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歴史に残らなかった機体(11)ノースアメリカンF-108レイピア

北米の防空戦闘機構想がここで大きな曲がり角に来たことが分かります。以後米国は防空よりも攻撃力整備に注力していくのですね。一方で、この機体の当初の想定を見ると第二次大戦中の爆撃機掩護任務の思想が見えてきます。やはり前の戦争のイメージが後世を支配するのですね。いかにもアメリカ的なパワーで勝負するコンセプトとともに費用対効果を決定の根拠とするこれもアメリカ的な意思決定の在り方が見えてくる機体です。   The F-108 Could Have Been America's Mach 3 Cold War Super-Interceptor F-108はマッハ3飛行可能の冷戦時スーパー迎撃機になるはずだった Michael Peck June 18, 2017 http://nationalinterest.org/blog/the-buzz/the-f-108-could-have-been-americas-mach-3-cold-war-super-21201 ソ連爆撃機の来襲を恐れた1950年代の米空軍は超音速迎撃機を開発しようとした。 実現していれば、マッハ3で高高度飛行する迎撃機は今日の戦闘機のスピード水準を大きく超えていただろう。 1949年に空軍が出した要求水準に対し リパブリックエイビエーション は1951年にXF-103ラムジェット戦闘機構想を提示した。翼を付けたロケットのような同機の最高速度はマッハ3で高度80千フィートまで上昇可能だった。この時点で亜音速のF-86セイバーとMiG-15が朝鮮上空で空戦を始めるところで現在の戦闘機でもマッハ2超の速度は出していない。 だがXF-103は当時の技術水準のはるか先を狙いモックアップだけで開発中止になった。米空軍はあきらめなかった。 1955年に長距離迎撃戦闘機実験事業が始まった。1957年に ノースアメリカンエイビエーション がXF-108開発契約を受注し、二名搭乗でマッハ3、千マイルの戦闘半径と最高高度70千フィートの性能を想定した。 偶然ではなく、マッハ3と上昇限度70千フィートは同社のXB-70ヴァルキリー戦略爆撃機構想と同じだった。XF-108はレイピアの名称がつきXB-70掩護の役割が想定された。いわれてみると両