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1956年のSAC核攻撃作戦案はソ連の完全破壊を狙い、2000か所に原水爆を投下し、民間人死傷者も発生もいとわない構想だった。

    ス タンリー・クーブリック監督の冷戦時作品「博士の異常な愛情」で、大規模核攻撃が進行中と知りマーキン・マフリー大統領が逆上し、あわててこれを止めようとするシーンがあった。ピーター・セラーズ演じるマフリー大統領は米空軍将官が独断で爆撃機編隊をソ連に送り核攻撃すると知り、どう対処すべきか決断を迫られた。   「貴殿が口にしているのは大量虐殺であり、戦争ではない」と大統領はタージドソン将軍(演ジョージ・C・スコット)に話す。同将軍がこれから始まる攻撃が効果を上げると述べたためだ。タージドソンは「大統領、こちらはぐちゃぐちゃにならナイトや申しておりません」と答えた。   核の全面戦争の危機が高まっていた1964年に封切られた同作でクーブリックは現実と虚構が実際にどこまで似通っていたかを知る由もなかった。その8年前に米空軍はソ連、中国その他同盟国を完全に破壊する作戦構想をまとめていた。   ジョージ・ワシントン大の国家安全保障アーカイブはその文書を機密解除文書公開制度を使い入手し、2015年12月12日にオンライン公開した。   空軍文書には1956年原子兵器要求研究との退屈な題名がついており、第三次世界大戦で標的となる対象を網羅し、原爆等の必要数量を列挙している。全800ページにわたり、情報解析からソ連等の2,000か所超が投下地点に指定され、軍事基地にあわせ都市が含まれていた。   「SACによる検討は背筋が寒くなるほど詳細にわたっていた」と安全保障アーカイブの核研究者ウィリアム・バーが解説している。「文書作成者は優先攻撃対象や核爆撃戦術で付近の一般市民のみならず『友軍部隊や国民』も高レベル放射能降下物にさらされるとある」   1956年には米国による核の独占状態はもはや存在しないものの、米国は核軍拡レースで優位に立っていた。ソ連はその7年前に初の原爆実験に成功していたが、ペンタゴンはさらに強力な熱核兵器(水爆)の配備を開始していた。   当時は長距離弾道ミサイルは開発段階で、空軍は大型爆撃機と戦闘機を実戦に投入する構想だった。重力落下型爆弾あるいは初期の巡航ミサイルとして欠陥の多かったスナークを発射するとしていた。   1945年に登場した初の実用原子爆弾にはリトルボーイのニックネームがつき、広島市上空で爆発し、TNT換算15千トンの出力だった。マーク36水爆は

冷戦時のソ連核攻撃計画の概要が情報公開されました。実施されていれば我々は存在していないかも。

This Was America's Secret Cold War Strategy to Nuke Russia Back to the Stone Ageこれがロシアを核攻撃で石器時代に戻す冷戦時の米秘密戦略構想だった Millions would have died  by Michael Peck May 30, 2017  Topic: Security  Region: Europe Blog Brand: The Buzz  Tags: RussiaMilitaryHistoryNuclear WeaponsScienceCold Wa https://nationalinterest.org/blog/the-buzz/was-americas-secret-cold-war-strategy-nuke-russia-back-the-20922 . 冷 戦が熱核戦争になっていたら、米国とソ連は相互に破壊され尽くされていただろう。 今回初めてロシアのどの都市が標的になっていたのか、その理由が明らかになった。米政府が1950年代の戦略空軍(SAC)資料を機密解除し、米爆撃部隊とミサイルが共産圏を広く攻撃対象にしていたことが判明した。 「SACは東ドイツから中国まで都市1200箇所をリストアップし優先順位も決めていた」と今回情報開示を求めたNGO団体ナショナルセキュリテイアーカイブは解説。「モスクワ、レニングラードがそれぞれ第一位、第2位で、モスクワには179地点を爆心地に指定、レニングラードは145地点で人口高密度地点も含まれていた」 だが狙いは単なる破壊にあったわけではない。SACではソ連空軍力を一掃し爆撃機の発進阻止を優先していた。ICBMが実用化となる前の話で、米本土や西欧の爆撃を恐れていた。標的に指定された航空基地は1,100箇所で、Tu-16バジャーの基地がリスト上位にあった。ソ連の航空戦力が破壊されれば次はソ連工業力が次の標的となるはずだった。 だがその過程で多くの無関係な生命が犠牲になっていただろう。SACの標的リストは1956年の作成で1959年版の核攻撃案では一般都市も当然ながら含まれていた。 SACの戦争計画はソ連圏の都市工業の「系統的破壊」であからさまに都市部の「住民」を

歴史のIF(3)冷戦初期の米空軍はソ連をこのように核攻撃するつもりだった

歴史のIF(3)です。まだICBMが戦力になっていなかった1950年代-1960年代初頭は有人爆撃機が飛び回るという構想だったのでしょう。米空軍も被害は覚悟でソ連空軍力をまず除去するつもりだったようですね。ただし放射性降下物の被害などは考慮外だったらしく壮大な破壊絵図を想定していたはずです。 This Was America's Secret Cold War Strategy to Nuke Russia Back to the Stone Age  冷戦時の核戦争計画はロシアを石器時代に戻す構想だった Michael Peck May 30, 2017 http://nationalinterest.org/blog/the-buzz/was-americas-secret-cold-war-strategy-nuke-russia-back-the-20922?page=show 冷戦が核戦争になっていたら米国とソ連両国は完全に廃墟になっていたはずだ。 ロシアのどの都市が破壊対象だったのか、その理由がわかってきた。米政府が1950年代の戦略空軍(SAC)による目標リストを開示しており、それによると米国には爆撃機、ミサイルで共産圏全般を核攻撃する意図があったのがわかる。 「SACはソ連圏で東ドイツから中国まで都市1,200か所を目標とし、優先順位も決めていた」とNGO団体国家安全保障アーカイブが解説している。同団体は機密解除文書の開示を請求した。「モスクワ、レニングラードが優先目標第一位第二位だった。モスクワには179か所の指定爆撃地点(DGZ)があり、レニングラードは145か所で、「人口密集地」の標的も含まれていた」 ただし攻撃案は過剰爆撃や恐怖をあおる爆撃ではなかった。少なくとも理論上は。核の狂気の裏には一定の方法論があった。SACの設定した優先順位はソ連空軍力の破壊が第一で、ソ連爆撃機(ICBMがまだ未整備の1960年代のこと)が米本土、欧州の攻撃に出撃できなくする狙いがあった。空軍基地1,100か所が優先攻撃目標となり、Tu-16爆撃機基地が最上位だった。ソ連空軍力を破壊した後はソ連産業基盤が次の攻撃目標だった。 また一般国民も標的だった。SAC標的リストでは1956年版でまた195

★発掘、ソ連のフランス攻略作戦案、核兵器多用で7日間で完了見込む

Russia's Cold War Plan to Crush France (In 7 Days) Think nukes. Lots of nukes. Michael Peck July 19, 2016 http://nationalinterest.org/feature/russias-cold-war-plan-crush-france-7-days-17042 六週間でフランスを制圧したナチ・ドイツは軍事史上もっとも華々しい勝利のひとつとされた。 ソ連が西側に1960年代初頭に開戦していたら、ソ連は電撃戦で一週間でフランスを制圧する計画だった。旧チェコスロヴァキアの軍事文書保管庫で発見されたワルシャワ条約軍1964年作戦案で判明した。 軍事力の裏付けがあったのかそれとも誇大妄想狂だったのか。神の存在を信じない制度の上に成り立つソ連の作戦案は奇跡を想定したものにほかならない。ソ連と東欧軍部隊はチェコスロヴァキアから攻勢を始めドイツ南部を通過し、ライン川を横断し、南部フランスへ進行する案だった。所要7日で完了する想定だった。 ソ連案は野心的だ。チェコ第一軍第四軍で独仏国境を攻撃し、ソ連第八軍がその北方へ前進し、ハンガリー軍が南方を固める構想だった。落下傘部隊でネッカー川ライン川の主要通行地点を占拠し、ワルシャワ条約軍の戦車部隊・機械化歩兵部隊がチェコスロヴァキアからリヨン北東のブサンソンまで開戦後8日で700マイルを一気に突破する。さらにソ連軍はパリ北方へ前進し、英仏海峡の港湾を制圧するか、マルセイユなど地中海の港湾を占領する。 チェコスロヴァキアからブサンソンまで赤軍は一日60マイル移動する必要がある。それまでの史上最速の移動はロンメルのアフリカ軍団の1942年6月事例で当時のドイツ機械化部隊は350マイルを10日で移動、つまり、一日35マイルだった。1940年の電撃戦でも同じロンメルの第七戦車師団は85マイルを移動するのに5日を要している。 障害は多かったはずだ。西側にはソ連軍は圧倒的な軍事力のイメージがあるが、モスクワはNATO軍への数的優位性は部分的にしか期待していなかった。ソ連軍、チェコ軍は数々の河川、丘陵、市街地が戦場として横断する必要があった。ワルシャワ条約軍は航空優勢

★NATOの冷戦時の第三次世界大戦シナリオが明らかになった

今から見れば狂気の世界ですが、当時は本当にソ連侵攻のシナリオが現実的に見られていたのですね。ロシアが再びこのような姿勢をとることがないよう祈るばかりです。なぜならNATOも拡大したとはいえこれだけの体制の復活はおそらく不可能でしょうから。  Revealed: How NATO Planned to Win World War Three in Europe Kyle Mizokami June 6, 2016 http://nationalinterest.org/feature/revealed-how-nato-planned-win-world-war-three-europe-16476 北大西洋条約機構NATOはソ連の西欧侵攻を実現させないため1949年に結成された。第二次大戦が終結し、ソ連はポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ルーマニア、ブルガリア、東ドイツの東欧各地に駐留軍を送った。NATOはチャーチルが述べた「鉄のカーテン」への対抗策だった。 米および西欧はスターリンのソ連と開戦となれば欧州が主舞台になるのは当然と見ていた。ただし核兵器の配備により東西は直接対決を避け、変わりに代理戦争が各地で発生した。ソ連による西欧侵攻は最大級のリスクがありながら最大級の成果も生むと見られていた。 そこでNATOの戦略ミッションは同盟の瓦解を軍事力で防止することにあった。このため目標が四つ想定された。航空優勢の確保、北米への航路確保、西ドイツの領土保全および核兵器投入の予防だった。 1988年になるとNATOの西欧防衛方針は前方配備になり、ソ連ワルシャワ機構軍を極力ドイツ国境の内側で食い止めることが主眼とされた。領土奥深い部分での防衛は第二次大戦での東部戦線の経験から有効とされたが実施されていれば西ドイツの住民全員と戦後40年の復興繁栄の結果が犠牲になっていただろう。 NATOには統合戦の構想はなく、ただ「戦線を維持する」ことでソ連、ワルシャワ条約軍を消耗させる構想だけだったようだ。西ドイツ陸軍は戦術レベルで柔軟行動を許された。米国はエアランド戦闘 AirLand Battle 構想として地上兵力と航空部隊を一体運用して敵を同時に攻撃し最前線から後方まで攻撃するつもりだった。 海上ではNATO海軍部隊