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WW2で木製傑作機モスキートをBOACが運用していた....戦略物資ボールベアリング以外に人員輸送までこなし、ドイツ戦闘機の迎撃を振り切っていた。(The War Zone)

  pixel17 via Wikicommons (Colorized Portrait) and Photo by Simon Watts/Getty Images (Mosquito) 第二次世界大戦のマルチロール機、イギリスのモスキートは、爆弾倉に核物理学者ニールス・ボーアを載せ移動していた マット・デイモンが "一足早いクリスマス・プレゼントがあります"と告げる。続いてケネス・ブラナーが登場し、喝采する観客を前に法廷を開く。マンハッタン計画の責任者レスリー・グローブス将軍と核物理学者ニールス・ボーアをそれぞれ演じた2人の大スターは、ロスアラモスへのデンマーク人科学者の到着を告げる。ここは、最初の原子爆弾を製造するため1943年ニューメキシコ州に設立され、80年後にクリストファー・ノーランが大ヒット映画『オッペンハイマー』の撮影で再現した秘密施設である。 「イギリスのパイロットが僕を爆弾倉に入れたんだ」と、ボーア役のブラナーが得意のデンマーク訛りで笑いながら語る。「もちろん、私は酸素吸入をしくじって昼寝するふりをしたんだ」。 このシーンは、ナチス占領下のヨーロッパからデンマーク人が劇的な脱出を遂げたスリリングな状況や、安全な場所への飛行での驚くべき物語をほとんど示唆していない。コペンハーゲンのゲシュタポ本部へのイギリス空軍の空襲を描いた新著『モスキート』のリサーチ中に、筆者はこの2つに関する興味深い真実を発見した。 マンハッタン計画に参加した当時、ニールス・ボーアはおそらくアルベルト・アインシュタインの次に世界で最も著名な科学者だった。祖国デンマークは1940年4月以来、ドイツの占領下にあった。 核物理学者ニールス・ボーアを演じたケネス・ブラナーと、英国特殊作戦本部に "グレート・デーン "のコードネームで知られた本人 。 侵攻当日、教授はコペンハーゲンの研究室で、硝酸と塩酸の混合液で一対のノーベルメダルを溶かそうとしていた。ボーアは、ヒトラー政権下のドイツで反ユダヤ主義から逃れてきた2人のユダヤ系ドイツ人物理学者から預かった23カラット金のノーベル賞が、ナチスの手に移るのを阻止しようとしていたのだ。1940年、フィンランドとソ連との「冬戦争」の犠牲者向け資金集めのため、自分のノーベルメダルを競売にかけた。自分の名前を

1965年米陸軍は月面基地へ宇宙部隊の展開を真剣に検討していた.....

  (U.S. Army Weapons Command/Screenshot via Document Cloud).   1965年、米陸軍はダーツ発射式の宇宙銃で武装した即応部隊を想定していた 米 軍ではあらゆる状況やシナリオにも対応できるよう考えている。そのため、陸軍は月面で起こりうる戦闘を想定して極秘の宇宙兵器開発に取り組んでいた。陸軍は、月面に建設する軍事基地で使用する宇宙用兵器の検討のために、完全な調査を依頼していた。 1960年代。ソ連がスプートニク打ち上げに成功し、宇宙開発競争が始まり、ジョン・F・ケネディ大統領が人類を月に運ぶと約束し、ジェットと原子力の想像力がフル回転していた時代。テクノロジーの進化はめざましく、何でも可能に思えた。そして、そのような「できること」、「未来は今」という考え方のもと、米陸軍には宇宙構想があった。 前書きにはこうある。 この小冊子の目的は、要件設定の責任者から資金調達の責任者、兵器設計者自身に至るまで、兵器関係者全員の思考を刺激することにある。 (C)宇宙(月や他の惑星)にいる人間の主な目的は戦うことではないとしても、必要とあれば自衛の能力が必要となる。月や他の惑星への米国のアクセスを阻止しようとする国があらわれるかもしれない。宇宙を真に平和な場所にするため、地球上と同じく、そこでも強くなければならない。 今回の兵器の提案には、背景がある。1950年代以来、国防総省は、国家安全保障と冷戦の両面において、宇宙を戦線とする可能性を探ってきた。1959年の報告書には、月面基地と、地上から前哨基地への兵員移動の構想がまとめられていた。これはすべて、ユーリ・ガガーリンが人類初の宇宙飛行を行う前のことで、これらの構想が実際に人類にどう影響を与えるかは不明だったことを念頭においています。 この研究は、宇宙空間に部隊配置する問題点を概説している。当初懸念されていたほどではないが、月面は極端な高温であり、宇宙空間は真空であるため、武器の使用にも問題がある。     (U.S. Army Weapons Command/Screenshot via Document Cloud)   この陸軍の即応部隊には、基地と合わせ武器が必要だが、ここでも課題があった。論文にあるように、宇宙が兵器の「第二の進化」をもたらす可能性がある。当時は空想的

現実のマーベリックは朝鮮戦争でソ連MiG4機を撃墜したものの、政治影響を考慮して秘匿されてきた....

あなたの知らない戦史シリーズ(7)   朝鮮戦争で、ロイス・ウィリアムズ海軍大尉はソ連戦闘機7機と正面から戦い、生き残っただけでなく、撃墜数機を確認し戦場を後にした。 (Task & Purpose photo composite/Wikimedia Commons/U.S. Navy via Twitter).   ありえないドッグファイトは何十年も隠蔽されてきたが、伝説になっている。     朝 鮮戦争中の1952年11月18日、ロイス・ウィリアムズ海軍大尉は、所属する飛行隊VF-781の他の3人のパイロットと、日本海の荒れた空に空母USSオリスカニーから発進した。朝鮮戦争で海軍は25万回以上の出撃を行ったが、冷戦時代の緊迫した政治環境のため数十年間隠蔽されてきた戦闘は空中戦の偉業となった。   この作戦でウィリアムズは、当時最新鋭のジェット戦闘機でソ連空軍のパイロット7名と対戦し、3機撃墜を確認、1機撃墜確実が後に撃墜確認された。ウィリアムズは海軍の要請でこの事件を伏せていたが、現在、当日の行動に対し名誉勲章授与の取り組みが進められている。『トップガン マーベリック』が興行収入記録を更新し話題になっているが、これは実在したマーベリックと、ありえないようなドッグファイトの物語である。   オリスカニーは任務部隊77の一員として、北朝鮮の兵站センターを攻撃していた。その日の標的は、中国、北朝鮮、そして当時のソビエト連邦の国境が交わる鴨緑江に沿った会寧(フェリオン)市だった。そのため、各国領空を侵犯する可能性があり、危険な爆撃任務となった。   ウィリアムズはこの日2回目の任務で、グラマンF9F-5パンサーで戦闘空中哨戒として飛行していた。   1952年7月4日、北朝鮮沖で作戦中のタスクフォース77の艦艇の上を飛ぶアメリカ海軍グラマンF9F-2パンサー(戦闘機隊24(VF-24)「コルセア」所属)。 (Wikimedia Commons)   「雲を抜けると互いにランデブーし始めた」。 ウィリアムズはタスク&パーパスのインタビューで、「その時、戦闘情報センターから北からボギーが来ていると聞いた」。と回想している。   高度12,000フィート以上で雲の上に出たウィリアムズは、上空に7つの飛行機雲を発見した。MiG-15だった。   アメリカ空軍のF-86に

あなたの知らない戦史(6)日本本土への化学攻撃で農業生産の破壊を準備していた米陸軍

あなたの知らない戦史 (6: 日本への化学戦を真剣に検討していた米軍の遺産は今日も世界各地の農地に残る。 バ ラク・オバマ大統領の歴史的な広島訪問を受け、日本を降伏させ第二次大戦を終結させるため原子爆弾投下は必要だったのか米国内で議論が巻き起こった。だが議論が触れていないのは米軍が原爆以外の恐ろしい攻撃の準備をしていたことで、化学兵器で日本の農作物を死滅させる作戦もその一部だった。 1944年4月に米陸軍は農作物の全滅をねらい化学化合物の開発を開始した。一年後に日本本土攻撃に投入できる成果が実現していた。 「日本本土の農作物を化学兵器で破壊する作戦は第二次大戦末期に真剣に検討されていた」との証言が1946年の国防研究委員会報告書にある。 日本は広島、長崎が原爆二発で破壊された1945年8月に米国との戦闘を断念した。だが戦闘が続いていたら、米軍は日本の農業生産を化学攻撃で破壊していたかもしれない。 農地と貯蔵食糧を破壊し敵を痛めつける構想は昔からある。だが第二次大戦末期の米国には想像を絶する規模でこの構想を実施する準備があった。 1945年4月までに陸軍は1,000種超の化学薬品を首都ワシントンから50マイルも離れていないメリーランド州キャンプ・ディートリックで試験していたと陸軍の生物戦公式記録にある。 陸軍はオハイオ州立大学に有望な化合物200種類以上の合成を委託した一方でその他の化合物をキャンプ・ディートリックで開発した。陸軍は共通記号「LN」の次に番号をつけて化合物すべて分類した。 「化学製品による農産物破壊は戦時中ということもあり前例のないきめ細かさと規模で展開し、成果を収めた」と研究委員会はまとめている。 軍事効果だけを見るとフェノキシ酢酸が最有力だった。投入で植物は正常生育ができなくなり枯死する。 陸軍はフェノキシ酢酸を少なくとも8種類の化学兵器に展開した。なかでもLN-8が一番の成果をテストで示し、大量生産に移された。 ダウケミカル がLN-8を固体、アンモニアとの混合物、濃縮液三型式にした。ペンタゴンは三種類を野菜殺し酸、野菜殺し塩、野菜殺し液と呼んだ。 日本を除草剤で攻撃する方法として陸軍は空中投下あるいはスプレイ放射を考案した。農地や水田を有害物質で覆い尽くす