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あなたの知らない戦史(6)日本本土への化学攻撃で農業生産の破壊を準備していた米陸軍

あなたの知らない戦史 (6: 日本への化学戦を真剣に検討していた米軍の遺産は今日も世界各地の農地に残る。 バ ラク・オバマ大統領の歴史的な広島訪問を受け、日本を降伏させ第二次大戦を終結させるため原子爆弾投下は必要だったのか米国内で議論が巻き起こった。だが議論が触れていないのは米軍が原爆以外の恐ろしい攻撃の準備をしていたことで、化学兵器で日本の農作物を死滅させる作戦もその一部だった。 1944年4月に米陸軍は農作物の全滅をねらい化学化合物の開発を開始した。一年後に日本本土攻撃に投入できる成果が実現していた。 「日本本土の農作物を化学兵器で破壊する作戦は第二次大戦末期に真剣に検討されていた」との証言が1946年の国防研究委員会報告書にある。 日本は広島、長崎が原爆二発で破壊された1945年8月に米国との戦闘を断念した。だが戦闘が続いていたら、米軍は日本の農業生産を化学攻撃で破壊していたかもしれない。 農地と貯蔵食糧を破壊し敵を痛めつける構想は昔からある。だが第二次大戦末期の米国には想像を絶する規模でこの構想を実施する準備があった。 1945年4月までに陸軍は1,000種超の化学薬品を首都ワシントンから50マイルも離れていないメリーランド州キャンプ・ディートリックで試験していたと陸軍の生物戦公式記録にある。 陸軍はオハイオ州立大学に有望な化合物200種類以上の合成を委託した一方でその他の化合物をキャンプ・ディートリックで開発した。陸軍は共通記号「LN」の次に番号をつけて化合物すべて分類した。 「化学製品による農産物破壊は戦時中ということもあり前例のないきめ細かさと規模で展開し、成果を収めた」と研究委員会はまとめている。 軍事効果だけを見るとフェノキシ酢酸が最有力だった。投入で植物は正常生育ができなくなり枯死する。 陸軍はフェノキシ酢酸を少なくとも8種類の化学兵器に展開した。なかでもLN-8が一番の成果をテストで示し、大量生産に移された。 ダウケミカル がLN-8を固体、アンモニアとの混合物、濃縮液三型式にした。ペンタゴンは三種類を野菜殺し酸、野菜殺し塩、野菜殺し液と呼んだ。 日本を除草剤で攻撃する方法として陸軍は空中投下あるいはスプレイ放射を考案した。農地や水田を有害物質で覆い尽くす