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U-2の光学フィルム式カメラが最後の運用を終了。デジタル画像処理がついに高性能光学カメラの水準に追いついた。U-2の運用はなお続く。

  USAF/Lockheed Martin U-2の高解像度カメラはビール基地から最後のフライトを完了し、フィルム処理も同基地で終了し、ある技術者は 「悲劇 」と呼んだ。 1 時間写真でカメラのフィルムを最後に現像してもらったのはいつですか?思い出せませんよね?しかし、カリフォーニア州のビール空軍基地の人々は、デジタル画像革命がコダックや富士フィルムといったブランド名を人々の意識の奥底に押しやった後も、大量のフィルム処理を続けている。 米空軍第9偵察飛行隊によると、偵察機U-2ドラゴンレイディがビール空軍基地で最後のオプティカル・バー・カメラ(OBC)ミッションを実行した。半世紀以上にわたりU-2に搭載されてきたOBCは、最も古いセンサーシステムの一つだ。同基地での運用終了は、様々な意味で時代の終わりを意味する。 ラルフ・シュクリー米空軍中佐が操縦するドラゴンレイディは、6月24日、U-2コミュニティの本拠地ビールからOBCを搭載した最後の出撃を行った。基地への帰還後、技術者たちは最後にもう一度、儀式的にセンサーをジェット機から降ろした。同基地からの最後の飛行は、第9偵察航空団での湿式フィルム処理を事実上終了させることになった。これで、ビール基地のU-2はデジタル画像処理時代に突入した。 第9偵察航空団でのオプティカルバーカメラの最終フライトの前に、ラルフ・シュクリー中佐がU-2のドラゴンレイディの機首を叩いて幸運を祈った。 U.S. Air Force 「今回のイベントは、数十年にわたるビール空軍基地でのフィルム処理を閉じるとともに、デジタル世界への新たな章を開きます」と、ビール空軍の情報収集部隊と協力してOBC画像を処理する コリンズ・エアロスペース のエンジニアリング・サポートスペシャリスト、アダム・マリグリアニ Adam Marigliani が米空軍プレスリリースで語っています。  「ビールからのOBCミッションは、1974年以来、52年近くにわたりビールで運用されてきました」と、ヘイリー・トレドH ailey M. Toledo 少尉は空軍の公式プレスリリースの中で書いている。「SR-71(ブラックバード)から引き抜かれたOBCは、長年使用されてきたIRISセンサーに代わって、U-2プラットフォーム用に改良され、飛行試験が行われました。IRISの焦点

U-2に対艦ミサイル搭載し、米海軍へ売込みを図ったロッキード。実現すれば当時としては画期的な攻撃手段になっていたはずだが....

                  実現しなかった構想シリーズ 冷 戦末期、ロッキードから高高度飛行可能なU-2スパイ機に長距離対艦ミサイルを搭載する提案が出た。U-2の航空母艦運用する案と加え、実現していれば米海軍の対艦攻撃の有効範囲がはるかに伸びていただろう。 U-2の供用開始 は1955年で、米国の偵察能力を飛躍的に伸ばした。ケリー・ジョンソンの伝説的なスカンクワークスでの開発は一年未満で完了し、U-2は高度70千フィート超での飛行が可能となり、当時のソ連防空戦闘機やミサイルの性能では対応できなかった。 Lockheed Martin だがU-2を特別な機体にした要素は別にあった。空中給油が始まったばかりの当時にU-2原型は無休油で3千マイル飛行が可能で敵領土上空での極秘作戦を展開できた。搭載した最初のカメラは高度60千フィートで解像度2.5フィートだったが、その後改良が進み、米軍でも最高性能の光学センサー、初の見通し線データリンクを搭載している。 ハイテク機器を搭載するU-2でミサイルを実際に搭載したことはない。だがロッキードはU-2売り込みを目指し、この点に踏み込んだのだった。 ロッキードはUI-2販売増加を狙っていた 海外国の航空施設に依存しなくてもよくなるため、U-2を米海軍空母で運用する構想がCIAにあったことは承知の通りだ。この試みは各種あったがおおむね成功している。 1963年8月、ロッキードのテストパイロット、ボブ・シューマッハーがUSSキティホークからU-2を初めて発艦させ、その後陸上基地に着陸した。翌年2月にはシューマッハーは改装型U-2GをUSSレインジャーから発艦させ、着艦に成功した。同年末にはU-2は実際に米空母から発進しフランスの核実験を偵察した。 CIAはそのまま続けるはずだったが、最新のCIA仕様U-2Rを海洋捜索センサー満載のEP-Xに発展させる米海軍の構想はとん挫した。テストで成功を重ねたが長大な主翼を空母格納庫に収納する問題や極秘機材を空母艦上で保守管理する負担を考えると同機から得られる偵察内容に見合わないと判断したのだった。 これまで報じられていなかったが当時のロッキードは政府に同型機をたくさん購入させようと理由をつくろうとしていた。同社はU-2を1955年から1989年にかけ104機製造したが、情報収集機能以外でしか

AI副パイロットのU-2がISRミッション実証飛行に成功した。マン−マシン複合ミッションの新しい時代の幕が開いた。(2020年12月15日)

  今年は目立たないものの着実に未来の航空像に着実に近づいた年だったようです。飛行中ソフトウェア更新については先にお知らせしましたが、今回はAIを副パイロットとした偵察ミッションの実証に成功したというニュースです。2020年は大きな分岐点になったのではないでしょうか。   米 空軍の ロッキード・マーティン U-2ドラゴンレイディが人工知能(AI)とのフライトを12月15日に行った。   パイロットの少佐はカリフォーニア州ビールAFBの第9偵察航空団所属機を操縦し、アルゴリズム“ARTUµ”がセンサー運用、戦術航法を担当し、パイロットと連携しミサイル攻撃の想定で偵察ミッションを実施した。離陸するとARTUµがセンサーを担当し、敵ミサイル発射装備の探査を開始し、パイロットは脅威となる敵機接近を警戒した。機内の レイセオン の高性能合成開口レーダーシステムは両者が共有した。敵は別のコンピュータアルゴリズムだった。   「これはすごい。AIの相棒が後席にすわりミッションの負担を肩代わりするのは一歩前進だ」とミッチェル研究所理事マーク・ガンジンガーがコメントしている。航空戦闘軍団を2014年から2017年にかけ指揮した『ホーク』カーライル全国国防産業協会理事長は第4世代機から第5世代機への進化が一歩進み、能力・効率化を向上させるループに入ったとの意見だ。   ARTUµがプログラムµZeroを使い、空軍次官(調達・技術・兵站)ウィル・ローパーは「世界的に著名なプログラムでチェス、碁、コンピューターゲームなどで使われており、今回は事前情報なしでU-2を制御する」とポピュラーメカニクス誌に事前解説し、当日の予定をツイッターで予告していた。   「レーダー操作は ARTUµに 全面的に任せたが、その他サブシステムは『切』にした。ブレイカーのようなもので、AIにまかせたくないものを任意に選択できる」(ローパー)   構想はローパーがDoDの戦略戦力整備室長時代から提唱されている。空軍はAIで操縦するスカイボーグ自律無人機と有人機のチーム運用を目指している。ローパー自身もサイファイファンで、スカイボーグの未来型『頭脳』を「R2D2」と呼んでいる。   ローパーはフライトでARTUµがミッション指揮官であり最終決定者になったと述べている。ここに至るまでAIシステムは過酷な訓練を受けてお

ソ連上空のU-2撃墜から60年で明かされる当時の情報

Credit: Lockheed Martin Skunk Works ソ連スヴェルドロフスク上空でU-2(フランシス・ゲイリー・パワーズ操縦)が撃墜され60年になったが、事件を取り巻く興味深い事実7つを紹介したい。 1. 撃墜の瞬間 1960年5月1日午前10時ごろ、CIAのパイロット、フランシス・ゲイリー・パワーズは高度7万フィートでロッキードU-2Cのコックピットに座りソ連の工業都市スベルドロスク上空を飛行中だった。南部のICBM基地があるチュラタムから開始してソ連の秘密都市数カ所のスパイ飛行は半分完了していた。共産革命前のスベルドロスクはエカテリンブルグと呼ばれ(今日この名に戻っている)ニコラス二世暗殺の舞台となった。だが1960年の当日はソ連の主要工業都市のひとつだった。CIAはU-2Cでソ連上空偵察飛行を開始して4年目だったが、スヴェルドロスク上空飛行は今回が初めてだった。 高高度を飛ぶパワーズに地上のソ連防空軍がしつように乗機を狙っていると知る由もなかった。SA-2地対空ミサイル部隊が機体をロックしていた。ミサイルの一発はパワーズ機を迎撃しようとしたMiG-19を撃墜したが、別の一発がパワーズ機の水平尾翼を吹き飛ばしたため、U-2Cは高高度操縦が困難になった。機密解除のCIA文書ではロッキードでU-2を設計したクラレンス・「ケリー」・ジョンソンも同席し1962年に身柄を解放されたパワーズに事情聴取しており、本人はその瞬間で機体制御ができなくなったと語っている。 2. スパイ機の領空侵犯にフルシチョフが猛烈に抗議 ソ連内部で墜落した米パイロットを捕獲し混乱が生まれた。ソ連のニキータ・フルシチョフ首相は国連安全保障理事会に米国に対する措置を求めたが、米政府は偽装情報を公開し、Aviation Weekが律儀に報道している。米政府の嘘はフルシチョフの開いた記者会見ですぐに露呈した。ソ連がU-2の残骸から回収したスパイ装備を公開したのだ。 Source: Aviation Week Archives 3. キャリフォーニア州バーバンクのスカンクワークスではジョンソンの部下たちがU-2Cがソ連の防空装備で高度7万フィート飛行中に撃墜できたとは信じられなかった。CIAはアイゼンハワー大統領にソ連防空体制でU