Bがレガシーを引き継ぐ

  歴史に残る機体(37)もともとは英国がこつこつ開発を進めた機体を米国がライセンス権を取得し、海兵隊仕様に手を入れたのがAV-8です。そのハリアーもいよいよ供用期間に幕をおろそうとしており、あらためて同機の活躍ぶりをまとめたSandboxx記事をお伝えしましょう。 ペプシを訴えた戦闘機が引退を迎える   An AV-8B Harrier from Marine Attack Squadron (VMA) 214 performs a vertical takeoff from the flight deck of the amphibious assault ship USS Boxer (LHD 4). Boxer is underway conducting training off the coast of Southern California. (U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 2nd Class Oscar N. Espinoza/Released) A V-8Bハリアージェットは、約40年にわたる活躍の中で、クウェートでサダム・フセイン軍に対する近接航空支援、紅海上空でのフーシ派の無人機迎撃、さらに飲料大手企業ペプシコに対する象徴的な訴訟で主役を演じた。  そして今、海兵隊所属の同機はドローン戦への新たな役割に適応しつつ最後の戦いに備えている。  4月、海兵隊の最後の2人のハリアーパイロットが飛行資格を獲得し、7509軍特殊任務の終わりを告げた。かつては2025年に退役すると予想されていたハリアーは、現在では2026年9月まで飛行する予想で、残るの2個ハリアー飛行隊は、F-35B短距離離陸・垂直上昇(STOVL)統合打撃戦闘機の配備に移行する。  ジョシュア・コルベット少佐は、スヴェン・ヨルゲンセン少佐とともに、ハリアーの最後のパイロットとなった。「ハリアーは、私が出会った多くの航空機以上に、感情的な反応を引き起こします。一般市民、航空関係者、海兵隊員、そして特にハリアーのパイロット・コミュニティーのメンバーにとっては、ほろ苦いものです。すべての良いものには終わりがあり、もうすぐ私たちの番が来るが、まだその時ではない」。 新しいタイプの航空機 水陸両用部隊として陸上でも艦船外でも活動す

歴史に残る機体(36)空戦至上主義から生まれたF-16が航空戦の歴史を一変させた....

  F-16で航空戦はここまで一変された   A F-16 is flow by Alec "Bulldog" Spencer during a mission at Eglin Air Force Base, Florida, Feb. 14, 2019. The 40 FLTS mission is to execute exceptional fighter developmental test and support to deliver war-winning capabilities. (U.S. Air Force photo by Tech. Sgt. John Raven) パ イロットからヴァイパーの愛称で親しまれているF-16ファイティング・ファルコンは、地球上で最も広く運用されている戦闘機だが、それには理由がある。  戦闘機の設計が、最高速度や航続可能距離のような魅力的な指標に集中していた時代に、F-16は航空戦への新しいアプローチを体現するものとして登場した。空対空戦に関する機密分析を指針に、 ジェネラル・ダイナミクス は、ドッグファイトが発生しやすい特定の速度範囲内での性能を重視した戦闘機を考案した。  その結果、先行していたF-15イーグルのような速度や上昇の記録は打ち立てられなかったものの、遭遇しうるほぼすべての戦闘機を凌駕し、凌駕し、凌駕することができた......そしてそのすべてが、当時のトップクラスの戦闘機の半分以下のコストで実現した。  今日のF-35と同じように、F-15が1970年代初頭に登場したとき、その比類ない性能は、ほとんど比類ない価格タグを伴っていた。初期のF-15Aは、1機あたり約2800万ドル(現在のインフレ率に調整すると、1機あたり約2億2750万ドル)という価格だった。つまり、F-15は1機で、現在のF-35A3機とほぼ同じコストがかかったことになる。  このため多くの国防関係者は、米空軍がイーグルをアメリカの戦闘機隊の基幹に据える余裕はないのではないかと懸念した。  空軍関係者、国防アナリスト、業界関係者からなる「戦闘機マフィア」と総称される小集団が待ち望んでいたのは、まさにこのチャンスだった。F-4ファントムIIやF-15イーグルのような近代的なロケット戦闘機とは異なり、戦闘機マフィ

歴史に残る機体(35)EA-6プラウラーはグラマン艦載機最後を飾り、文字通り縁の下の力持ちとなった電子支援機材として重宝された。

  歴史に残る機材32 グラマンA-6イントルーダーの系譜は、60年にわたる供用を経て終焉を迎えた E A-6Bプラウラーは、同型機の最後の運用者となった海兵隊が正式に退役させた。米海軍が同機を2015年7月に退役させて、終焉の日はじわじわと近づいていた。プラウラーの退場は、 グラマン のA-6イントルーダー・ファミリーの60年にわたる信じられないほど成功した実績の終わりを意味する。 すべてはYA2F-1に始まり、推力ベクトルノズルと、設計時(1950年代)には高度なコンピュータシステムを備えた、非常に野心的な空母艦載攻撃機だった。同機は1960年に初飛行し、その後A-6イントルーダーへ改良された。同機は、非常に大量の爆弾を搭載し、悪天候や夜間でも超低空飛行で敵地深くまで侵攻する、信じられないほどの攻撃力と正確さを備えた核搭載可能攻撃機であった。A-6は1963年に就役し、10年間ベトナムで戦い、その後、リビア、イラクなどで活躍した グラマンと海軍は、このイントルーダーから、敵防空レーダーを妨害するイントルーダーの電子戦型EA-6Aを短期間で誕生させた。この機体はわずか28機しか製造されず、1963年に初飛行した。しかし、コンセプトは成功し、ベトナムの危険な空で苦労して学んだ教訓も手伝い、4人乗りEA-6Bイントルーダーの再設計につながった。1968年に初飛行、1971年に就役した空母搭載可能な電子戦専用ジェット機である EA-6A prototype., USN EA-6Bは海軍と米海兵隊で48年間にわたり活躍し、その性能と必要性は増す一方だった。1998年に米空軍のEF-111レイヴンが退役すると、EA-6Bはアメリカの空軍力での電子戦支援で唯一の機体となり、同機以外には空軍のEC-130Hコンパス・コールが限られた能力を提供するだけだった。  EA-6A and EA-6B side by side. , USN 時代が進むにつれて、プラウラーの技はより多くなっていった。プラウラーはAGM-88高速対レーダーミサイル(HARM)を発射し防空体制制圧を支援し、ALQ-99ジャミングポッドで電子妨害支援も可能になった。EA-6Bの電子戦装備は、通信システムの妨害にも使用され、プラウラー・コミュニティは、イラクとアフガニスタンのアメリカ軍と同盟軍の地上部隊に恐怖をも

歴史に残る機体(34) AC-130ガンシップは米軍作戦あるところ、上空を飛んでいたが、中露都の対決では出番がなくなるのか。

  AC-130 Gunship. Image Credit: Creative Commons.   ロ ッキードAC-130は、ユニークな機体だ。ビデオゲーム「Call of Duty」シリーズで有名になったAC-130は、長時間滞空し、地上攻撃を行うため設計されたガンシップだ。AC-130は、各種ミッション・プロファイル標的対応に適した、幅広い地上攻撃兵器が搭載されている。   真の戦士 AC-130は、輸送機C-130ハーキュリーズを原型に、舷側から帆走戦列艦のように巨大な砲を突き出した外観が特徴的な機体だ。1966年のデビュー以来、各型、さまざまな兵器を持つAC-130が使用されてきた。J型は、30mm ATK GAU-23/A自動砲、105mm M102榴弾砲、AGM-176グリフィンミサイルおよびGBU-44/Bバイパーストライク弾の武器システムを装備する。AC-130は、主翼にAGM-114ヘルファイアミサイル、GBU-39小口径爆弾(SDB)、GBU-53/Bの搭載も可能だ。旧型機では40mm L60 ボフォース砲も搭載していた。  近接航空支援、航空阻止、輸送船団護衛、市街地作戦、部隊防護などに対応し、パイロンを反時計回りに回転しながら目標を旋回するため、地上の定点に正確な射撃が可能で、従来の空爆より大幅に改善された効果を発揮する。  他の軍用機とは異なり、AC-130は非加圧キャビンで、低高度で運用され、通常は高度7,000フィートから武器システムを発射する。AC-130は低高度で運用されるため、通常、夜間に暗闇にまぎれて近接航空支援任務を遂行する。  ターゲットを特定し、精密射撃やエリア飽和射撃を成功させるため、AC-130は電気光学画像センサー、赤外線センサー、レーダーなどの高度なセンサー群を使用する。多様なセンサー群によって、AC-130の乗員7人名は、悪天候下でも敵味方の区別がつく。   戦闘投入 AC-130は、ベトナム戦争でデビューし、3機のF-4ファントムIIを護衛につけた。ベトナム戦争では、6機のAC-130が敵の攻撃で喪失した。1969年5月、最初の喪失となった。高度6,500フィートで「トラック・ハンティング」中、37mm対空砲火を浴びた。この事件は、その後5機のAC-130の損失と似ている。ほとんどがトラック・ハンティング

歴史に残る機体(33)A-10、熱烈な議会支持派を抱える同機もロシア、中国相手では限界を露呈するのか

  歴史に残る機体33 An A-10 Thunderbolt. US Air Force     A-10サンダーボルトは対ソ連戦車用に開発されたが、今も戦闘に投入されている A-10は議会筋に人気があり、空軍は同機廃止ができなかった 中国やロシアの装備に対し「ウォートホグ」では対抗できなくなってきた 米 空軍の現役機材の中でもA-10サンダーボルトは独特な存在で「ウォートホグ」とも呼ばれる。 第3次大戦でソ連戦車部隊を葬るべく開発されたA-10は冷戦後に戦闘投入され、直近ではアフガニスタンで姿が見られた。 ペンタゴンは同機主翼の新造契約を交付し運用を当面続けるが、A-10が現代の戦場で生き残れるのかとの疑問が絶えない。 A-10 Warthogs. US Air Force A-10の歴史 1967年、米空軍は新世代近接航空支援(CAS)機A-Xの開発を開始した。CASにがこれまで戦闘機、小型爆撃機を投入しており、初の専用機開発はとなった。 当時の空軍戦闘機はセンチュリーシリーズはじめスピードを最優先にしていたが、A-Xは低速域での生存性、操縦性、滞空時間そしてなりより攻撃力を重視した。 ノースロップA-9、フェアチャイルドA-10の実機実証を経て、A-10が選定され、初号機は1974年に引き渡された。A-10は攻撃を行い帰投するまで生存性を重視した全く異なる機種となった。 機構には重複性を持たせ、一部損傷してもそのまま飛行できる設計とされた。 ジェネラルエレクトリック TF-34アフターバーナーなしエンジン二基は主翼後方に配置し、赤外線特徴を減らし、ソ連防空装備のSA-7グレイル地対空ミサイル等から防御を図った。 A-10パイロットはチタン製「バスタブ」装甲で守られ、想定したZSU-23-4移動式対空装備の23mm弾に耐える。飛行制御系とエンジンにもチタン装甲が施されている。 A-10 が未整備地で離着陸した。カリフォーニアの国家訓練センターにて。June 2019. US Army National Guard/Sgt. Mason Cutrer また同機は空中・地上双方で柔軟運用が可能な設計とし、低速時の取り回しを重視し、パイロットは敵への接近は超低速で「地面をなめる」操縦で敵対空火砲を回避できる。短い未整備滑走路での運用も可能で、通常の航空基地が攻撃を受