1942年5月26日、米空母 USS エンタープライズ (CV-6)が真珠湾に入港した。珊瑚海海戦の直後で同艦は続けてミッドウェイ海戦に加わった。 ミッドウェー海戦がなぜ重要なのか 6月4日は、第二次世界大戦の太平洋戦争の転換点であり、史上最も決定的な海戦の一つミッドウェー海戦の80周年記念日だ。1999年、当時の海軍作戦部長ジェイ・L・ジョンソン大将は、2000年の記念行事から6月4日を海軍の誕生日10月13日のと同じ意味を持たせると発表したほど、同海戦は決定的な意味を持つ。「年に2回、海軍として一時停止し、誇るべき遺産を振り返り、伝統と歴史への新たな認識をすべての人に植え付ける」とジョンソン大将は述べた。 ウォルター・ロードのベストセラー『Incredible Victory』からゴードン・W・プランジの『Miracle at Midway』まで、同海戦について書かれた優れた書籍が数多くあるのを考えれば、この壮大な戦いをわずか1000字のコラムで正しく伝えることは難しいが、試してみよう。 勝利への序曲 ミッドウェイは、日本海軍へのアメリカの最初の勝利ではない。その1カ月前に行われた珊瑚海海戦は、日本軍のポートモレスビー侵攻を阻止し、軽空母「祥鳳」を沈めた点で、アメリカにとって戦略的勝利であった。しかし、これらの成果が重要であったとしても、ミッドウェー海戦の大きさにはかなわない。 日本海軍のミッドウェイ計画は、珊瑚海での戦略的失敗の前に進められていた。1942年4月16日、数ヶ月に及ぶ議論の末に、山本五十六連合艦隊司令官は、夏のミッドウェイとアリューシャン方面の戦略について参謀本部を説得同意させた。山本長官の考えでは、ミッドウェー島を占領すれば、日本は中央太平洋の難攻不落の東側防壁の背後でアジア政策の追求が可能となる。目玉は、アラスカへのフェイントとミッドウェイ侵攻であった。この大胆な計画が成功すれば、少なくとも1年間はアメリカ太平洋艦隊を事実上排除でき、将来のアメリカの攻撃を警告する前線基地が手に入るはずだった。 その2日後、伝説的なドーリットル東京空襲が行われた。アメリカ国民の士気が大いに高まっただけでなく、日本側もミッドウェイへの攻撃予定日を前倒し...
軍事航空、ISR、 無人機、サイバー、宇宙、安全保障、最新技術....防衛産業、軍事航空、軍用機、防衛関連宇宙開発等の最新技術動向を海外メディアからご紹介します。民間航空のニュースは「ターミナル1」をご覧ください。航空事故関連はT4へどうぞ。無断転載を禁じます。YouTubeでご利用の際はあらかじめご連絡ください。