1942年8月時点のアリューシャン列島の米軍基地。 Wikimedia Commons 1943年5月、米軍は日本軍からアッツ島とキスカ島を奪還する戦いを開始した。 アリューシャン列島の一部である各島は、太平洋作戦で重要地点となった。 太平洋と北極圏に重点を移す今日の米国はアラスカの軍事的な重要性を再認識している。 日 本軍との残酷な戦いから79年、米国領の辺境地が再び注目の的になっている 1943年5月11日、アメリカ兵はアッツ島上陸を開始した。アッツ島は、隣のキスカ島とともに、1年前から日本軍に占領されていた。 アリューシャン列島の最西端に位置し、アンカレッジから約1,500マイル離れている。日本による占領は、1812年戦争以来、アメリカ領土が外国勢力に占領された初めてのケースとなった。 同島に上陸した日本軍は、中部太平洋のミッドウェイ島を攻撃・占領した部隊を含む、大規模作戦で最北端の部隊であった。アメリカは、1943年半ばに大軍を送り込み、島を奪還した。 しかし、アッツの戦いは3日で終わる想定が、3週間に及ぶ苦闘となった。 79年後の今、アリューシャン列島とアラスカは、北極圏へのアクセスが容易になり、ロシアや中国との競争の場となり、米国にとって再び重要な場所になっている。 1943年6月、アッツ島で壕にこもる日本軍に銃と手榴弾で迫る米兵たち。 (AP Photo) アリューシャン列島作戦 日本は1942年6月、真珠湾攻撃からちょうど6ヶ月後にキスカとアッツを占領した。日本軍上陸に先立って行われたダッチハーバー空襲では、米軍兵士43人が死亡、航空機11機が破壊された。 アリューシャン列島での日本の目的は、ミッドウェー侵攻の前にアメリカ軍の注意をそらすこと、人口希薄な島々を前線基地に使わせないことの2つだった。 日本軍はアリューシャン列島に上陸して数ヶ月で数千名の兵力を配備し、要塞、バンカーやトンネルなど重要インフラを建設した。キスカ島には港湾施設と滑走路も建設された。 米軍はアラスカの重要性と防衛力不足を認識し、アラスカ駐留を増強した。キスカとアッツが占領された時点で、アラスカ防衛司令部の兵力はわずか2万4千人であったが、1943年1月に9万4,000人になった。 1943年2月末までに、米軍は近隣の島に上陸し、アッツとキスカに空襲を行う
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