歴史に残らなかった機体21 GENERAL DYNAMICS F B-111Aは戦略空軍用のF-111アードヴァークで人気を呼ばない機材だった。戦術用途のF-111は投入当初こそ問題があったが最終的に冷戦時の最優秀機材とまで評価される機体になった。一方でFB-111は戦略空軍で補完的な存在の機体で76機が製造され次世代爆撃機が登場するまでのつなぎだった。 だが当初構想のB-1が1977年に開発中止となると、FB-111にチャンスが急遽開けた。大型で高性能のB-1の後釜として空軍は改良型「スーパーFB-111」の可能性を検討し始め、B-1がレーガン政権で復活する1981年まで構想は残っていた。再開したB-1は今日のB-1Bランサーである。 FB-111Aのメーカー、 ジェネラル・ダイナミクス では1974年から同機の改修を検討しており、航続距離とペイロードの不足分は同機が戦略用途を想定していなかったためで、戦略空軍も意思に反して同機を運用していた。 U.S. AIR FORCE 76 機導入されたFB-111As がフライトラインで点検を受けている。 ストレッチ型FB-111AはFB-111Hと呼ばれ、ジェネラル・ダイナミクス社内で秘密のうちに開発構想を固める一方で、空軍はB-1に注力していた。同社は自社資金10百万ドルを投じた研究を開始し、風洞実験は800時間に及び、縮小モデルでレーダー断面積の測定までフォートワース(テキサス州)で行っていた。 ジミー・カーター大統領は1977年6月にB-1開発事業をキャンセルし、「非常に高価な兵器」で「今必要な機材ではない」としたのは「巡航ミサイルの最近の進歩」が理由だとした。敵地侵攻型爆撃機構想では速力を重視しており、スタンドオフ地点からの巡航ミサイル運用は想定していなかった。 空軍はB-1が消えたことで航続距離、搭載量をともに二倍にする大胆な改修案に注目した。 下院歳出委員会も代替策を模索し始めた。リストにはB-1再開、完全新型B-X侵攻型爆撃機、B-52の新型侵攻型案、既存B-52を巡航ミサイル母機にする、民間ワイドボディ機を巡航ミサイル発射機にする案、さらにFB-111H案があった。 下院はB-1を支持していたが、1977年9月に上院軍事委員会は1978年度にFB-111H検討を提言...
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