ゴールデンウィーク特集の最後は1982年のフォークランド戦争での英空軍ヴァルカン爆撃機による長距離爆撃ミッションの顛末です。確かアセンションからフォークランドへの往復では給油機を16機配置し(給油機の給油機も必要だった)、これを教訓に英軍は空中給油機材の整備に乗り出したのでしたっけ。肩がこらない読み物はこれでおしまいです。
The story of the SEAD Black Buck missions flown by Royal Air Force Vulcan bombers during the Falklands War
英空軍のアヴロ・ヴァルカンは当初1982年早々に全機退役の予定だったがフォークランド戦争が同年4月に勃発し、退役は先送りされた。RAFは同機とともにヴィッカース・ヴァリアント、ハンドレページ・ヴィクターと合わせ核抑止力爆撃機V部隊を編成していた。
- フォークランド戦争はヴァルカンを実戦投入した唯一の機会となった。計七機による「ブラックバック」任務でポートスタンレーを標的にし、うち三ソーティーはSEAD(敵防空網制圧)としてAGM-45シュライクミサイルを間に合わせの翼下パイロンから発射している。
- 英軍の航空作戦には対空レーダー二基が脅威だった。アルゼンチン空軍はウェスティングハウスAN/TPS-43F一基を4月6日にスタンレー空港近くに配置しており(その後市街地内に移動し温存を図った)、アルゼンチン陸軍もカーディオンTPS-44レーダーをスタンレー近くの道路わきに配置していた。
- アルゼンチンのレーダーを破壊するためRAFはマーテルミサイルの使用を想定していたが、米空軍がAGM-45を供与した。
- R.バーデン他共著の「フォークランド航空戦」 Falklands The Air Warで説明があるように、レーダー攻撃任務のヴァルカン一号機は5月28日にアセンション島のワイドアウェイク飛行場を離陸し、機材はXM597だった。
- 残念ながら同機は空中給油用のヴィクターで給油ホースドラムユニットで故障が発生したためミッションを中止している。「ブラックバック5」は5月30日深夜に離陸し、同じ機材乗員を使い、今度はシュライクミサイルの発射に成功したが、AN/TPS-43Fの損害は軽微で攻撃24時間後に運用を再開した。
- 同じ機体乗員は「ブラックバック6」として6月2日にワイドアウェイクを離陸し、今度はシュライク4発を搭載し、同じレーダーを狙った。
- AN/ATPS-43Fの電源が切入りを繰り返している間にヴァルカンは接近した。6月3日になったばかりだった。
- 同機は上空で40分ほど待機しレーダーの電源が入るのを待っていたところ、機内のレーダー警告受信機(RWR)がアルゼンチン陸軍のスカイガードレーダーを探知した。第六〇一対空砲兵隊の火器管制用で、同隊はポートスタンレー近くに展開していた。ヴァルカンは直ちにシュライクミサイル二発を発射し、レーダーは破壊された。
- さらに数分間滞空しAN/TPS-43Fレーダーの電源が入るのを待ち、ヴィクター給油機から空中給油(AAR)を受けた。ワイドアウェイクへの帰路半ばの地点だった。
- だが給油用先端が破損しAARは中断され、機体はブラジルのリオデジャネイロ空港へ航路を変更せざるを得なくなった。
- 燃料が乏しくなったため高度を40,000ft に上げ、燃料消費を少しでも抑えようとした。また残るシュライクミサイル二発を放棄しようとしたが一発は不発に終わりパイロンについたままだった。投下用の別系統がなかったためだ。
- 乗員はコックピットの与圧を解除したあとで機密書類を機外に放棄した。その後外交チャンネルでリオデジャネイロの英大使館経由でブラジル側ATCに連絡が入りヴァルカンはリオ・ノガレアオ空港に緊急着陸した。
- 着陸しエンジンを停止した時点で燃料残量は2,000 lbsだけだった。ブラジル側は機体を不発ミサイルを付けたまま抑留し乗員は空港内でよい待遇を受けた。乗員は帰国の申し出を断り、機体とともに空港に残ることとした。結局6月10日に機体も併せて帰還が認められアセンション島へ戻っている。■
Image credit: Crown Copyright
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