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アジア訪問前に国防長官がエリア51を訪問した模様。極秘事業で何らかの大きな進展があったのか。

  60TH AIR MOBILITY WING PUBLIC AF—PUBLIC DOMAIN     極 めて異例な動きだった。米空軍のE-4Bナイトウォッチ別名国家空中作戦センター(NAOC)機がトノパ試験施設(TTR)に着陸した。ここは米国の極秘航空機運用拠点として有名な地点で付近にエリア51がある。謎に満ちたフライトがなぜ行われたのかは不明だが、ロイド・J・オースティンIII国防長官と関係がありそうだ。   E-4BのTTR到着はオープンソースの飛行データウェブサイト ADS-B Exchange で判明し、機体番号74-0787の同機はTITAN25のコールサイン(国防長官の搭乗機)で到着していた。   「審判の日の機体」と呼ばれるE-4Bは空軍に四機あり、ボーイング747を改装し堅牢かつ生存性の高い空中指揮機として国家指揮権限官(NCA)たる合衆国大統領を乗せ、核攻撃命令を下す役目が知られている。同機には別の任務もあり、大規模軍事作戦の指揮統制や、自然災害含む大規模緊急事態時の対応もある。またナイトウォッチ各機は国防長官の外国訪問時にも使われる。E-4Bは国家機能存続のための重要な手段でもある。   FLIGHTAWARE E-4Bはアンドリュース空軍基地からTTRへ移動した。 ADS-B EXCHANGE E-4B 74-0787がコールサインTITAN25で TTRへ降下を開始した     またガルフストリームVの空軍要人輸送機C-37Aの一機がTTRにE-4到着の一時間前に着陸しており、着陸前にトランスポンダーを切っておりフライトの最終状況は把握できない。   ADS-B EXCHANGE C-37A 97-0401 はあきらかにTTRに向かっていた   国防長官のアジア三か国訪問を念頭にすると長官はTTRへ寄ってから最初の訪問先シンガポールに出発したようだ。   レッドフラッグ演習がネリス空軍基地(ネヴァダ)で展開中であり、国防長官が近隣のTTRへ立ち寄ったのか。レッドフラッグ21-3ではF-117ナイトホーク隊をアグレッサーに使いネヴァダ試験訓練場(NTTR)を舞台にしている。   国防長官の海外訪問では随行記者団がE-4Bに同乗するのが通例で、極秘施設TTRへの到着にも同行していてもTTRの厳重な保安体制を考えれば窓のシェードを降ろしたまま

エリア51の真実

エ リア51を巡る噂は数多い。CIA、UFO分解工場、極秘米空軍研究施設?真偽はわからないが、グルーム湖を巡り判明している事実は以下の通りだ。 ソ連機材の性能評価 海外機材の評価で最大の成果が得られたのはMiG-21だった。▼1959年に迎撃機として登場したMiG-21はソ連と友好関係の各国へ広く輸出された。▼同機はヴィエトナムで本領を発揮し、米機材を多数撃墜したものの、旧型で低速かつ軽武装とみられていた。 1966年にイスラエルのモサド諜報機関がイラクパイロットのムニル・レドファの亡命工作を展開した。▼MiG-21のパイロットレドファはキリスト教徒のためイラク空軍での昇進に困難を感じていた。▼モサドは本人に亡命の意思があるのを知り、家族ともどもイスラエルへ脱出させた。▼レドファは巧妙な偽装でMiG-21をイラクからイスラエルへ飛ばし着陸させた。 イスラエルは入手したMiG-21の性能を調査した。1968年に同機は米国に貸し出され、国防情報局(DIA)のHAVE DOUGHNUTプロジェクトに使われた。▼このプロジェクトが展開したのがエリア51だった。▼同様にDIAはHAVE DRILLでMiG-17をこれもイスラエルの提供でグルーム湖で調査した。ともに調査結果から米空軍の対ソ連機戦術が変更されヴィエトナム戦に間に合った。 ステルススパイ機 エリア51は空軍、CIAの開発事業が数々展開している場所だ。▼U-2スパイ機はソ連上空偵察活動を想定した機体で人の目に触れない場所でテストの必要があった。▼U-2は高度70千フィートというい信じられない高高度で運用可能で、奇妙な外見からUFOハンターや陰謀説者に格好の材料となった。 ところが1960年にU-2がソ連上空で撃墜されるとCIAはソ連対空ミサイルや迎撃機の届かない空域をマッハ3+で飛行する機体が必要と判断。▼グルーム湖でCIAはA-12の初期試験開発を行い、同機ががSR-71ブラックバードになった。▼その後継機SR-72もグルーム湖にあるのか。 SR-71もある程度ステルス性能を有していたが、1977年に空軍は初の完全ステルス機を公表した。▼これがF-117ナイトホークでやはりテストはやはりグルーム湖で行われた。 今でも重要な拠点なのか 20

エリア51はこうして生まれた

The Crazy True Origin Story of Area 51 (And Why People Think UFOs Are There) エリア51誕生の真説  by Sebastien Roblin July 20, 2019  Topic: Security   Blog Brand: The Buzz   Tags: Area 51 Aliens UFOs SR-71 Blackbird Secret Aircraft https://nationalinterest.org/blog/buzz/crazy-true-origin-story-area-51-and-why-people-think-ufos-are-there-68097 エ リア51は米空軍の極秘テスト施設でネヴァダ州南部の砂漠地帯にあり、インターネット上の情報のせいで一般の関心を集めている。 「ドリームランド」とか「グームレイク」とも呼ばれ60年に渡り同基地がペンタゴンもその存在を公表していない「ブラックプロジェクト」全機を受入れてきたことは間違いない。 CIAが2013年にエリア51の存在を認めたが、発足の経緯を説明したい。 民間施設がアイゼンハワー時代にトップ・シークレットスパイ機テストに供された 1950年代初頭に米国はソ連の各弾道ミサイル開発に極度の関心を指名していた。スパイ衛星はまだ実用化されておらず、確実に現場をスパイする方法は上空飛行で大型カメラを撮影することだけであった。だがソ連の防空体制にはジェット迎撃機も加わり通常の偵察機による飛行ではリスクが高まった。 このためロッキードの技術者ケリー・ジョンソンからグライダー状のスパイ機を70千フィート以上の高空をさせる構想が出た。これもソ連領空を非合法に侵犯することになるが撃墜されないはずだった。実際ソ連はスパイ機の飛行を実証できなかった。 1954年11月にアイゼンハワー大統領はU-2開発を「プロジェクトアクアトーン」の名称で承認しCIAによる運用を想定した。機体はロッキードのスカンクワークスで組み立てたがスパイ機であり目立たない場所でテストの必要があった。 ジョンソンはロッキード社のテストパイロット、トニー・ルヴィエに秘密を守れる飛行場を検索させた。ルヴィエは