米国はイラクを粉砕し、以後は同様の敵勢力も敗北させている。だが、ペンタゴンは実戦経験から本当に何かを学んでいるだろうか。
2021年1月に砂漠の嵐作戦の30周年を迎える。6週間の作戦はイラクによる前年のクウェート侵攻の前の状況に復元した。30年が経過し、米空軍は当時の規模から半減されている。イラクを圧倒した当時は画期的だったステルス、精密誘導弾、衛星情報も今では当たり前になっており、敵対勢力もコピーしている。精密戦域弾道ミサイルは精度を上げており、敵対勢力で通常装備になっている。当時のような戦力増強期間や攻撃を受けない聖域の扱いは今では不可能だ。
米国が再度戦闘に突入する事態、さらに大規模戦担った場合、前回同様の急速かつ決定的な勝利を確保できるだろうか。
今も米国は航空戦闘の大部分で優位性を確保しており、人員は優れた訓練を受けており、同盟国協調国は多いと航空戦闘軍団を率いるマーク・D・ケリー大将は見る。Air Force Magazine 11月号の取材で大将は米国が参戦を余儀なくされれば、「再度優位に戦う」と述べたが、敵の防空体制も一新しており、戦域弾道ミサイルや各種戦闘の技能を考えると戦闘は一層過酷になると覚悟している。砂漠の嵐作戦のような一方的な勝利は起こりそうもない。
米国民は今後の戦闘では一層多くの死傷者を覚悟せねばならないとケリーは述べ、「第二次大戦時の観点に戻り、砂漠の嵐作戦時の水準は参考にならず」勝利の代償は高く付くとする。「無血のまま戦えるはずがない」とし、近代戦は「極端に迅速展開し、...極端なまで混沌とし、極端なまで残酷だ」
規模の問題
1990年から91年当時の空軍は冷戦時に整備され対ソ連戦を想定していた。戦闘機の平均機齡は12年足らずで、準備体制は高く、航空搭乗員は訓練をよく受けていた。当時の空軍に戦闘飛行隊が計134個あったが現在は55隊にすぎない。平均機齡は27年になり、50年も珍しくない。
戦略方針も変わった。9/11事件の2001年は本土防空体制の必要性を空軍に痛感させたが、抑止効果を上げるべく十分な兵力を世界各地に展開する必要もある。
「当時は圧倒的な数の機体があった」とデイヴィッド・A・デプチュラ中将(退役)が語る。現在はAFAミッチェル研究所長のデプチュラはイラク空爆作戦で標的選定に当たり、その後空軍初の情報収集監視偵察担当副参謀長になった。
連合軍部隊は砂漠の嵐作戦に2,430機を投入し、うち1,300機が米軍所属で海軍、海兵隊も紅海や地中海の空母から運用した。イラクは700機の固定翼機を動員した。空の抵抗は急速に下火になった。
デプチュラは機材多数を動員した当時を想起し、「72機体制での攻撃作戦をよく立案していた」という。航空団司令から多すぎると不平が出て、攻撃規模を縮小していた。「砂漠の嵐では実際に動員した機材の半数で実施可能だった」という。
今日は数の意味が異なっている。
「よく性能が向上したので機数は重要でなくなったと言われる」とデプチュラは続けた。「そうならない場合がある。F-22は世界最高水準だが、動員可能な機体は30機か40機だろう」とし、残りは移動中ないし帰還中、あるいは訓練や修理中の機体だ。
デプチュラはこの規模ではとても十分とはいえないとし、「取り扱いに苦労するだろう...一方面でもそうなので、同時対応は困難」という。
敵の軍事力が強力だと状況は急速に変わる。ヴィエトナム戦で米軍は「F-105部隊の半数を失った」とデプチュラは振り返り、「11日間でB-52の15機を喪失した」ことから互角の戦力を持つ相手との交戦では「損耗率はここ30年の水準を相当上回るものになる」と見ている。
砂漠の嵐作戦での「大きな驚き」は機体喪失数の低さで、米軍機は27機のみだった。「いつもこうなるとはいえない」(デプチュラ)
ここ三十年で空軍の規模が徐々に縮小し今や危険水準に入ったとデプチュラは指摘。「戦闘機は50%を切った」「爆撃機はもっと悪い。現在は当時の43%しかない」
機体数減少のかわりに性能を引き上げる必要がある。とくに精密攻撃力だ。「供用中兵器の大部分は精密誘導方式」とデプチュラは述べ、砂漠の嵐作戦当時は9%しかなく、レーザー誘導爆弾は4.3%にすぎなかったが、戦略目標の撃破の75%はLGBによるものだった。
当時中佐だったデイビッド・デプチュラ(右)が(左より)チャック・ホーナー大将、バスター・グロッソン中将、ノーマン・シュワーツコフ大将に状況説明している。マイケル・ロー大将はシュワーツコフを「中身は空軍兵」と呼び、作戦を圧倒的空軍力でスタートする構想を支持してくれたとする。David Deptula/courtesy
精密兵器
砂漠の嵐作戦でレーザー誘導爆弾がCNN視聴者に強い印象を与えた。白黒画面だが爆弾が屋根を貫通する光景が家庭で見られた。だがこうした兵器も雲、煙、その他妨害があると機能せず、パイロットは爆弾を抱えたまま帰投を迫られた。これに対し、今日の精密誘導兵器は衛星航法方式を利用し昼夜問わず全天候で運用可能だ。
1991年に得た教訓は精密攻撃が効果を倍増することだった。USAFは共用直接攻撃弾のようなGPS誘導方式兵器を開発し、レーザーシーカーも採用した。「その後開発の兵器は精密誘導ばかりで、もはや昔ながらの重力投下爆弾はない」とジョン・マイケル・ロー大将(砂漠の嵐作戦時に副参謀総長)は述べている。ローはその後戦術航空軍団長となり、航空戦闘軍団の初代司令官になった。
ステルス
砂漠の嵐ではステルス機が初めて戦闘投入された。空軍のF-117は敵防空体制を突破し、最重要目標を攻撃できることを実証した。
「正しい方向に向かっているのはわかっていた」とローは述べている。空軍はその後F-22開発に向かい、当時最新鋭のB-2爆撃機もあった。現在の空軍戦力でステルスは必要不可欠な存在だが他にも隠し玉がある。
「探知特徴が小さい方が大きいより良いのは絶対だ」とケリー大将は見る。「たった一つの帯域を運用するより多数のスペクトラルで耐じん性を高めたほうがいいに決まっている」 空軍のステルスは「極めて高性能」で「作戦遂行時に非常に重要な要素だ」とする。
低視認性は透明とは違うとケリーは説明する。技術の進歩で機体が探知追尾しにくくなれば戦術が重要になる。「低視認性機材を『視認不能』と錯覚すれば大きな間違いにつながる」
ISR
砂漠の盾、砂漠の嵐の当時の空軍はISR機材や宇宙機材で他の追随を許さない豊富さを誇っていた。E-3早期警戒管制機、スパイ衛星、戦術偵察機、E-8ジョイントSTARSなど開発中機材も急遽投入された。それでも「現場上空の画像情報不足」に苦しんだとデプチュラは回想していいる。「二年前半年前の画像を使って標的選定をしていた」
「グーグルアースに給料一年分を払ってもいいと思った」デプチュラは機能は完全に正確とはいかないが「当時トップシークレット機微情報扱いだった対象を見れたはずだ」という。
必要とする側向けの情報収集も大変だった。「攻撃の立案部門と情報収集手段の運用側がつながっていなかった」とデプチュラは回想している。情報収集の手順ではとくに攻撃被害評価が「まったく反応が悪かった」という。
同様に「当時は『時間に追われる』標的設定は砂漠の嵐にはなかった」とデプチュラは述べており、F-111に精密誘導弾を搭載し待機させたが、「情報が入ってから標的上空に送るまで8時間かかっていた。とても時間の切迫感があったとは言えない」
これに対し現在では航空機は各種装備を搭載したまま空中待機し、ISRで標的が見つかればあるいは地上部隊が支援を求めてくればすぐ対応する。
観測無人機は今や標準装備だが、湾岸戦争にはプレデター、リーパーの姿はなかった。投入された無人機は海軍のパイオニア標的測定用だけだった。
「24時間毎日連続の上空監視が普通になった」とデプチュラは述べ、常時監視のISRが空軍が学んだ教訓で、ここから各種無人装備の発展につながった。今日ではISRのライブ映像が多用されている。
戦略
砂漠の嵐で空軍は標的選定でも変化した。イラク軍事施設全部を叩くのではなく効果をもとにした作戦 effects-based operations (EBO) のアプローチで関連施設を一度に攻撃した。この「平行」攻撃で混乱と混沌が生まれ、イラクは結局立ち直れなかった。
「従来の標的設定方法と大きく変わった」とデプチュラはいい、効果を決定の根拠とする決定でなければ「無作為に攻撃し無関係対象も攻撃していたはずで、ヴィエトナム戦当時と大差なく、セルビアの航空戦の第一段階がまさしくこの通りだった」という。
だが教訓は生かされず、「20年にわたりアフガニスタン、イラクでEBOアプローチは採用されないまま」だった。
ローは砂漠の嵐司令官陸軍大将H・ノーマン・シュワーツコフを「中身は空軍兵」と称賛して、シュワーツコフは「圧倒的航空戦力」を強く支持したという。
イラク国内への容赦ない航空攻撃は空軍基地、防空施設、指揮命令処から始まり、その後地上部隊を狙い、イラクを圧倒したとローは語る。サダム・フセインは自国空軍を一度も活用できず、最優秀機材はイランに逃げたり、硬化シェルターに隠されたものの、バンカーバスター爆弾の標的になった、とローは語る。
「こちらが兵力で圧倒した。こちらは相手が思いもしない時間に攻撃し、航空戦力を投入した。ステルス、スタンドオフ兵器も投入した」 連合軍は攻撃を「連日実施し、連続して実施した...一日1,000ソーティーも行い、サダム・フセインは手も足も出ない状況だった」
デプチュラも同意見だ。「砂漠の嵐作戦は当時の機材の半分で実施できた...が当時はその認識はなかった。圧倒的戦力を投入したくなるのは普通だ」
防空体制
ロシアと中国は30年かけ砂漠の嵐を研究したとローは指摘し、今日の両国の軍事面に直接の影響を与えているという。
イラクはKARI防空装備があるので安心していた。フランスが売却した装備で、イラク防空ミサイル対空砲陣地150箇所をつなぎ、固定翼機700機も同様に運用していた。イラクには地対空ミサイルや肩のせ発射式対空兵器が数千発あった。
連合国側は重大な損失を覚悟していた。「開戦後二日間で100機から120機喪失すると見ていた」とローは回想する。防空体制の撃破後も「毎日5機10機喪失が数週間続くと想定していた」という。
実際は75機喪失で、うち米軍機は27機だった。
新鋭防空装備にはロシアのS-300からS-500など砂漠の嵐当時より遠距離で敵機を探知できるものがある。湾岸戦争時のSA-2は20から30マイル先の敵機に対応したが、S-400だと400マイル先まで迎撃できる。「これは大きな変化だ」とデプチュラは述べ、現時点の対空ミサイルは高速に加え、誘導装備を搭載し欺瞞されなくなっていると指摘している。
デプチュラはステルスは今も重要だとする。「低視認性はほぼ同じ実力を有する敵に対峙する際の基本中の基本だ。低視認性がなければ生存は難しい」
ステルスには戦力増強効果もある。「ステルス1機で非ステルス機材10機20機と同じ仕事ができればステルス機には10倍の価値があることになり、お買い得商品になる」
米陸軍部隊がサウジアラビアの航空基地にC-5Aギャラクシーで到着した。米軍は航空作戦開始前の5ヶ月を活用し域内に基地数カ所を整備した。Department of Defense via National Archives
電子電磁戦
砂漠の嵐作戦が終わり空軍はF-4Gワイルドウィーゼル SEAD/DEAD敵防空体制制圧破壊用機材とEF-111スパークヴァーク電子戦電子妨害機を退役させた。ブロック50/52仕様のF-16がワイルドウィーゼル任務を引き継ぎ、電子戦援護は海軍のEA-6Bブラウラー、その後EA-18Gグラウラーが頼みだ。
ローはこの方針を「誤り」と断じ、海軍では「空軍の電子戦要求内容すべて」に対応できないとする。USAF関係者はEMS(電子電磁スペクトラム)航空団による「電子戦、電子攻撃、情報戦、サイバー、ISR」任務の実施を計画中と発表しており、ローはこれは朗報とする。
ケリーは中国とロシアがステルス、精密誘導方式の実用化に入ってきたことに注意喚起している。電子電磁スペクトラムの優位性が揺らぐと警戒している。
「両国の電子電磁スペクトラム全域での妨害能力には相当のものがある」とし、「超低周波数から3Hzまで」の各帯域つまり通常の無線周波数、レーダー帯域、X、Ku、Kaバンドでの運用能力があり、「赤外線、さらに紫外線まで」とケリーは述べる。これに5Gや量子コンピュータ技術、宇宙、サイバーを加えれば敵勢力はEMSを有効活用し「キルチェーンを拡張し味方のキルチェーンを寸断できる」という。
空軍は電子電磁スペクトラム内で「生存するだけではく有効活用する」狙いがあるとケリーは説明。ステルス以外の戦力戦術でも「手の内を固め」「敵信号を吸収し逆に再プログラムする」必要があるという。
アジャイル戦闘補給体制
砂漠の嵐では空軍に数ヶ月の余裕があり、戦術を訓練したり、手順書を確認し、作戦を有効に進められた。イラクは準備を戦術弾道ミサイルで妨害できたが、散発的に発射しただけで、しかもほとんどがコースを外れ、被害が発生しなかった。あるいは陸軍がペイトリオットミサイルで迎撃した。砂漠嵐作戦を通じ空軍が受けたミサイル攻撃は2回だけだったが、27名戦死90名負傷の被害が発生した。
だがミサイル技術の進展で精度もあがっていることもあり、将来の広域航空基地が「格好の標的になる」とケリーは見ている。
陸軍の防空装備が不十分で航空基地が標的にされる事態から「アジャイル戦闘補給体制の開発に進んでいる」とケリーは述べており、戦闘機なら「4機程度」の小規模戦力を遠隔地に展開し、再武装、燃料補給し迅速に再発進させる。地上要員は最小限ながら機動的に対応できる派遣ミッションチームとして訓練を受ける。各種ミッション支援を迅速に行えるように「複数の技能セット」を有するチームになる。
このコンセプトでは「全ては準備できないが、同盟国協力国を世界規模で維持できる。受け入れ国は飛行場や防空装備を提供しれくれれば大きな効果が生まれる」とケリーは説明しており、こうした協力関係が中国やロシアと大きな差を生むとし、両国にはこうした関係がなくすべて自前で遠征部隊支援をする必要があるという。
ロー、デプチュラともに空軍には実戦司令官に決定権を移譲すべきと力説しており、変化する状況に対応しつつ、通信途絶となっても戦うため必要とする。「中央統制・分権型の実施方式を中央指揮分散統制分権型実施に帰るべきだ。兵装投下前に航空作戦司令所にお伺いを立てるようなことはすべきではない」(デプチュラ)
リスク要因
砂漠の嵐の成功を再現できるかという命題の中心は国民がリスクをどこまで受け入れる覚悟があるかだ。空軍自身が編集した「我が国に必要な空軍力」との表題の白書では国家戦略方針の実現で「中程度リスク」を想定するとしているが、この発想は1991年には存在しなかった。「中程度のリスクとは砂漠の嵐のような作戦にはならないことを示すものだ。99-1での勝利ではなく、55-45で勝つことだ」(デプチュラ)
リスクは投入資源により変動する。
現在の空軍参謀総長チャールズ・Q・ブラウンJr大将の「変革の加速化、しからずんば敗北」との号令はDoD全体に通じるメッセージであり、米国民にも同様だ、とケリーは言う。
将来の軍の姿で「選択肢が4つ」あるとケリーは指摘する。「増大する同格国の脅威に全方面で対応可能な軍事力を整備構築する」こと。「『投資のための処分』で威力を維持すべく」旧式装備を廃止し新型装備導入資金にすること。米軍に「グローバルコモンズ防衛」の義務は不要になったと決めること。あるいはケリーは「何もしないと軍事力による敗北を受け入れるリスクを高めることになる。つまり、ブラウン大将の言う『変革の加速化しからずんば敗北』の『敗北』につながる」と語っている。
更にケリーは空軍は国防総省とともに同じ方向に向かうべきとし、「変革が気に入らないのであれば、敗北に真っ直ぐ進むことになる」と述べた。■
この記事は以下を再構成したものです。
Dec. 1, 2020
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