韓国が政情不安定になっていますが、60数年前には文字通り存亡の危機に会ったのですね。その際に原爆で戦局を打開していたらどうなっていたのか、という考察です。ところで朝鮮戦争の相手は日本だったと信じる若い世代が韓国に存在すること自体に疑問を感じますが。
Whew — Let’s Be Glad the United States Didn’t Go Nuclear During the Korean War
Gen. Douglas MacArthur’s push to direct an atomic onslaught at China would have ended terribly
by ROBERT FARLEY
1950年のこと、鴨緑江から中国軍が来襲し米軍部隊の戦線が崩壊しかけダグラス・マーカーサー大将は中国へ戦略爆撃を要請した。これを聞いた関係者は原爆投下も予期した。当時原爆を保有していたのは米国だけで「一方的な優位性」があった。
アメリカの原爆保有数と戦略爆撃機はソ連に対するアメリカの優位性の証だった。
これに対しソ連赤軍には戦闘経験を重ねた膨大な兵力があり、東欧から短時間で西側に侵攻できた。当時はソ連本国を原爆で壊滅する能力があってこそソ連侵攻を食い止められると考えられていた。またモスクワが朝鮮半島の戦闘を裏で画策していたと信じる向きが多数だった。
ではなぜ米国は朝鮮戦争で原爆を使わなかったのか。使っていればどうなっただろうか。
実際の戦況
朝鮮戦争で1950年に重要局面が3つあった。まず6月に北朝鮮が38度線を超え全面侵攻を開始し、以後数年間続く戦乱の諸端となった。9月に米軍がインチョン上陸作戦をすると北朝鮮は攻勢を終え以後守勢に回る。だが10月末に中国人民解放軍が介入し、国連軍は38度線の南まで後退を迫られる。
その時点でマッカーサーが要請を出すと、米国内では原爆投下の主張が出た。ソ連も原爆開発中だったが、米国は原爆で圧倒的優位があり運搬手段も確立していた。
戦略核か戦術核か
1950年当時の米国防関係者は核兵器運用の計画立案および仕様に関し詳細な準備ができておらず、目的別や種別毎の使用構想はないまま、核兵器は通常兵器の体系に入れたままだった。
米国は原爆使用を「戦術」「戦略」の区分を迫られていただろう。
戦略攻撃は中国国内の産業施設、政治指導部を狙い、中国を崩壊させるか、戦闘中止に追い込むのが狙いだった。毛沢東は人民解放軍を参戦させる際にこの事態は予測していた。
中国の人口規模と産業の分散状況を考えると、この作戦には当時の初期的な原爆を多数投下する必要があった。また中国に原爆攻撃を加えること自体に米国防関係者の反対意見もあった。
国防関係者の主流派にとって中国とはソ連の傀儡国であり西側を混乱させ封じ込め体制を崩す勢力という認識だった。そんな中国に無駄に原爆を投下すればソ連産業力を温存させ、世界各地で代理戦争を増やす効果しかないとの見方だった。
当時運用してたB-36ピースメイカー爆撃機を中国爆撃に投入すれば戦略空軍の戦力が消耗していた可能性がある。同機の防御力には疑問があったためで、その場合の米国にはソ連への攻撃手段がなくなっていただろう。
もし米国が戦術爆撃同様に核兵器を集中投下していたらどうなっていただろうか。
まず、数少ない原爆を「戦術」目標に消費することは考えられないことだった。運搬手段にも限りある中で無駄な使い方は許されなかった。
たしかに中国や北朝鮮の司令部、補給処や部隊集結地は核攻撃の前にはひとたまりもない。核兵器は威力を発揮しただろうが、韓国政府は自国内で核の壊滅的効果を自ら招けば以後の統治正当性を失っていただろう。
当時の実際の状況
最近の研究から当時米国が核兵器使用をためらった別の理由がわかってきた。米国が一方的に自制したと信じる向きがあるが、実は両陣営それぞれ軍事力の浪費を避け、戦線拡大を避ける配慮をしていた。
米軍は戦線が拡大すれば朝鮮半島防御ができなくなるとおそれ、人民解放軍も相当の予備兵力と空と陸で残して米国が全面戦争に踏み切ったときに備えていた。
もう一つ重要なのがソ連が大きな影響力を及ぼしていた可能性だ。中国、北朝鮮へ装備提供を増やす、あるいはソ連地上軍、空軍、海軍の直接投入に踏み切っていたかもしれない。
もし米国が全力投入していれば、ソ連軍には東アジア地区の米軍をうわまわる兵力があったため米軍が朝鮮半島から全面撤退していたかもしれない。
結論
朝鮮半島で原爆投下していれば、恐ろしい結果が両陣営に待ってていただろう。米国は戦略上の優位性を低下し、共産陣営が一層の力を行使する結果になっていたかもしれない。韓国、北朝鮮は人的被害を相当被っていたはずだ。
世界が核兵器をタブーとみなさなくなり、政策決定の場で原爆も一般の爆弾同様に取り扱われていただろう。原爆を使っていればもっと由々しき事態がその後発生していただろう。■
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