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ロシアはウクライナで砂漠の嵐作戦の再現を狙っている....プーチンを放置してきた西側の無能ぶりが招く結果なのか

  ロシアの新型BMT Image Credit: Creative Commons. ロ シアは砂漠の嵐作戦を ウクライナで 再現するのだろうか。ロシアの作戦構想について語りたい。 20世紀では砂漠の嵐作戦ほど決定的な影響を残した軍事作戦はない。1991年の湾岸戦争で展開した同作戦の目的は遠大だった。42日に及ぶ米主導の各国航空作戦を宇宙、サイバーが支援し、その後の圧倒的な地上作戦を展開した。中心は航空、ミサイル、宇宙、サイバー空間での精密攻撃、軍事指揮統制の機能の破壊でで、地上作戦を成功させることにあった。 砂漠の嵐作戦を振り返る ここまでの作戦実施例は従来なく、戦闘の様相を一変させ、圧倒的な成功となった。戦闘経験が豊かなはずのイラク軍は圧倒され、展開中の指揮統制能力を喪失し、戦場の状況を把握することもままならなくなった。イラク軍はサイバー、航空、ミサイルの核攻撃にさらされ、部隊はクウェイト、イラクの砂漠でなぶり殺しにされた。 以後の近代戦で砂漠の嵐作戦が主流の考えとなっている。重要なのは、砂漠の嵐でソ連軍の劣勢があらわになったことで、軍事思想、軍事装備両面でイラク軍はソ連からの影響を受けていた。元国家情報協議会副会長を務めた中央情報局のグラハム・E・フラー Graham E. Fuller は1991年夏に「ソ連の軍事力は全く精彩を欠いていた」と述べている。 湾岸戦争から学んだロシア 湾岸戦争は1991年2月終結し、ソ連は同年12月に崩壊したが、ソ連の軍事、保安部門は砂漠の嵐作戦の教訓を心に刻んでいた。戦訓を検討し、論議した。1991年12月を過ぎると、ソ連が冷戦に負けた事実に我慢ができなくなったものが多い。 ロシア軍は1990年代、2000年代前半を通じて苦境に直面した。対ジョージア戦役でばつの悪い戦績を2008年8月に示し、(はるかに小規模の相手国にロシアが最終的に勝利したとはいえ、かなり苦労した)、ロシア軍は総合的改革を始めた。初期は目論見通りにいかないことがあったが、その後に成果が実った。ドミトリ・アダムスキ Dmitry (Dima) Adamsky はジョージア戦で露呈した弱点はIT-RMA(情報技術と軍改革の合体)で解決したという。「ロシアの軍改革の目的は通常兵力を再建し、RSC(偵察火力集合体)の理想像に向け進展させることにある」 ウラジミール