スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(B-32)が付いた投稿を表示しています

歴史に残らなかった機体18 コンソリデーテッドB-32は日本上空で最後の空戦に巻き込まれ歴史をつくったのだが....

ボ ーイングB-29スーパーフォートレスは爆撃機として名声を得つつ、広島長崎の原爆投下で悪名が付いた。爆弾を大量搭載し、長距離飛行し、高高度を飛ぶ重爆撃機の開発は米国でも第二次大戦中で極度なまで高額につく事業となり、マンハッタン・プロジェクトより高くなった。 ただし、スーパーフォートレスには知名度が低いながら競合機種があった。メーカーのコンソリデーテッドはB-24リベレーター大量生産で知られる会社だった。スーパーフォートレスの性能が期待通り発揮できない場合に備え、B-32ドミネーターが発注された。ただしB-29が想定性能を発揮し太平洋戦線で活躍し始めた1944年にコンソリデーテッドは100機超のB-32を生産しており、同機は1945年中頃に配備された。 大型爆撃機開発は真珠湾攻撃以前に始まっていた。ただし、コンソリデーテッド案はB-24原型の企画でボーイングB-29より相当見劣りがする内容だった。同機の設計は何度も変更を受け、当初の尾翼二枚形状や20ミリ機関砲を各エンジンナセルに搭載し後方発射する奇抜な構想は削除されている。 最終的にB-32の外観上の特徴は10メートルという巨大な尾翼となった。性能面でドミネーターはB-29に匹敵する水準になった。両機種ともエンジンはライトR-3350-23サイクロン4発で共通し、最高速度358マイル毎時は大戦初期のBf-109E戦闘機と同程度で、20千ポンドという爆弾搭載量を誇った。B-32では防御用に有人操作の機関銃10門がついた。 コンソリデーテッドもB-29で採用した与圧式機体と遠隔操作式機関銃の搭載を狙ったが断念した。このためドミネーターは中低高度用爆撃機に区分された。 他方でB-32の航続距離は3,800マイルとB-29より2割長く、巡航速度も290マイルとB-29の230マイルを上回った。ドミネーターには反転ピッチプロペラの他、B-24譲りの分厚いデイヴィス式主翼がつき、低速での抗力を最小限に抑え、着陸時に威力を発揮した。 こうした良い面もあったが、陸軍航空軍はB-29の性能水準に概ね満足しており、B-32はフィリピンでの運用テストを第5空軍の要請で行ったのみの状態だった。最終的に386爆撃飛行隊に編入されたドミネーター各機はフィリピンで日本軍を爆撃した他、台湾