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歴史に残る機体18 コンベアB-36ピースメイカー

歴史に残る機体18はコンベアB-36です。恐竜のような存在ですが、この時代によくここまでの機体を作ったなという感じですね。大きいことが良いこと、との考えの典型ですが、時代の先陣を切ったとのか、それとも早すぎたのか、失敗作かと評価が分かれそうです。   Meet the B-36 Peacemaker: The massive bomber that could fly from the US to Russia but never dropped a bomb in anger これがB-36ピースメイカーだ。米本土からロシアへ飛行可能な巨大爆撃機は実戦で一発も投下していない Logan Nye, We Are The Mighty https://www.businessinsider.com/b-36-peacemaker-massive-air-force-bomber-2018-10 B-36 一機の運行にはこれだけの人員装備が必要だった. US Air Force 第 二次大戦中の設計で終戦直後に完成し13年間共用されつつ実戦に一回も投入されない機体があった。 見方次第だが抑止力の成功例という一方で、果たしてそのとおりなのかとの疑問も残る。 コンベア B-36ピースメイカーは巨大な機体で爆弾燃料を搭載しない状態で278千ポンド(126トン)、爆弾86千ポンド(4トン)と燃料満載で410千ポンド(186トン)になった。通常爆弾、核爆弾双方が使えた。 設計作業は1941年に始まり、当時の米国指導層は国内基地を発進しベルリンを爆撃後に本国へ戻れる機体を求めたのだ。 だがB-36試作機の完成は日本降伏の6日後で第二次大戦は終結していた。初飛行は1946年8月8日と終戦からほぼ一年後になった。 B-36ピースメイカー. US Air Force 最終設計で翼幅は230フィート(70メートル)でプロペラエンジン6発式になった。プロペラは主翼後方に装着され機体を推進した。当時としては史上最大の機体になった。 384機が生産され、戦略爆撃抑止力の新時代を開き、敵に全面破壊の睨みを利かし、こちらに戦争を仕掛けることを断念させた。B-36は平時の空に飛ぶ機体となった。 同機は一発も実弾を投下していな

歴史に残る機体16 U-2

歴史に残る機体16はU-2です。現役の機体ですのでまだまだ歴史を作りそうですね。 No Plane Has Made More History Than the U-2 (And It Never Fired a Shot) U-2を上回る歴史を刻んだ機体はない(しかも一発も発射せずに)   Sebastien Roblin January 16, 2018 http://nationalinterest.org/blog/the-buzz/no-plane-has-made-more-history-the-u-2-it-never-fired-shot-24086?page=show U -2スパイ機は今も世界の空を飛んでいるが、もともとCIAで供用開始して60年以上たつ。世界史でここまで影響を与えた機体はない。米外交に有益な情報を提供しただけでなく、高高度飛行は期待通り妨害を受けなかったためだ。 高高度を飛ぶスパイグライダー機 チャーチルが有名な「鉄のカーテン」が東欧に下りたと述べた時点でその向こうを覗く米スパイ機は文字通り生死をかけていた。写真偵察機の有効性は実証済みだったがソ連ジェット戦闘機がレーダー誘導で運用開始するとソ連領空への侵入は自殺行為になった。 スパイ機がソ連MiG戦闘機の追撃を回避する方法はないのか。米空軍は解決策は高高度飛行と考え、レーダー探知も回避できると想定した。ソ連の初期型レーダーは大戦中に米国が与えた装備で最大探知高度は67千フィートと想定されたためだ。RB-57Dがこの任務用に改装されたがこれだけの高度は不可能だった。 ロッキード の伝説的設計者ケリー・ジョンソンから1953年にCL-282スパイ機提案が空軍に届いた。グライダーに近く長い胴体ととんでもなく長い主翼が特徴だった。CL-282は機体重量を極限まで下げて降着装置さえ省き胴体着陸の想定だった。空軍は採用しなかったが、CIAが関心を示しロッキードに構想研究の継続を求めた。 ロッキードはU-2になったこの機体開発を完全秘密体制で進めた。機体呼称の「U」は多用途機の意味で偵察機としての目的を隠ぺいするためだった。ロッキードは協力企業には高高度気象観測機と説明していた。 ドワイト・アイゼンハワー大統領が同機運用に直接関

歴史に残る機体15 B-24リベレーター爆撃機

歴史に残る機体15 B-24リベレーター  地 味ながら驚異の大量生産で大戦の勝利に貢献したのが同機です。当時の爆撃は重力に任せての投下で良くて数パーセントの命中率しかなかったので大量の機体から大量の爆弾を投下する必要があったのですね。今日はスマート爆弾のような精密誘導兵器があるので空を覆うような大編隊は必要がなくなったことになっています。そのためこのような数千機数万機を生産し搭乗員を養成し運用をシステムで行う事態は想定していません。戦争の在り方がかわってしまっているのですが、人間の頭の方がついていっておらず、やれ徴兵復活だのイメージで騒ぐ手合いが多いことには閉口しますね。やれやれ、新年からぼやきですか。 78 years ago, the B-24 Liberator took its first flight — here's how it helped bring down the Nazis B-24初飛行から78年、ナチ打倒にどんな貢献をしたのか B-24 Air Force on a mission in 1944.(AP Photo) Christopher Woody Dec. 29, 2017, 6:08 PM http://www.businessinsider.com/anniversary-of-b-24-liberator-bomber-first-flight-during-world-war-ii-2017-12/#by-the-beginning-of-1941-other-manufacturers-had-joined-the-effort-to-build-b-24s-the-ford-motor-company-made-the-audacious-promise-to-build-one-bomber-every-hour-a-claim-that-drew-derision-from-the-aircraft-industry-which-doubted-an-automobile-company-was-capable-of-such-a-feat-1 米軍はボーイングB-17の増産を1930年代末に計画する中で、 コンソリデーテッドエアクラフ