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★歴史に残らなかった機体(7)ノースアメリカンXB-70

歴史に残らなかった機体シリーズです。歴史に残った機体よりもどこか魅力を感じしてしまうのは機体の悲しい出自のためでしょうか。戦闘機より早く高く飛べればソ連侵入は簡単だぜ、とパワー全開の思想で始まったのがXB-70ですね。完成したらもう使い道がない機体になったというのは機体の大きさもあり恐竜のような存在でしょうか。 XB-70 Valkyrie: The Largest and Fastest American Mega Bomber Ever Built XB-70ヴァルキリーは米爆撃機史上最大、最高速の機体 Dave Majumdar May 3, 2017 http://nationalinterest.org/blog/the-buzz/xb-70-valkyrie-the-largest-fastest-american-mega-bomber-ever-20468 ノースアメリカンXB-70ヴァルキリーは米国で最大かつ最高速の爆撃機だった。ただ巨大なマッハ3.0飛行可能な六発機は量産されなかった。唯一残る試作機は今日もオハイオ州デイトンの空軍博物館で展示中だが、本来交替する対象のB-52は今も現役だ。 XB-70構想の出発は1950年代でもっと高速で高高度を飛びソ連防空網をかいくぐれる爆撃機で核兵器を投下する機体が求められた。当時の防空手段は戦闘機と対空砲火で防空砲は効果がほぼなく、迎撃機は爆撃機の性能向上に追随するのに苦労していた。 だが地対空ミサイル(SAM)の出現で状況は防衛側に有利に傾く。米空軍もソ連のSAMの進展は認識していたが、フランシス・ゲイ・パウワーズが操縦するU-2スパイ機がソ連上空を飛行中に撃墜された1960年5月1日までペンタゴンは真剣に脅威をとらえていなかった。それでもXB-70開発はそのまま続けられた。 ソ連のSAMの脅威が現実のものなり、ペンタゴンも低高度侵入を模索しはじめた。低空侵入ではレーダー探知の下を飛び、地形を有利に使って防衛側に時間的余裕を減らす。さらに大陸間弾道ミサイルの実用化で有人爆撃機依存が減った。当時の軍事戦略思考家は爆撃機ではソ連侵攻は無理と考えていた。ジョン・F・ケネディ大統領はXB-70開発中止を1961年3月28日に決断した。 一方でXB-70