Japan: The World's Next Big Arms Dealer?
February 17, 2017
武器輸出禁止を自ら課してきた日本だが安倍政権が2014年に国内メーカーの武器軍用装備輸出を解禁した。ただし日本が武器輸出主要国になるまでにはまだ時間がかかりそうだ。
- 2014年の措置は1967年にはじまった武器輸出三原則にかわるもので、積極的平和主義で日本の国益を確保する政策の一環として武器輸出も位置づけられているが、新しい措置でも国連禁輸措置の対象国や軍事紛争中の国には輸出できないとされる。また販売に関しては透明性を確保し、日本の知らない間に第三国への転売ができない。
- ただし新方針の前から日本は防衛協力・軍事技術の移転で小さい変更を加え、米国とは弾道ミサイル防衛を共同研究できるようになった。当時の民主党政権野田佳彦総理は日本国内企業に海外メーカーと共同開発研究ができる道も開き、防衛関連装備を人道を理由とした場合は輸出可能としていた。
- 狭義の軍事装備ではないが、日本はフィリピン、ヴィエトナムへ巡視艇を寄贈するにあたり海外援助予算を使った。またTC-90訓練機をフィリピンにリースで提供し、フィリピン海軍パイロット向け訓練も行った。
- 2014年の改訂で日本の武器メーカーはこれまでの足かせから自由になり、海外需要を取り込めるようになった。だが日本の武器輸出がこれで急拡大するのではなく、道は長くなるだろう。大口防衛装備の商談は一件も成立していない。インド太平洋には武器需要が大きい国がひしめく。
- オーストリア向け潜水艦商談は昨年失望のうちに終わったが、当初は採用は確実と見られていた。初の商談成約を期待していただけに大きな敗北とされる。だが商談の不成立で日豪関係が損なわれなかったとはいえ、日本側の政策立案部門には深いキズが残った。
- またインドには相当前からUS-2水陸両用飛行艇の販売交渉が続いており、2014年には成約の見通しが非常に高かった。だが現在でもコストと技術移転をめぐり、堂々巡りの状態に留まっている。商談は一時的に中断しているとの説明に一部メディアには「死に体」とまで評するものがある。
- 直近ではニュージーランドと哨戒機、輸送機の販売につながる商談を介している。商談は初期段階のままで、ニュージーランドは欧米メーカーもいれた競争評価方式を取るだろう。2015年にイギリスで同様の商機があったが、結局米国製装備に負けている。次のならいはタイ国で、P-1哨戒機とUS-2水陸両用機が対象になっている。
- そうなるとフィリピン、ヴィエトナム向けに巡視艇を寄贈したことを除けば、東南アジアでは成約案件がないままだ。その理由に価格があり、日本もこの分野では経験不足が否めない。また買い手からすれば実戦実績がない日本製装備には手を出しにくい。
- 武器輸出を調整すべく昨年末に大型政府機関が立ち上がっている。防衛装備庁がそれで、自衛隊隊員1,800名の他防衛省からも人員が移動した。国内最大の防錆装備調達機関として武器輸出の推進も目的となっており、国内最大の経済団体経団連も支援を惜しまないとしている。だが、日本は困難に直面したままだ。
- 国内の防衛装備メーカーにとって防衛需要は本業ではない。トップの川崎重工業、三菱重工業でも比重はそれぞれ15パーセント、11%にすぎない。その他企業に至っては1パーセントを割る状況だ。
- 戦後憲法で戦争を放棄した日本だが比較的裾野が広い防衛産業が生まれ、高性能の主要装備等を供給しているが、自衛隊用の国内需要だけを相手にしてきた。その結果、各企業は無競争状態で事業を進められた。日本企業が居心地よい環境を飛び出し、経験値が高い世界の大手企業に真っ向勝負するのは確かに楽ではない。企業の中には政府方針で競争入札の形にするため嫌々参加を付き合うものもある。また「死の商人」といわれたくないという企業もある。
- オーストラリアでの敗退、インドとの商談停滞から日本政府に経験が足りずしっかりした商談に向けた延暦方針が欠落していることが露呈した。この分野では十分魅力ある価格提示とともにしたたかな交渉力が必要だ。
- 日本にとって道はまだ長いようだ。
Purnendra Jain is Professor in the Department of Asian Studies, University of Adelaide, and a former president of the Asian Studies Association of Australia.
This first appeared in East Asia Forum here
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