スキップしてメイン コンテンツに移動

歴史に残る機体16 U-2

歴史に残る機体16はU-2です。現役の機体ですのでまだまだ歴史を作りそうですね。



No Plane Has Made More History Than the U-2 (And It Never Fired a Shot)

U-2を上回る歴史を刻んだ機体はない(しかも一発も発射せずに)
January 16, 2018

U-2スパイ機は今も世界の空を飛んでいるが、もともとCIAで供用開始して60年以上たつ。世界史でここまで影響を与えた機体はない。米外交に有益な情報を提供しただけでなく、高高度飛行は期待通り妨害を受けなかったためだ。

高高度を飛ぶスパイグライダー機
チャーチルが有名な「鉄のカーテン」が東欧に下りたと述べた時点でその向こうを覗く米スパイ機は文字通り生死をかけていた。写真偵察機の有効性は実証済みだったがソ連ジェット戦闘機がレーダー誘導で運用開始するとソ連領空への侵入は自殺行為になった。
スパイ機がソ連MiG戦闘機の追撃を回避する方法はないのか。米空軍は解決策は高高度飛行と考え、レーダー探知も回避できると想定した。ソ連の初期型レーダーは大戦中に米国が与えた装備で最大探知高度は67千フィートと想定されたためだ。RB-57Dがこの任務用に改装されたがこれだけの高度は不可能だった。
ロッキードの伝説的設計者ケリー・ジョンソンから1953年にCL-282スパイ機提案が空軍に届いた。グライダーに近く長い胴体ととんでもなく長い主翼が特徴だった。CL-282は機体重量を極限まで下げて降着装置さえ省き胴体着陸の想定だった。空軍は採用しなかったが、CIAが関心を示しロッキードに構想研究の継続を求めた。
ロッキードはU-2になったこの機体開発を完全秘密体制で進めた。機体呼称の「U」は多用途機の意味で偵察機としての目的を隠ぺいするためだった。ロッキードは協力企業には高高度気象観測機と説明していた。
ドワイト・アイゼンハワー大統領が同機運用に直接関与したのはソ連上空に軍人を乗せた機体を送り込むのは政治的に危険との助言を考慮したためだった。U-2は当初非米国人で運用する想定だったがCIAは退役空軍パイロットをCIAに「運転手」として雇い入れる形を思いつく。CIAと空軍の共同事業には「ドラゴンレイディ」のコードネームが尽き、以後同機にこの名前がついてまわることとなった。
細長い胴体と80フィートの主翼で高度72千フィートに到達した。この高度では宇宙空間に近くなりパイロットは部分与圧服を着用した。高高度飛行のストレスでパイロットは一回8時間のミッションで体重6ポンド減らすほどだったが、液体食をヘルメット直結チューブからとれた。
エンジンはJ58ターボファン一基で特殊JP-7燃料が高高度でも蒸発しない形にされていた。最高速度は430マイルで大戦中のP-51マスタング並みだった。後期のU-2CはエンジンをJ75に換装し、最高高度75千フィートに引き上げた。ここまでの高高度では失速速度は最高速度から10マイルしか違わず、パイロットは常時注意を払う必要があった。
搭載カメラは180インチのフォーカルレンス式レンズで地上の高解像度写真を撮影可能だった。その後通信情報収集装置が加わった。
CL-282原案と異なりU-2には降着装置が付いた。離陸時に投棄する「ポゴ」車輪二基もついた。主翼は異例なほどの揚力を生んだ反面、着陸が極度に困難になったのに加えコックピットの視界は極度に悪く、地上で誘導車による無線指示が必要だ。良い面では高度と揚力の組み合わせで長距離の滑空が可能となり、エンジン故障になった一機は300マイルを滑空してニューメキシコに着陸している。
60年間にわたり同機操縦資格を得たのはわずか950名で女性9名も含む。「怪しい伝説」でU-2は「操縦が一番難しい機体」だったのか検証し、車輪投棄、与圧服、高高度飛行の様子とともに誘導車を引き連れての着陸の様子が放映されている。
ロシア、中国、キューバ上空のドラゴンレイディ
アイゼンハワーはU-2上空飛行で戦争が誘発されないか心配していたが、ドイツに展開したCIA分遣隊A所属のU-2が東欧上空を初飛行したのは1956年6月20日でソ連上空飛行は7月4日だった。
ソ連レーダーではU-2探知は不可能との甘い期待はすぐに裏切られた。だがMiG-15や-17戦闘機ではU-2の飛行高度まで到達できなかった。米国はその後もU-2を英空軍パイロット操縦で送り出しており、英国内基地の設置の代償としてさらに収集情報量を増やすためだった。
CIAはプロジェクトレインボウでU-2を低レーダー断面積化によるステルス機改装に取り組んだ。ただし、結果は芳しくなくロッキードはA-12事業に取り組むことになった。これがSR-71ブラックバードになった。
U-2の写真偵察がすぐに効果を発揮した。当時の米軍指導部はソ連との「爆撃機ギャップ」に憂慮させられていた。U-2の上空飛行により新型長距離M-4戦略爆撃機は実際に作戦基地に配備されていないと判明した。中東上空ではスエズ危機での英仏軍の作戦状況を米国はつぶさに見ることができた。結果として英国は介入を断念させられた。
にもかかわらずアイゼンハワーはU-2フライトのリスクを認識しており、運用を取り消したり再度承認することを二期目に繰り返していた。1950年代末にソ連は地対空ミサイルの配備を増強しCIAは高高度でU-2を捕捉する可能性を認識していた。ただし当時のペンタゴンは今度は「ミサイルギャップ」がソ連首相フルシチョフが豪語したICBMで生まれていると恐怖に駆られ、アイゼンハワーはあらたにこの脅威の実態をさぐるべく新規ミッションを承認した。
最後のミッションは1960年5月1日まで延期された。ソ連では休日で通常は探知を遅らせる効果のある民間航空の稼働が低下する日である。CIAパイロットのゲイリー・パウワーズがトルコ・インチルリック基地を離陸すると即座にソ連レーダーに捕捉され三発のSA-2ミサイルが発射された。うち一発は迎撃に出撃したロシア空軍MiG-19に命中しパイロットは死亡した。もう一発は命中しなかったが三発目が機体近くで爆発した。パウワーズは機外脱出し墜落したが機体は意外にも損傷少なかった。
CIAはU-2喪失に備えてあらかじめカバーストーリーを準備していた。U-2は高高度気象観測器で「行方不明になった」というものだった。ソ連はアイゼンハワーに釈明の機会を与えてから翌週になってパウワーズの身柄を確保したと発表しアイゼンハワーの体面をつぶし5月に予定されていたパリ首脳会談は大荒れになった。バウワーズ逮捕にCIAは恐慌する。U-2の高高度で撃墜されて生存は不可能と考えていたためだ。パウワーズはソ連スパイと交換で帰国しU-2のロシア上空飛行は取りやめになった。
それでもロッキードは機体改良を続けた。U-2A、U-2Cに空中給油能力が追加されU-2E、U-2Fになった。飛行距離は9,200マイルに延長された。U-2GとU-2Hは空母発進にして海外国内の基地依存を減らそうとした。空母発艦は成功したが海軍艦船からのスパイ機運用は実施されていないといわれる。
パウワーズ事件を受けて海外展開していたU-2分遣隊は撤収したが、今度はキューバ上空の飛行を始めた。1962年10月14日、リチャード・ヘイサー少佐操縦の機体がソ連製中距離弾道ミサイルの展開状況の撮影に成功し、キューバミサイル危機が始まった。米ソ関係でふたたびU-2が重要な存在になった。危機を通じて上空飛行は続き、10月27日にはルドルフ・アンダーソン少佐操縦の機体がまたもやSA-2に撃墜され、少佐は死亡した。
アンダーソン少佐撃墜のあと、空軍は徐々にCIAのU-2各機の管理を強め戦略偵察飛行隊を創設した。その後、タイ、日本、フィリピン、インドの各地に展開し、北ヴィエトナムの防衛体制の様子、北朝鮮やインドネシアの兵員輸送状況、中国国境の警備体制強化等の写真撮影にあたった。中東でもアラブイスラエル間の衝突の動向を監視した。
また中華民国(台湾)と分遣隊Hを共同運用開始したのは1960年代前半で、黒猫飛行隊として知られた。台湾パイロットが中国本土を北西では蘭州、南西は昆明まで飛行したが、不幸にも台湾運用のU-2も地対空ミサイルを逃れることはできず、5機が撃墜された。台湾のU-2ミッションは合計104回実施された。残るU-2は1974年に撤収された。ニクソン訪中で米中国交が成立したためだ。

現在のU-2、そして将来は?
最後の機体が生産ラインを離れたは1989年で104機のU-2が製造された。現在のU-2はすべてU-2Rの系列で胴体は30%延長され、主翼幅は100フィートを超え燃料搭載量が増加している。
1981年には新型U-2Rに特殊偵察ポッドと側面監視空中レーダー(地上スキャン用)がつきTR-1A(戦術偵察機)と改称された。
U-2とTR-1は防空体制が整備された場所での深度侵入飛行はおこなっていない。衛星により人命喪失を心配せずに行える任務だ。だがU-2は脅威がない場所なら高高度飛行を安全に行い高精度画像を衛星では得られない柔軟度で提供できる。
冷戦終結に伴い、U-2RやTR-1はU-2Sに改修され現在も31機が供用中だ。U-2Sは推力増加F118エンジンで時速500マイル超となり、センサー性能も向上しGPSも搭載する。2012年に同機はCARE事業で改修されキャビン与圧を下げ排尿回収も快適となりパイロットの肉体的負担を軽減した。
ここ数年は第9偵察航空団所属のU-2が最長12時間に及ぶイラク、アフガニスタン上空飛行を実施し、ISISやタリバンの動向を詳細に写真偵察している。
空軍は当初はU-2を2014年に退役させRQ-4グローバルホーク無人機に交替させる予定だった。だがU-2は大型で高品位センサーが積める点でRQ-4よりすぐれていること、また飛行運用費用も半額程度で済む。さらに空軍将官のひとりはRQ-4がU-2と同じ量の偵察を実施するまでにまだ10年かかるとも述べている。
結局のところ対ISIS戦で偵察機需要が高いためU-2運用予算は少なくとも2019年まで確保された。
ロッキードはTR-Xスパイ機の提案をしている。これはU-2を遠隔操縦機つまり無人機として高リスク空域での運用を目指すもので、ペンタゴンは40億ドルかけて30機ないし40機の非ステルス偵察機を配備すべきか検討中だ。

ただし今のところ旧型U-2が引き続き任務にあたりそうだ。機体が老朽化しても搭載センサーは別でドラゴンレイディは地上の様子を高高度から米国に伝える目の役割を提供している。■


Sébastien Roblin holds a Master’s Degree in Conflict Resolution from Georgetown University and served as a university instructor for the Peace Corps in China. He has also worked in education, editing, and refugee resettlement in France and the United States. He currently writes on security and military history for War Is Boring.

コメント

このブログの人気の投稿

フィリピンのFA-50がF-22を「撃墜」した最近の米比演習での真実はこうだ......

  Wikimedia Commons フィリピン空軍のかわいい軽戦闘機FA-50が米空軍の獰猛なF-22を演習で仕留めたとの報道が出ていますが、真相は....The Nationa lnterest記事からのご紹介です。 フ ィリピン空軍(PAF)は、7月に行われた空戦演習で、FA-50軽攻撃機の1機が、アメリカの制空権チャンピオンF-22ラプターを想定外のキルに成功したと発表した。この発表は、FA-50のガンカメラが捉えた画像とともに発表されたもので、パイロットが赤外線誘導(ヒートシーキング)ミサイルでステルス機をロックオンした際、フィリピンの戦闘機の照準にラプターが映っていた。  「この事件は、軍事史に重大な展開をもたらした。フィリピンの主力戦闘機は、ルソン島上空でコープ・サンダー演習の一環として行われた模擬空戦で、第5世代戦闘機に勝利した」とPAFの声明には書かれている。  しかし、この快挙は確かにフィリピン空軍にとって祝福に値するが、画像をよく見ると、3800万ドルの練習機から攻撃機になった航空機が、なぜ3億5000万ドル以上のラプターに勝つことができたのか、多くの価値あるヒントが得られる。  そして、ここでネタバレがある: この種の演習ではよくあることだが、F-22は片翼を後ろ手に縛って飛んでいるように見える。  フィリピンとアメリカの戦闘機の模擬交戦は、7月2日から21日にかけてフィリピンで行われた一連の二国間戦闘機訓練と専門家交流であるコープ・サンダー23-2で行われた。米空軍は、F-16とF-22を中心とする15機の航空機と500人以上の航空兵を派遣し、地上攻撃型のFA-50、A-29、AS-211を運用する同数のフィリピン空軍要員とともに訓練に参加した。  しかし、約3週間にわたって何十機もの航空機が何十回もの出撃をしたにもかかわらず、この訓練で世界の注目を集めたのは、空軍のパイロットが無線で「フォックス2!右旋回でラプターを1機撃墜!」と伝え得てきたときだった。 戦闘訓練はフェアな戦いではない コープサンダー23-2のような戦闘演習は、それを報道するメディアによってしばしば誤解される(誤解は報道機関の偏った姿勢に起因することもある)。たとえば、航空機同士の交戦は、あたかも2機のジェット機が単に空中で無差別級ケージマッチを行ったかのように、脈絡な

主張:台湾の軍事力、防衛体制、情報収集能力にはこれだけの欠陥がある。近代化が遅れている台湾軍が共同運営能力を獲得するまで危険な状態が続く。

iStock illustration 台 湾の防衛力強化は、米国にとり急務だ。台湾軍の訓練教官として台湾に配備した人員を、現状の 30 人から 4 倍の 100 人から 200 人にする計画が伝えられている。 議会は 12 月に 2023 年国防権限法を可決し、台湾の兵器調達のために、 5 年間で 100 億ドルの融資と助成を予算化した。 さらに、下院中国特別委員会の委員長であるマイク・ギャラガー議員(ウィスコンシン州選出)は最近、中国の侵略を抑止するため「台湾を徹底的に武装させる」と宣言している。マクマスター前国家安全保障顧問は、台湾への武器供与の加速を推進している。ワシントンでは、台湾の自衛を支援することが急務であることが明らかである。 台湾軍の近代化は大幅に遅れている こうした約束にもかかわらず、台湾は近代的な戦闘力への転換を図るため必要な軍事改革に難色を示したままである。外部からの支援が効果的であるためには、プロ意識、敗北主義、中国のナショナリズムという 3 つの無形でどこにでもある問題に取り組まなければならない。 サミュエル・ P ・ハンチントンは著書『兵士と国家』で、軍のプロフェッショナリズムの定義として、専門性、責任、企業性という 3 つを挙げている。責任感は、 " 暴力の管理はするが、暴力行為そのものはしない " という「特異な技能」と関連する。 台湾の軍事的プロフェッショナリズムを専門知識と技能で低評価になる。例えば、国防部は武器調達の前にシステム分析と運用要件を要求しているが、そのプロセスは決定後の場当たり的なチェックマークにすぎない。その結果、参謀本部は実務の本質を理解し、技術を習得することができない。 国防部には、政策と訓練カリキュラムの更新が切実に必要だ。蔡英文総統の国防大臣数名が、時代遅れの銃剣突撃訓練の復活を提唱した。この技術は 200 年前のフランスで生まれたもので、スタンドオフ精密弾の時代には、効果はごくわずかでしかないだろう。一方、台湾が新たに入手した武器の多くは武器庫や倉庫に保管されたままで、兵士の訓練用具がほとんどない。 かろうじて徴兵期間を 4 カ月から 1 年に延長することは、適切と思われるが、同省は、兵士に直立歩行訓練を義務付けるというわけのわからない計画を立てている。直立歩行は 18 世紀にプロ